味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

一たび足を擧ぐるにも敢えて父母を忘れず。

2017-10-13 16:58:06 | ブログ
第3210号 29.10.14(土)

一たび足を挙ぐるにも敢て父母を忘れず、是の故に道して径(こみち)せず、舟して游(およ)がず。敢て先父母の遺体を以て殆(あやう)きに行かざるなり。一たび言を出だすにも敢て父母を忘れず、是の故に悪言口より出さず、忿言(ふんげん)身に反らず、其の身を辱(はづか)しめず、其の親を羞(はづか)しめざるは、孝と謂ふべし。『小学』(稽古第四)191

 一たび足をあげるにも父母を忘れないならば、陸地をゆく場合には大道を通り、急いでも危ういこみちは避け、水路をゆく場合には、必ず舟に乗り、急ぐからとて泳ぎなどしない。すべて父母から遺されたこの体、この自己を危うい所にはやらないようにする。また一たび言葉を出すにも、父母を忘れないようにする。そうすれば悪口を口から発せず、人の怒りの言葉を自分に受けるようなことはない。このようにして、自己の身を辱めないのが孝である。

 【コメント】この所車運転に関する交通事件のことが話題に上っています。東名高速道路で車両を停車させ、夫妻二人を死亡させたとする25歳の男は厳しく罰しなければならないと思います。

 このような男も親に対しては孝行めいたことをするものですが、これらは親であっても、他人であっても同様に慈しむ心がなければなりません。

 円心会福岡本部長だった岩坪師範に同様の対応をすれば、車から引きずりおろそうとしたら、顔面に強烈な鉄拳、腹部に前ケリをくらって5メートル吹き飛ばされたのたがと思っています。25歳独立愚連隊の男も手ごわい相手には手も足も出ないでしょう。売られた喧嘩は買うということ自体、極めてナンセンスなのです。

 そういう時は、そういう物騒なことはなさらない方がいいと思います、と柔和な顔をして穏やかにさとす勇気が欲しいものです。

 高速道路でのあおり行為などがテレビ放映されていますが、何故そのようなことをするのでしょう。そういうことをする行為は全て天が認識しているのです。そういう人は、必ず天の制裁があるのです。賢明な人はそのようなことはしないのです。

-----------------
『不動心』(第79回)

 理性と行動の自動循環について
 理性とその活動は、本来の性質からいっても機能の仕方からいっても自動循環的なものである。理性が最初に刺激を受けるのは、そり自身の中に原因があってのことだ。いったん動きだせば、理性はこうと決めた目的に向かってまっしぐらにつき進んでいく。このように回り道をせずに理性が進んでいく運動は「直進性」と呼ばれる。

-------------
『臥牛先生遺教抄』(第35回)

 人に切磋忠告するには、親切の心十ありて一つ二つを静かに言うべし。さすれば切磋を受くる人も聞き入れ易し。又人より切磋を愛くる時は無我無心になり、慎んで聞くべし。その言終わりて後心に落ち着かざる事あらば、静かに我が思いを申し述ぶべし。汝は待手なしにて人の言終わらざるに言い出す癖あり。よくよく慎むべし。
-----------