事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

今月の名言2020年1月号PART4 音楽三題その3 同級生

2020-01-30 | 音楽

ロックン・ロール・ショー - RC SUCCESSION

その2「顔のないアイドル」はこちら

「お前は音楽の才能はなさそうだから、ほかのことやったら?」

かつて三浦友和がRCサクセションとつるんでいたのは有名な話。しかしマネージャーにこう指摘され、俳優の養成所を紹介してもらったのだという。それから幾星霜、清志郎は空の彼方へ、友和は百恵との生活をだいじにしている。

「エンターテイナーとして素晴らしかった。純粋に(清志郎を)もう1度見てみたかった。友達としてもね。」

清志郎が亡くなって、もう十年以上が経っている。

本日の1曲はもちろんRCサクセションの「ロックンロールショー」。いきなりヘビーなギターから始まったものだから当時は本当に驚いたものだった。こっちは女に不自由していたころ。

PART5「論理国語ぉ?」につづく

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今月の名言2020年1月号PART3 音楽三題その2 顔のないアイドル

2020-01-30 | 音楽

河合奈保子 ♪ ハーフムーン セレナーデ

その1「ガールズバンド」はこちら

「僕にとってアイドルっていうのは、顔のない誰かっていう感じ」

わたしにとっては大貫妙子のアレンジャーとしての印象が強い瀬尾一三が、松田聖子とはどんな歌手だったかと問われて。

アイドル全盛期、彼女たちは忙しくてオケ録りのときにスタジオに来ないのが常だったとか。仮歌の女性がラララって歌いにくるだけだったらしい。

そのために、彼はシンガーソングライターとだけ組むようになったのだと。かろうじて覚えているのは河合奈保子だけ。そんなものだったのか。アイドルの仕事をするのって、おいしいだけじゃなかったんだね。

本日の1曲は「ハーフムーン・セレナーデ」、ようやく河合奈保子をうちのブログにお迎えできました。どこをどうしても彼女の話題にはなんなかったもんね(笑)。ああしかしこのブログからは再生できないのか。縁のない人だったんだなあ。

その3「同級生」につづく

 

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今月の名言2020年1月号PART2 音楽三題その1 ガールズバンド

2020-01-30 | 音楽

The Runaways - Cherry Bomb

PART1「三谷幸喜吠える」はこちら

「知れば知るほどバンド活動は青少年の人格形成、協働の姿勢を学ぶのによい活動だ」

全国学校軽音楽部協会理事長、三谷佳之氏の発言。

・デジタル化により楽器やアンプが低価格化したこと

・ヘッドフォン使用等による小音量化

などによってバンドに対する世間の目は大きく変わってきた……どころか、教育上非常によろしいと評価する人まで登場。かつては不良の代名詞だったのに、時代は変わったなあ。

ちなみに、高校生のロックバンドは、今や女子のグループが7割を占めるんですって。時代は……

本日の1曲は、ガールズバンドといえばわたしの世代はランナウェイズ。彼女たちを描いた映画で、シェリー・カリーをダコタ・ファニングジョーン・ジェットクリステン・スチュワートが演じたというのはすごい。なんで観てないんだろう。

その2「顔のないアイドル」につづく

 

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「A面に恋をして 名曲誕生ストーリー」 谷口由記著 リットーミュージック

2019-12-03 | 音楽

タイトルはもちろんナイアガラ・トライアングルVol.2(大瀧詠一、佐野元春、杉真理)の「A面で恋をして」に由来。アナログレコードを見たこともない世代には意味不明だろうけれども、この本で採り上げられた曲を考えると心配無用かな。列挙してみましょうか?

原田真二「キャンディ」

さとう宗幸「青葉城恋唄」

渡辺真知子「かもめが翔んだ日」

五十嵐浩晃「ペガサスの朝」

石川ひとみ「まちぶせ

大橋純子「シルエット・ロマンス」

稲垣潤一「ドラマティック・レイン」

H₂O「想い出がいっぱい」

村下孝蔵「初恋」

EPO「う、ふ、ふ、ふ、」

小林明子「恋におちて -Fall in live-」

LOOK「シャイニン・オン 君が哀しい」

ZIGGY「GLORIA」

……心配いらないでしょ(笑)。それぞれ、歌い手やスタッフなど、当事者でなければ語れないエピソードが満載です。

たとえば原田真二は当初(フォーライフレコード所属だから)吉田拓郎の曲でデビューしそうだったとか、大瀧詠一の「ロング・バケイション」の「FUN×4」の叫び声は五十嵐浩晃をわざわざ札幌から呼んでレコーディングしたとか、村下孝蔵の「初恋」は渡辺徹に歌わせようという話もあったとか。

驚いたのは石川ひとみで、ユーミンが書いた名曲「まちぶせ」(ストーカーの歌ですけどね)のバックがティン・パン・アレイ後藤次利だったのを全然意識していなかった(笑)。

もっと驚きなのは大橋純子。久しぶりに「シルエット・ロマンス」の2番を歌って「この曲って、こんなに色っぽかったの?」としみじみしたそうだ。声がかすれるとかイヤリングをはずすとか、セックス直前なのが見え見えだったのに!

共通しているのは、持ち歌の大ヒットによって生活が激変。そのためにその曲を封印した人までいた。だけれどもその歌はアーティストの所有物であると同時にファンのものでもあることに気づき、新たな気持ちで曲と向き合う……やはり、誰もが知っているヒット曲がキャリアのなかにあるって、幸福なことなんだなあ。

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「YMOのONGAKUその4」

2019-10-27 | 音楽

Yellow Magic Orchestra - Nice Age (live)

その3はこちら

以降YMOは、神経症的な「BGM」、生楽器やサンプリングを多用した「テクノデリック」、パロディ色満載の「浮気なぼくら」を出して全盛期の活動を終える。まあ、わたしはスネークマンショーとのコラボ「増殖」が大好きでしたけどね。

メンバーそれぞれが多才な人だったこともあって、YMOとしての活動がなくても三人はいつもフロントラインにいたイメージ。しかし実際には(あまりはっきりとは書かれていないが)坂本龍一は早くから脱けたがっていたようだし、みんなオトナだから反発し合う前に没交渉になったりしたのだろう。いまは三人でテレビ出演などもするようになっているし、特に細野晴臣の仙人っぷりはみがきがかかっています。

YMOがわたしの世代に与えた影響はやはり大きい。人民服を着て無表情に演奏する彼らのイメージが確かに強いけれど、「トリオ・ザ・テクノ」としてバラエティに出演するなど、後半はその音楽性とは真逆にユーモアを前面に出してきたのがうれしかった。

「増殖」はその結実だし、業界においても息がしやすくなったのではないか。で、わたしたちはそんな彼らの姿こそかっこいいと思っていたわけ。

音楽的には、特に坂本龍一のアレンジは独特で、彼と大貫妙子が組んだときは無敵だとすら思いました。彼は藤井にシンセサイザーについてこう語っている。

「藤井、シンセには背負ってる歴史がないんだよ。ピアノやヴァイオリンには、楽器そのものが関わってきた音楽の歴史があるだろう。例えばピアノを弾くと、同時にそのピアノを使った音楽の歴史も、これから自分が作る音楽の中に組み込んでしまうことになる。シンセはそういう仕組みから解放されるんだよね」

なるほど。まあ、いまはプロフェット5にはプロフェット5の歴史が刻み込まれているような気もしますが。そしてその歴史は、あのころにYMOが切り開いて、しかも爆発的に売れたという事実が否応なしに影響している。

あびるほど彼らの音楽を聴いたわたしたちの世代は、好き嫌いを超えてテクノの子、YMOの子なのだとしみじみと思える。そのことがうれしいです。

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「YMOのONGAKU」その3

2019-10-26 | 音楽

夜のヒットスタジオ 1980年6月2日 YMO TECHNOPOLIS~RYDEEN (雷電)

その2はこちら

さて、デビューアルバムは市場でどう評価されたか。

初回枚数は2800枚。当時でさえこの数字は、かなり控えめに言っても、あまり芳しいものではなかった。ちなみに同じ日にリリースされた坂本龍一のファースト・ソロ・アルバム「千のナイフ」の初回枚数は400枚。セールスの数字だけを見れば、彼らはいばらの道を歩き出した、と言ってもいい。

……確かに、リスナーにとってほとんどなじみのない、カテゴライズするとすれば現代音楽に近い音は業界人たちをも戸惑わせた。アルファはけっこう力を入れて広告をうっていたけどな。しかし、78年12月に紀伊國屋ホールで行われたアルファ・ミュージック・フェスティバルに“人数合わせ”で登場した彼らに来日したアメリカのプロデューサーは

「この中で売れるのはイエロー・マジック・オーケストラだけだ、このバンドはすごい」

と言い放った。その予言は的中。2枚目のアルバム「SOLID STATE SURVIVOR」は爆発的に売れることになった。A面の1曲目はこのようにして始まる。

♪TOKIO~♪

「テクノポリス」「ライディーン」「ビハインド・ザ・マスク」「デイ・トリッパー」などが含まれたこのアルバムは1979年9月25日リリース。幼稚園児までライディーンのメロディを口ずさんでいたものな。

藤井:(「テクノポリス」について)細野さんは坂本さんに、欧陽菲菲みたいな曲を書いてとオーダーしたそうです。ベンチャーズが作曲した(「雨の御堂筋」)みたいなことなんでしょうか。

……オーヤンフィフィ!お若い方たち、ついて来てね。しかしYMOの怖いところは、商業的に大成功したソリッド・ステイト・サバイバーと同傾向のアルバムを出すことはもうなかったということだ。以下次号

本日は夜のヒットスタジオバージョン。うわー橋本一子さんなつかしー。

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「YMOのONGAKU」その2

2019-10-25 | 音楽

COSMIC SURFIN' - YMO 1979 LIVE at THE GREEK THEATRE

その1はこちら

アルファレコードは商売として最初は大成功だった。独立前はなんとあの外車ディーラー、ヤナセと組んでいたとか。初耳。

荒井由実赤い鳥、ガロを抱えていたし、独立後の稼ぎ頭は当然YMO。まあ、それからいろいろあってショービジネスというのはしんどいものなんだなあということの典型例になっている。

これまたYMOの諸作に参加したことで有名な松武秀樹との対談では……

藤井:坂本さんとの最初はなんだったんですか?

松武:りりぃが渋谷公会堂でコンサートをやることになって、そのオープニングにモーグで作った鐘の音を鳴らしてほしいという依頼があったんです。当時、りりぃのバックのバイ・バイ・セッション・バンドに教授がいて、そのときにシンセの使い方なんかの話をしたのが初めて。

……友部正人の次はりりぃだったのか。教授も最初はそっちの仕事が多かったんだね。そして1978年11月25日にYMOのデビューアルバム「YELLOW MAGIC ORCHESTRA」が発売される。おなじみなのは「コズミック・サーフィン」や「東風」「中国女」だろうか。その「コズミック・サーフィン」の録音におけるエピソード。

藤井:とにかく、YMOの演奏が本当にうまい!クリックを聴きながらこのグルーヴ感で演奏できるのは、今でもこの三人だけではないだろうか、と思わせるほど、このリズムトラックは神がかってさえいます。

松武:そう、本当にすごい。

藤井:録音当時のアシスタント・エンジニアだった齊藤さんから、この曲のリズムを録り終わった三人が、レコーディングルームから戻ってきながら「俺たちは世界一だ」と言ってたという話を聞いたことがあります(笑)。

……シンセやプログラミングのイメージが先行したYMOだけど、でもやっぱりバンドとしてすごかったことが理解できます。以下次号

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「YMOのONGAKU」藤井丈司著 アルテスパブリッシング

2019-10-24 | 音楽

YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)と聞いて、若い人たちはどのように感じるのだろう。

細野晴臣高橋幸宏坂本龍一という個性豊かで才能にあふれたミュージシャンたちは、いまではすっかりビッグネームになっているから知識としてはもちろんみんな持っているのだとは思う。でも70年代末から80年代初めにかけての祝祭のような彼らの活動は、リアルタイムで聴いていたわたしの世代でもよくわかっていないことも多い。

この本は、アルバム「増殖」から「散開」まで、YMOのアシスタントやシンセプログラマーとしてその祝祭につきあった藤井丈司(ライナーノートでおなじみの名前)による回顧録、というかYMOへのオマージュだ。

この年(1975年)、坂本龍一はフォークシンガー友部正人のアルバム「誰もぼくの絵を描けないだろう」で初めてポップス作品のレコーディングに参加する。

「ある日、ゴールデン街で飲んでいるときに、たまたま友部さんが入ってきてぼくの隣に座ったんです。フォークは嫌いで聴かなかったんだけど、たまたま隣に座った友部さんと話してみたら、すごく面白かった。『現代詩の詩人みたいだな』と思った。すっかり意気投合して盛り上がって、明日レコーディングがあるから来てくれないかと言われた。スタジオでレコーディングするということ自体、ぼくにとって初めての経験でした。」

細野晴臣ははっぴいえんど、高橋幸宏はサディスティック・ミカ・バンドという前歴があったけれど、坂本龍一にはそのようなメジャーな活動はなかった。その後、大貫妙子山下達郎のシュガーベイブ組との交流が始まるわけだけど、まさか最初が友部正人とは!ちなみに、坂本と幸宏は78年に矢沢永吉のシングル「時間よ止まれ」にも参加しています。

設立されたばかりのアルファレコードがまず最初に何をしたかといえば、細野へのプロデューサー契約のオファーだった。

「アルファが独立したときに記者会見があって、とっさにイエロー・マジック・オーケストラっていう名前を思いついたんで、それをやりますと発表しちゃったんです」

大丈夫かYMO(笑)。以下次号

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追悼リック・オケイセック The Cars - heartbeat city

2019-09-18 | 音楽

The Cars - heartbeat city

訃報欄を読むのは地方公務員にとって必須の作業だが、新聞の片隅でリック・オケイセックの死が伝えられているのには心底おどろいた。

ベンジャミン・オールはずいぶん前に亡くなっているので、これでカーズのフロントはどちらも逝ってしまったことになる。

乾いた彼らの曲はもちろん好きだったけれど、大ファンです!という声はなかなか聞かない。日本ではあまりうけないタイプだった。

ところが、湯川れい子がメイン・パーソナリティだった時代の「全米トップ40」(まだやってるのかな。わたしは全英トップ20まで聴いていましたが)で、いっしょにやっていたラジオ関東(当時)のアナウンサーに

「で、あなたは誰が好きなの?」

と、なんのはずみか湯川さんが訊くと

「……カーズです。すごく好きなんです」

日ごろ自己主張しないタイプの人だったので意外。しかもカーズとはまた渋い。“わかっている”人向けのバンドでもあった。メインストリームになんか絶対に行かないという意地みたいなものが。

デビューアルバムや「キャンディ・オーに捧ぐ」など名盤数あれど、わたしはやはり「ハートビート・シティ」が好き。特にタイトル曲。リックのソロアルバムも渋かったー。ご冥福をお祈りします。

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今月の名言2019年6月号PART2 成りあがった理由

2019-07-01 | 音楽

ROCKIN' MY HEART/EIKICHI・YAZAWA

2019年6月号PART1「恥を知れ。」はこちら

矢沢:もともと人っていうのは、そんな絵に描いたように行くもんじゃないと思う。だから、もしも誰かが「毎日毎日こんなことばっかりやって‥‥」って、言ったとしたら、ぼくは言いますね。そんなもんなんじゃない? って。

糸井:そうだねぇ。

……ほぼ日刊イトイ新聞における矢沢永吉と糸井重里の「成りあがり」コンビ(これ、若い人は知らないよな。小学館文庫で出てるはず……あ、角川文庫だったのか)対談から。もーのすごく面白かったのでぜひ!

本日の1曲はもちろん矢沢です。わたしは、彼のファンには怒られるかもしれないけれど、ドゥービー・ブラザーズと組んだこの曲が一番好きです。おしゃれだしね。

矢沢本人が当時、誰もおれのサウンドのおしゃれさに気づいてくれないって歯がみしていたことを考えると、ある意味正解?

PART3「三位一体改革の現在」につづく

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