通でがんす

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(旧ブログタイトル:通じゃのう)

宮島の恩人・誓真(せいしん)が修行した寺は?

2009年11月08日 | 広島の話題
どこの街にも、「昔、あの人があれをしてくれたから、今のこの街がある」と言われる人がおりますのう。


【問題】
以八上人(いはちしょうにん)の開基による浄土宗の古刹(こさつ)で「宮島の恩人」と呼ばれている江戸後期の僧、誓真(せいしん)が修行した寺は次のうちどれでしょうか?

1.大聖院  2.存光寺  3.大願寺  4.光明院


【ヒント】
すんません。ヒントをよう作らんかった…。



宮島検定は2009(平成21)年11月29日(日)実施です。
受付期間:~11月20日(金)
受付期間を延長しました。


【正解】
4.光明院


【解説】
誓真
(1742年~1800年)は、伊予の武士の家に生まれ、のちに一家は広島城下に移り米屋を営んでいた。
ある時、世の中の荒廃を嘆いた誓真は宮島に渡り、光明院住職の元で修行し、僧になった。


誓真が「宮島の恩人」と呼ばれる理由は、次のことから。

○「誓真釣井(せいしんつるい)」と呼ばれる井戸を掘った



誓真釣井

○弁財天(べんざいてん)の琵琶(びわ)をヒントに杓子(しゃもじ)の製作を思いついた

○道路を改修した


彼の掘った井戸が10ヶ所あって、そのうち4ヶ所が残っとる。
港町に残る井戸の近くに誓真地蔵が祀ってあり、毎年8月24日には地蔵まつりが行われるそうな。

また、彼の考案した杓子が、宮島の特産品「宮島杓子」のはじまりといわれとる。


これらの功績から、誓真の徳を称えた「誓真大徳頌徳碑(せいしんだいとくしょうとくひ)」が光明院の近くに建てられた。


杓子を考えついたというのは、えらいのう。
このころは、厳島神社に参詣する人の土産物が少なかったので人気を得たということじゃ。

高校野球の甲子園大会で広島県代表チームの応援や、野球の広島カープの応援でもよく使われる。
これは、杓子を打ち鳴らした時の「カチカチ」という音を、「勝ち勝ち」に掛けとるからじゃ。

また、日清・日露戦争のとき、全国から召集された兵士が広島の宇品港(うじなこう 現・広島港)から出征していった。
その時、厳島神社に無事な帰還を祈願して、「敵を召し捕る飯とる)」という言葉に掛けて杓子を奉納、故郷へ土産物として持ち帰ったことから全国に知られるようになったともいわれとる。 
このころの広島は軍事都市としての面も持っとったんよ。

宮島には、長さが7.7メートル、重さが2.5トンという、世界一の大杓子がある。

宮島に来られたときには、ぜひ見ていってくださいや。
残念ながら、触ることはできませんがのう…。



大杓子

今日は誓真について勉強しました。
誓真という人自体、今回初めて知りました。
今日もひとつ勉強になったでがんす。


今回は、「宮島検定サンプル問題」の「問6」から出題させてもらいました。感謝!


ほいじゃあ、またの。

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