通でがんす

いろんな広島を知って、ひろしま通になりましょう!
(旧ブログタイトル:通じゃのう)

蒲刈の思い出

2021年05月05日 | 日記
「今年のゴールデンウィークは、
なんか慌ただしかったの」

「4月にお義母さんが亡くなってから、
ずっとバタバタした日が続いとるよね」

「そんな中、5月3日だけは
何の用事もなかった」

「最初は、
「家でゆっくりしようかぁ」
って言いよったんじゃけど」

「娘たちも出かけるし、
天気も良さそうなかったけぇ、
「どっか行きたいところがあるか?」
って聞いてみたんよの」

「ほいじゃけぇ、うちは
「蒲刈(かまがり)に行ってみたい」
って返事をしたんよ」

「蒲刈いう答えは、
意外じゃった」

「ほいでも、うちは結婚してから一度も
蒲刈に連れて行ってもろうたことが
ないんじゃけぇね」

「ほんまよのう。
蒲刈いうたら、2年半前に亡くなった
わしの親父の本家が
呉市上蒲刈島の大浦にあった関係で、
本籍は今でも蒲刈のままなんよの」

「お義父さんも
「行きたい」言うてんなかったけぇ、
うちも言いだしづらかったんよ」

「というより、
わしが最後に蒲刈へ行ったのが
今から43年くらい前になるんじゃの。
おぉ、今更ながら気がついたで」





今日は、
40年以上前の蒲刈の思い出
についての話でがんす。





注意:
今回の話はなにぶん古い話じゃけぇ、
(1960年代後半から1970年代前半)
わしの記憶違いで間違うたことを
書いといるかもしれません。
そのあたりは勘弁して
つかあさい(=ください)。






「わしが小まい(=小さい)ころ、
祖母(ばあ)さんが亡くなって
本家との縁が切れるまで、
毎年、盆になると
親父は家族を車に乗せて
蒲刈まで墓参りに行きよった」

「ほうじゃったん」

「広島から呉を通って
仁方(にがた)まで行くんじゃが、
あのころはまだ
休山(やすみやま)トンネルが
なかったんじゃの」

「へぇ、休山トンネルは
まだなかったん」

「ほうなんよ。
休山トンネルができるまで、
呉から阿賀(あが)までは
呉越峠いう山越えの道を
通って行きよったんじゃ」





↓休山トンネルについては、こちら↓

「休山トンネル」国土交通省 中国地方整備局 広島国道事務所





「仁方から先は?」

「あのころは安芸灘(あきなだ)大橋も
蒲刈大橋もなかったけぇ、
本土の仁方から
蒲刈の田戸(たど)までは
フェリーに乗って渡りよったんじゃの」

「橋がなかったけぇ、
フェリーで渡りよったんじゃね」





↓安芸灘大橋については、こちら↓

「安芸灘大橋有料道路」広島県道路公社





↓蒲刈大橋については、こちら↓

「蒲刈大橋」広島県





「田戸の船着き場には
海産物を扱う店があっての、
来た時に注文しておくと、
帰りにはそれを持って帰ることが
できたんじゃ」

「どんなもんがあったん?」

「店の中に生け簀(いけす)が
あったような気がするんじゃが…、
店の外でタコをよぉけ干しとったのは
覚えとるで」

「へぇ、干しダコがあったんじゃ」

「田戸から大浦までは
信号のない海沿いの道を
車で走って行ったんじゃの」

「うちらが蒲刈で通った道も、
信号がなかったね」

「本家についての記憶は
ほとんどないが、
高台にある墓所からは
瀬戸内海を見渡すことができた」

「ええ眺めじゃったんじゃろうね」

「ほうじゃのう。あと、
山の斜面にミカンの木が植えてあって、
その間には収穫したミカンを運ぶための
モノレールが取り付けてあった」

「へぇ」

「本家の墓と比べて、
分家である祖父、曾祖父の墓が
粗末だったことも覚えとる」

「墓に参ったあとは?」

「墓参りが終わると、
大浦の南側(四国側)にある
恋が浜(こいがはま)か県民の浜で
泳いで帰りよったんじゃの」

「恋が浜、県民の浜いうたら、
「日本の渚百選」に選ばれた
ええところじゃん」

「ほうよの。
そういう意味じゃ、ぜいたくな場所で
泳がせてもろうとったんじゃの」





↓日本の渚百選については、こちら↓

「日本の渚百選」日本百選 都道府県別データベース





今日は、
40年以上前の蒲刈の思い出
について話をさせてもろうたでがんす。



ほいじゃあ、またの。
コメント
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