味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

徳慧術知ある者は恒に疢疾に存す。

2016-08-11 10:30:47 | ブログ
第2781号 28.08.11(木)
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徳慧術知ある者は恒に疢疾に存す。『孟子』
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 人の徳行才知の多くは、常に災厄困難のなかでみがかれ、発達するものだ。134
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 【コメント】大変よい言葉だと思います。西郷南洲翁の漢詩にも、そういう場面があるようです。「外甥政直に示す---貧居傑士を生み、勲業多難に顕る」もそういう例であると思います。それは貧しい境遇であろうが、豊かな境遇であろうが、その人自身が如何に自覚し、永い人生に取組むか、ではないでしょうか。
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 要はどういう人と会いどういう教えを受けるか、どういう偉業を見てどう発憤して実践するかではないでしょうか。年を重ねても何も出来ないでいる私は、空手道教室に集う子供たちにどういう道案内ができるかを考え、共に過ごしています。
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 華やかなオリンピックで競技している選手たちに声援を送ると同時に、場末に住む我々も生涯の目的を持ち、只管努力したいものです。
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 スポーツは確かにいいのですが、先の大戦でアメリカに敗北した日本に対して、日本が二度と起ちあがる事の出来ないようにと、日本弱体化政策をとってきたという事実があります。それを指して「3S5D政策」と言うのだと半世紀前岳父に聞いたことがあります。3Sは、スホーツ、スクリーン(今でいうテレビ・映画でしょうか)、セックスを言うのだそうです。
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 とにかく、どういう事態に出会おうとも、人様を大事にすると同時に、自分の人生も真剣に考え、まじめに努力することだろうと思います。

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『臥牛菅実秀』(第316回)
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 この間の実秀の歩んだその足跡には、渾身の力を振りしぼってきた人の膏汗(あぶらあせ)がしたたりつづけていたといっていいかも知れなかった。そしていま四十五才になって実秀は、この激戦から離れて一書生、一学人に立ちかえったのである。
 しかし四十代のなかばといえば、ある人は自己の能力の過信に陥り、いづれにしても感受性も吸収力も鈍化する年代である。その年代において、実秀はもう一度、新たに勉学を開始したのである。
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 まづ実秀は藩校致道館の司業(教育主任)であった遠藤厚夫(増右衛門)について中国の古典の中の古典といわれる詩経、書経を新たに学びはじめたのであった。それははりつめた二十五年の人生行路の中で錬磨した識見や、激しい時代の波瀾、起伏の中でなめ味った痛切な体験、それらのすべてを包括し一貫する人生の原則を古典によって把握しようとしたものであろう。

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『農士道』(第592回)
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 已に七竅(きょう)を穿てば、眼は視る、耳は聴く、鼻は嗅ぐ、口は味ふといふ部分的専門的作用は明瞭になるであらうが、だからといって口のみを取り来って、味ことが人生のすべてである、之れさへを修練せしむれば人生生活の修養は以て足れりとするは恐るべき迷妄であろう。東洋農家の生活は正に渾沌である。生活の部分ではない。人間生活の渾てである。儵忽(しゅくこつ)の穿てる一竅ではなくして、生ける渾沌王である。分化の末に走らざる未分の全一である。
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