第3212号 29.10.16(月)
曾子疾有り、門弟子を召して曰く、予が足を啓(み)、予が手を啓よ。詩に云ふ、戦々恐々として、深淵に臨むが如く、薄氷を履むが如し、と。今にして後、吾免(まぬが)るることを知るかな、小子、と。『小学』(稽古第四)197
曾子が重病で死期の近いのを知ったとき、門人を呼びよせて、これに告げて言った。「自分の足を視てくれ、自分の手を視てくれ。『詩経』に『深い淵に臨むように、また薄い氷を履み渡るように、恐れつつしみ、気をつけよ』とあるが、自分もその気持ちで一生を送って来た。幸いに父母からいただいたこの身体を傷つけず、辱めることなく、亡き父母にお返しすることができ、自分もこれでやっと不幸の罪を免れることができそうだ。随分むつかしいことであったよ。」197
【コメント】曾子の心がけは立派なことだと思います。でも、自分の身体を無傷にすることも大事たが、自分同様、他人様にも指一本ふれず大事にしなければなりません。
私が知っている人で自分の親のいうことはよく聞くが、同級生を夜襲し、投げ飛ばしたり、殴ったりする人がおりました。そういうことをすれば批判がでるのは当然のことですが、今度は批判する人に暴行をするのでした。ただ身体が大きいというだけで、喧嘩の対象にされるのは困ったものです。
それでいて私と話す時は、自分が如何に清廉であるかと話したものです。
今、選挙運動期間中で世間は賑やかですが、菅原兵治先生みたいな人が党首にいたら、人々から推戴されるのでしょうが、と思う事しきりです。昨日、揖宿の大先生が合吟をするため来てくれました。そこで菅原先生のことを話して意気投合した次第でした。指宿の先生に詩吟の指導をして貰いました。
-------------
『不動心』(第81回)
無知と虚栄の強さ
本来、耐えられないようなことは決して誰にも起こらない。ところが、あなたがある体験ですっかり打ちのめされているのに、隣人は同じ体験をしながら少しも動ぜず、悠然としている場合もある。だがそれは、彼がそのできごとをよくわかっていないか、自分の勇気をひけらかそうと意地をはっているかのどちらかだ。遺憾ではあるが、無知と虚栄心のほうが智恵よりも強さを発揮するものなのだ。
アウレリウスは上のように教えていますが、沢庵和尚までいかずとも、経験を踏まえて、さらに学修し智恵を修得し、生きる処世の糧として構築している人もいると思います。天風先生、しかりです。
------------
『臥牛先生遺教抄』(第37回)
人を待遇するに公平ならずばあるべからず。さりとて賢不肖の差別なく平等に待遇するを公平と思える者あり。これは俗公平というものにて大いなる誤りなり。常に賢不肖をよく吟味し、賢なれば尊信し不肖なりとて捨てはせず、矜れみて誘掖するこそ真の公平なりと。
-------------
曾子疾有り、門弟子を召して曰く、予が足を啓(み)、予が手を啓よ。詩に云ふ、戦々恐々として、深淵に臨むが如く、薄氷を履むが如し、と。今にして後、吾免(まぬが)るることを知るかな、小子、と。『小学』(稽古第四)197
曾子が重病で死期の近いのを知ったとき、門人を呼びよせて、これに告げて言った。「自分の足を視てくれ、自分の手を視てくれ。『詩経』に『深い淵に臨むように、また薄い氷を履み渡るように、恐れつつしみ、気をつけよ』とあるが、自分もその気持ちで一生を送って来た。幸いに父母からいただいたこの身体を傷つけず、辱めることなく、亡き父母にお返しすることができ、自分もこれでやっと不幸の罪を免れることができそうだ。随分むつかしいことであったよ。」197
【コメント】曾子の心がけは立派なことだと思います。でも、自分の身体を無傷にすることも大事たが、自分同様、他人様にも指一本ふれず大事にしなければなりません。
私が知っている人で自分の親のいうことはよく聞くが、同級生を夜襲し、投げ飛ばしたり、殴ったりする人がおりました。そういうことをすれば批判がでるのは当然のことですが、今度は批判する人に暴行をするのでした。ただ身体が大きいというだけで、喧嘩の対象にされるのは困ったものです。
それでいて私と話す時は、自分が如何に清廉であるかと話したものです。
今、選挙運動期間中で世間は賑やかですが、菅原兵治先生みたいな人が党首にいたら、人々から推戴されるのでしょうが、と思う事しきりです。昨日、揖宿の大先生が合吟をするため来てくれました。そこで菅原先生のことを話して意気投合した次第でした。指宿の先生に詩吟の指導をして貰いました。
-------------
『不動心』(第81回)
無知と虚栄の強さ
本来、耐えられないようなことは決して誰にも起こらない。ところが、あなたがある体験ですっかり打ちのめされているのに、隣人は同じ体験をしながら少しも動ぜず、悠然としている場合もある。だがそれは、彼がそのできごとをよくわかっていないか、自分の勇気をひけらかそうと意地をはっているかのどちらかだ。遺憾ではあるが、無知と虚栄心のほうが智恵よりも強さを発揮するものなのだ。
アウレリウスは上のように教えていますが、沢庵和尚までいかずとも、経験を踏まえて、さらに学修し智恵を修得し、生きる処世の糧として構築している人もいると思います。天風先生、しかりです。
------------
『臥牛先生遺教抄』(第37回)
人を待遇するに公平ならずばあるべからず。さりとて賢不肖の差別なく平等に待遇するを公平と思える者あり。これは俗公平というものにて大いなる誤りなり。常に賢不肖をよく吟味し、賢なれば尊信し不肖なりとて捨てはせず、矜れみて誘掖するこそ真の公平なりと。
-------------