味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

堯二女をきせいにをさめ降せし所以は、

2018-05-04 17:37:05 | ブログ
第3413号 30.05.05(土)

堯二女をきせいにおさめ降せし所以は、舜禪(ゆず)る可きや、吾茲に試みんとせしなり。是れ天下を治むるには家を観、家を治むるには身を観るのみ。身の端(ただ)しきは、心誠なる謂なり。心を誠にするは、其の不善の動きを復すのみ。不善の動きは、妄なり。妄復せば則ち妄无(な)し。妄无ければ則ち誠なり。故に无妄(むもう)は復に次ぐ。而して先王は以て茂(さかん)に時に対して萬物を育すと曰ふ。深きかな、と。『近思録』409

 堯がなぜ二人の娘をきせいに治め降嫁させたかといえば、舜は帝位の譲れる人間か、わたし(堯)が試してみようと考えたからである。つまり、天下が治められるかどうかは家庭を観察し、家庭が治められるかどうかは一身を観察するのである。一身が正しいとは、心が誠であることをいう。心を誠にするには、不善の動きをもとの善に戻すことだ。不善の動きは妄である。妄がもとに戻れば、妄がなくなる。妄がなくなれば誠である。故に无妄は複の次に並ぶ。そして、「先王は立派に天の時に配して万物を育成する。」と記してある。その言うところはなかなか深い。」

 【コメント】言論が自由の時代においては、ここの論理は理解しがたい部分もあると思います。人間が健全にして幸せに生きていくためには、共存する人々とおだやかに仲良くして生きていくことが肝要だと思います。

 元NHKアナの伯母様が独身のすすめみたいな自著を紹介していますが、独身で子供は生まれるのですか、と聞いてみたい思いです。尤も顔を見たくはありませんが。
 自分の存在を認めて貰いたいなら独身のすすめはよくないでしょう。

 別次元の話ですが、柳瀬総理秘書官が、知らぬ存ぜずといっていたことを国会答弁で翻すということらしいです。これには親分の口添えがあったのでしょうか。元議員の親分たちが安倍氏の三選を阻止するのではないかと思っての戦術転換ではないかと思うのです。

 夫人の昭江おばさんは57件の要職をしているのだと報道されています。そういう多くの要職を兼務している方が、何故国会で答弁できないのか、国民を愚弄するにも程があります。

 北朝鮮の殿様と似たり寄ったりという処でしょう。今だけのことではなく、立場の永遠なる栄光を思い、正直にして欲しいものです。私がご尊敬申し上げている荘内南洲会の先生方は迚も美しい生き方を見せてくれました。
 ですから私は、『南洲翁遺訓』を空手道教室で子供たちに教えているのです。

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『不動心』(第271回)

 手綱とりにかけては左手が右手にまさるわけ

 成功がおぼつかないときでも、練習を積むことだ。左手は他のことには不慣れでうまくいかなくても、手綱を握ることにかけては右手よりもしっかりしている。それは左手がその練習を積んできたからだ。

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『言志録四』117

 処事と執事

 事を処するには決断を要す。決断或は軽遽に失す。事を執るには謹厳を要す。謹厳或は拘泥に失す。須らく自省すべし。

 〔訳文〕物事を処理するには、決断即ち思い切って行うことが必要である。しかし、この決断ということはしばしば軽はずみに陥ることがある。
 また事務を執るのには謹厳即ち慎み深くかつおごそかである必要がある。しかし、謹厳の余り、或は、細部にこだわり過ぎて大本を失うことがある。以上、宜しく反省する必要がある。

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澄嘗て象山の人情事變上に在って

2018-05-04 09:45:30 | ブログ
第3412号 30.05.04(金)

澄嘗て象山人情事變上に在って工夫をなすの説を問ふ。先生曰く、人情事変を除けば、則ち事無し。喜怒哀楽は、人情に非ずや。視聴言動より、以て富貴貧賤、患難死生に至るまで、皆事変なり。事変亦只だ人情の裏(うち)に在り。其の要は只だ中和を致すに在り。中和を致すは只だ獨を謹むに在り、と。『伝習録』90

 陸澄は嘗て陸象山が言った「人の情意や事物の上において修行をする。」の説について質問したことがある。その時、先生曰く、「もし世の中から、人の情意と、諸事とを除いてしまったなら、もはや何事もなくなるであろう。中庸にいう喜怒哀楽は勿論人の情のことである。また視聴言動の動作から、富貴貧賤・患難死生などの地位・境遇に至るまで、すべて事に外ならない。しかしこれら諸事も人の外にあるものではないから、これを人情といってもよいわけである。それ故、修行は要するに喜怒哀楽の発して中に当る、所謂中和を致すことにあるのであって、その中和を致すのは、己れ独り知って他人のあずかり知らない境地において慎む以外にはないのである。」

 【コメント】人情事変について修行するとの語を、事変も人情の外にあるものではないとし、結局、心の問題であり、中和を致して独りを慎むことが肝要であるというところに括目したいと思います。ここでいう事変は身辺の多くのことをさしているのだと思います。
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『不動心』(第270回)

 なぜ自分の考えより他人の考えのほうを重くみるのか

 不思議に思うことがある。人間は他の誰よりも自分を愛していながら、どうして自分の考えより他人の考えのほうを重くみるのだろう。しかし考えてみれば、いくら神や賢い教師がやって来て、心に抱いた考えや意見は何でも、つつみ隠さず広く公表しなくてはいけないと命じたところで、そんなことはどう我慢しても一日だってやれるわけがない。やはり人間は、自分の抱く考えよりも他人が自分をどう考えているかというようなことのほうを尊重するものなのだ。

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『言志録四』111

 自分の秘事と人の秘事

 己れの陰事は、宜しく人の之れを説くに任すべし。人の陰事は、我れは則ち説く可からず。我れは則ち説く可からず。我れの為す所只だ是れ一誠なれば、則ち実に陰陽の別無きのみ。


 〔訳文〕自分の隠し事は人がいうのにまかせておくがよい。しかし、他人の隠し事を自分が話してはいけない。何事も誠心誠意をもってすれば、隠したい事だの、隠さない事だのという区別はあるべきはずがない。
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『日本人よ、中国の属国になってもいいのか』をお読みください。
 昨日、本件著書を購入して読みました。チベットを追われたペマ・ギャルポ氏の書いたものです。特に政治家諸氏は読んで貰いたいと思っています、そして野党の人々は国会審議を欠席して審議拒否をしていますが、そういう政治ゴッコをしている場合ではないと思います。
 確かに安倍さんのやり方にも問題はありますが、国家の安泰が最優先されるべきではないでしょうか。日本人は平和ボケしているという人がいますが、如何なのでしょうか。

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