通でがんす

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(旧ブログタイトル:通じゃのう)

NHK紅白歌合戦で、佐々木禎子さんの心情を織り込んだ「INORI ~祈り~」を歌うのは?

2010年12月30日 | 広島の話題
「いよいよ、明日は紅白じゃね」

「今年の司会は松下奈緒と嵐じゃけぇ、お前と子どもは喜んどるよの」

「昨日から「ゲゲゲの女房」の総集編の放送も始まったし、うちゃ楽しみが増えて、うれしいんよ」

「紅白には熊倉一雄(くまくら かずお)が出て、「ゲゲゲの鬼太郎」を歌うそうじゃ。アニメ版の放送が1968(昭和43)年1月からじゃけぇ、もう42年もたつんじゃのう」

「松下さんを応援するために、向井理さん(村井茂役)や大杉漣さん(飯田源兵衛役)、古手川祐子さん(飯田ミヤコ役)も出てんじゃと」





【問題】

大みそかに行われる「第61回 NHK紅白歌合戦」で、原爆のため白血病で亡くなった佐々木禎子(ささき さだこ)さんの心情を織り込んだ「INORI ~祈り~」が歌われます。
この歌を歌うのは、次のうち誰でしょうか?

1.いきものがかり

2.川中美幸

3.クミコ

4.水森かおり




















【正解】

3.クミコ




【解説】

「INORI ~祈り~」

第61回 NHK紅白歌合戦歌唱曲

「INORI ~祈り~」は、USENリクエストチャートで、4度にわたり1位を獲得した話題曲です。
クミコはこの「INORI ~祈り~」を第61回NHK紅白歌合戦で歌います。

(クミコ オフィシャルサイト)
http://www.puerta-ds.com/kumiko/






「♪祈り祈り祈り続けて 生きたいと思う毎日でした」

「ええ曲じゃのう。歌を聴いて泣けたのは、すぎもとまさとの「吾亦紅(われもこう)」以来じゃ」





↓「INORI」については、こちら↓

「クミコ/INORI ~祈り~ 」You tube
http://www.youtube.com/watch?v=4ZF9E_gnYpc&feature=fvw






今日は、「佐々木禎子」「佐々木祐滋」「「折る」ことは「祈る」こと」について調べてみようかの。





【佐々木禎子】

「禎子(さだこ)さんは、広島の平和記念公園にある、原爆の子の像のモデルになった方じゃね」

「ほうなんじゃ。太平洋戦争中の1943(昭和18)年1月7日に広島で生まれたけぇ、2歳の時に被爆しとってんじゃの。足が速(はよ)うて、6年生の秋の運動会ではリレーで優勝されたそうじゃ」





サダコさんの体の調子がおかしくなったのは、運動会のリレーで優勝してまもなくでした。
かぜをひいたとき首のまわりにできたシコリが消えなくなったのです。

1955(昭和30)年2月になって、医師がお父さんに「サダコさんは白血病で、長くても1年の命でしょう」とつげました。
そして、サダコさんは広島赤十字病院に入院することになりました。

入院して5カ月たったころ、同じ病院に入院していた5さいの女の子が白血病で亡くなりました。
「わたしもあのように死ぬのだろうか」──サダコさんはポツリと口にしました。
サダコさんは、自分が血液の病気であることを知っていたのでしょう。
12さいで、死の恐怖とたたかっていたのです。

8月、名古屋の高校生たちが入院患者にお見舞いの千羽鶴を送ってきました。
色とりどりのセロファン紙で作られた折りづるは、サダコさんたちの部屋にも届けられました。

サダコさんがツルを折りはじめたのは、このあとでした。
「ツルを千羽折ったら願いがかなう」といういいつたえをきいて、「元気になりたい」という願いをこめて、一生懸命折りつづけたのです。

サダコさんは、「いたい」とか「つらい」と口にすることはありませんでした。
ただ、いのりをこめて、ツルを折るのです。
でも、病気は進んで、熱があがり、頭がいたくて眠れない日がつづきます。
それでも、サダコさんは必死でツルを折りつづけました。

そして、10月25日の朝、サダコさんはとうとう12年のいのちをとじたのです。
運動会のリレーで優勝して、ちょうど1年が過ぎたころでした。

(「サダコと原爆」広島平和記念資料館WEB SITE)
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/kids/KPSH_J/hiroshima/sadako/sadako30_1.html






「禎子さんが生きとったら、まだ67歳なんじゃ」

「そう考えたら、むかしの話いう感じはせんよね」





原爆の子の像








【佐々木祐滋】

「「INORI ~祈り~」を作られた佐々木祐滋(ささき ゆうじ)さんは、禎子さんの甥(おい)にあたるそうじゃね」

ウィキペディアで調べてみたら、祐滋さんが禎子さんの甥じゃいうことを知った人から「あなたには禎子の物語を語り継ぐ責任がある」と告げられたそうじゃ」

「ありゃ、まあ。そりゃ大変じゃ」

「それから禎子をモチーフにした楽曲を作り始めちゃったんじゃと。全国の小中学校や各地の平和イベントに参加して、ライブを行った学校数は300を超えるそうじゃ」

「自分の生まれを受け入れちゃったんじゃ。えらいねぇ」





祝! クミコ紅白歌合戦出場

これまで私、佐々木祐滋を応援してくださった皆様のおかげで、今年7月にソニー・ミュージック・レコーズより『INORI』をリリースする事が出来ました。
長い間支えてくださった皆様に深く御礼申し上げます。

『INORI』は戦争や原爆の事だけを歌った歌ではありません。
この歌は命の大切さを伝える歌です。

次の世代の子供たちが、生まれた所や、皮膚や目の色の違いを越えて、笑顔で過ごせる世界が来るように、まずは身近な人々と手をとりあう所からはじめよう。
そして、その輪が広がって行った先の素敵な未来を皆で作っていこうという思いで作った歌です。

12歳でその短い生涯を終えた、折り鶴の少女禎子を通じて、
一人でも多くの人に命の大切さが伝わる事を切に願っています。

佐々木祐滋

(佐々木祐滋ホームページ)
http://yujisasaki.com/index.html






↓佐々木祐滋の「INORI」については、こちら↓

「INORI/佐々木祐滋(2010.08.06 広島・地球ハーモニー) 」You tube
http://www.youtube.com/watch?v=aNTmENrpRRg





【「折る」ことは「祈る」こと】

日本人にとって「折り鶴」は、特別な意味を持つものといえます。
「千羽鶴」といわれるくらい沢山の「折り鶴」に「願掛け」をする風習は、この国の人なら誰でも知っています。
一羽一羽心を込めて折る、折り続けるそのことが、切なる願いを持つ人の大きな支えになっているのでしょう。

「INORI」の主人公の少女もそうでした。
佐々木禎子(さだこ)ちゃん。
広島平和記念公園にある「原爆の子の像」のモデルでもあります。
頭上に高く「折り鶴」を掲げた少女の像です。
2才で被爆し12才で亡くなった少女は、いつか元気になって皆の待つ家へ帰れることを願いました。
そしてそのためにできること、それが「折り鶴」を折ることでした。
苦い薬の包み紙を広げ、一羽一羽折り続けることでした。

「INORI」は「祈り」です。
核軍縮が声高に叫ばれる現代。
少女の残したちっちゃな「折り鶴」たちは「命」の尊さを教えてくれます。
生きとし生けるものの「祈り」を伝えてくれます。

禎子ちゃんの甥にあたる作者佐々木祐滋さんが、私に手渡してくれたこの歌を、これから共に大切に唄っていきましょう。
それこそ「折り鶴」を折るように。
心を込めて。

(「「INORI」~「折る」ことは「祈る」こと~」クミコ オフィシャルサイト)
http://www.puerta-ds.com/kumiko/features/INORI/index.html






「ほうじゃね。「心を込める」いうのが大事なんよね」

「あんまり知られとらんのじゃが、美空ひばりも「一本の鉛筆」という歌を歌っとってんよの」

「♪一本の鉛筆があれば 戦争はいやだと 私は書く」





↓一本の鉛筆については、こちら↓

「28 JP Song(一本の鉛筆).MPG2 以高品質觀賞(139MB)(by 美空ひばり)」You tube
http://www.youtube.com/watch?v=mcre0lsQqdA





今日は、「佐々木禎子」「佐々木祐滋」「「折る」ことは「祈る」こと」について勉強をさせてもらいました。
今日もひとつ勉強になったでがんす。





ほいじゃあ、またの。
コメント
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