味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

昼は耕し、夜は誦す。

2016-04-21 10:23:09 | ブログ
第2669号 28.04.21(木)
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昼は耕し、夜は誦す。(「雑書」『魏書』崔光傳)
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 昼は田畑を耕し、夜は書を読んでいる。684
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 【コメント】大変素晴らしい情景だと思います。かくありたいものです。連日、『西郷隆盛』を読み続けています。
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『臥牛菅実秀』(第205回)
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 しかし、この献金は、移封の代償として兵部太輔大村益次郎が主張したもので、大村はこの金によって兵学校を建てる計画であったという。
 この大村の持論である『荘内解体論』が存在する限り、実秀の主張も、決して認められるものではなかった。
 老公忠発は、この巨額の献金を戦争で疲れ切った藩財政だけで調達することは不可能であることを知って、祖先伝来の重宝を処分し、刀の金銀の装具まではぎ取って献金に充当した。酒井家腰物帳(刀の台帳)に『御用金に相成りたり』と書きこまれている箇所が散見するのは、みなこのときのものである。
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 忠発はさらに致道館に家臣の重だった人を集めて、事態の容易ならざることを告げて、分に応じて献金してもらいたいと依頼した。しかし藩士も蓄えていた軍用金は今回の戦争で使い果たし、家財を売って戦費に当てたほどであったし、さらに移封命令によって諸道具を捨て値で処分しており、誰しもゆとりのあるはずはなかったのである。

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『農士道』(第481回)
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 勿論かく寸断したのでは、木としての生命が無くなってしまふから、本末間の如実の生命的関係は理解出来難くなるが、然し本末は素と一体不離の関係にあるものであるということは解るであらう。
 然らば、真に生命ある本末の関係は如何なるものか。其は草木の根と枝葉との関係に於て最も如実に見得るが如く、枝葉(末)は根(本)より供給せられる栄養によって、始めて繁って行くものである。真に枝葉を繁らせて行こうとすれば、どうしても根を養はねばならぬ。花瓶に挿す花の様に一時の偽飾ならば、或は根の無い枝葉の存在も可能かも知れぬけれども、大地に深く根ざして永久的生命ある生長繁茂は、如何しても根より発したものであらねばならぬ。

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