通でがんす

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(旧ブログタイトル:通じゃのう)

であいの館からの眺め

2021年05月19日 | 見て歩き
「先日(5月3日)、
わしは43年ぶりに
本籍地の上蒲刈島(かみかまがりじま)
大浦へ行ってみた」

「蒲刈大橋を渡ってすぐのところに
であいの館があったね」

「であいの館は道の駅のようなところで、
ここで休憩したり食事をとったりできる」

「地元の特産品も買えたよ。
あと、高台にあるけぇ、
景色がとってもえかった」





今日は、上蒲刈島にある
であいの館からの眺め
についての話でがんす。





↓であいの館については、こちら↓

「であいの館 蒲刈」呉市ホームページ





↓上蒲刈島大浦についての関連記事は、こちら↓

蒲刈の思い出





「さっきも言うたけど、
であいの館は高台にあって
景色がとってもえかったね」

「お昼をいただいた後、腹ごなしに
ぶらぶら歩きながら写真を撮った」







「東側(上蒲刈島)には
砕石所が見える」





↓蒲刈島の砕石所については、こちら↓

「蒲刈砕石工場、蒲刈製砂工場、三原砕石工場、伯太砕石工場、門司砕石工場」中国物産(砕石製造販売)







「手前には瀬戸内の島々が、







遠くには四国の山々が見えるね」

「上蒲刈島には、
七国見(ななくにみ)山という
標高457メートルの山があるんじゃの」

「七国山(しちこくやま)病院?」

「そりゃ、
アニメ映画『となりのトトロ』で
サツキとメイのお母さんが
入院しとった病院じゃろ」

「七国見山に七国山。
どっちも似たような名前じゃん」

「七国山のモデルになったのが、
東京と埼玉との境にある
八国山(はちこくやま)緑地
といわれとる」

「こんどは八国山?」

「この山からは、
上野(こうずけ。群馬県)、
下野(しもつけ。栃木県)、
常陸(ひたち。茨城県)、
安房(あわ。千葉県)、
相模(さがみ。神奈川県)、
駿河(するが。静岡県)、
信濃(しなの。長野県)、
甲斐(かい。山梨県)の
8つの国を眺めることができた
ところからついた名前じゃそうな」

「8つの国を眺めることができた?
そりゃ、すごいね」

「の。すごいじゃろ」

「…いうことは、蒲刈の七国見山からは
7つの国を眺めることが
できたってこと?」

「それで七国見いう名前がついた
と思うんじゃがの」

「その7つの国って?」

「いろいろと調べてみたが、
書いてあるものがなかった。
そこで、わしが考える
7つの国を紹介していこう。

上蒲刈の北側を東から西へ、
備前(びぜん。岡山県西部)、
備後(びんご。広島県東部)、
安芸(あき。広島県西部)、
周防(すおう。山口県東部)。

上蒲刈の南側を東から西へ、
讃岐(さぬき。香川県)、
伊予(いよ。愛媛県)…」

「…で、6つの国じゃね。
もひとつは?」

「もひとつは、
上蒲刈から南西側に見える(であろう)
豊後(ぶんご。大分県)
じゃと、わしゃ思うんじゃがの」

「7つの国を眺めることができたって、
むかしの人は考えることが壮大じゃね」







「海側から見たであいの館
左手前の八角形の建物が食堂」







「であいの館の西側に
仏ヶ崎展望台がある」







「仏ヶ崎展望台の西側に
蒲刈大橋が見えたね」

「蒲刈大橋は1979年、
上蒲刈島と下蒲刈島の間にある
三之瀬(さんのせ)瀬戸に架けられた橋」

「1979年いうたら、
今から42年前」

「確かな記憶はないが、
蒲刈大橋を渡るのは
今回が初めてなんじゃの」





↓蒲刈大橋については、こちら↓

「蒲刈大橋」広島県







蒲刈蜜柑発祥の地

蒲刈蜜柑の歴史は古く、室町時代に信州(長野県)より移住してきた木村道禎(向浦の福島屋二代目の子、俗名木村多郎兵衛)が、天文六年(一五三五)に讃洲(香川県)より苗木を求めてきて、蒲刈島の串山(向垣内)と、刈浜にあった清光山光明寺の境内に栽植した。これが芸州(広島県)における蜜柑栽培の最初である。そののち、永禄年間(一五五八~六九)に下蒲刈島に増植され、寛文二年(一六六二)に田戸 宮盛 大浦に移植された(「広島蜜柑」より)。
 当時の蒲刈蜜柑とは小蜜柑のことで、はかり蜜柑ともいわれ、枡で量って売買していた。販路は 下は博多、上は姫路のあたりまで、山陰では中国山地を越えて蒲刈蜜柑がやってこなければ正月が来ないと言われていた。
 であい岬公園整備にあたり、ここに蒲刈蜜柑発祥の碑を建立する。

   平成十七年三月建立

     蒲刈町長 柴崎龍雄


「蒲刈蜜柑発祥の地」石碑
(後ろに見えるのが蒲刈大橋)




「1535年いうけぇ、
蒲刈のミカン栽培は
戦国時代のころから始まったんじゃね」

「芸藩通志(げいはんつうし。
江戸時代・広島藩の地誌)には、
蒲刈の特産・ミカンについて
次のように書いてあるそうじゃ」





蒲刈島に多くして
佳なり(かなり。すぐれていること)





訪問日:2021年5月3日





【参考文献】

下中邦彦:編『広島県の地名 日本歴史地名大系35巻』平凡社 1982年

『広島県大百科事典 上巻』中国新聞社 1982年






今日は、上蒲刈島にある
であいの館からの眺め
について話をさせてもろうたでがんす。



ほいじゃあ、またの。
コメント
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