味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

貧者は貨財を以て礼と為さず。

2016-04-23 10:02:47 | ブログ
第2671号 28.04.23(土)
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貧者は貨財を以て礼と為さず。『礼記』
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 貧乏な人は貨財をもたないのだから、金品の多少によって、礼・非礼を定めてはいけない。心からの贈り物であれば貧者の一燈、喜んで受けとるべきだ。268
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 【コメント】熊本地震の被害拡大に絡み、少しでも支援したいという人が出て来て日本国民の善意に胸をうたれています。大変有難いことです。上の言葉とはやや次元を異にしますが、現地では被災した子供たちがボランティア活動をしている情景が紹介されています。
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 平和で豊かであれば子供たちは勉強ばかりせず、悪い遊びもするかも知れません。だが熊本では次々と余震がくるため、自宅へ帰ることもではず、体育館などへ避難を余儀なくされています。
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 お互いが苦境であるからこそ子供たちは出来ることをしたいとして掃除をしたり、物を運んだりと手伝いをしているみたいです。災害そのものは是としませんが、子供たちが自発的に人様のお役にたつことは讃美したいものです。だから私は、平和・安全・人権教育も結構ですが、そこに躾教育をしなければならないと提唱しています。
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 熊本地震の復旧についてミヤネヤ氏は、行政に対して、対応が悪いというようなことを口走りましたが、行政の方々も懸命にやってるのです。現地を知らないから口先の権力で発言したのだと思います。
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 その昔、電電に勤務していた40年位前のことです。沖永良部台風が襲来し、風速70メートルが観測されたやに伺いました。現地の電気通信設備は壊滅的な被害を受けました。
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 鹿児島電気通信部線路保全課市外係長を拝命していた私は、災害復旧現地対策本部長を命ぜられ、翌朝の飛行機で現地へ飛びました。
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 現地へついてみたら、空港から電話局までの電話線を張っている線路は、九割方根こそぎ倒れていました。それから二か月間、不眠不休で災害復旧に従事しました。
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 西郷隆盛が囲われていた牢屋付近にも何回となく行きました。高校時代から不眠で電報配達をしていた私でしたが、披露が山積し右足アキレス腱を切り、ビッコをして帰宅したのでした。
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 現地にいると一時も休む暇もない位忙しいのです。熊本の方々も頑張ってください。

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『臥牛菅実秀』(第207回)
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      (七)
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 この明治二年という年は実秀にとっても実に苦渋に満ちた年であった。この一月、実秀が東京に出ると間もなく、留守宅では妻の芳恵が三男三女を残して病没したのである。
 実秀には『女児に別る』という詩がある。
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  女児 別れを識らず
  別れに臨んで庭花を数う
  却って怪しむ阿嬢の涙
  衣を牽いて阿爺に問う

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   ※阿嬢。母のこと。
   阿爺。父のこと。

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 幕末から維新の危機感の中で常に先頭に立って活躍してきた実秀は、家族の人たちとの一たびの別れには、再開を期しがたいものが、いつも潜んでいたのであろう。
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『農士道』(第483回)
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 先づ生産の方面よりいふに、例えば稲を作るについて之を見るも、田を打起すにも、種子を蒔くにも、田植をするにも、田草を取るにも、稲刈りをするにも、調整をするにも、其の一つ一つの仕事に当って、本当に没我奉仕の至誠を以て大地と作物とに仕へる。-----真剣に仕事をする。-----其の結果が生産量に如何に影響するか。不真面目な、不熱心な、惰け者の作った稲に比べて生産量が少いといふことは断じてない筈である。然し人或は問はん。如何に真面目に仕事をしたといっても、農業的知識技術に欠けてゐては駄目ではないか云々と。尤もの反問である。然し其の農業上の知識や技術の研究も、実は皆土地と作物とに対する当然の「義」を盡したに過ぎないのである。
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昨夜、「-----西郷南洲翁と菅臥牛翁の徳の交わりを広める会」顧問の先生から電話がありました。来年三月頃、西郷南洲翁の記念大会を開催し、西郷隆盛を語る、子供たちの『南洲翁遺訓』発表をしたいと思うが協力をして欲しいとのことでした。
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 変な老人団体も参加するのですかとお尋ねしたらそれはないということでした。それならば参加致しますと答えました。日本空手道少林流円心会一門結集して大会に臨みたいと思いますので、円心会の関係者の皆様、ご協力よろしくお願い致します。
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 連日拝読している『西郷隆盛』は、西郷隆盛と勝海舟が体面して語る場面でした。西郷南洲翁は勝海舟の奇想天外の思考に唸る場面でした。

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