沖縄生活ぶらぶら歩き『首里金城大樋川で沢ガニ採りを見た』

2008年02月22日 00時05分22秒 | 沖縄現地情報

▲<今、首里は寒緋桜が満開です。>
沖縄もやっと、ここ3日くらい晴れてきました。
今日、2月21日の昼の温度は、21℃でした。
3週間ほど、良く雨が降りました。その時は、朝11.4℃という日もありました。
三線仲間が、「こんなに寒かったら、明日の朝は、魚が海で上がるので網を持ってすくいにいかないといけない」と言っていました。
事実、沖縄では10度を切ると、魚が仮死状態になり浮かんでくるそうです。
仮死状態なので、太陽があがり海水温度が上昇すると、魚は、生き返り泳ぎだすそうですが。

▲<「金城石畳」ちゅらさんのおばぁの家の前>
先日、晴れた時に首里の「金城の石畳」へ友人を連れて行った時、近所の子供が「金城大樋川」の水に入って、沢カニを採っていました。
本州では、雪が降っているのに、沖縄では晴れた日に水に入って「沢ガニ」採りです。
日本は広いですね。

幼稚園児くらいの「ニイニイ」が、二人の妹に自慢をしたくて、たくさん「沢ガニ」を採っていましたので、もうそれくらいにしてあげてねと言ってしまいました。

那覇ほろ酔いスージグワァー『カラオケスナック与論』②

2008年02月21日 00時05分13秒 | 沖縄現地情報

那覇の「桜坂・竜宮通り社交街」には、ユニークな店が多い。
その中でも、「スナック与論」の奥村ママは、秀逸です。
今回は、ママの名人芸を紹介します。
この店のカラオケは、大板のレーザーディスクです。カウンターの端にある3段棚に入っています。
一曲ごと、ママが棚から出します。ママには、高い所や遠い所は手が届きません。
でも、何かを使って瞬間に出してくれます。何を使っているのかとじーと見たら、ママのそばに掛けてあった、あるモノでした。
それは、ハンガーで、それがママの秘密兵器だったのでした。

肩の所を掴んで曲がった所を、ひょいとディスクケースの縁に引っ掛けて素早く取り出します。
その速さは、カメレオンがハエを取る時のようです。
それを見ようと皆で、見つめるとママは、恥ずかしがります。
その照れ方が、また可愛い。
▼<ママの「レーザーディスク」取り出しテクニックの連続写真です>



▲<何度かチャレンジして撮影出来た貴重な写真です。>


那覇ほろ酔いスジーグワァー『カラオケスナック与論』①

2008年02月20日 00時05分13秒 | 沖縄現地情報

▲<昨年の、夏頃の「与論」。今は、ペンキを塗って綺麗になっています。>
「竜宮通り社交街」へ、先日、ほろ酔い路地歩き(スジーグワァー)して来ました。
那覇市牧志3丁目にある「与論」へ久しぶりに行って来ました。
奥村ママは、今夜も一人で頑張っています。

▲<今夜も、奥村ママは元気です。>
先客(一人)が、「股旅もの」のカラオケをガンガン歌っていましたので、
私達は、楽しく聞きながら黒糖酒「喜界島のブラック」を飲んでいました。
途中、トイレに行って、壁に書いた文字に違和感があり、もう一度読見なおしました。

ピンで止めてた紙を持ち出して、ママに確認した。
「ママ、トイレットペーパーを流すなと書いてあるが、どういう意味だ?」
ママが、慌てず平然と答えた。
「忙しかったんで、途中で止めて貼ってしまったサー」「?!」。
私が、マジック借りて付け加えて、貼り直しておきました。

いつ行っても、楽しませてくれる与論のママです。


『漆喰シーサー造り』体験記②

2008年02月19日 00時05分13秒 | 沖縄現地情報

「漆喰シーサー造り」体験を、午前中に荒仕上げまで行い、昼食に30分早く出た。
昼食の1時間を使って乾燥させて、午後1時から全員で「仕上げ塗り」に入りました。
セメント含有割合の少ない、新しい漆喰が配布され、塗り重ねて最終段階の形成に入ります。

▲<左、指導中の奥村先生。右、熱心に造る人。>

「仕上げ塗り」の上に、金づちで割った瓦を下の歯と併せて約60個刺し付けました。
大きいモノは、漆喰を接着剤にして、落ちないように付けます。
一番大きいのは、「尻尾」にしました。二番目に大きいモノを「耳」に、形を見ながら使って行きます。

▲<子供に、結構人気のあった私の作品>
私が、一番早く仕上げたと思う。先生が来て、色を塗る事を勧めてくれました。
缶に入った絵の具を開けてくれて、塗り方を教えてくれました(仕上げ塗りは半乾きの状態で着色すると、フレスコ画と同様、半永久的に色褪せしないらしい)。
私が色を塗り始めると、皆が色を塗りをし始めた。色が揃っていなくて、とりあえず赤とネズミ、後で黒(墨汁)で縁取りをした(白色が欲しかったが無かった)。

みんなの作品を一通り拝見したが、ひとつとして同じものが無い!
先生も最初に言っていました。
子供も大人も楽しんで、最後には、それなりに何らかの形が出来るから不思議だ。
どんなものが出来るか、予想がつかない楽しみがあります。
私のようなユニークな形もあれば、立ち姿があったり、顔だけのモノがあったり、中城村中村家のシーサーを造る人など、様々で面白い。
私と同じテーブルの方は、じっくりと写実的なシーサーを造っていた。



15時に、早い人は「着彩」を、遅い人も「仕上げ塗り」を終えた。
持ち帰りたい人は、持ち帰って良いと話が出ました。
私は、車で行ったので助手席の足元の置いて、ゆっくり運転して持ち帰りました。
実は、事前にどんな大きさになるのかを聞いても、教えてくれなかったので、私は50㎝位のを造るつもりで、ゆいレールで行かずに車で行ったのでした。
大きさより、重さがこんなになるとは知らなかったので、車で行って正解でした(帰って測ったら、高さ30㎝、重さ約10kgでした)。

▲<自宅の窓際に鎮座した我が最初のシーサー。ストロボで目が光っています。>

『漆喰シーサー造り』体験記①

2008年02月18日 00時05分41秒 | 沖縄現地情報

▲<「沖縄県立博物・美術館」敷地内の沖縄古民家の「漆喰シーサー」>
2月17日(日)沖縄県立博物館体験学習教室第3回講座「しっくいシーサーをつくろう」に参加してきました。
時間は、9時~15時。最初に開校式および諸連絡があり、9時30分頃に、瓦を貰う。定員の50人が一斉に取るので、選ぶ余裕がない(この時に同時に小さなバケツに入った既に練り終わった漆喰が一人一つ配られる)。
この時に、取った瓦で自分が造る形が決まってしまう。

造り方の優しい順に、「ちぶる(手足が見えない坐り方)」「伏せ(頭を下に尻が上がっている)」「そんきょ(前足が伸び尻が下りている)」「四つ足(四本足で立つ)」。

▲<左、骨組の見本。右、奥原崇典先生の作品>
長い瓦を手に取らなかったので、私の造る形は「伏せ」になった。

▲<これがスタートの姿です>
瓦を組んで、形を整えてみる。ある程度の形が決まれば、漆喰を塗り始める。この時、針金で補強をする場合もある。私の場合は、針金は使わずに形が出来たので、その上に漆喰を塗り重ねて行った。

▲<下の歯を付けたが口の中や上唇に漆喰を塗る時に邪魔になり外す。>
形が単純なので、背中にたくさんの突起物を出す事と、下の歯を鋭くする事を考えて、瓦を細かく割り、とんがった形を集めた。

▲<左、第一回目(荒付け)の漆喰を塗り終わる。右、耳を付ける。まだ尻尾は付いていない。>
※「荒付け」は、セメントの配合が、多く「仕上げ塗り」前の基礎塗りの役割です。
⇒次回は、「仕上げ塗り」「着彩」「完成」です。



『茶処真壁ちなー』探訪記

2008年02月17日 00時05分46秒 | 沖縄現地情報

冬の小春日和に(昼の気温は、17~18度)、沖縄本島南部糸満市真壁にある登録有形文化財建造物登録(築117年の民家である)の「真壁ちなー」へ行って来ました。築100年以上の沖縄民家が、綺麗な保存状態で喫茶店として活用されています。

▲<南側一番奥から、入口を望む。左奥が上り口。中央奥が厨房です。>
入口から一番奥が、掛け軸や三線を飾っている「一番座」です。
<私は、「一番座」でコーヒーを頂きました>
「二番座」は、壁一面に仏壇が入っていて、先祖の位牌を祀る部屋です。
<「二番座」>
一番手前の部屋は、「台所(トゥングワ)」で、店の厨房になっています。
各部屋の裏(北側)に「裏座」と呼ばれる家人の寝室や居間があります。
建物の外には、北西には、「フール(豚小屋+便所)」があり、井戸、納屋(家畜小屋)がありました。
屋根は昨年、瓦が葺き替えられ新しくなっていたが、風情のある美しい屋根です。

一番座と二番座が客用です。少し大きな畳の8畳が襖(ふすま)を取り払われて、二間続きになっているので、何とも言えないゆったりとした空間になっていています。
一番座裏の「裏座」には、この日から出された「ひな人形」が出ていました。

沖縄の南部地区(一番戦いが激しかった)にあって、戦争の空襲や火災から逃れ、焼滅していない事が奇跡と思います。事実、柱には弾跡が生々しく残っていました。

食事をした後だったので、コーヒーを頂いて、小1時間過ごさせて頂きました。
古い残った民家を文化財として保存つつ、一般の人に、手入れの一届いた状態を見見せて頂ける。貴重な文化財を形式保存するのではない、有効活用した稀な成功例だと思います(建設資材が少ない沖縄本島で、100数年前に、これでだけの建築物が造れた事が観れる貴重な文化遺産です)。
「ひめゆりの塔」から、車で約10分程度ですから、近くに行った際は、是非、立ち寄ってみて下さい。

『真壁ちなー』沖縄県糸満市真壁223 ℡098-997-3207(定休日は、水曜日)

『玉城焼窯元』見学記

2008年02月16日 00時05分00秒 | 沖縄現地情報

沖縄本島南部玉城村(たまぐすくそん)には、焼き物工房が数軒あります。その一軒「玉城焼窯元」が、宮本亜門邸に行く途中にあります。

感じの良い民家風の販売所に入って作品を見ていたら、3年くらい前に買った「三線を弾くシーサー」と、よく似たものが目に付いた。


<私の家の「三線を弾くシーサー」>
眺めていたら、店の方が、作者の「稲福哲雄」さんが、向いの工房で仕事をしていると教えてくれ、入ってもかまわないと言われたので、仕事中の工房へ入れて頂いた。

▲<当日は、ビアグラスを創っていました>
工房の中は、ご本人とお弟子さんの2人で仕事を行っていました。

お弟子さんの創っている「泡盛を抱くシーサー」は、一日に40点作成との事でした。
稲福哲雄さんは、仕事中にもかかわらず話をしてくれました。

帰って調べたら、稲福哲雄さんは、京都に修業に行きその後、地元に帰り父親がやっていた豚小屋を改良して工房にしたらしい。

「浜の茶屋」のオーナーは、実兄らしい。

ともに楽器を奏でるようで、プロのミュージシャンとして演奏しているとの事でした(兄の信吉さんは、トランペットで、哲雄さんはサックスのようだ)。

『玉城焼』沖縄県玉城村字玉城90-4 ℡098-949-7696

『カフェくるくま』探訪記

2008年02月15日 00時05分13秒 | 沖縄現地情報
以前から気になっていた、沖縄県南城市知念にある「カフェくるくま」《地元誌ローケーションカフェ2006年度NO1》へ行って来ました。
昨年の9月に現地に行ったが探せず、同じ敷地内の「夢可視館(むかしかん)」と「縄文ヤードゥイ」を、訪問してアイスクリームを食べて帰った事があった。
道路をはさんだ反対側にあるのは、㈱仲善本社だけと思ってたら、その右奥に探していた「くるくま」があった事を帰ってから知ったのでした。

▲<当日は、曇り時々晴れ強風でした。>
今度は。間違いなく行けました。12時過ぎに着き、小雨だったのでレストラン中で食事をしました。
食事が終った頃、雨も止んだので外のデッキへ出てみました。
左奥に「久高島」が望め、太平洋が180度見えるスケールの大きい景色に感動しました。
<ガーデンの片隅にあったシーサー>
食事は、本格的なタイ料理です。今回は、昼時だったのでカレーランチ(ドリンク付き1000円)があったので、a.激辛の「台風カレー」と、b.中辛の「インドネシア風カレー」と、c.甘味の「タイ風カレー(チキン照り焼き付き)」の3種類の中から、中辛の「インドネシア風カレー」を選びました。
※写真を撮るのを忘れて、食べてしまいました(味が濃くて美味しいかったが、油で胃が持たれた)。
<「ガーデンハウスの中にあった売り物のシーサー>
レストラン館以外には、「ガーデンハウス」(骨董品と貝とタイ国の焼物の販売)があり、珍しい貝が安かった。
「くるくまショップ」には、㈱仲善の製品(ノニジュース、ウコン等々・・)が、ありました。
私は、沖縄の音楽コーナにあった「島唄の風」15曲入り(涙そうそう:夏川りみ、島唄2002:THEBOON、さとうきび畑:森山良子、島人の宝:BEGIN、てぃんさぐの花:Kiroro、芭蕉布:夏川りみ、童神:古謝美佐子など)を、2500円を購入しました(好きな曲が、15曲中9曲もあり、私的にはお買い得でした)。

アジアン・ハーブレストラン『くるくま』沖縄県南城市知念1190 ℡098-949-1189(定休日は、火曜日)


『バー・サンシャイン』探訪記

2008年02月14日 00時05分24秒 | 沖縄現地情報
那覇市久茂地にある「バー・サンシャイン」(マスター:伊波興治)に行って来ました。
店に行くのは、初めてです。昨年11月19日に「沖縄都ホテル」で行われた「泡盛学キックオフシンポジウム」に参加した時、泡盛マイスター協会副会長として伊波興治さんに、交琉会の会場でお会いしました。その時から、一度実際に店に行ってもう少し話をしたいと思っていたのです。

▲<泡盛はもちろん。ウイスキーなどお酒全般の知識・飲み方は半端なものではない。40代後半とお聞きしたが、本当のお酒のマイスターです。>
伊波さん曰く、「泡盛は瓶でも時間が経過すれば、古酒(クース)になる。同じブランドでも違った古酒になる。しかも直ぐ飲むのではなく、時間の経過で香りが変化し、泡盛なのにウイスキーと間違えるような銘柄もある。」と、言うような事を実際に、グラスに少し入れて、香りを嗅いだり試し飲みをさせてくれた。

▲<このグラスで、泡盛の香りの違いと時間の経過で変化する事を教えて頂きました。>
店内には、色んな泡盛があり、時間の経過した商品(販売店に出てから売れないで寝ていた商品や廃番モノなど)をさらに店で寝かしていたりしていて、本当にこの人はお酒(実際にウィスキーも寝かしていた)が好きなんだなぁと思いました。

▲<通路にさりげなく貼ってあった、年代物の寿屋(サントリー)のポスター。>
私は、仲間と話をする為にバーを使うが、今回のように酒の飲み方や味わい方を聞きながら酒への知識を深めるのも良いと思った。
達人(マイスター)の話を聞きながら、量を飲んで酔うのではなく、良い酒をじっくり、味わいながら酔うという飲み方をする年齢になって来たのだろうかと、思った夜でした。
『バー・サンシャイン』那覇市久茂地2-14-21 ℡098-868-5851(全国出張も多いと聞く、まず電話で確認してから行ってください)

『月桃庵』探訪記

2008年02月13日 00時05分00秒 | 沖縄現地情報

▲<路地の少し左奥に玄関があります>
以前、夏の頃、那覇市内「那覇高校」東側の道を歩いていた時に、路地奥に高そうなお店が、ちらりと見えどんな店か気になっていました。
2週間ほど前、仕事中だったのでパンフレットを入手して、夜のコース(3000~5000円)などの内容をおかみさんに聞いて帰った。


▲<庭には、月桃はもちろん色んな草花が植えられて、目を楽しませてくれます。>
昔ながらの健康食材を使い、伝統的な沖縄料理を中心に和洋を取り入れたお母さん(アンマー)手料理との事でした。
建物は、戦後の1953年、大宜味村の宮大工が造った沖縄の伝統家屋そうです。

▲<写真は、5000円のコース料理です。>
早速、東京から友人が来たので、2月7日の夜、4000円のコースで使いました。
本当に一般住宅に招かれて、居間で食事を頂くような感じでコース料理を、タイミング良く、温かい料理は温かい状態で食べる事が出来ました。

▲<一番広い部屋です>
一組一室使用なので相部屋にはしない考え方で、当日は、私たちを入れて2組だったが、顔を合わせずしまいだった。

▲<テーブル席の部屋もあります>
7時から10時位まで、食事をしながらゆっくりと会話を楽しめました。

▲<私達が食事した部屋です>
途中、女将の玉城さんに「テビチ」の作り方を教えて頂きながらお話しをする機会があり、本当に「玉城家」に招かれたような食事会でした。
 ▲<一品料理もあります>
私は、夜のコースから使いましたが、夜のコースから入るのはちょっとと思う方は、昼の「日替り御膳」から入った方が良い。
土日・祝日を除く11:30~14:30でやっています。
特に、近くのOLさんなどは、日替り御膳を体験して、上司に「接待や特別な日用」に、教えると上司に一目置かれますよ。

『月桃庵』那覇市松尾2-16-49 ℡098-863-1412(夜は、完全予約制・定休日は日曜日)
※室内&食事の写真は、一部パンフレットのものを使用しました(食べている時の写真がありますが、同席者が写っているもので、出せませんでした)。

『第26回小禄南公民館祭り』参加記②

2008年02月12日 00時05分58秒 | 沖縄現地情報

11月に、2年くらいしてから三線で何曲か弾ればいいなぁと思い軽い気持ちで、自宅近くの「公民館」で、活動している「三線サークル(会名:ロハス、授業料・テキスト代:無料)」に入会した。

ひと月くらい経った頃に、年明け2月の「公民館祭り」で発表する演目の練習に切り替わった。私は「公民館祭り」は、見学と思ってたら、リダーから舞台に上がるように言われた(そんなの聞いてないよ!)。そして、あっという間に本番の日が来ました。

▲<「渡りぞう滝落し」演奏中、必死に譜面を見ていて、顔が最後まで下向きです。>
本番では、「渡りぞう滝落し」は、高いキー(胴に近い弦)に入った途端、みんなのペースについて行けず、ボロボロの状態で終わった。
「ひやみかち節」は、唄をなんとか沖縄口(完全な方言です)が、ぎりぎり間違わずに6番まで唄えた(ふーっ)。


▲<まだ弾けないので、三線を横に置いて「ひやみかち節」を唄っています。ボーカルのみで、ザ・タイガースならジュリーの役処です。>

1時から始まった「発表会」は、4時に終わり片付けを手伝ました。
5時にいったん家に三線を置きに帰り、再度6時からの懇親会に参加しました。
参加者は、サークル出演者を中心に、公民館の職員を入れて約60人。
地元の方に混じり、7時半まで参加しました(ビンゴゲームで「黒砂糖」の箱入りを頂きました)。

▲<公民館が用意してくれた慰労会のオリオンビールとおつまみ。テーブルが6つあり。さすがに島酒(泡盛)は、出なかった。>
後で聞いて解ったのですが、私の前に入った人は、昨年の「公民館祭り」を見てから、我がサークルに入会したとの事でした(完全に弾き切っているので、数年弾いている人と思っていた)。来年の「公民館祭り」には、私もどの位の腕になっているか楽しみです。

※「沖縄移住」を長く続けられるポイントは、地元の人とどれだけ人間関係を続けられるかに掛かっていると、私は思っています。
地元の方と、どれだけ遊べるか、遊んでもらえるかが重要です(特に、リタイヤした方は深刻なテーマです)。

▲<最後は、やっぱり「カチャシー」。>
沖縄に知り合いを持っていない人は、是非、公民館を覗いて見て下さい。沢山のサークルがあり、参加費も月額ゼロ~2000円程度です。
どのサークルも、心良く入会をさせてくれます。そこから「沖縄移住成功への道」が見えてくると思います。

『第26回小禄南公民館祭り』参加記①

2008年02月11日 00時05分07秒 | 沖縄現地情報

2月9~10日に「小禄南公民館祭り」が行われた。
9日は、バザーやサークルの展示、お話し会、映画上映、ダンスパーティが催されました。10日は、サークルの発表会がありました。

私は、沖縄に来たのだから「三線(さんしん)」くらいは弾けるようになりたい。2年くらいかけてやれば、2~3曲くらいは弾けるようになればいいなぁと、思い11月から、自宅近くの「小禄南公民館」で、水曜の夜に行われている「三線の会(ロハス)」に入会して、毎週19:00~21:00練習をしていました。

リーダーは、沖縄生活歴約30年の宮城県出身者。メンバーの人数は6~7名。メンバーの半数は、本土出身者。会は活動して約4年らしい。

2月に発表会があるとは知らずに入会し、今回は見学と思っていましたら、リーダーから発表会に参加をさせられて、舞台に上がりました。
発表会の演目は、「渡りぞう滝落し」と「ひやみかち節」です。

何とか「渡りぞう滝落し」は、付いて弾けるレベルになりましたが、「ひやみかち節」は、エイサーの早調子(速弾き)でその上、短めに速く弾くと所が多く、3ヶ月の技術ではまったく付いて行けず、最初から唄だけの参加で許して頂いた。

やるしかないかと、腹をくくっていましたが、ひと月くらい前からプレッシャーが出始めて、ドキドキしていると、あっという間に発表日を迎えた次第。

※写真は、2月10日の「発表会」他グループの様子です。
⇒次回に、本番の状況を報告します。

豊見城市 民俗文化財巡り(24)『金良地区』

2008年02月10日 00時05分13秒 | 沖縄現地情報

▲<金良公民館>

豊見城市金良(かねら)地区は、豊見城市の東端に位置し、長堂地区の南側に隣接してます。「南部農林高校」の前の道を南下すると、そのままで金良地区へ入れます。
今回は、「長嶺之嶽」を巡った後、嘉数側から入りました。「良長園」の前道路を下った三叉路が、金良地区の西入口になります。
その三叉路には、「ニシンダウタキ」「ニシンダガー」が有る筈なので車を置いて探すが、森があるのみで入れる状況ではない。
向いにあった商店に入って聞いたら、おばぁ3名の中で一人の方が案内してあげると言って頂き後を付いて歩く。
「メーヌカー」と「ウブガー」を案内して頂いたが、「ウブガー」は駐車場になっていた(ありがとうございました)。

▲<左「メヌーカー」の傍にあった拝所。右「メーヌカー」>
<住宅地の三叉路中央にあった共同井戸(名前不明)>
地区内を歩いても、何一つ解らないので、「金良公民館」へ聞きに行く。
しかし、締まっていた。諦めかけて、公民館前の道に立って、南側の公園を覗くと、そこが「金良地区共同拝所」だった。
この地区の拝所・井戸は、すべてここ祀られていました(拝所移転の日付は、昭和62年5月17日となっていました)。






⇒豊見城市の東端に位置する「金良地区」は、隣接する八重瀬町の雰囲気に近く、地域性が強いと思いました。新しく移住した人が直ぐに入るような地区では無いと思われます。

これで、豊見城市の22地区をすべて回りました。
豊見城市は、歴史の古い史跡も多く、かつ南西部埋立地の商業地域の発展など、変化が激しい地区と変化が少ない農業地域に分かれます。
全体的には、地域性が強い農業・養豚・漁業従事者の住居地域です。
文化財巡りをしていて、沢山の方に場所を教えて頂きました。
再度、感謝申し上げます。
また、市の名前にもなっている「豊見城(とよみぐすく)跡」が、民間の手に渡り立ち入りも出来ない状態になっていたとは驚きでした。
今後、那覇に隣接している一部の地区は、那覇のベットタウンとして、人口流入が続くと思われます。
移住者の場合は、那覇市隣接地の新しい賃貸マンションから始めるのが良いと思います。特に、豊崎・宜保地区の、賃貸マンションはお勧めです。その時は、車が必需品になります。近々、「高速道路那覇空港線」が開通しますので、素晴らしく交通の便が良くなり、不動産価値が高くなると思われるます(家賃も高くなる)。
地味な、ブログを最後までお付き合い頂きありがとうございました。


豊見城市 民俗文化財巡り(23)『長堂地区』④

2008年02月09日 00時05分18秒 | 沖縄現地情報

▲<「カニステル」が、たわわに実っていた家。> 

二日後、再度、長堂へ行く。先日、宮城さんの写真を撮ったので、プリントをしたものとお礼の手紙を持って出た。最初に、長堂公民館に車を止めて宮城さんの家を探そうと思ったら、公民館が開いていて、宮城さんがお客さんと話をしていたのが見えたので、入って行って手渡しする事が出来た。

▲<「志屋嶽之殿」のあるだろうと思われる所に咲いていた花。>
その後一人で、先日撮り漏らした「ジトーガー」や民家を数点撮影し、南西の端にある「志屋嶽之殿」「サンミガー」へ行くが特別養護老人施設の「良長園」の入口付近にあるはずが、それと思える山道を下まで降りて探してもなかった。

次は、北西の端にある「長嶺之嶽」「ヒージャーガー」を探しに行く。嘉数側から入るが、「つぼみ幼稚園」の奥に標識が立っていた。

▲<かわいい「つぼみ幼稚園」の建物>

▲<嘉数地区から見える長嶺城跡西側の姿。>
嘉数側からは、10m位の森にしか見えないが、長堂からは、200m位の立派な山です。暗い森の奥に、ブロックを積んだ階段がありました。
それを降りて右カーブになった道の途中に「長嶺之嶽」がありました。さらに奥へ進んだ突き当りに右手に「ヒージャーガー」がありました。
大きな木の枝の様子や、ガーが口に見え少し怖い状況でした。



▲<左「長嶺之嶽」。右「ヒージャーガー」黒い木の枝振りが怖い。>

▲<「ヒージャーガー」怪獣が口を開いたように見えて怖い。>



「つぼみ幼稚園」南側の住宅地に「ヒヌカンガー」「サチブルガー」があるはずでしたが、こちらも周囲を探しても見つけられなかった。
これで、長堂地区は終了して、南隣りにある「金良地区」へ行きます。

⇒長堂地区は、住宅は公民館の周囲に集中していて、まとまった美しい民家がある街区です。ゆるやかな南側斜面で、日当たりも良く住み易そうな感じがしました。しかし、他所からの移住は難しそうです(しかし、カーは小規模でしたが美しい水が溜まっている所が多かった)。

豊見城市 民俗文化財巡り(23)『長堂地区』③

2008年02月08日 00時05分55秒 | 沖縄現地情報

▲<住宅の垣根に咲いていた「ベンガルヤハズカズラ」つる性なので、玄関上のアーチなどに這わせて垂れ下げたりしています。>

宮城さんに、「長堂の中心住宅街」を一通り案内して頂いた後、公民館へ行き中に入れて頂く。
そこで宮城さん作成の「長堂井泉表」(長堂地区には延べ13の井泉があった!)を拝見し、缶コーヒーを頂きながら、色んな話をお聞きする。

▲<公民館の事務所で、話をして下さった宮城さん。>
宮城さんは、昭和13生まれで沖縄大戦時は、7歳で家族と長堂から本当の南端「摩文仁(まぶみ)」まで逃げ、ガマに隠れていたところ、日本語によるアメリカ軍の呼びかけで、ガマから出て命が助かった。生々しい、戦争中の話までお聞きかせて頂いた。

その後、宮城さんの案内により、最初探せなかった「ニービガー」は、公民館の一本南側の道を北に少し歩いたビニールハウスが3棟ある家の裏にありました。宮城さんが、住んでいる方に、お断りをして頂いたので見る事が出来ました。(ここも、一人では絶対に探せなかった)。

▲<「ニービガー」井戸の上には、普段は落ち葉防止のシートが掛けられている。>

長堂地区は、一人で探せば間違いなく「ジトーガー」と「トーヌガー」しか探せなかっただろうと思います。
 <綺麗な玄関のお家>
雨が強くなって来たので、「長嶺之嶽」と「志屋嶽之殿」の見学を残してお別れをした。

⇒次回は、後日に行った。地区外周にある「志屋嶽之殿」「長嶺之嶽」を探しに行った時の話です。