第3217号 29.10.21(土)
人形既に生じ、神発して知る。五性感動して善悪分れ、萬事出づ。聖人之を定むるに中正仁義を以てして、静を主とす。人極を立つ。故に聖人は天地と其の徳を合し、日月と其の明を合し、四時と其の序を合し、鬼神と其の吉凶を合す。君子は之を修めて吉、小人は之に悖りて凶なり。『近思録』(一道体)4
人は形ができると、その心が活動して知の働きが起こる。心に備わる五行の性は外物に刺激されて動き、そこに善悪の区別が生じ、いろいろな事がらが出てくる。聖人は中正仁義によって五性の動きや万事をきちんと定め、心の静かなことを第一とする。そこに人極が立ってくる。故に聖人は、天地と同じ徳を持ち、日月と同じ明るさを持ち、四時と同じ順序で進み、鬼神と同じように吉凶を示す。君子は中正仁義の道を修めて吉を得、小人は中正仁義の道に背いて凶を得る。4
【コメント】我々凡人も、五性の動きや万事をきちんと定め、心の静かなことを第一とすべく心掛けたいものです。
そのような心掛けを全国で車の運転をする人々が持っていれば、あおりとか暴走運転はしないと思うのですが、如何なものでしょうか。
明日は総選挙です。候補者は耳ざわりのいいことを叫んでいますが、当面の景気動向も大事ですが、半世紀先に素晴らしい成果を生み出す人々を択ばなくてはいけないと思います。
今全国で、学校で先生をしていた人々6万人が精神科に入院しているそうです。この原因は何だと思いますか。生きて行く上においては厳しさもなければならないのです。安全・安心・平和ばかりではいけないのです。
ですから空手道教室では子供たちに対して、将来力づよく生き抜く術を教えているのです。
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安岡正篤著『日本精神の研究』---政治の要諦---第2回
南洲遺訓に彼の文明観を伝えて、
文明とは、道の普く行はるるを賛称せる言にして、宮室の荘厳衣服の美麗外観の浮華をいふに非ず。世人の唱ふる所何が 文明やら何が野蛮やら些とも分らぬぞ。予嘗て、或人と議論せしことあり。西洋は野蛮ぢゃと云いしかば、否文明ぞと争 う。否野蛮ぢゃと畳みかけしに、何とて夫れ程に申すにゃと推せしゆえ、実に分明ならば未開の国に対しなば慈愛を本と し、懇々説諭して開明に導くべきに、左は無くして未開蒙昧の国に対する程むごく残忍の事を致し、己れを利するは野蛮 ぢゃと申せしかば、其の人口を莟めて言無かりきとて笑われける。
と云っている。
文明と文化とを区別する様な煩論はしばらく措いて、社会生活を便利して装飾する機械的組織的成功が文明の本義ではない。誠に南洲の言の如く「道の普く行はるる」が文明の本義でなければならぬ。
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『臥牛先生遺教抄』(第42回)
凡そ志ある者は決して翻(ひるがえ)る事のなきものなり。奮発するかと思えば日ならずして屈し、憤排(ふんぴ)するかと思えば忽ち撓(たゆ)みなどするは、是れ皆志の立たざる故なり。志ある者は必ず求めある筈にして、終始益ある事を問うものぞ。而して必ずゆったりとしたるものなり。志なき者はせわしくてせわしくてとのたもう。暫くありて志は第一なり。是非聖賢に則るべし。則るの方は先ず聖賢の書を読みてこれを吾が身に体し、先覚に就いてひたすら益を求むるに在りとのたもう。
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人形既に生じ、神発して知る。五性感動して善悪分れ、萬事出づ。聖人之を定むるに中正仁義を以てして、静を主とす。人極を立つ。故に聖人は天地と其の徳を合し、日月と其の明を合し、四時と其の序を合し、鬼神と其の吉凶を合す。君子は之を修めて吉、小人は之に悖りて凶なり。『近思録』(一道体)4
人は形ができると、その心が活動して知の働きが起こる。心に備わる五行の性は外物に刺激されて動き、そこに善悪の区別が生じ、いろいろな事がらが出てくる。聖人は中正仁義によって五性の動きや万事をきちんと定め、心の静かなことを第一とする。そこに人極が立ってくる。故に聖人は、天地と同じ徳を持ち、日月と同じ明るさを持ち、四時と同じ順序で進み、鬼神と同じように吉凶を示す。君子は中正仁義の道を修めて吉を得、小人は中正仁義の道に背いて凶を得る。4
【コメント】我々凡人も、五性の動きや万事をきちんと定め、心の静かなことを第一とすべく心掛けたいものです。
そのような心掛けを全国で車の運転をする人々が持っていれば、あおりとか暴走運転はしないと思うのですが、如何なものでしょうか。
明日は総選挙です。候補者は耳ざわりのいいことを叫んでいますが、当面の景気動向も大事ですが、半世紀先に素晴らしい成果を生み出す人々を択ばなくてはいけないと思います。
今全国で、学校で先生をしていた人々6万人が精神科に入院しているそうです。この原因は何だと思いますか。生きて行く上においては厳しさもなければならないのです。安全・安心・平和ばかりではいけないのです。
ですから空手道教室では子供たちに対して、将来力づよく生き抜く術を教えているのです。
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安岡正篤著『日本精神の研究』---政治の要諦---第2回
南洲遺訓に彼の文明観を伝えて、
文明とは、道の普く行はるるを賛称せる言にして、宮室の荘厳衣服の美麗外観の浮華をいふに非ず。世人の唱ふる所何が 文明やら何が野蛮やら些とも分らぬぞ。予嘗て、或人と議論せしことあり。西洋は野蛮ぢゃと云いしかば、否文明ぞと争 う。否野蛮ぢゃと畳みかけしに、何とて夫れ程に申すにゃと推せしゆえ、実に分明ならば未開の国に対しなば慈愛を本と し、懇々説諭して開明に導くべきに、左は無くして未開蒙昧の国に対する程むごく残忍の事を致し、己れを利するは野蛮 ぢゃと申せしかば、其の人口を莟めて言無かりきとて笑われける。
と云っている。
文明と文化とを区別する様な煩論はしばらく措いて、社会生活を便利して装飾する機械的組織的成功が文明の本義ではない。誠に南洲の言の如く「道の普く行はるる」が文明の本義でなければならぬ。
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『臥牛先生遺教抄』(第42回)
凡そ志ある者は決して翻(ひるがえ)る事のなきものなり。奮発するかと思えば日ならずして屈し、憤排(ふんぴ)するかと思えば忽ち撓(たゆ)みなどするは、是れ皆志の立たざる故なり。志ある者は必ず求めある筈にして、終始益ある事を問うものぞ。而して必ずゆったりとしたるものなり。志なき者はせわしくてせわしくてとのたもう。暫くありて志は第一なり。是非聖賢に則るべし。則るの方は先ず聖賢の書を読みてこれを吾が身に体し、先覚に就いてひたすら益を求むるに在りとのたもう。
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