通でがんす

いろんな広島を知って、ひろしま通になりましょう!
(旧ブログタイトル:通じゃのう)

リニューアルオープンに向け愛称を募集しているのは、宮島のどこ?

2010年06月04日 | 広島の話題
宮島には歴史、産業、自然についての施設がありますの。



【問題】
来年8月のリニューアルオープンに向け愛称を募集している宮島の施設は、次のうちどこでしょうか?

1.弥山(みせん)展望台
2.宮島水族館
3.宮島伝統産業会館
4.宮島歴史民俗資料館









【正解】
2.宮島水族館



【解説】
廿日市市宮島町の新宮島水族館着工から5カ月。
来年8月のリニューアルオープンに向け、建設工事が着々と進んでいる。
6月末には運営計画と会館記念イベントの概要もまとまる。
市は、より親しまれる水族館を目指し愛称の一般公募も始めた。

(「新宮島水族館 順調に建設」中国新聞 2010年6月4日)







今日は、「新宮島水族館(仮称)」「愛称の公募」「(旧)宮島水族館」について調べてみようかの。



まずは、新宮島水族館について。

新水族館は、鉄筋2階地下1階建て、延床面積が約5,822平方メートル。
本館棟と海獣棟、観覧プールからなる。
宮島の干潟や瀬戸の里山、タッチングプールなども設けられるそうじゃ。
もちろん、スナメリ水槽やペンギン水槽などもある。

運営方針は、「体感の水族館」「学びの水族館」「独自性の水族館」「温もりの水族館」「集いの水族館」じゃそうな。

建物は来年3月末までに完成する予定。
その後、飼育生物を新水族館に移して、新しい環境に慣らしていくそうじゃ。



↓新宮島水族館について、くわしくはこちら↓

新宮島水族館(仮称)の施設概要及びパース図(完成予想図)
http://www.sunameri.jp/news/003.htm



次に、愛称の公募について。



廿日市市では、平成23年8月のリニューアルオープンを目指し、廿日市市宮島町(旧水族館跡地)に、市民の環境学習、自然体験学習などの拠点機能の強化や地域の活性化を図るため、「いやし」と「ふれあい」を基本理念(コンセプト)とする廿日市市新宮島水族館(仮称)(以下「新水族館」という。)を「宮島」の新たな顔として整備を進めています。
新水族館にふさわしい愛称を広く募集します。
市民はもちろん、国内外から訪れる多くの観光客に愛され、親しまれる、素敵な愛称を考えてください。

(募集目的)




最優秀賞(1人)には賞金2万円と副賞、優秀賞(最優秀賞受賞者を除く。4人まで)には賞金5千円と副賞が贈られるそうじゃ。
応募期間は6月21日(月)まで。
ええ愛称が思いついた方は、送ってみられてはいかがですかの?



↓愛称募集について、くわしくはこちら↓

「廿日市市新宮島水族館(仮称)の愛称募集について」宮島水族館
http://www.sunameri.jp/bosyu/index.html



最後に、宮島水族館について。

宮島水族館は1959(昭和34)年に、宮島町立の水族館としてオープン。
アシカやペンギンなど、水生動物約350種13,000点が展示されとったんじゃ。

そのシンボルじゃったのが、スナメリ。
玄関前には、スナメリのモニュメントも建てられとったんよ。
新宮島水族館のアドレスも、「www.sunameri.jp」になっとります。

2011(平成23)年8月のリニューアルに向け、2008(平成20)年12月から閉園中。



↓宮島水族館について、くわしくはこちら↓

宮島水族館
http://www.sunameri.jp/index.php



今日は、「新宮島水族館」「愛称の公募」「宮島水族館」について勉強をさせてもらいました。
今日もひとつ勉強になったでがんす。



ほいじゃあ、またの。
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とうかさんで歩行者天国になる通りの名前は?

2010年06月03日 | 広島の話題

とうかさんは、浴衣(ゆかた)の着はじめの日として親しまれとりますのう。
時期的にも衣更(ころもが)えのシーズンじゃ。



【問題】
広島に夏の訪れを告げる「とうかさん」のメインストリートとして歩行者天国になる通りは、次のうちどこでしょうか?

1.えびす通り
2.中央通り
3.流川通り
4.平和大通り









【正解】
2.中央通り




【解説】
夏の訪れを告げる「とうかさん」と「ゆかたできん祭」が4~6日、広島市中区の中央通り一帯である。

「とうかさん」は沿道の円隆寺(えんりゅうじ)であり、大勢の参拝客でにぎわう。
周辺である「ゆかたできん祭」は地元商店街などでつくる実行委が企画する。

中央通りは4、5の両日午後7~10時、八丁堀交差点から三川町交差点までの約600メートルが歩行者専用道路になる。

歩行者専用道路では両日とも午後7時半から、「ゆかたできん祭」のメーンイベントがある。
2日間で県内外のグループ計40団体が、ソーラン節や盆踊りを披露する。
浴衣ファッションショーやコンサートも企画している。

中央通り以外では4~6日の午後7~10時、新天地公園や円隆寺の周辺などの市道17カ所総延長約1300メートルも歩行者専用道路になる。
ゆかたできん祭実行委=電話082(245)1448。

(「とうかさん4日開幕 広島」中国新聞 2010年6月3日)
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201006030016.html




とうかさんは、広島三大祭りのひとつ。
広島三大祭りとは、とうかさん、すみよしさん、えべっさん。



今日は、「とうかさんの歴史」「とうかさんの日程」「ゆかたできん祭(さい)」について調べてみようかの。



まずは、とうかさんの歴史について。

1619(元和5)年、広島藩初代藩主の浅野長晟(ながあきら)が、紀州(きしゅう。現在の和歌山県)から広島へ入ってこられた。
その時に円隆寺を建立し、日音師を迎えて開山した。

円隆寺に祀られている「とうかさん」は「稲荷大明神」のこと。
「稲荷」を「いなり」ではなく、音読みで「とうか」と呼んでいるため、その祭りも「とうかさん」と呼ばれるようになったということじゃ。

つまり、とうかさんは390年の歴史があるということじゃね。

1945(昭和20)年は、戦争中にもかかわらず、とうかさんが行われた。
8月6日の原爆投下によって円隆寺は全焼。
翌1946(昭和21)年に再興された。



次に、とうかさんの日程について。

円隆寺は武家のための寺だったので、とうかさんも旧暦の端午の節句に行なわれとったそうじゃ。
「端午の節句」のことを「菖蒲の節句」ともいい、「菖蒲(しょうぶ)」を「尚武(しょうぶ。武道・ 武勇を重んじること)」にかけたんじゃそうな。

菖蒲といえば、6月6日(日)に縮景園(しゅっけいえん)で「しょうぶ茶会」が催されます。

閑話休題。

祭りや行事の多くが新暦で行なわれるようになったので、1955(昭和30)年から、新暦の6月9日と10日に行なわれるようになったんじゃそうな。
これは、「稲荷(とうか)」を「10日(とうか)」にかけとります。

しかし、梅雨時でもあり、雨の降ると困るということで地元商店街と寺が話し合い、1961(昭和36)年から、6月8日、9日、10日の3日間行なわれるようになった。

そして1998(平成10)年からは、6月の第1金曜日から始まる土曜、日曜の3日間に固定されたそうじゃ。



↓とうかさんについて、くわしくはこちら↓

ようこそ とうかさんへ
http://www.toukasan.net/contents/toukasan.html



最後に、ゆかたできん祭について。

2003(平成15)年から、「ゆかた」をコンセプトとする新しい祭り「ゆかたできん祭」が開かれるようになった。

以下、各会場でのイベントを記す。

■中央通り

●ゆかたメインイベント「ゆかたで踊りんさい」
  6月4日(金)・5日(土) 19:30~21:15

●HIROSHIMAゆかたCOLLECTION
  6月4日(金)・5日(土) 19:30~21:00


■本通り

●パレード
  6月4日(金) 17:30~18:30


■東新天地公共広場(新天地交番東側)

●ゆかたで盆踊り
  6月4日(金)~6日(日) 19:00~21:30


■紙屋町シャレオ 中央広場

●ゆかた関連イベント
  6月4日(金)・5日(土) 13:00~20:00



↓くわしくは、こちら↓

「「2010ゆかたで きん祭」は楽しさいっぱい!」広島ナビゲーター
http://www.hcvb.city.hiroshima.jp/i/monthly/monthly.html



映画館のサロンシネマ・シネツインでは、とうかさんの期間中に浴衣姿で行くと、映画が1,000円で見ることができるそうじゃ。
(1人、1作品につき)



↓くわしくは、こちら↓

サロンシネマ&シネツイン
http://www.saloncinema-cinetwin.jp/index.html



↓とうかさんについての過去の記事は、こちら↓

とうかさん
http://blog.goo.ne.jp/hiroshima-2/d/20091114



今日は、「とうかさんの歴史」「とうかさんの日程」「ゆかたできん祭」について勉強をさせてもらいました。
今日もひとつ勉強になったでがんす。



ことしは3日間ともええ天気になりそうじゃ。



ほいじゃあ、またの。

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島の若者たちが宮島を目指して櫂伝馬を漕ぐのは、どこ?

2010年06月02日 | 広島の話題

これは、町おこしの一環として行われるそうじゃ。



【問題】
「旅する櫂伝馬(かいでんま)」と銘打って、島の若者たちが宮島を目指して櫂伝馬を漕(こ)ぐのは、次のうちどこでしょうか?

1.江田島市(えたじまし)
2.大崎上島町(おおさきかみじまちょう)
3.倉橋町(くらはしちょう)
4.瀬戸田町(せとだちょう)









【正解】
2.大崎上島町




【解説】
櫂伝馬競漕(きょうそう)が盛んな広島県大崎上島町の若者たち有志が6月5、6の両日、伝馬船をこいで世界遺産の島、宮島(廿日市市)を目指す。

こぎ手が減って祭りの継続が難しくなる中、島の「宝」を幅広くアピールして次世代へつなぐ一歩とする。

宮島行きは「旅する櫂伝馬」と題し、船頭、太鼓各1人とこぎ手の男性14人が一度に乗船。
こぎ手は順次交代し、片道だけの約75キロを各日6時間半かけて瀬戸内の島々を縫って進む。

昨年秋に試行で大崎上島一周(約35キロ)を済ませた。

日本三大船神事の宮島管絃祭がある旧暦6月17日、大崎上島でも十七夜祭を開いていた縁で目的地に決めた。
中世の室町時代、小早川水軍で先祖が活躍した故事にちなみ「大崎衆」を名乗って臨む。

(「大崎上島から宮島へ櫂伝馬」中国新聞 2010年5月18日)
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201005180038.html




今日は、「櫂伝馬」「大崎上島」「小早川水軍」について調べてみようかの。



まず、櫂伝馬について。

櫂伝馬は小型の和船で、スピードが出て、小回りがきく船として、人や物資の輸送などに使われていたそうじゃ。

櫂伝馬競漕は大崎上島の伝統行事で、記録が残っているだけで200年以上の続いとるそうじゃ。
また、国土交通省が選ぶ「島の宝100景」にも選ばれとります。

櫂伝馬競漕は毎年8月、住吉祭で行われる。
”報恩栄弥栄弥栄 宝来栄弥歳の歳歳(ほうおんえんやえいやえい ほうらいえいやさのさいさい)”の掛け声とともに櫂伝馬船を漕ぎ競う姿は、勇猛な水軍が敵陣に向かって先陣を競っていた姿を思わせるそうじゃ。

記事の中に「こぎ手が減って…」とあるが、これと同じくらい問題なのが、地元で櫂伝馬を造れなくなったということ。
最近では、倉橋や四国の今治(いまばり)に注文しとるそうじゃ。



↓くわしくは、こちら↓

旅する櫂伝馬 ~参上!!大崎衆!! 厳島編~
http://kaidenma.okoshi-yasu.com/



次に、大崎上島について。

大崎上島は昔から天然の良港に恵まれ、海上交通の要衝として栄えとった。
全国の櫂伝馬の約3割が、この島に残っていると言われとります。

住吉祭が行われる住吉神社は、江戸時代中ごろ、大阪の住吉社から御神霊を迎えて創建されたということじゃ。

船の資料館があって、ここでは船具の展示のほか、瀬戸内海の模擬航海が楽しめるそうじゃ。



↓大崎上島について、くわしくはこちら↓

「大崎上島」広島県観光ホームページ
http://www.kankou.pref.hiroshima.jp/seeplayexp/see/setouchi/island/oosakikamijima/index.html



最後に、小早川水軍について。

小早川水軍は小早川家が率いた水軍で、小早川隆景(たかかげ。毛利元就の三男)の代には毛利水軍の中核を担った。
1555(弘治元)年の厳島の戦いで、毛利元就は陶晴賢(すえ はるかた)を破ったが、この時、村上水軍を味方に引き入れるなどの働きをしたそうじゃ。



今日は、「櫂伝馬」「大崎上島」「小早川水軍」について勉強をさせてもらいました。
今日もひとつ勉強になったでがんす。



ほいじゃあ、またの。

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松本清張が生まれたと考えられている広島の町は?

2010年06月01日 | 広島の話題

松本清張といえば、日本を代表する作家の1人。
昨年は生誕100年ということで、いろんな作品がドラマ化されましたのう。
清張の出身地は現在の北九州市小倉北区なんじゃが、実は広島生まれじゃないかといわれとるそうじゃ…。



【問題】
松本清張が生まれたとされる広島の町は、次のうちどこでしょうか?

1.水主町(かこまち)
2.京橋町(きょうばしちょう)
3.中島本町(なかじまほんまち)
4.橋本町(はしもとちょう)









【正解】
2.京橋町



【解説】
戦後日本を代表する作家、松本清張氏(1909~92年)と広島のつながりを探る特別展「松本清張展~清張文学との新たな邂逅(かいこう)」が、広島市南区の市郷土資料館で開かれている。
清張は北九州市生まれとされているが、特別展では広島出身の可能性を多くの資料を展示して検証している。

幼児期の写真を張った台紙には「広島京橋」との地名や広島の写真館の主とみられる人名が印字されていた。
「広島は私に因縁の深い土地だ。父と母はここで一緒になった」と記した自伝「半生の記(はんせいのき)」や、「本当は広島生まれ」と語った新聞のインタビュー記事も展示している。

計250点の資料を展示している特別展は7月11日まで。

(「清張と広島のつながり探る」中国新聞 2010年4月25日)
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201004250025.html



今日は、「清張が広島に生まれたという根拠」「広島の地名が出ている清張の作品」「関連イベント」について調べてみようかの。



まず、清張が広島に生まれたという根拠について。

松本清張は1909(明治42)年12月21日、松本峯太郎・岡田タニの長男として、福岡県企救(きく)郡板櫃(いたびつ)村(現在の北九州市小倉北区)に生まれた、ことになっとります。

ところが、没後に発見された赤ん坊時代の写真には、父・峯太郎の字で「明治42年2月12日 同年4月15日写」と書かれてあったそうじゃ。
当たり前の話じゃが、わざわざ写真館で撮った記念写真の裏面に、ウソの誕生日を書く親はおらん。
しかも、この赤ん坊が生後2ヶ月ぐらいなので、清張の本当の誕生日は1909年2月12日と考えられる。
また、記念写真の裏や台紙には、広島市にある地名と撮影した写真館の名前が書かれてあるそうじゃ。

父・峯太郎は鳥取県日南町の出身じゃが、青年時代には広島市で働いていた。
母・タニは広島県賀茂郡志和村(現在の東広島市志和町)出身で、広島市内の紡績工場で働いていた。
2人が広島で結婚し、清張が生まれても何の不思議もないよのう。

12月21日という日付については、小倉に移った両親が清張の出生届を出していなかったことに気づいて、届けを出した。清張の出生届が受理された日が、戸籍上の誕生日となった可能性が高い、ということじゃ。

ウィキペディアでは、誕生日が「1909年12月21日」、誕生地が「広島県広島市」となっとります。



↓松本清張については、こちら↓

「松本清張」ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E6%B8%85%E5%BC%B5



↓松本清張展について、くわしくはこちら↓

「特別展 松本清張展~清張文学との新たな邂逅~」広島市郷土資料館
http://www.hiroins-net.ne.jp/kyodo/top/topfrm.htm



次に、広島の地名が出ている清張の作品について。

先ほど、清張が生まれた町は、現在の広島市京橋町としたが、それに言及した作品がある。



私は広島のK町で生まれたと聞かされた。
その町がどういう所か知らない。

(『父系の指』初出「新潮」 1955年)




「K町=京橋町」ということじゃ。



広島は、東京と違い、戦時下といっても、どこかのんびりしています。
やはり地方のせいだと思います。
この前、子どもたちをつれて饒津(にぎつ)公園というのに行ってきました。
浅野の泉庭にも行きました。昔の殿様の庭園だそうです。

(『遠い接近』初出「週刊朝日」 1971~72年)



文中に出てくる「泉庭(せんてい)」とあるのは、現在の縮景園(しゅっけいえん。広島市中区)のことじゃ。




汽車は一時間くらいかかった。
可部(かべ)は、古い狭い町だった。
町の真ん中を川が流れている。
太田川(おおたがわ)という川で、この下流は広島湾に注いでいる。
山と水の町だが、そこはかとない退廃が旧い街並に沈んでいた。

(『駅路(えきろ)』初出「サンデー毎日」 1960年)



母親・タニの故郷である志和町から三篠川(みささがわ)を下っていくと、可部の近くまで行くことができる。
つまり、可部という地名は、母親から聞かされていた地名だった可能性もあるということじゃ。

作品ではないが、インタビューに次のように答えとられます。



生まれのは小倉市(現北九州市)ということになっているが、本当は広島なの。
それは旅先だったので、その後、すぐ小倉に行ったものだから、そこで生まれたことになっている。

(読売新聞夕刊 1990(平成2)年11月12日)




これは、清張自身が広島で生まれたことを意識しての発言と思われる。

1970(昭和51)年3月、講演のために広島を訪れた清張は、わざわざ母親・タニの故郷である志和町を訪ねとられます。結局、生家は分からずじまいじゃったそうじゃが…。



最後に、関連イベントについて。

広島市中央図書館では7月11日(日)まで、企画展「松本清張作品展」を、2階展示ホールで行っとられます。

また6月12日(土)に、講演会「『点と線』誕生 ~清張はなぜ推理小説を書いたか~」が行われます。
講師は北九州市立松本清張記念館学芸員の中川里志氏。
くわしくは、広島市立中央図書館へ。
電話 082-222-5542。



↓くわしくは、こちら↓

「企画展 「松本清張作品展」」広島市立図書館
http://www.library.city.hiroshima.jp/news/2010/05/15000347.html



この松本清張展に合わせて、広島市映像文化ライブラリーでは、6月を「特集・ミステリー映画探訪」として、松本清張の推理小説を映画化した作品を中心に上映されるそうじゃ。

以下、この企画で上映される松本清張原作の映画をあげる。

●6月4日(金)『張込み』(1958年)
監督/野村芳太郎 出演/大木 実、宮口精二、高峰秀子、田村高広

●6月5日(土)『黒い画集 あるサラリーマンの証言』(1960年)
監督/堀川弘通 出演/小林桂樹、原知佐子、平田昭彦、中北千枝子

●6月12日(土)『影の車』(1970年)
監督/野村芳太郎 出演/岩下志麻、加藤 剛、小川真由美、芦田伸介

●6月18日(金)『鬼畜』(1978年)
監督/野村芳太郎 出演/岩下志麻、緒形 拳、小川真由美、鈴木瑞穂

●6月19日(土)、20日(日)『砂の器』(1974年)
監督/野村芳太郎 出演/丹波哲郎、加藤 剛、森田健作、島田陽子

●6月26日(土)『疑惑』(1982年)
監督/野村芳太郎 出演/桃井かおり、岩下志麻、鹿賀丈史、柄本 明

●6月27日(日)『天城越え』(1983年)
監督/三村晴彦 出演/田中裕子、渡瀬恒彦、平幹二朗、伊藤洋一



↓くわしくは、こちら↓

広島市映像文化ライブラリー
http://www.cf.city.hiroshima.jp/eizou/



↓松本清張について、くわしくはこちら↓

松本清張記念館公式ウェブサイト
http://www.kid.ne.jp/seicho/html/



選択肢1の水主町(かこまち)は、現在の加古町(かこまち)。
かつて、広島県庁舎や公立広島病院(県立広島病院の前身)などがあった。

選択肢3の中島本町(なかじまほんまち)は、原爆供養塔、原爆の子の像、平和の灯などがあるところにあった、かつての繁華街。



今日は、「広島で生まれたという根拠」「広島の地名が出ている作品」「関連イベント」について勉強をさせてもらいました。
今日もひとつ勉強になったでがんす。



ほいじゃあ、またの。

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