「さっき、昨年のジュネーブ国際音楽祭で優勝した萩原麻未(はぎわら まみ)さんの番組が、NHKの全国ネットで放送されたとったね」
去年、国際コンクールで日本人初の優勝に輝いた広島市出身のピアニスト・萩原麻未さん。
パリでの生活と一時帰国した広島での日々に密着、天才ピアニストの素顔に迫る。
2010年11月、ジュネーブ国際音楽コンクールで日本人初の優勝に輝いた広島市出身のピアニスト・萩原麻未さん(24歳)。
ふだんは、おっとりした性格だが、ピアノの前では情熱的で野性的な演奏家に変身する。
聴く人を引き付ける演奏が生みだされた背景には、広島で育て、支え続けてくれる家族に寄せる特別な思いがあった。
萩原さんのパリでの日常生活と、この冬一時帰国した広島での日々に密着。
天才ピアニストの素顔に迫る。
(「目撃!日本列島「広島から世界へ~ピアニスト・萩原麻未の素顔~」」NHK)
http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2011-02-12&ch=21&eid=1482
「萩原さんが音楽祭で優勝したのが昨年の11月18日のことじゃけん、まだ3カ月もたっとらんのじゃのう」
「でも、麻未ちゃんの周囲や、麻未ちゃん自身の中で、いろんな変化があったんじゃね」
「今日は、「ジュネーブ国際音楽祭優勝前」「ジュネーブ国際音楽祭優勝後」「音楽で人を幸せにしたい」について調べてみようかの」
【ジュネーブ国際音楽祭優勝前】
「うちは、このことがあるまで麻未ちゃんのことを知らんかったんよ」
「わしも知らんかった。でも、地元じゃ知られた存在じゃったんじゃと」
「地元で力のある若手ピアニストは?」。
広島市の音楽関係者に取材すると、真っ先に名前が挙がる存在だった。
会場もまた特異だった。
親子連れが圧倒的に多く、ステージに熱いまなざしを注いでいた。
イタリアのコンクールで最年少の13歳で優勝し、世界最高峰のパリ国立音楽高等学院に学ぶ萩原さんは、地元のピアノ少女・少年にとって既にアイドルだった。
(「純粋な音楽性 魅力の音色」中国新聞 2010年11月27日)
「「あこがれの的」のような存在じゃったんじゃろうの」
「パリ国立音楽高等学院いうたら、「のだめカンタービレ」でロケをしたところじゃね」
「「のだめ」といえば、新聞に「世界が認めた広島ののだめ」という見出しもあったよのう」
自由奔放な弾きっぷりや経歴が人気漫画「のだめカンタービレ」の主人公に似ていると指摘すると、「私の部屋はあんなに汚くないですよ」と笑った。
競争心からではなく内側からわき出る純粋な音楽性こそが、たぐいまれな魅力の音色を支えている。
(「純粋な音楽性 魅力の音色」中国新聞 2010年11月27日)
「芸術家には、自分のイメージを膨らませて、感情を高めることが必要なんじゃけんの」
「逆にいうと、麻未ちゃんは自分の世界に入りこみすぎることがあるけん、感情を抑えるように注意されるところが、テレビでもあったね」
「ほいで、ジュネーブ国際音楽祭に参加されたんよの」
決勝で弾いたラベルのピアノ協奏曲は初めてでした。
経験や準備不足から、弾く前は吐き気が止まりませんでした。
パリから駆け付けてくれた友達の存在が大きかった。
その支えがなかったら、あまりの重圧に決勝を辞退していたかもしれません。
(「おかえり 麻未さん」中国新聞 2011年1月11日)
【ジュネーブ国際音楽祭優勝後】
「そんなこんなを乗り越えて、見事に優勝しちゃったんよね」
優勝した夜の午前3時以降に日本から嵐のように取材の電話がかかり、訳が分からないまま対応に追われました。
しばらく練習に集中できない状態でした。
(「おかえり 麻未さん」中国新聞 2011年1月11日)
「「嵐のような取材の電話」「訳が分からないまま対応」って、ほんまにそんな感じじゃったんじゃろうの」
「いろんなメディアで取り上げられるようになったしね」
「わしのような者でも、ブログに取り上げようとするくらいじゃけぇの」
「ほんまじゃねぇ」
「あの時、萩原さんを取りあげていたのが、「反面教師!(親馬鹿チャンリン2)」というブログじゃったんよ。⑦パパさん、その節はお世話になりました」
「話を元に戻して、今年の1月10日(月)に、麻未ちゃんは日本に一時帰国されたんよね」
「1月14日(金)に湯崎広島県知事を訪問。17日(月)には、秋葉広島市長から広島市民賞を授与されたんじゃ」
「3月7日(月)には、アステールプラザでバイオリンの小林美恵さんとのリサイタル。同じく3月19日(土)には、うちの母校のエリザベト音大でピアノコンサートもしてんよね」
「もちろん、どちらもチケットは完売じゃ」
「で、今回のテレビの番組を含めた、いろんな取材…」
「テレビでも、「指を動かす練習さえもできていない」と、こぼしとっちゃったのう」
↓小林美恵さんについては、こちら↓
「ヴァイオリニスト小林美恵」ココログ
http://miekobayashi.cocolog-nifty.com/blog/
【音楽で人を幸せにしたい】
「麻未ちゃんは、小学校の卒業文集に「夢はピアニスト」と書いとってんじゃね」
「個性的で情熱的なピアニストになりたい」。
両親が大切にしまった文集は、そう続く。
「自分が感じる自分の音楽をたくさんの人に聞いてもらいたい。それで人の心が幸せになってくれたらいいなあ」
(「鍵盤の新星 麻未開花」中国新聞 2011年1月1日)
「子どものころから、そんな風に考えとっちゃったんじゃのう」
「テレビでもあったけど、おじいちゃん、おばあちゃんに聞いてもらいたい、という気持ちがあったんじゃね」
「家族がよろこんでくれるのがうれしゅうて、ピアノを弾いてきちゃったんじゃのう」
「このへんは、「てっぱん」のあかりちゃんと似とるね」
「そのおばあさんも、音楽祭の予選の時に亡くなっちゃったんじゃそうな」
「おばあちゃんの死、環境の変化、初めて受ける重圧と不安の中で、麻未ちゃんはとまどっとっちゃったんじゃね」
「テレビでも、「いま、(ピアノを)弾くのが恐くて…」と言うとっちゃったの」
「うちは、その気持ちは、ようわかるねぇ」
「広島の自宅に戻った萩原さんが弾いた曲が、「真白き富士の嶺」という曲じゃったのう」
「おばあさんが、よく口ずさんどった曲じゃそうじゃね」
「萩原さんは、「誰かのために弾いてみたい」と言われとったのう」
「麻未ちゃんの原点は、そこなんじゃないんかね。今はいろいろあって大変じゃろうけど、新しい気持ちでこれからも進んでいって欲しいね」
↓萩原麻未さんについての関連記事は、こちら↓
ジュネーブ国際音楽コンクールのピアノ部門で優勝した、萩原麻未の出身地は?
http://blog.goo.ne.jp/hiroshima-2/d/20101120
↓萩原麻未さんの母校・広島音楽高校についての関連記事は、こちら↓
今春のセンバツ開会式で、君が代を独唱することになった生徒の通う高校は?
http://blog.goo.ne.jp/hiroshima-2/d/20100307
「今日は、「ジュネーブ国際音楽祭優勝前」「ジュネーブ国際音楽祭優勝後」「音楽で人を幸せにしたい」について勉強をさせてもらいました」
「今日もひとつ勉強になったでがんす」
「麻未ちゃん、これからもがんばってくださいね」
「ほいじゃあ、またの」
去年、国際コンクールで日本人初の優勝に輝いた広島市出身のピアニスト・萩原麻未さん。
パリでの生活と一時帰国した広島での日々に密着、天才ピアニストの素顔に迫る。
2010年11月、ジュネーブ国際音楽コンクールで日本人初の優勝に輝いた広島市出身のピアニスト・萩原麻未さん(24歳)。
ふだんは、おっとりした性格だが、ピアノの前では情熱的で野性的な演奏家に変身する。
聴く人を引き付ける演奏が生みだされた背景には、広島で育て、支え続けてくれる家族に寄せる特別な思いがあった。
萩原さんのパリでの日常生活と、この冬一時帰国した広島での日々に密着。
天才ピアニストの素顔に迫る。
(「目撃!日本列島「広島から世界へ~ピアニスト・萩原麻未の素顔~」」NHK)
http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2011-02-12&ch=21&eid=1482
「萩原さんが音楽祭で優勝したのが昨年の11月18日のことじゃけん、まだ3カ月もたっとらんのじゃのう」
「でも、麻未ちゃんの周囲や、麻未ちゃん自身の中で、いろんな変化があったんじゃね」
「今日は、「ジュネーブ国際音楽祭優勝前」「ジュネーブ国際音楽祭優勝後」「音楽で人を幸せにしたい」について調べてみようかの」
【ジュネーブ国際音楽祭優勝前】
「うちは、このことがあるまで麻未ちゃんのことを知らんかったんよ」
「わしも知らんかった。でも、地元じゃ知られた存在じゃったんじゃと」
「地元で力のある若手ピアニストは?」。
広島市の音楽関係者に取材すると、真っ先に名前が挙がる存在だった。
会場もまた特異だった。
親子連れが圧倒的に多く、ステージに熱いまなざしを注いでいた。
イタリアのコンクールで最年少の13歳で優勝し、世界最高峰のパリ国立音楽高等学院に学ぶ萩原さんは、地元のピアノ少女・少年にとって既にアイドルだった。
(「純粋な音楽性 魅力の音色」中国新聞 2010年11月27日)
「「あこがれの的」のような存在じゃったんじゃろうの」
「パリ国立音楽高等学院いうたら、「のだめカンタービレ」でロケをしたところじゃね」
「「のだめ」といえば、新聞に「世界が認めた広島ののだめ」という見出しもあったよのう」
自由奔放な弾きっぷりや経歴が人気漫画「のだめカンタービレ」の主人公に似ていると指摘すると、「私の部屋はあんなに汚くないですよ」と笑った。
競争心からではなく内側からわき出る純粋な音楽性こそが、たぐいまれな魅力の音色を支えている。
(「純粋な音楽性 魅力の音色」中国新聞 2010年11月27日)
「芸術家には、自分のイメージを膨らませて、感情を高めることが必要なんじゃけんの」
「逆にいうと、麻未ちゃんは自分の世界に入りこみすぎることがあるけん、感情を抑えるように注意されるところが、テレビでもあったね」
「ほいで、ジュネーブ国際音楽祭に参加されたんよの」
決勝で弾いたラベルのピアノ協奏曲は初めてでした。
経験や準備不足から、弾く前は吐き気が止まりませんでした。
パリから駆け付けてくれた友達の存在が大きかった。
その支えがなかったら、あまりの重圧に決勝を辞退していたかもしれません。
(「おかえり 麻未さん」中国新聞 2011年1月11日)
【ジュネーブ国際音楽祭優勝後】
「そんなこんなを乗り越えて、見事に優勝しちゃったんよね」
優勝した夜の午前3時以降に日本から嵐のように取材の電話がかかり、訳が分からないまま対応に追われました。
しばらく練習に集中できない状態でした。
(「おかえり 麻未さん」中国新聞 2011年1月11日)
「「嵐のような取材の電話」「訳が分からないまま対応」って、ほんまにそんな感じじゃったんじゃろうの」
「いろんなメディアで取り上げられるようになったしね」
「わしのような者でも、ブログに取り上げようとするくらいじゃけぇの」
「ほんまじゃねぇ」
「あの時、萩原さんを取りあげていたのが、「反面教師!(親馬鹿チャンリン2)」というブログじゃったんよ。⑦パパさん、その節はお世話になりました」
「話を元に戻して、今年の1月10日(月)に、麻未ちゃんは日本に一時帰国されたんよね」
「1月14日(金)に湯崎広島県知事を訪問。17日(月)には、秋葉広島市長から広島市民賞を授与されたんじゃ」
「3月7日(月)には、アステールプラザでバイオリンの小林美恵さんとのリサイタル。同じく3月19日(土)には、うちの母校のエリザベト音大でピアノコンサートもしてんよね」
「もちろん、どちらもチケットは完売じゃ」
「で、今回のテレビの番組を含めた、いろんな取材…」
「テレビでも、「指を動かす練習さえもできていない」と、こぼしとっちゃったのう」
↓小林美恵さんについては、こちら↓
「ヴァイオリニスト小林美恵」ココログ
http://miekobayashi.cocolog-nifty.com/blog/
【音楽で人を幸せにしたい】
「麻未ちゃんは、小学校の卒業文集に「夢はピアニスト」と書いとってんじゃね」
「個性的で情熱的なピアニストになりたい」。
両親が大切にしまった文集は、そう続く。
「自分が感じる自分の音楽をたくさんの人に聞いてもらいたい。それで人の心が幸せになってくれたらいいなあ」
(「鍵盤の新星 麻未開花」中国新聞 2011年1月1日)
「子どものころから、そんな風に考えとっちゃったんじゃのう」
「テレビでもあったけど、おじいちゃん、おばあちゃんに聞いてもらいたい、という気持ちがあったんじゃね」
「家族がよろこんでくれるのがうれしゅうて、ピアノを弾いてきちゃったんじゃのう」
「このへんは、「てっぱん」のあかりちゃんと似とるね」
「そのおばあさんも、音楽祭の予選の時に亡くなっちゃったんじゃそうな」
「おばあちゃんの死、環境の変化、初めて受ける重圧と不安の中で、麻未ちゃんはとまどっとっちゃったんじゃね」
「テレビでも、「いま、(ピアノを)弾くのが恐くて…」と言うとっちゃったの」
「うちは、その気持ちは、ようわかるねぇ」
「広島の自宅に戻った萩原さんが弾いた曲が、「真白き富士の嶺」という曲じゃったのう」
「おばあさんが、よく口ずさんどった曲じゃそうじゃね」
「萩原さんは、「誰かのために弾いてみたい」と言われとったのう」
「麻未ちゃんの原点は、そこなんじゃないんかね。今はいろいろあって大変じゃろうけど、新しい気持ちでこれからも進んでいって欲しいね」
↓萩原麻未さんについての関連記事は、こちら↓
ジュネーブ国際音楽コンクールのピアノ部門で優勝した、萩原麻未の出身地は?
http://blog.goo.ne.jp/hiroshima-2/d/20101120
↓萩原麻未さんの母校・広島音楽高校についての関連記事は、こちら↓
今春のセンバツ開会式で、君が代を独唱することになった生徒の通う高校は?
http://blog.goo.ne.jp/hiroshima-2/d/20100307
「今日は、「ジュネーブ国際音楽祭優勝前」「ジュネーブ国際音楽祭優勝後」「音楽で人を幸せにしたい」について勉強をさせてもらいました」
「今日もひとつ勉強になったでがんす」
「麻未ちゃん、これからもがんばってくださいね」
「ほいじゃあ、またの」