「この間、八丁座へ、映画『東京家族』を観に行ってきた」
「『東京家族』って、広島県豊田郡(とよたぐん)の大崎上島(おおさきかみじま)でロケした映画よね。『寅さん』シリーズの山田洋次(やまだ ようじ)監督の」
「この映画は、広島県の尾道でロケした小津安二郎(おづ やすじろう)監督の映画『東京物語』(1953年)のリメーク版になっとるんじゃ」
「広島弁が、よおけ(=たくさん)出てきたじゃろ?」
「いや、そうでもないんよ。今も大崎上島に住んどる親は広島弁で話すんじゃが、故郷を離れて東京で暮らしとる3人の子どもたち(2男1女)は、ほとんど広島弁を話さんのじゃ。このあたりも、『東京物語』を再現しとるんじゃがの」
「なんで?」
「子どもたちは子どもたちで、ちゃーんと親のことを考えとるんじゃ。ほいじゃが、誰でもそうじゃが、自分の家庭を持つと、そこが自分たちの居場所になるんじゃの」
「そうじゃね」
「例えば、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズに、堀北真希(ほりきた まき)演じる、ろくちゃんという女の子が出てくるよのう」
「あぁ、青森から集団就職で出てきた女の子じゃね」
「あの子は、映画の中では、ずっと方言で話しとったじゃろ?」
「ろくちゃんは地方から出てきたんじゃけぇ、そんなもんじゃない?」
「映画の中では、それでもええかもしれん。ほいじゃが、実際問題、そこの土地で生活しとるうちに、自分が生まれ育った土地の言葉が抜けて、今、住んどる土地の言葉で話をするようになるもんじゃないかの」
「ほうじゃね。いつまでも、自分が生まれ育った土地の言葉で話しとるわけにもいかんよね」
「『東京家族』では、こっからもう一歩踏み込んで、子どもたちは親の前でも、生まれ育った土地の言葉を使わん、という表現をしとるんじゃ」
「えー!? ふつう、自分が生まれ育った土地に戻ったりしたら、その土地の言葉が出るもんじゃない?」
「そう思うじゃろ? たとえば、広島を離れて生活しとる友だちと話をしとると、最初は、今、生活しとる土地の言葉で話をするんじゃが…」
「だんだんと広島弁の割合が増えてきて、むかしのように、自然と広島弁で話ができるよね」
「ところが、この映画では、広島に住む親に対しても、子どもたちは広島弁で話せんのじゃ」
「自分の親に対しても?」
「そのあたりが、映画の狙いじゃと思うんじゃがの。この映画で子どもが広島弁を使(つこ)うたのは、中嶋朋子(なかじま ともこ)演じる長女の滋子(しげこ)の、たった2回だけなんじゃ」
「誰でもいいから通りすがりの人に尋ねて聞きんさい。家の近くに来たら、もう一回この携帯に電話するんよ。いいわね? じゃあ、気いつけて」
「だって、よぼよぼになってしまってるんだもの、わかりゃせんよ。あら、お国訛(くになま)りが出てしもうた」
(原案/山田洋次 平松恵美子、作/白石まみ『東京家族』講談社文庫 2012年)
「人は、言葉を使(つこ)うて会話をする、コミュニケーションをとる。ところが、親と子の間で使う言葉が違う。そこから、親と子の間で気持ちがかけ離れてしまう。親からしてみりゃ、自分の子どもがつれなくなってしもうた、自分の気持ちを分かってもらえんようになってしもうた、と感じてしまうんじゃないんかのう」
「そんなところから、親と子の間に溝ができてしまうんかね」
「この映画で、ほかに広島が出てくるのが、広島市内にあった映画館・東洋座」
「東洋座って福屋(ふくや)にあった、今の八丁座がある映画館じゃろ?」
「ほうじゃの。2008年4月まで営業しとって、正式名称は松竹東洋座じゃったんじゃ」
(八丁座の1階入口に張ってある写真)
(東洋座(占領下の時期) 1948年(昭和23年) 撮影/恵下フクミ)
「山田洋次監督の『寅さん』シリーズも、松竹じゃったよね」
「今回の『東京家族』も、小津監督の『東京物語』も松竹じゃ。余談じゃが、映画『機動戦士ガンダム』(1981年~1982年)も松竹じゃったんよ。ほいじゃけぇ、主人公のアムロ・レイの母親カマリア・レイ役は、映画版では倍賞千恵子(ばいしょう ちえこ)じゃったんじゃ」
「倍賞千恵子といえば、寅さんの妹、さくら役の方じゃね」
「橋爪功(はしづめ いさお)演じる平山周吉(ひらやま しゅうきち)と、吉行和子(よしゆき かずこ)演じる平山とみこ夫婦が、子どもたちの手配した、横浜みなとみらいにある高級ホテルに泊まったときのことじゃ」
「そんな立派なホテルに泊まらせてもろうても、ゆったりできんのじゃない?」
「ほうなんよ。子どもにしてみると、わざわざお金を払(はろ)うてでも、親にゆったりとして欲しいと思うとるんじゃの。ところが、親にしてみると、かえって窮屈(きゅうくつ)に感じてしもうて、ただただ落ちつかん時間を過ごしてしまうんじゃ」
「ここでも、親と子の気持ちがすれ違ごうてしもうとるんじゃね。…で、東洋座の話はどうなったん?」
「高級ホテルの立派なベッドで寝付かれん2人が、こんな会話を交わすんじゃ」
「…覚えとるか」
周吉が口を開いた。
「何を?」
「広島の東洋座。お前と二人で映画観に行ったじゃろうが。まだ結婚する前、あの時の映画が『第三の男』」
「そうでしたかいね」
「ウィーンの遊園地の観覧車の中での芝居が印象的じゃった。ええ台詞(せりふ)を言うんじゃ、オーソン・ウェルズが」
普段、家にいる時にはそんな話などしたことがないのにと、とみこは微笑んだ。
(同上)
「このお父さん、家におるときは絶対、奥さんとこんな話はしてんないんじゃろうね。かわいい」
「とみこが、次男の昌次(しょうじ。演:妻夫木聡(つまぶき さとし))の家に泊まったとき、2人の馴れ初めついて語るんじゃが、それは映画で観てみんさい。こっちも、かわいい、と思えるで」
「夫婦の間では、心が通う瞬間があったんじゃね」
「このあと、とみこは亡くなるんじゃ。68歳で。この映画は多分、東日本大震災の翌年という設定なんで、2012年の話なんじゃの」
「ということは、…とみこは1944年(昭和19年)生まれになるんか」
「周吉は大崎上島の生まれじゃと思うんじゃが、とみこがどこで生まれたかは語られとらん。ほいじゃけぇ、ひょっとしたら、とみこは広島で原爆に遭(お)うとるという設定なんじゃないんか、と勝手に想像してしまうんじゃ」
「そういやこの映画、東日本大震災で映画の製作が延期されたんよね?」
「昌次の恋人の紀子(のりこ。演:蒼井優(あおい ゆう)の出会いが被災地のボランティア活動だったとか、周吉の友人・服部(はっとり)の妻の家族が震災の津波で亡くなったとかいう設定が追加されとるんじゃの」
↓大崎上島町については、こちら↓
大崎上島町
↓映画『東京家族』については、こちら↓
映画『東京家族』公式サイト
↓八丁座については、こちら↓
広島の映画館サロンシネマ、シネツイン、八丁座の広島地場劇場運営会社【序破急】
「今日は、映画『東京家族』について話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」
「『東京家族』って、広島県豊田郡(とよたぐん)の大崎上島(おおさきかみじま)でロケした映画よね。『寅さん』シリーズの山田洋次(やまだ ようじ)監督の」
「この映画は、広島県の尾道でロケした小津安二郎(おづ やすじろう)監督の映画『東京物語』(1953年)のリメーク版になっとるんじゃ」
「広島弁が、よおけ(=たくさん)出てきたじゃろ?」
「いや、そうでもないんよ。今も大崎上島に住んどる親は広島弁で話すんじゃが、故郷を離れて東京で暮らしとる3人の子どもたち(2男1女)は、ほとんど広島弁を話さんのじゃ。このあたりも、『東京物語』を再現しとるんじゃがの」
「なんで?」
「子どもたちは子どもたちで、ちゃーんと親のことを考えとるんじゃ。ほいじゃが、誰でもそうじゃが、自分の家庭を持つと、そこが自分たちの居場所になるんじゃの」
「そうじゃね」
「例えば、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズに、堀北真希(ほりきた まき)演じる、ろくちゃんという女の子が出てくるよのう」
「あぁ、青森から集団就職で出てきた女の子じゃね」
「あの子は、映画の中では、ずっと方言で話しとったじゃろ?」
「ろくちゃんは地方から出てきたんじゃけぇ、そんなもんじゃない?」
「映画の中では、それでもええかもしれん。ほいじゃが、実際問題、そこの土地で生活しとるうちに、自分が生まれ育った土地の言葉が抜けて、今、住んどる土地の言葉で話をするようになるもんじゃないかの」
「ほうじゃね。いつまでも、自分が生まれ育った土地の言葉で話しとるわけにもいかんよね」
「『東京家族』では、こっからもう一歩踏み込んで、子どもたちは親の前でも、生まれ育った土地の言葉を使わん、という表現をしとるんじゃ」
「えー!? ふつう、自分が生まれ育った土地に戻ったりしたら、その土地の言葉が出るもんじゃない?」
「そう思うじゃろ? たとえば、広島を離れて生活しとる友だちと話をしとると、最初は、今、生活しとる土地の言葉で話をするんじゃが…」
「だんだんと広島弁の割合が増えてきて、むかしのように、自然と広島弁で話ができるよね」
「ところが、この映画では、広島に住む親に対しても、子どもたちは広島弁で話せんのじゃ」
「自分の親に対しても?」
「そのあたりが、映画の狙いじゃと思うんじゃがの。この映画で子どもが広島弁を使(つこ)うたのは、中嶋朋子(なかじま ともこ)演じる長女の滋子(しげこ)の、たった2回だけなんじゃ」
「誰でもいいから通りすがりの人に尋ねて聞きんさい。家の近くに来たら、もう一回この携帯に電話するんよ。いいわね? じゃあ、気いつけて」
「だって、よぼよぼになってしまってるんだもの、わかりゃせんよ。あら、お国訛(くになま)りが出てしもうた」
(原案/山田洋次 平松恵美子、作/白石まみ『東京家族』講談社文庫 2012年)
「人は、言葉を使(つこ)うて会話をする、コミュニケーションをとる。ところが、親と子の間で使う言葉が違う。そこから、親と子の間で気持ちがかけ離れてしまう。親からしてみりゃ、自分の子どもがつれなくなってしもうた、自分の気持ちを分かってもらえんようになってしもうた、と感じてしまうんじゃないんかのう」
「そんなところから、親と子の間に溝ができてしまうんかね」
「この映画で、ほかに広島が出てくるのが、広島市内にあった映画館・東洋座」
「東洋座って福屋(ふくや)にあった、今の八丁座がある映画館じゃろ?」
「ほうじゃの。2008年4月まで営業しとって、正式名称は松竹東洋座じゃったんじゃ」
(八丁座の1階入口に張ってある写真)
(東洋座(占領下の時期) 1948年(昭和23年) 撮影/恵下フクミ)
「山田洋次監督の『寅さん』シリーズも、松竹じゃったよね」
「今回の『東京家族』も、小津監督の『東京物語』も松竹じゃ。余談じゃが、映画『機動戦士ガンダム』(1981年~1982年)も松竹じゃったんよ。ほいじゃけぇ、主人公のアムロ・レイの母親カマリア・レイ役は、映画版では倍賞千恵子(ばいしょう ちえこ)じゃったんじゃ」
「倍賞千恵子といえば、寅さんの妹、さくら役の方じゃね」
「橋爪功(はしづめ いさお)演じる平山周吉(ひらやま しゅうきち)と、吉行和子(よしゆき かずこ)演じる平山とみこ夫婦が、子どもたちの手配した、横浜みなとみらいにある高級ホテルに泊まったときのことじゃ」
「そんな立派なホテルに泊まらせてもろうても、ゆったりできんのじゃない?」
「ほうなんよ。子どもにしてみると、わざわざお金を払(はろ)うてでも、親にゆったりとして欲しいと思うとるんじゃの。ところが、親にしてみると、かえって窮屈(きゅうくつ)に感じてしもうて、ただただ落ちつかん時間を過ごしてしまうんじゃ」
「ここでも、親と子の気持ちがすれ違ごうてしもうとるんじゃね。…で、東洋座の話はどうなったん?」
「高級ホテルの立派なベッドで寝付かれん2人が、こんな会話を交わすんじゃ」
「…覚えとるか」
周吉が口を開いた。
「何を?」
「広島の東洋座。お前と二人で映画観に行ったじゃろうが。まだ結婚する前、あの時の映画が『第三の男』」
「そうでしたかいね」
「ウィーンの遊園地の観覧車の中での芝居が印象的じゃった。ええ台詞(せりふ)を言うんじゃ、オーソン・ウェルズが」
普段、家にいる時にはそんな話などしたことがないのにと、とみこは微笑んだ。
(同上)
「このお父さん、家におるときは絶対、奥さんとこんな話はしてんないんじゃろうね。かわいい」
「とみこが、次男の昌次(しょうじ。演:妻夫木聡(つまぶき さとし))の家に泊まったとき、2人の馴れ初めついて語るんじゃが、それは映画で観てみんさい。こっちも、かわいい、と思えるで」
「夫婦の間では、心が通う瞬間があったんじゃね」
「このあと、とみこは亡くなるんじゃ。68歳で。この映画は多分、東日本大震災の翌年という設定なんで、2012年の話なんじゃの」
「ということは、…とみこは1944年(昭和19年)生まれになるんか」
「周吉は大崎上島の生まれじゃと思うんじゃが、とみこがどこで生まれたかは語られとらん。ほいじゃけぇ、ひょっとしたら、とみこは広島で原爆に遭(お)うとるという設定なんじゃないんか、と勝手に想像してしまうんじゃ」
「そういやこの映画、東日本大震災で映画の製作が延期されたんよね?」
「昌次の恋人の紀子(のりこ。演:蒼井優(あおい ゆう)の出会いが被災地のボランティア活動だったとか、周吉の友人・服部(はっとり)の妻の家族が震災の津波で亡くなったとかいう設定が追加されとるんじゃの」
↓大崎上島町については、こちら↓
大崎上島町
↓映画『東京家族』については、こちら↓
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「今日は、映画『東京家族』について話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」
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