通でがんす

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(旧ブログタイトル:通じゃのう)

西国街道(旧山陽道) その14

2014年05月05日 | 見て歩き
~残念社(ざんねんしゃ)入り口から古代山陽道の石畳まで~





「前回は、松陰腰掛の石から残念社入り口を紹介したんじゃけど…」

「今日は、残念社(ざんねんしゃ)入り口から古代山陽道の石畳まで」





「残念社入り口から道路を左へ進むと、宮浜温泉の源泉地がある」




宮浜温泉 海望の源泉地

宮浜温泉は、自然の醍醐味が満喫できる森林公園経小屋山を背景に、日本三景の宮島を望む風光明媚な大野瀬戸に面した保養地として、昭和40年5月に開設し、広く人々に親しまれています。

環境の変化で、もとの源泉の湯量が減少傾向にあり、新たにこの地に平成5年に地下1400mまで掘削し、掘り当てられたものです。
地下層は、ほとんど花崗岩で構成されており、この広場に敷き詰められている丸くくりぬいた石が、掘削当時の副産物です。

今、この手水鉢に落ちているのが温泉です。

  平成7年6月
    大野町

(案内板より)






「温泉が湧き出とるんじゃね」

「温度が26度じゃけぇ、触っても「熱い」という感じはないよの」







「対岸には、宮島が見えるよ」

「宮島を臨む浜辺にあることから、宮浜いう名前が付けられたんじゃの」

「へぇ、そりゃ知らんかった」

「1964年(昭和39年)に開湯した温泉じゃけぇ、今年で50周年。そこで、50周年記念イベントを企画中じゃそうな」



↓宮浜温泉については、こちら↓

「宮浜温泉」カキナビ







「広島岩国道路の高架下にある橋を渡って」







「右へ曲がり」







「道なりに下って行くと…」















「宮浜配水池のとなりに、今川貞世(了俊)の歌碑がある」

「今川貞世って誰?」

「今川貞世(いまがわ さだよ。了俊(りょうしゅん))は、南北朝(なんぼくちょう)時代の応安(おうあん)4年(1371年)の2月、九州探題(きゅうしゅうたんだい)に任命され、九州へと旅立ったんじゃ」

「その途中、広島にも立ち寄ったんじゃね」

「彼の残した紀行文『道ゆきぶり』によると、

尾道(おのみち。現:尾道市)

沼田(ぬた。現:三原市)

入野(にゅうの。現:東広島市)

高屋(たかや。現:東広島市)

瀬野(せの。現:広島市安芸区)

海田(かいた。現:安芸郡海田町)

厳島(いつくしま。現:廿日市宮島町)

地御前(じごぜん。現:廿日市)

大野(おおの。現:廿日市)

…というルートを通って行ったらしいんじゃの」

「厳島神社にも参詣されとってんじゃね」







「さらに道を下って行くと、道の左側に…」










「石畳の道がある」

「こういう道が残されとるんじゃね」












訪問日:2014年4月19日





【参考文献】

梶本晃司、蒲田知美『ひげの梶さんと西国街道を歩こう!広島県内コース (ひげの梶さん 歴史文学探歩シリーズ3)』南々社 2003年

下中邦彦/編『日本歴史地名大系第35巻 広島県の地名』平凡社 1982年

「廿日市市大野の史跡・名所・歴史」カキナビ






「今日は、残念社(ざんねんしゃ)入り口から古代山陽道の石畳について話をさせてもらいました」

「次回は、古代山陽道の石畳から一里塚跡・今川貞世(了俊)の歌碑を紹介する予定じゃ。ほいじゃあ、またの」

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