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サンフレッチェ広島ユースの三矢寮寮長が退任

2011年01月28日 | スポーツ
「今年の3月のスペシャル番組で、「3年B組金八先生」も終わるんじゃね」

「武田鉄矢の代表作じゃのう」

「学生のころは、ええ友だち、ええ恩師に恵まれるというのは大切じゃねぇ」



サンフレッチェ広島ユースの選手が生活する安芸高田市吉田町の三矢(みつや)寮の稲田稔(いなだ みのる)寮長(65)が、今月31日で退任する。
寮が完成した1994(平成6)年から約17年間、Jリーガーを目指す高校生の相談役として面倒を見てきた。

鉄骨2階建ての寮には、15~18歳の選手36人が暮らす。
吉田高に通いながら、サッカーに打ち込んでいる。

17年間で触れ合った選手は200人近く。
出身者は今も頻繁に訪ねて来る。
昨年末にあった送別会には約140人が駆け付けた。

今後は、古里の同市高宮町に戻るが、「子どもに関わる話が舞い込めば心が動くかも」とも話している。

(「サンフレユース寮長17年で幕」中国新聞 2011年1月27日)
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201101270003.html




「寮の出身者が今も頻繁に訪ねて来るというのが、ええねぇ」

「送り出した方としては、訪ねて来てくれるというのが、一番うれしいじゃろうの」



たちまち…こんばんわ。今日は夜ご飯をユースの寮に食べに来たぞ!!
佐藤昭大(さんま)。
高萩洋次郎(ごぼう)。
高柳一誠(毛深い)。
桑田慎一郎(ボス)。
森脇良太(声がデカい)。
柏木陽介(メタボリック)。

以上…今日のメンバー。
俺らが汗と涙を流しながら過ごしたユースの寮で今日は寮長と寮母さんがご飯を用意して下さった。
しかしやっぱり寮っていいな。
ほんまに安らぐというか色んな話が出来て疲れも吹っ飛んだわ。
また明日から頑張れるな!!
写真は後輩達で罰として坊主になったらしいから皆で撮ったで。

では…じゃーのー

(「三矢寮。」槙野智章 公式Webサイト 2009年1月28日(水))
http://mr-makino.com/diary/20090128.shtml




「槙野さんは、ドイツに行かれたんよね」

「ケルンというチームに移籍されたんじゃ」



「今日は、「稲田稔」「教育方針」「ユニフォームに安芸高田市章」について調べてみようかの」





【稲田稔】

「稲田さんて、どんな方なんかね?」

「自動車会社のマツダで、1200人の独身寮を管理されとったそうじゃ」



稲田さんは、マツダ三次自動車試験場の総務課(当時)から転籍し、寮長となった。
妻の敏子さん(63)と寮に住み込み、選手と寝食をともにする。
生活指導や相談ごとに乗るのが主な仕事。
「人間としての規律やしつけが社会人になってから大事」と、あいさつや身の回りの整理整頓まで、時には厳しく指導する。

(同上)




「なんじゃかんじゃ言うても、高校生じゃもん。いろいろとあるじゃろうね」

「寮生の相談に乗るというのも、大事な仕事じゃのう」

「当然、プロになれん子の方が多いじゃろうね」

「それじゃけぇ、大学進学も視野に入れて指導されとるそうじゃ」





【教育方針】

「三矢寮には、なにか決まりごとがあるんかね?」



起床時間に遅れれば、その日の練習には参加させない。
学校の成績が下がってもしばらく練習を自粛させる。
「自己管理ができない子は駄目」と、(1)サッカー(2)私生活(3)学校の授業―の3本柱での努力を選手に求めてきた。
「サッカー選手だけの人生ではない。その後のことも思って接した」と話す。

(同上)




「寮生は全員、吉田町にある吉田高校に通うとるんじゃが、1科目赤点を取れば3日間、2科目だと1週間も練習に出られんそうじゃ」

「なかなか、厳しいねぇ」

「このほかにも、個人の部屋にはテレビを置かないとか、携帯電話は夜10時半に回収するとかあるそうじゃ」

「うーん、親として反省せんにゃいけんところがあるね」

「スポーツ選手は、現役よりもその後の人生の方が圧倒的に長いけぇの。その辺も考えとってんじゃろうの」

「ところで、なんで稲田さんはサンフレッチェ広島に来られたんかね?」



マツダ時代に今西和男(いまにし かずお)の部下として働いた経験があり、その今西が広島総監督時代に稲田を寮長にスカウトした。

(「サンフレッチェ広島の下部組織」ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%81%E3%82%A7%E5%BA%83%E5%B3%B6%E3%81%AE%E4%B8%8B%E9%83%A8%E7%B5%84%E7%B9%94




「へー。ところで、今西さんって誰かいね?」

「東洋工業(現:マツダ)のサッカー部の選手で、サッカーの日本代表でもあったんじゃ。Jリーグが始まったころは、総監督という立場でサンフレッチェにかかわっとられたんじゃ」

「ほいで?」

「寮の規則は、彼の教育方針と似とるところが多いんじゃ」



若手選手に対して「一流のサッカー選手である前に、一流の社会人であれ」「サッカーバカにはなるな」「現役を引退してからのほうが人生は長い。そのために、現役時から社会の一般常識を身につけることが大切だ」と、一人前の社会人であることを厳しく求めた。

(「今西和男」ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E8%A5%BF%E5%92%8C%E7%94%B7






【ユニフォームに安芸高田市章】

「サンフレッチェ広島は、今シーズンからユニホームを新しくしちゃったよね」

「ユースチームの新しいユニホームの右袖には、「安芸高田市」の文字と市章が入るそうじゃ」



安芸高田市はサンフレッチェ広島のホームタウンで、吉田町の吉田サッカー公園でトップチームやユースが練習している。
ユースの三矢(みつや)寮もあり、選手は吉田高に通っている。

サンフレッチェ広島の森脇豊一郎企画部長兼広報部長は「安芸高田市はチームの活動拠点。お世話になっている感謝の印」と話し、「スポンサー料」はなし。
浜田一義市長は「市の名前が全国的にアピールできる」と喜んでいる。
新ユニホームは2月半ばごろ発表予定。

(「ユース選手袖に安芸高田市章」中国新聞 2011年1月27日)
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201101280037.html




「お世話になっとるけぇスポンサー料はいりません、というのがええね。あっぱれじゃ!」

「もともとは、1993(平成5)年に、吉田町がサンフレッチェ広島を誘致したことから始まるんよの」

「吉田町は、毛利元就のふるさとじゃしね」

「サンフレッチェという名前も、元就の「三本の矢の教え」から取ったもんじゃけぇの。2月12日(土)には、サンフレッチェ広島の選手が、毛利元就ゆかりの清(すが)神社で必勝祈願されるんじゃ」



↓安芸高田市については、こちら↓

安芸高田市トップページ
http://www.akitakata.jp/






↓サンフレッチェ広島についての関連記事は、こちら↓

広島ユースが全日本ユース(U-18)で優勝したのは、何回目?
http://blog.goo.ne.jp/hiroshima-2/d/20101014

サンフレッチェ広島の選手たちが必勝祈願をした、毛利元就ゆかりの清(すが)神社があるのはどこ?
http://blog.goo.ne.jp/hiroshima-2/d/20100121






「今日は、「稲田稔」「教育方針」「ユニフォームに安芸高田市章」について勉強をさせてもらいました」

「今日もひとつ勉強になったでがんす」

「サンフレッチェ、今年もがんばりんさいよ」

「ほいじゃあ、またの」

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