通でがんす

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(旧ブログタイトル:通じゃのう)

身幹儀 日本初の骨格模型

2014年03月16日 | 見て歩き
「先日、広島大学医学部の医学資料館に行ってきた」

「南区にある広島大学霞キャンパス、広島大学病院があるところじゃね」

「そこに展示してあったのが、国の重要文化財でもある、身幹儀(しんかんぎ)」

「身幹儀…?」

「これじゃ!」











「ガイコツ…じゃない、骨格模型いうやつ?」

「これは、日本で初めての、木で作った等身大の骨格模型。木の骨格模型じゃけぇ、「木骨(もっこく)」ともいうそうじゃ」

「等身大? 身長はどのくらいあるんじゃろ?」

「推定身長は、161センチ。もちろん、展示してあるのはレプリカじゃが、本物もちゃんと残されとるんじゃ」

「この木骨は、いつごろ作られたんかね?」

「江戸時代も中ごろの寛政4年(1792年)」

「寛政いうたら、松平定信(まつだいら さだのぶ)が寛政の改革(かんせいのかいかく)をしたころか…」

「この木骨は、広島の町医者じゃった星野良悦(ほしの りょうえつ)が、工人の原田孝次に作らせたもの。ほいじゃけぇ、「星野木骨」とも呼ばれとるそうじゃ」

「「身幹儀」いう名前は誰がつけちゃったん?」

「『解体新書(かいたいしんしょ)』の訳者として知られる、蘭学医(らんがくい)・杉田玄白(すぎた げんぱく)」

「おぉ…。解体新書に杉田玄白! 久しぶりに聞く名前じゃね」

「寛政10年(1798年)の秋、良悦はこの木骨を持って江戸に行って、杉田玄白やその弟子・大槻玄沢(おおつき げんたく)たちに見せた。彼らは、その正確さ、精巧さに驚き、絶賛して「身幹儀」と名付けたそうじゃ」

「それだけ精巧なものじゃったら、作るのは大変じゃったろうね」

「この木骨は神経組織や血管が通る穴までも復元されとって、完成するまでに300日もかかったということじゃ」

「それはすごい。でも、なんでこれが残っとるんじゃろ?」

「明治になって、旧浅野藩(広島藩)の藩医じゃった後藤家が所蔵することになった。戦争中は三滝(みたき)にある薬草園・日渉園(にっしょうえん)に疎開しとったけぇ、原爆の被害にあうこともなく残っとるそうじゃ」

「なるほどね」

「最後に、星野良悦の名前で気になったんじゃが、江戸時代のお医者さんの名前には「良」がつく人が多いような気がするのう」

「そういや、漫画家・手塚治虫(てづか おさむ)のおじいさんも「良仙(りょうせん)」いう名前で、お医者さんじゃったよ」

「『陽だまりの樹』という漫画にも描かれとったよの。正しくは、曽祖父(そうそふ)、ひいおじいさんにあたるそうじゃ」

「あと、TBSドラマ『JIN-仁-』にも、松本良順(まつもと りょうじゅん)いうお医者さんが出られとったね」

「なにかいわれがあるんじゃと思うんじゃが、ぼちぼち調べてみようかの」





↓身幹儀については、こちら↓

「星野木骨」広島大学





訪問日:2014年3月8日





「今日は、広大医学部の医学資料館に展示してある国の重要文化財・身幹儀について話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
コメント
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