通でがんす

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(旧ブログタイトル:通じゃのう)

広島と第九

2010年12月25日 | 季節の話題
広島市南区に「第九伝説」というのがあるのを、ご存じじゃろうか?

前回は、「第九ひろしま2010」の話をさせてもろうた。
ほいじゃが、「なんで広島で第九を歌うん?」と思われた方もいらっしゃるじゃろう。
「そのころ流行(はや)っとったけぇ、始めたんじゃないんかいの」と勘ぐられる方もおられるじゃろう。

実は、広島には他の都市にはない、第九とのつながりがあるんじゃ。
それが「第九伝説」。



「第九伝説」は、広島に原爆が落とされた翌年、1946(昭和21)年の大みそかの話。
被爆から、そして敗戦から1年半もたっとらんころじゃ。
広島(いや、日本中で)には廃墟がまだ残っとって、みんなその日の飢えをしのいで、生きることに精一杯じゃったころの話。

猿猴橋(えんこうばし)にあった音楽喫茶「ムシカ」で、ベートーベンの「交響曲第9番」のレコードをかけた。
それは、雪の降る大みそか…。



1946(昭和21)年の大みそか、第九のレコードを聞くために多くの市民が集まり、店内に入りきれない人々は雪降る中、外に立ち凍りついた窓ガラスに耳をつけ、漏れ聞こえる音楽を必死で聞いたといいます。

この第九伝説の舞台となったのは1946(昭和21)年の8月15日に南区猿猴橋にオープンした音楽茶房ムシカでした。
このムシカの母体は国際文化協会という民間団体で、今日でいうNPOの走りといえます。
広島市が道路や建物の復興に追われ、文化にまで目が行き届きませんでした。
そこで「これではいかん、広島に文化の灯を絶やすまじ」と市民の有志により焼け野原の昭和21年に設立されたのです。
純音楽茶房ムシカは、その活動資金を捻出するために営業活動を行うようになったのです。

協会の活動はクラシック音楽を中心におき、様々な形で疲れ果てた市民に音楽を提供しました。
それはレコードコンサートなど店内の催しに止まらず、猿猴橋や元安橋付近の川面を会場とした水上音楽祭(昭和24年~26年)や、比治山や縮景園を会場に野外コンサートを主催するなど、その活動は市内全域に広がっていました。
また昭和30年代になると全国的な広がりを見せていたコーラス活動の広島の受け皿として、コーラスタイムという名でうたごえコンサートが開催されています。

まさに復興時における文化行政の代役を担ったムシカは、今なお多くの市民に語り継がれています。

(「第九伝説」広島市南区みどころガイド)
http://www.city.hiroshima.lg.jp/minami/gaido/dennsetu/daiku/daiku.html






第九伝説の碑



店内から聞こえてくるレコードの音楽を、雪が降る中で1時間近くもじっと聞いている。
街や家で、テレビやパソコンや携帯で音楽があふれとる今の世の中じゃあ、とても考えられんことじゃ。
ところがこれは、ドラマの話じゃのうて、本当にあった話なんじゃ。

戦後の広島だけじゃのうて、日本に足りんかったもののひとつに「文化」があった。
そして、それに飢えとった人たちが、「雪降る中、外に立ち凍りついた窓ガラスに耳をつけ、漏れ聞こえる音楽を必死で聞いた」んじゃろうの。



原爆で、戦争で傷ついた人たちを勇気づけた音楽が、「第九伝説」の話として語り継がれてきたんじゃ。



純音楽茶房ムシカは、そのころの場所とは違うんじゃが、今でも営業されとります。
広島市民球場(マツダ ズームズームスタジアム広島)の近くにあるけぇ、立ち寄られてみてはいかがですかの。





純音楽茶房ムシカ



↓第九伝説については、こちら↓

「ヒロシマ第九伝説 よろこびのうた」You tube
http://www.youtube.com/watch?v=gJZFAnkNuq8

「ヒロシマ第九伝説を広める会 よろこびのうた朗読会 」You tube
http://www.youtube.com/watch?v=cD5DiQGCzT0

「第九伝説(広島市南区7大伝説)」You tube
http://www.youtube.com/watch?v=sVyA8lAVpV8




↓第九についての関連記事は、こちら↓

12月19日(日)に広島サンプラザで行われた「第九」のタイトルは?
http://blog.goo.ne.jp/hiroshima-2/d/20101223




今日は、広島市南区の「第九伝説」について勉強をさせてもらいました。
今日もひとつ勉強になったでがんす。



ほいじゃあ、またの。
コメント
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