第2718号 28.06.09(木)
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善人の富める之れを賞と謂い、淫人の富める之れを殃(わざわ)いと謂う。『左伝』
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賞罰を行うならば、本人の善悪にかなった処置をなすべきである。よい人が富を得るのは本当の賞にあたるが、まちがって、よくない人が富んでくることになると、それはわざわいのもととなる。259
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【コメント】連日面白いニュースが飛び込んで来て、暇人は退屈しないと思います。今話題の知事様は淫人の部類に入るのでしょうか。
済んだことは仕方ないとして、この辺で本人が答弁している「真摯」「都民のために」という姿勢を踏襲しないと、やがて御子息に殃が飛び火するだろうと思います。俺は頭がいいのだと思い上がってはいけません。
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都民を、世の人々を愚弄するようなことをしてはならないと思います。物書きの方が「巻添物語」を書けば超ベステセラーになるでしょう。柳(仮名)さん、お書きになりませんか。このベストセラー作家は、書き過ぎて売れなかった為、日常買い物をするお金もないと週刊誌に掲載されていたやに記憶しています。
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どんな人でも歴史に残る悪者にはなりたくないでしょう。ならば真面目に人様の意見を聞きながら、ずるいことをしないで、日々を真面目に真摯に生きることが肝心だと思います。都知事の弁護をした第三者氏らは、苦情の電話が殺到して電話のコードを抜いてあるのだと昨日、報道されました。
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検事として世の悪を取締った経歴があるからといって、大上段に庶民を愚弄する言葉を使用するのは慎むべきだと思います。思い上がった過去の仕事で性がイビツになり仕事がなく、今回の仕事を引き受けることになったのでしょうか。
態度と言葉遣いに全く謙虚さが感じられませんでした。『南洲翁遺訓』を改竄しようとした御仁も過去の仕事が性格をイビツにしたのだという人がいましたが、本当なのかも知れません。
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先日の記者会見で、記者たちの質問に対して、謙虚な態度で、丁寧な言葉を遣い、質問者に名誉を与える対応が出来ていれば、これから先、仕事が殺到する位入ったであろうにと思うことでした。要は思い上がらないことだと思います。
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知事の後任に、橋下氏、東国原氏の名前が挙がっているようですが、片山氏も相応しいように思われます。人柄・頭脳・真摯さは抜群だと思うからです。肺腑の美しさが見てとれるのです。
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私は子供たちに『南洲翁遺訓』を教えている関係で、いろいろな所からお誘いがあります。でも、組織に、当人に、誠実さ、謙虚さ、節倹さがない人とは交流をしないことにしています。そのお蔭で三人の人が空手道の世界から去っていったのです。ボスの人相が悪いといって。
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私は荘内南洲会前理事長・小野寺先生と二十年位おつきあいして、指導を頂いて参りました。その間膨大なお手紙も頂戴しました。やがて、ご子息様の許可があれば、見て貰いたい人がいますのでご相談したいと思っています。それは人の生き方、人との対応技術等々を書いてくださっているからです。
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その素晴らしいお手紙を頂戴した手前、道に背く行為はしないと心に誓っています。もともとゼロの身ですから、失うものがないのです。
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皆さん、注目の人、知事様が心を入れ替えることができると思いますか、私はノーと申しあげたいと思います。
例えば、西郷隆盛に心を入れ替え、大久保みたいな人になれ、また逆に、大久保に心を入れ替え西郷隆盛みたいになれ、といった時になれると思うかということと同じだと思います。これは持って生まれてDNAと関係するからです。
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『臥牛菅実秀』(第254回)
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たとえば明治十一年の国立第六十七銀行の設立についても、戊辰戦争のときに軍事掛の詰所で烈しい言葉でやりあった春山安均(半内)と一緒に慎重に検討を重ね、彼の意見も充分に受け入れて設立に踏み切っているのである。そして一たび方向が決定すれば、和田光観が評したように『一躍、六尺屏風を飛びこえるような勢い』で邁進した。しかし、その邁進は決して実秀の独走ではなかった。決定した方針を実現するにふさわしい人材を選び、その人に思う存分に活躍させるのであった。
-----実秀はつねに方向の指示者であり、始動者であった。
今回の開墾事業も酒田県大参事松平親懐を総指揮者に立て、自分はそのそばに控えて、全体の気運をこの開墾に結集させることに努力していた。一方、酒田県政も実際面はほとんど山岸貞文(嘉左ヱ門)に担当させ、実秀は大参事松平を助けて、その基本線を示すだけであった。
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『農士道』(第530回)
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かかる考えから橘曙覧の獨楽吟を誦することは、又寂しい生活の中からも、眼さえあれば、床しい悦楽を汲み得るものであるということを知るよすがとなると思わるるので、其の幾首かを左に抄録することとする。
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楽しみは草のいほりの筵敷き ひとりこころを静めをる時
楽しみはすびつのもとにうち倒れ ゆすり起すも知らで寝し時
楽しみは妻子むつまじくうちつどひ 頭ならべて物をくふ時
楽しみは世の常ならぬ書に畫に うちひろげつつ見もてゆく時
楽しみは常に見なれぬ鳥の来て 軒遠からぬ樹に鳴きし時
楽しみはあき米櫃に米いでき 今一月はよしという時
楽しみはまれに魚煮て児等皆が うまうましとしひて喰う時
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善人の富める之れを賞と謂い、淫人の富める之れを殃(わざわ)いと謂う。『左伝』
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賞罰を行うならば、本人の善悪にかなった処置をなすべきである。よい人が富を得るのは本当の賞にあたるが、まちがって、よくない人が富んでくることになると、それはわざわいのもととなる。259
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【コメント】連日面白いニュースが飛び込んで来て、暇人は退屈しないと思います。今話題の知事様は淫人の部類に入るのでしょうか。
済んだことは仕方ないとして、この辺で本人が答弁している「真摯」「都民のために」という姿勢を踏襲しないと、やがて御子息に殃が飛び火するだろうと思います。俺は頭がいいのだと思い上がってはいけません。
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都民を、世の人々を愚弄するようなことをしてはならないと思います。物書きの方が「巻添物語」を書けば超ベステセラーになるでしょう。柳(仮名)さん、お書きになりませんか。このベストセラー作家は、書き過ぎて売れなかった為、日常買い物をするお金もないと週刊誌に掲載されていたやに記憶しています。
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どんな人でも歴史に残る悪者にはなりたくないでしょう。ならば真面目に人様の意見を聞きながら、ずるいことをしないで、日々を真面目に真摯に生きることが肝心だと思います。都知事の弁護をした第三者氏らは、苦情の電話が殺到して電話のコードを抜いてあるのだと昨日、報道されました。
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検事として世の悪を取締った経歴があるからといって、大上段に庶民を愚弄する言葉を使用するのは慎むべきだと思います。思い上がった過去の仕事で性がイビツになり仕事がなく、今回の仕事を引き受けることになったのでしょうか。
態度と言葉遣いに全く謙虚さが感じられませんでした。『南洲翁遺訓』を改竄しようとした御仁も過去の仕事が性格をイビツにしたのだという人がいましたが、本当なのかも知れません。
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先日の記者会見で、記者たちの質問に対して、謙虚な態度で、丁寧な言葉を遣い、質問者に名誉を与える対応が出来ていれば、これから先、仕事が殺到する位入ったであろうにと思うことでした。要は思い上がらないことだと思います。
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知事の後任に、橋下氏、東国原氏の名前が挙がっているようですが、片山氏も相応しいように思われます。人柄・頭脳・真摯さは抜群だと思うからです。肺腑の美しさが見てとれるのです。
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私は子供たちに『南洲翁遺訓』を教えている関係で、いろいろな所からお誘いがあります。でも、組織に、当人に、誠実さ、謙虚さ、節倹さがない人とは交流をしないことにしています。そのお蔭で三人の人が空手道の世界から去っていったのです。ボスの人相が悪いといって。
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私は荘内南洲会前理事長・小野寺先生と二十年位おつきあいして、指導を頂いて参りました。その間膨大なお手紙も頂戴しました。やがて、ご子息様の許可があれば、見て貰いたい人がいますのでご相談したいと思っています。それは人の生き方、人との対応技術等々を書いてくださっているからです。
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その素晴らしいお手紙を頂戴した手前、道に背く行為はしないと心に誓っています。もともとゼロの身ですから、失うものがないのです。
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皆さん、注目の人、知事様が心を入れ替えることができると思いますか、私はノーと申しあげたいと思います。
例えば、西郷隆盛に心を入れ替え、大久保みたいな人になれ、また逆に、大久保に心を入れ替え西郷隆盛みたいになれ、といった時になれると思うかということと同じだと思います。これは持って生まれてDNAと関係するからです。
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『臥牛菅実秀』(第254回)
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たとえば明治十一年の国立第六十七銀行の設立についても、戊辰戦争のときに軍事掛の詰所で烈しい言葉でやりあった春山安均(半内)と一緒に慎重に検討を重ね、彼の意見も充分に受け入れて設立に踏み切っているのである。そして一たび方向が決定すれば、和田光観が評したように『一躍、六尺屏風を飛びこえるような勢い』で邁進した。しかし、その邁進は決して実秀の独走ではなかった。決定した方針を実現するにふさわしい人材を選び、その人に思う存分に活躍させるのであった。
-----実秀はつねに方向の指示者であり、始動者であった。
今回の開墾事業も酒田県大参事松平親懐を総指揮者に立て、自分はそのそばに控えて、全体の気運をこの開墾に結集させることに努力していた。一方、酒田県政も実際面はほとんど山岸貞文(嘉左ヱ門)に担当させ、実秀は大参事松平を助けて、その基本線を示すだけであった。
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『農士道』(第530回)
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かかる考えから橘曙覧の獨楽吟を誦することは、又寂しい生活の中からも、眼さえあれば、床しい悦楽を汲み得るものであるということを知るよすがとなると思わるるので、其の幾首かを左に抄録することとする。
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楽しみは草のいほりの筵敷き ひとりこころを静めをる時
楽しみはすびつのもとにうち倒れ ゆすり起すも知らで寝し時
楽しみは妻子むつまじくうちつどひ 頭ならべて物をくふ時
楽しみは世の常ならぬ書に畫に うちひろげつつ見もてゆく時
楽しみは常に見なれぬ鳥の来て 軒遠からぬ樹に鳴きし時
楽しみはあき米櫃に米いでき 今一月はよしという時
楽しみはまれに魚煮て児等皆が うまうましとしひて喰う時
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