味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

惟に人君の天下に比する道此の如く

2018-05-19 15:00:27 | ブログ
第3428号 30.05.20(日)

惟に人君の天下に比する道此の如くなるのみならず、大率(おおむね)人の相比する、然らざる莫し。臣の君に於けるを以て之を言ふうに、其の忠誠を竭し、其の才力を致すは、乃ち其の君に比する道を顕すなり。之を用ふると否とは、君に在るのみ。阿諛逢迎して、其の己に比するを求む可からず。『近思録』416

 人君が天下の人々に親しむ道がそうであるばかりでなく、一般に人が親しみあう場合も同じである。臣下が君に対する点からいうなら、忠誠の心を尽くし、才能を役立ててこそ、君に親付する道をはっきりさせることになる。用いるかどうかは、君主の側にある。へつらったり迎合したりして、君主がこちらに親しむことを求めてはならない。

 【コメント】処世の要諦として、へつらったりご機嫌とりをすることは、大変よくないことです。そういう行為で恩恵を得たとしても、結果的には人間の尊厳を失うことになるばかりです。堂々とした生き方を展開したいものです。

 大学のアメフト競技で違反をするようなものです。潔い生き方は後々共感を呼ぶものです。日大の内田監督は辞意を表明したと読売新聞で紹介されています。

 内田監督が日大の尊厳を大きく傷つけたことは大変な損失だと思います。日大と聞くだけで身体に湿疹が出るという人がいますが、それほど反則行為は大事件であったと思います。その部に属した人々は、世の中にあることですので、しかと身体で受け止めてください。

 昨夜は本部道場での空手道指導をしました。それなりに上達していてくれていますので、指導者として嬉しい限りです。何れにしても、真摯にして忠恕の精神を持ち、修行に愈々取り組みたいものです。

 昨晩も子供たちにお話しましたが、人間は正直であることが一番つよいと思いますと説明しました。

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『不動心』(第282回)

 太陽の光と魂は一つ

 壁や山や、その他多くのものによって分断されていようと、太陽の光は一つである。それぞれ特質を持った多種多様の生物体に分割されていようと、物質は一つである。規模の異なる無数の自然の中に分割されていようと、魂は一つである。特別に思考力を与えられている魂でさえ、どんなにわかれているように見えても本当は一つである。生物体の中のその他の部分、たとえば息のような部分は単なる物体で感覚も欠如し、相互の絆もないが、全体を統一させようと働いている引力の作用によってかろうじて結合されている。ただし思考力というものは、その本来の性質上、自由に同類のものへと向かい、それと混じり合う。したがって、統一を求める本能は妨げられることがない。

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其の親を愛せずして、

2018-05-19 09:12:54 | ブログ
第3427号 30.05.19(土)

子曰く、其の親を愛せずして、他人を愛する者、之を愛する者、之を悖徳(はいとく)と謂ふ。其の親を敬せずして、他人を敬する者、之を悖禮(はいれい)と謂ふ。『孝経』253

 孔子が言うには、自分の親を愛しないで、他人の親を愛する者があれば、そのような人を徳にもとるという。自分の親を敬わないで、他人の親を敬う者があれば、そのような人を礼にもとるという。

 【コメント】この教えは大事なことですが、自分の親に対する「愛と敬」は表に出すものではなく、精神的にかくあるべきものと心得ます。

 その昔、人目をはばからず、自分の家族だけをほめたたえる人がいたものです。

 昨日は、60年前空手道を指導していた森山さんの御実家・知覧町塩屋へ行きました。現在は誰も住んでなくて、少しく板間が痛んでいるため、日曜大工の心得がある私と、大坪先生に協力をして欲しい旨打診がありましたので、お伺いしたのでした。

 周囲の家屋も解体撤去されており、土地を上げるといっても貰う人がないとの由でした。畳も雨に濡れ痛んでいましたので、たたみのゴザを買い自分で取り替えなさいとアドバイスをしました。

 私は60年前、自宅の畳のゴザを取り替えたものです。本職ではないから多少のチグハグはありますが、どうにかなるものです。森山さんは鹿児島・皇徳寺に住んでいますが、七畝の土地をかりて野菜づくりをしているのだとお話しました。元々田舎育ちですので、農作業はお手の物らしいです。

 警察官であった森山さんにパチンコに興じる是非について質問しました。パチンコは95%の人が負けるのですべきではないといいました、森山さんは20年位前、知覧町・頴娃駐在所に勤務していたことがありました。その当時パチンコに興じて膨大な負けをしたとの話をされました。

 テレビを点けていれば終日、パチンコのお誘いがありますが、これらは絶対にすべきではないと思います。それよりか、私みたいに漢籍・『孝経』『書経』『詩経』『近思録』を読み書きしてください。

 大河ドラマ「セゴドン」の主人公・西郷隆盛は『近思録』を繙き「敬天愛人」の思想に到達したとの事です。『南洲翁遺訓』を学びましょう。漢籍を繙きましょう。

 孔伝に、「愛敬の道を尽くして以て其の親に事へ、然して後に之を人に施すは、孝の本なり。是の道に違へば、則ち徳礼に悖乱するなり。」とあります。

 また『礼記』大学に云ふ、堯舜天下を率いるに仁を以てして民これに従ふ。其の令する所、其の好む所に反す。而も民従はず。是の故に君子は諸を己れに有して、而して后に諸を人に求め、諸を已に無くして、而して后に諸を人に非(そし)る。身に蔵する所恕ならずして、能く諸を人に喩す者は、未だ之れ有らざるなりと。是れ知る。人君若し此に違ひて愛敬の道を尽くさずして、天下の人をして愛敬を行はしめんとするは、是れ徳礼に悖逆するなり。」とあります。

 要は、どのような方であろうと真心こめて対応することが肝要だということです。

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『不動心』(第281回)

 夢の中味

 情欲に際限なく身をまかせた人間、栄光や悲運、憎悪、その他運命のいたずらで何かの頂点にまで登りつめた人間の人生を思い、彼らが今はどこに行ってしまったのか考えてみたまえ。まるで煙か灰のように消え去り、すべては昔話である。いや、昔話さえもすでに忘れられてしまった。
 どんなに不遜な思い上がりが彼らの心の中に渦巻いていたことか。そして彼らの夢中になって求めていたものがどんなに卑しむべきものであったか。常に実直な態度で正義と克己心と神々への忠誠を追い求めることのほうが、どれほど哲学者にふさわしいかわからない。謙譲の衣の下から傲慢が見え隠れするほど我慢ならないことはない。

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