JR広島駅南口からマツダ スタジアムまで
友元神社(とももとじんじゃ)
昇鯉岩(しょうりがん)
前回、カープロード2019(その3)JR広島駅南口から愛宕踏切までのペデストリアンデッキを紹介した。
今回は、カープロード2019(その4)友元神社と境内にある昇鯉岩を紹介していこう。
↓前回については、こちら↓
カープロード2019(その3)
(訪問日:2017年4月14日)
駅南口から交差点を渡ったところにあるのが、2017年4月に開業した、駅前再開発Cブロックのエキシティ広島。
そこからエスカレーター(もしくは階段)で上がったところに、マツダスタジアムへ通じる(予定の)ペデストリアンデッキがある。
そこに鎮座しているのが友元神社。
この友元神社は、再開発前のこの地にあった愛友市場(あいゆういちば)に鎮座していたものを、ここへ遷座(せんざ)されたんじゃ。
広島駅前のこのあたりには戦前から市場があった。
戦後、まだ焼け野原だったころに闇市として再開。
「荒神(こうじん)」という地名から「荒神市場」と呼ばれていたが、1988年に「愛友市場」を名前を改めた。
わしが小(こ)まいころは、年末になると、正月用の買い出しで賑(にぎ)わったもんじゃ。
その賑わいは、テレビで見る東京の築地にも負けんくらいじゃった。
再開発前のカープロードは、こんな感じじゃった。
(以上、訪問日:2013年11月23日)
友元神社は、この愛友市場の中に鎮座、祀られていたんじゃの。
(以上、訪問日:2019年4月27日)
友元神社は、戦国時代の武将・毛利元就の義理の弟・友元 明を祀っているところから「友元」と名づけられたという。
かぶっている兜(かぶと)にも、毛利家の家紋である一文字三星紋(いちもんじみつびしもん)が入っている。
一文字三星紋とは、数字の一の下に丸が三つ三角形に並んだもの。
手にする采配(さいはい)に描かれた「C」は、もちろん広島カープの「C」じゃ。
(以上、訪問日:2017年4月14日)
神社 友元大明神(駅前の友元さん)
御利益 幸運・勝運・家内安全・商売繁盛・招福
此の神社は慶安(1648年)広島東照宮造営時、ここ松原町の猿候川から使用資材の陸揚げ貯蔵と仕分け加工の場所を設けたことで、ここに安全を祈願し祀したことに由来しています。
神皇産神(かみむすびのかみ)、伊那■(糸へんに弟)伊那丹(いきなきいなみ)2柱の大神はじめ※4柱の神と、そして此の里を見守って下さる御神体に毛利元就公の義弟友元明公をお迎えしお祀りしました。
御神体は昭和6年(1931年)旧糸崎鉄道学校校長さんが安全運行、商売繁盛等の思いで、京都の彫刻師に彫像を依頼したものです。
昭和20年原爆投下1ヶ月前に、神社をお守りしていた松井家のお祖母様の寝枕に御神体が立たれ「疎開するよう」お告げがあり、御神体とともにそのお告げに従い多くの人が原爆の難を免れたと伝えられています。
こうしたことから現在まで崇高な存在は幸運で強運な神様としてお祀りさせて戴いております。
またここの街の再開発もカープロードも神社に祈願しお力を戴いたと思っています。
御参拝される全ての皆さんに、さらに良い幸運がありますように、ここに畏敬の念をもってお祀りしております。
祭敬
※「大国主命(おおくにのぬしののかみ)」
「泣澤女神(なきさわめのかみ)」
「刺国若姫(さしくにわかひめのみこと)」
「事代主神(ことしろぬしのかみ)」
(案内板より)
友元神社の境内にあるのが昇鯉岩。
昇鯉、文字どおり鯉が滝を登(昇)ること。
「登竜門(とうりゅうもん)」という言葉をご存じじゃろか?
中国には黄河(こうが)の急流を登った鯉は竜(龍)になるという言い伝えがあるんじゃの。
文部省唱歌『鯉のぼり』にも、こんな歌詞がある。
百瀬(ももせ)の滝を 登りなば
たちまち龍に なりぬべき
わが身にによや 男の子(おのこ)ごと
空におどるや 鯉のぼり
(『鯉のぼり』文部省唱歌)
(以上、訪問日:2018年3月4日)
ここはマツダスタジアムへの通り道ということもあって、神社にお参りし、昇鯉岩をなでて行かれる方も多い。
今日は、カープロード2019(その4)友元神社と境内にある昇鯉岩について話をさせてもらいました。
次回は、カープロード2019(その5)、緒方孝市監督、石原慶幸捕手、永川勝浩投手、K.ジョンソン投手、小窪哲也選手の予定じゃ。
ほいじゃあ、またの。
友元神社(とももとじんじゃ)
昇鯉岩(しょうりがん)
前回、カープロード2019(その3)JR広島駅南口から愛宕踏切までのペデストリアンデッキを紹介した。
今回は、カープロード2019(その4)友元神社と境内にある昇鯉岩を紹介していこう。
↓前回については、こちら↓
カープロード2019(その3)
(訪問日:2017年4月14日)
駅南口から交差点を渡ったところにあるのが、2017年4月に開業した、駅前再開発Cブロックのエキシティ広島。
そこからエスカレーター(もしくは階段)で上がったところに、マツダスタジアムへ通じる(予定の)ペデストリアンデッキがある。
そこに鎮座しているのが友元神社。
この友元神社は、再開発前のこの地にあった愛友市場(あいゆういちば)に鎮座していたものを、ここへ遷座(せんざ)されたんじゃ。
広島駅前のこのあたりには戦前から市場があった。
戦後、まだ焼け野原だったころに闇市として再開。
「荒神(こうじん)」という地名から「荒神市場」と呼ばれていたが、1988年に「愛友市場」を名前を改めた。
わしが小(こ)まいころは、年末になると、正月用の買い出しで賑(にぎ)わったもんじゃ。
その賑わいは、テレビで見る東京の築地にも負けんくらいじゃった。
再開発前のカープロードは、こんな感じじゃった。
(以上、訪問日:2013年11月23日)
友元神社は、この愛友市場の中に鎮座、祀られていたんじゃの。
(以上、訪問日:2019年4月27日)
友元神社は、戦国時代の武将・毛利元就の義理の弟・友元 明を祀っているところから「友元」と名づけられたという。
かぶっている兜(かぶと)にも、毛利家の家紋である一文字三星紋(いちもんじみつびしもん)が入っている。
一文字三星紋とは、数字の一の下に丸が三つ三角形に並んだもの。
手にする采配(さいはい)に描かれた「C」は、もちろん広島カープの「C」じゃ。
(以上、訪問日:2017年4月14日)
神社 友元大明神(駅前の友元さん)
御利益 幸運・勝運・家内安全・商売繁盛・招福
此の神社は慶安(1648年)広島東照宮造営時、ここ松原町の猿候川から使用資材の陸揚げ貯蔵と仕分け加工の場所を設けたことで、ここに安全を祈願し祀したことに由来しています。
神皇産神(かみむすびのかみ)、伊那■(糸へんに弟)伊那丹(いきなきいなみ)2柱の大神はじめ※4柱の神と、そして此の里を見守って下さる御神体に毛利元就公の義弟友元明公をお迎えしお祀りしました。
御神体は昭和6年(1931年)旧糸崎鉄道学校校長さんが安全運行、商売繁盛等の思いで、京都の彫刻師に彫像を依頼したものです。
昭和20年原爆投下1ヶ月前に、神社をお守りしていた松井家のお祖母様の寝枕に御神体が立たれ「疎開するよう」お告げがあり、御神体とともにそのお告げに従い多くの人が原爆の難を免れたと伝えられています。
こうしたことから現在まで崇高な存在は幸運で強運な神様としてお祀りさせて戴いております。
またここの街の再開発もカープロードも神社に祈願しお力を戴いたと思っています。
御参拝される全ての皆さんに、さらに良い幸運がありますように、ここに畏敬の念をもってお祀りしております。
祭敬
※「大国主命(おおくにのぬしののかみ)」
「泣澤女神(なきさわめのかみ)」
「刺国若姫(さしくにわかひめのみこと)」
「事代主神(ことしろぬしのかみ)」
(案内板より)
友元神社の境内にあるのが昇鯉岩。
昇鯉、文字どおり鯉が滝を登(昇)ること。
「登竜門(とうりゅうもん)」という言葉をご存じじゃろか?
中国には黄河(こうが)の急流を登った鯉は竜(龍)になるという言い伝えがあるんじゃの。
文部省唱歌『鯉のぼり』にも、こんな歌詞がある。
百瀬(ももせ)の滝を 登りなば
たちまち龍に なりぬべき
わが身にによや 男の子(おのこ)ごと
空におどるや 鯉のぼり
(『鯉のぼり』文部省唱歌)
(以上、訪問日:2018年3月4日)
ここはマツダスタジアムへの通り道ということもあって、神社にお参りし、昇鯉岩をなでて行かれる方も多い。
今日は、カープロード2019(その4)友元神社と境内にある昇鯉岩について話をさせてもらいました。
次回は、カープロード2019(その5)、緒方孝市監督、石原慶幸捕手、永川勝浩投手、K.ジョンソン投手、小窪哲也選手の予定じゃ。
ほいじゃあ、またの。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます