(中国新聞 2021年5月3日)
毎年5月3日から5日まで、
広島市中心部で行われる祭りが
ひろしまフラワーフェスティバル。
(以下、「FF」と略す)
昨年は、コロナ禍のため中止。
今年は新型コロナウィルス感染防止を
徹底して行われることに。
旧広島市民球場跡地会場の
ステージプログラムは、
事前に募集した当選者に限って
観ることができるはずだった。
が、新型コロナウイルス感染拡大のため
無観客での開催に変更となったんじゃの。
というわけで、
今年も昨年に続いて、
過去のFFの話題について。
↓ひろしまフラワーフェスティバルについては、こちら↓
2021ひろしまフラワーフェスティバル
今から44年前の1977年、
第1回目のFFが行われ、
3日間で計125万人が集まった。
この時、FF会場で
ある騒ぎがあったのを
覚えておいでじゃろか?
アグネス・ラムさんが
FFのパレードに参加。
彼女目当ての観客が殺到したため、
消防車で会場を後にする
ということがあったんじゃの。
今日は、
アグネス・ラムさん
についての話でがんす。
『昭和40年男総集編 俺たちが愛した昭和の女神たち』(クレタパブリッシング 2020年8月)
アグネス・ラムさんは、
1970年代後半から1980年代初めにかけて
活躍したハワイ出身のモデル。
小麦色に焼けた肌に豊かなバスト、
きれいな曲線を描くヒップ。
つぶらな瞳に無邪気な笑顔。
(「小麦色に焼けた肌」は、
「太陽の光で日焼けして肌」
という意味で、
当時は「日焼けサロン」もなかったし、
「ガングロ」という言葉もなかった。
「巨乳」という言葉はまだなく、
「豊かなバスト」という表現じゃった)
スリーサイズは、上から
B90、W55、H92
の悩殺ボディ。
当時、中学生じゃったわしは、従兄の家で
『週刊プレイボーイ』や『平凡パンチ』の
グラビアを見て、鼻血ブー!!
(by谷岡ヤスジ)
アグネス・ラムさんの父親は
中国系アメリカ人。
父親の姓が「ラム」で、
漢字では「林」と書く。
母親は、
イングランド、
アイルランド、
ポルトガル、
ハワイアン
の血を引いているそうじゃ。
ハーフには美人が多いといわれるが、
彼女には5つの国の血が流れている
ことになるんじゃの。
アグネス・ラムさんは、
1975年、グリコと雑誌『non-no』の
モデルに選ばれ日本デビュー。
秋にはライオンCMに起用され、
人気に火がついた。
翌76年には、
トヨタ自動車、旭化成、クラリオン、
コカ・コーラ、象印
などのCMに出演。
この年の11月に2度目の来日を果たす。
この時、百貨店で行われたサイン会で
先着100人のところに
3000人のファンが押しかけ、
1時間の予定が20分で切り上げられる
という騒ぎがあったという。
そんなアグネス・ラムさんが
1977年5月、3度目の来日。
騒ぎが起こることが予想される中、
広島フラワーフェスティバルに参加。
冒頭に書いた通り、
彼女目当ての観客が殺到。
消防車で会場を後にする
ことになったそうじゃ。
そういう時の消防車はやっぱり
サイレンを鳴らしてんじゃろうか?
『週刊プレイボーイ』(集英社 2016年10月)
↓アグネス・ラムさんについては、こちら↓
「アグネスラム / ほっ!」YouTube
以下、余談。
ラムちゃん
(映画『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』パンフレット)
ラムという名前で思い出すのが、
高橋留美子さんの漫画『うる星やつら』
のヒロイン・ラムちゃん。
ラムちゃんの名前は、
アグネス・ラムさん
に由来するのだそうです。
ちなみに、英語表記は
どちらも「Lum」だっちゃ。
↓過去のFFについての記事は、こちら↓
2010ひろしまフラワーフェスティバル【蔵出し企画】
今日は、
アグネス・ラムさん
について話をさせてもらいました。
ほいじゃあ、またの。