事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

県教組PART1

2008-11-13 | 事務職員部報

N_cl02 事務職員部報07年6月5日号。県教組シリーズは県下のすべての事務職員に配布されました。いやー文面は考えた考えた。5号にわたって展開したんだけどやばいのでアップできるのは2号ぐらいかな。

はじめまして、と言わなければならない事務職員の方も多いと思います。県教組事務職員部長の堀と申します。「わたしはクミアイには入っていないんだけど?」と不審に思われるかもしれませんが、置賜や西北村山で支部の統合などがあったことから、全県の組織である事務職員部として、その活動を知ってもらおうと今回(ちょっと無理を言って)県下の全事務職員にこの事務職員部報を配付してもらったというわけです。

県教組ってなに?

Photo  まずここから話をはじめましょう。組合員の方は復習のつもりで読んでください。組合、とは市町村立小中学校の県費負担教職員が主に加盟している労働組合、山形県教職員組合のこと。略して県教組(けんきょうそ)。
 県教組は地方公務員法にもとづいて、山形県人事委員会に登録された職員団体。組合員の声をもとに、賃金や労働条件の改善要求を、雇用者である山形県教育委員会に対等な立場で伝えることができる機関です。

対等?

 いくらなんでも雇い主と対等は言いすぎじゃないか、と思われるかもしれません。金を出す方と受け取る方、どちらが強いかと言えばそれはもちろん出す方に決まっています。受け取る側にアドバンテージがあるとすれば、それは圧倒的に多数だということ。こちらにとって一番の強みはその“数”なのです。ですから、組合の組織率は他の何よりも見えざる力となってはたらきます。事務職員なら気づいているはずです↓
・給料が引き下げになっているにもかかわらず、なぜか“現給保障”されていること。
・近ごろやけに育児休業取得者の条件が好転していること。
……これらは、組合と雇用主が押したり引いたりした結果なのです。数を背景に。

事務職員部?

県教組には、山形市にある本部と山形・西北村山・最上・置賜・田川・酒田の支部があり、それぞれ組合員のためにケータイを握りしめながら役員が走りまわっています。

Photo_2  他に専門部とよばれる組織を内包していて、それぞれ
・女性部
・青年部 
・事務職員部 
・養護教員部  
・栄養職員部(現在は栄養教職員部)
が独自の活動を行っています。

事務職員部の活動については次号からお知らせしますが、県教組の強みは、事務職員という“村”の課題を全体のものにできることです。
06年の3月に昇格基準の引き下げ提案があったとき、一年でいちばん忙しい時期にもかかわらず、たくさんの部員から交渉に参加してもらえました。同時に、県教組全体から支援をうけ、県教組経由で(行政職全体の問題でもあることから)県職労と協力して復活へと向かう方向性が確定したあの日は、部長として(しんどいけれど)いちばんうれしい瞬間でした。

さて、事務職員部の活動とは……以下次号

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「レッドクリフ PARTⅠ(赤壁)」 (2008 中~香~日~台~韓)

2008-11-13 | 洋画

Dvd347_1  おそらくは床屋で順番を待ちながら、横山光輝の長大な劇画を読むことから始まるのだろう。どこのクラスにも一人は三国志オタクがいて、あれを入口に中国史に耽溺するようになる。劉備だの曹操だの関羽だの張飛だの、くわえて諸葛孔明だの(ひょえー、ATOKじゃみんな一発で変換するぞ)が入り乱れるあの戦記の、どこがそんなに男の子の心をとらえるのか。

 わたしは吉川英治の「三国志」にどうしてものれず、一巻目の途中でほっぽり出した男なのでえらいことは言えないが、この映画はオタクたちが夢想する“大昔の、こうであったら楽しいだろうなあという闘い”を現実化して見せている。【八卦】なんて陣立て、およそ実在していたか怪しいもの。でも実在していたらこう攻める、こう守る、と頭の中でシミュレーションしていたものが、そのまんまスクリーンで再現されるのだ。こりゃ、三国志フリークにはたまらんだろう。

 とにかく金がかかっている。ハリウッド映画の1億ドルと中国での1億ドルじゃ、その価値に天地の差が。CGじゃない兵士たちがうじゃうじゃ登場し(さすがに船団はCGだと思う)、馬や人が本気で転倒する。きっと二、三人死んでるぞ。日本で金を出したエイベックスは、小室哲哉問題で盛り下がっているところなんで今回のヒットはうれしいだろう。

 監督はジョン・ウーだからハリウッドらしさが画面に出ている。というか、盾の間から剣がニョキニョキ出てくるのは「300」だし、水面いっぱいの軍船は「トロイ」そのまんま。女ひとりのために開戦したってのも「トロイ」だ。いいのかな。いいんだろうな。赤壁の闘いはいちおう史実だし。

香港時代の諸作や「ミッション・インポッシブル」の二作目、「フェイス/オフ」「ブロークン・アロー」でわかるように、ウーの映画はいつもどこか重い。観客とのやり取りが実は不得手なのだろうと思う。緩急がなくて、急急急って感じ。もっとも、二挺拳銃は時代的に無理だとしても、おなじみの白い鳩はどうするのかなーと思っていたら、ちゃーんと出てくるあたりのサービス精神はうれしい。まさかあんなに出してくるとは思わなかったけど。金かかってんどー。

 え?三国志少年たちが喜ぶのはわかっても、女性はどこを観ればいいのかって?あのトニー・レオンとあの金城武が同じ画面でからんでるってだけじゃ不満ですか!

Part2特集につづく

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おくりびと~酒田観光案内最終回

2008-11-13 | まち歩き

Okuribito12 庄内弁特集はこちら

 さて、作品の中味について考えていこう。納棺師という職業を主題にすることで、死とはいったい何か、ひるがえってそれでは生とは何なのかをこの作品は考えさせるつくりになっている。この構造はかなりわかりやすい対比になっていて、さすが「料理の鉄人」などで視聴者を読み切った小山薫堂らしい。

 一度だけ、先輩納棺師の部屋が登場する。山崎努演ずるこの社長は、あふれるほどの植物に囲まれて暮らしており、美食家でもある彼の哲学が披瀝される。あぶったフグの白子が本木に供され

「死にたくなければ食わなきゃならない。食うなら、美味い方がいい」

「うまいだろ?……困ったことに」

と、渋いことを。
 生と性が、だから死と性がつながっていることも強調される。これだけの死が描かれるんだから、バランスからいって強い生も描写される必要があり、その部分をまだ若いヒロスエひとりに背負わせているのがリスキーっちゃリスキー。しかし窮屈だったであろうに彼女も体当たりの演技で(まさかあそこまで脱いでくれるとはなー)応えてくれている。

 そして、石文という存在で象徴されるのが「死とは終わりではない」ということ。ある人物がもっていた石が、最後に誰に受け継がれるか。露骨といえばこれほど露骨な形はないくらいにあざとく描写され、涙を誘う。わたし、くやしいけど泣きましたもの。

 チェリストという設定もうまい。あの楽器が人間の肉体をシンボライズしていることは確実だし、背景には不器用な奏者の成長を描いた「セロ(チェロ)弾きのゴーシュ」もあるのではないかと思う。

 この映画が何よりすごいのは、納棺師という地味ぃな存在のお話がメジャーな映画として成立したあたりにある。よくこの企画通ったなー。地元ロケでなければおよそ観たいと思わせるパッケージにはなってないんだけど。おまけに大ヒット。モントリオール映画祭グランプリという追い風があったとはいえ(あの映画祭に、これまで興行価値はなかったのに)、映画化したいと尽力した本木雅弘のセンスがすばらしかったわけだ。

 その本木って、“とまどいながら嘘をつき続ける”軽薄な邪悪さが持ち味だと思うんだけど、そんな彼が一度だけ涙を見せるラストは、だから穢れが聖に転換する一瞬を絶妙にとらえていた。奥さんの父親である内田裕也も「モトキ、よくやった」と絶賛していたとある筋から情報が。ロングラン決定だからまだ観ていない人はぜひ。シェケナベイベー。

……なんとなんとアカデミー賞ゲット特集はこちら

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