通でがんす

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(旧ブログタイトル:通じゃのう)

己斐出身の作家・那須正幹の代表作は?

2010年11月17日 | 広島の話題

「検定試験」といえば、「うじな通検定」が12月4日(土)に、「ひろしま通」認定試験と「宮島検定」が12月5日(日)に行われますのう。
「福山知っとる検定」は、来年の2月13日(日)の実施じゃ。



【問題】
11月21日(日)、広島市西区にある己斐(こい)公民館で小中学生を対象にした検定試験が行われます。
これは地元出身の作家・那須正幹(なす まさもと)さんの作品を基にした試験ですが、その作品は次のうちどれでしょうか?

1.かいけつゾロリ
2.ズッコケ三人組
3.ひげよ、さらば
4.魔女の宅急便









【正解】
2.ズッコケ三人組



【解説】
広島市西区の己斐公民館は21日、地元出身の作家那須正幹さん(68)の児童文学「ズッコケ三人組」をテーマにした検定試験を実施する。
己斐地区が物語の舞台のモデルとなっており、子どもたちに地域の魅力を再発見してもらうのが狙い。

問題は、那須さんの地元同級生12人が中心になって作成。
物語に登場するキャラクターや、舞台モデルとなった己斐地区を題材にした50問を出題する。

対象は小中学生で、得点に応じて「ゴールド」「シルバー」「ブロンズ」の認定カードを贈る。

受験料は100円。
定員は50人。
成績上位3人には那須さんのサイン色紙のプレゼントもある。
同公民館=電話082(273)1765。

(「目指せ「ズッコケ」博士」中国新聞 2010年11月16日)
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201011160033.html



今年の7月3日(土)に、「ズッコケ中年三人組の未来報告」という講演会を聞かせてもろうたんじゃ。
その時に聞いたことを中心に書いていこうかの。



最初に断っとくんじゃが、当日の講演のメモを元にこの文章を書いとるんで、一部、わしの聞き間違いや、勘違いも含まれとるかもしれません。
一応、ウィキペディアやWebで調べられる範囲内で、確認は取っとるんじゃが。



今日は、「生い立ち」「ズッコケ三人組」「新作について」について調べてみようかの。



1.生い立ち

那須正幹は1942(昭和17)年6月6日、広島市己斐本町(こいほんまち)で生まれる。
3人姉弟の、末っ子の長男。
3歳の時、自宅で被爆するが、命に別状はなかったということじゃ。

小さいころは本が嫌いで、昆虫採集に熱中しとった。
生物部に入るため、広島市中区にある基町(もとまち)高校に入学。
県立島根農科大学(現島根大学農学部)では森林昆虫学を専攻し、山岳部に所属されとったそうじゃ。

日通商事の就職の面接時、人事部長が早稲田大学の山岳部出身だったため話が合い、そのため(?)無事、採用。


「私は成績がよくなかったのに、なんで受かったのかなぁ?」(那須)


東京で、ブルーバードやセドリックなどの自動車を売っていたそうじゃ。
ところが、「自分の10年後の姿が思い描けない」ということで、2年で退社。
広島に帰ってきたんじゃと。

父が書道塾を開いていたので、書道は苦手だったが、その手伝いをしとったそうじゃ。
姉の竹田まゆみに誘われて、児童文学研究会に参加。

「本の嫌いな子どもたちのために、エンターテインメントの本を書こう」、そして「30歳までには、必ず本を出版しよう」と決心。
そして、処女作の「首なし地ぞうの宝」が出版されたのが、30歳になる2カ月前。

こうして、那須は作家としての道を歩み始められたそうじゃ。



2.ズッコケ三人組

「子ども版三銃士のようなものを書いて欲しい」と依頼があり、学研の「6年の学習」に「ずっこけ三銃士」を、1976(昭和51)年4月から1年間に渡って連載。
読者からの評判はよかったそうじゃ。

これを本として出版するには、本を出してくれる出版社を探さんといけんかった。
学研は、雑誌は出しとったが、本は出版していなかった、というのがその理由じゃそうな。

同年11月ごろ、ポプラ社の編集者が別の用事で広島に来ていた。
彼に原稿を見せたところ、「すぐに本にしましょう」と言われたので、翌年3月分(最終回)までの原稿のコピーを、その編集者に渡したそうじゃ。

ところが、待てど暮らせど本が出来上がってこん。
「例の件は、どうなったの?」と督促したりして、1978(昭和53)年の2月にようやく本が出版された。

手元に届いた本を見て、那須は驚いた。
本のタイトルが、「ずっこけ三銃士」から「それいけズッコケ三人組」と、勝手に変えられていたからじゃ。


「作者に断りもなしにタイトルを変えられたのは、あれが初めてだ。今にして思えば、子どもに「三銃士」の「銃」という漢字は難しかっただろうね。あと、「ずっこけ」をカタカナの「ズッコケ」にしたのはよかったかな」(那須)


ちなみに、この時のポプラ社の編集者が坂井宏先(さかい ひろゆき)。
原ゆたかの「かいけつゾロリ」も担当され、後にポプラ社の社長になられた方じゃそうな。

「それいけズッコケ三人組」が出版されたころ、書道塾を経営していた那須の父親が亡くなった。
そこで妻の実家がある山口県防府市に移り住み、作家活動に専念することになったそうじゃ。

本のあとがきに、次の作品のタイトルと、「8カ月後に出します」という文章を書いとったら、これが「6カ月後に出します」と誤植されたまま出版されてしもうた。
このため年2回、「ズッコケ三人組シリーズ」が出版され続けることになった、ということじゃ。


時は過ぎて、2004(平成16)年12月。
第50巻「ズッコケ三人組の卒業式」で、ズッコケ三人組の小学校卒業と宅和先生の教員退職をもって、無事にシリーズ完結。


「江戸川乱歩(えどがわ らんぽ)の「少年探偵団シリーズ」が46巻だったので、それを越す50巻で終わりにした」(那須)


「ズッコケ三人組」を読む子どもたちの反応が、時代によって変わっているそうじゃ。

例えば、ファンレター。
連載当初は、「登場人物の〇〇に似た友だちがクラスにいます」じゃったのが、1990年代には「私たちにできないことをやってくれるのがうれしい」に。
そして2000年代になると、「3人組のような友だちが欲しい」「うらやましい」に変わってきとるんじゃと。

そして、連載当初はハチベエに人気があったのに、最近ではモーちゃんに人気があるそうじゃ。


「モーちゃんを見ていると、ホッとするんですかね。癒(いや)し系が流行っているんでしょうか」(那須)


↓ズッコケ三人組については、こちら↓

それいけ!ズッコケ三人組ホームページ
http://www.poplar.co.jp/zukkoke/




ズッコケ三人組の像(JR西広島駅前)
手前からハチベエ、モーちゃん、ハカセ



3.新作について

広島のお好み焼きを中心にした、母親、娘、孫娘の3代記。
原爆未亡人となった母親が、広島でお好み焼き屋を開いていたが、急性白血病で死んでしまう。
東京で働いていた娘が広島に帰ってくるが、その娘は子どもを身ごもっていた…。


どこまで書いて(公表したら)ええかわからんけぇ、ここまで。

タイトルは未定じゃが、来年の春には出版の予定じゃそうな。


講演会の最後に、こう言われた。


「戦後の日本が平和で民主的な国だったから、三人組が元気で、自由に駆けまわることができた」(那須)



↓那須正幹についての関連記事は、こちら↓

那須正幹って人、知ってるかい?(原爆の話)
http://blog.goo.ne.jp/hiroshima-2/d/20091122



↓お好み焼きについての関連記事は、こちら↓

広島県内8地区のお好み焼きから、ナンバーワンを選ぶイベントは?
http://blog.goo.ne.jp/hiroshima-2/d/20101029



今日は、「生い立ち」「ズッコケ三人組」「新作について」について勉強をさせてもらいました。
今日もひとつ勉強になったでがんす。



ほいじゃあ、またの。

コメント
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