「ローマ人の物語」Res Gestae Populi Romani
塩野七生著 新潮社
「オクタヴィあぬす!」
「ハドリあぬす!」
「トライあぬす!」
「マルクス・アウレリ……しまった、こいつは付かねー」
……馬鹿な田舎の高校生たちにとっては、神君アウグストゥスも五賢帝も単なる尻の穴あつかいだった。罰当たりな話。でも、授業の世界史って、ひたすら退屈だったし……
作家塩野七生が、ローマ帝国の興亡を、1992年から2006年までの15年間、1年に1冊のペースで描こうという壮大な試み「ローマ人の物語」は、現在予定どおり12巻まで到達している(これは2004年現在の原稿。予定よりも少し遅れたがみごとに完結している)。
版元の新潮社にとってもリスキーなチャレンジは見事に当たり、毎年ベストセラーリストにのっているのはご存知のとおり。
このシリーズがこれだけ受け入れられたのは、まずは授業の世界史と違って「面白い」からであり、同時に弱点もそこにあるのだと思う。「面白すぎる」のである。
現在までのタイトルをおさらいしてみよう。
ローマ人の物語I ローマは一日にして成らず
ハンニバル戦記 ローマ人の物語II
勝者の混迷 ローマ人の物語III
ユリウス・カエサル ルビコン以前 ローマ人の物語IV
ユリウス・カエサル ルビコン以後 ローマ人の物語V
パクス・ロマーナ ローマ人の物語VI
悪名高き皇帝たち ローマ人の物語VII
危機と克服 ローマ人の物語VIII
賢帝の世紀 ローマ人の物語IX
すべての道はローマに通ず ローマ人の物語X
終わりの始まり ローマ人の物語XI
迷走する帝国 ローマ人の物語XII
……タイトルだけでも一目瞭然、まずはローマ史自体がやたらに面白い。なにしろ登場人物はオールスター。史劇でおなじみのスキピオ、ハンニバル、カエサル、キケロ、クレオパトラ、アグリッパ、ネロ、スパルタカス、加えて例のアヌス組が、塩野の思い入れたっぷりな筆致で描かれるのだ。面白くないわけがない。
おまけに、表には出さないように慎重に扱われているが、背後にはいつもイエス=キリストの影があり、名も知らぬ悪女が皇帝を操ったりしている。わくわくである。
でも、保守思想ゴリゴリで、平和ボケ日本の現状をイタリアから撃ち続ける塩野の歴史的人物の評価や叙述は、やはりちょっと恣意的にすぎる。
“神の目”で歴史をとらえた司馬遼太郎の方法論に心酔する層(たとえば後藤田正晴は、秘書に「この人の本を全部買ってこい」と命じたそうだし、「この1冊」の読者のなかにも、娘に“七生”と名付けた人もいる)にはたまらないんだろうが、わたしには「そりゃー結果論だろや!」と突っ込みたくなる点が満載である。なによりも歴史の帰趨を人物に求めすぎていないか。
英雄の叙述は確かに面白い。でも、それゆえにこぼれ落ちてしまう歴史的真実は多いのではないだろうか。面白すぎる、としたのはそんなこと。
塩野がほぼ絶賛状態のカエサルよりも、高校時代から怜悧な行政執行者といったおもむきのオクタヴィアヌスのファンだった(だって本来のローマ帝国の中興の祖ってこいつじゃないか)わたしだからそう思うのかも知れないけれど。だいたい、故事来歴を使って説教かまそうってヤツにろくなのはいないじゃない?(笑)
まあ、そのあたりを気にしなければ、知力ではギリシャ人に劣り、体力ではケルト(ガリア)やゲルマンの人々に劣り、技術力ではエトルリア人に劣り、経済力ではカルタゴ人に劣ったローマ人が、なにゆえに千年王国を築くことができたかの謎を、その卓越したインフラ整備やロジスティクス、そして異民族同和政策に求めたこのシリーズには目を見開かされる点も多い。
高校の世界史では得られなかった知的興奮に確かに満ちている。尻の穴に喜んでいる場合ではなかったのだ。ま、そうでもなければ12年もつきあってはいないわけだが。