「オバアは、喜劇の女王 仲田幸子 沖縄芝居に生きる」

2010年03月25日 00時05分00秒 | 沖縄現地情報

3月23日、那覇市「桜坂劇場」にて、「仲田幸子」のドキメンタリー映画が上映された(それも無料だった)。訳は、第二回沖縄国際映画祭の特別上映作品(沖縄映画特集)だった。
仲田幸子ファンの私としては、見過ごせない!

仕事があり、直前にしか入れなかったので、妻に数時間前に整理券を入手してもらい、51番の整理券で無事入場出来た。

仲田幸子さんは現在、76歳(12歳から舞台に立ったので芸歴64年)だが、娘と孫で構成されている「でいご座」の現役座長である。

▲<庶民派の仲田幸子さんは、自家用のスズキ(軽四)で劇場へいらっしゃった。>

出馬監督が、彼女を3年間追いかけて約90分のドキメンタリー作品になった。

▲<上映前の「舞台挨拶」は、大爆笑!ゴリも駆け付けた。>

▲<左から、監督の出馬康成氏、仲田まさえ(孫・女優)、仲田幸子、ゴリ>

古い出演記録(TV放映や写真)も挿入され、若き幸子さんも観れた。
両親をほとんど知らないで育ち、沖縄戦にも遭遇し九死に一生を得たり、辛い事が多かった人生だろうが、底抜けに明るい仲田幸子の芝居を観ていると、仲田幸子さんを観られる幸運だ(沖縄移住の大収穫です)。

彼女の言葉「生きてる限りは、死なないでおこうね」が印象深かった。

▲<「ゆいレール」車内の第2回沖縄国際映画祭告知ポスター。3.20~3.28>

「ハート・ロッカー」

2010年03月23日 00時05分00秒 | 沖縄現地情報

◎3月22日(映画夫婦の日)に、北谷まで行き、第82回アカデミー賞6部門受賞作品の「ハート・ロッカー」を観てきました。

イラク戦争(2004年頃)の「爆弾処理班」をモチーフにした骨太な映画です。
よくあるドンパチの戦争映画ではなく「戦争下の人間」を報道のような手法で描き、最初から最後までその場にいるような緊張感が続く臨場感いっぱいの作品です。

「爆弾処理班」の恐怖と緊張が、人間が極限状態まで追いこまれたら、現実の世界がどれだけ希薄な生き方をしているかを実感させる。

アカデミー賞史上初の女性監督「キャスリン・ビグロー」の緻密な作品創り(出演者をあえて有名俳優にしない事で、いつ死ぬかと、最後まで観客をハラハラさせた)は、さすがだと思った(しかも、制作費は1,100万ドルとの事)。

観客に映画という事を忘れるノンストップの131分にどれだけ耐えられるか?

「沖縄の土」

2010年03月22日 00時05分00秒 | 沖縄現地情報

▲<国頭マージの「奥ヤンバルの里」>

◎3月21日は、沖縄も「黄砂」がたくさん飛来していました。太陽は出ていましたがどんよりとした太陽でした。春の甲子園では、沖縄県から2校出場していますが、初日第2戦で「嘉手納高校」が敗退しました・・・。

一昨日、沖縄協同病院へ行った時、置いてあった広報誌のコラムに「沖縄の自然⑥沖縄の土」というコラムがあった。解りやすく書いてあったので抜粋にて紹介します。

▲<左、国頭マージの「大宜味村オクラレルカの花畑」。右「今帰仁の葡萄園」>

沖縄本島の土は、大まかに国頭マージが6割、島尻マージ3割、ジャーガル1割に分けられる(※マージとは、「赤土」のことです)。
地域によって壌土の性質は異なる。
国頭マージは【酸性】(地域は最北端の国頭村・名護市~沖縄市まで)。
島尻マージは【弱アルカリ性】(読谷・うるま市・宜野湾・南城市・糸満市・)。
ジャーガルは【アルカリ性】(那覇市・中頭郡・与那原・南風原町・八重瀬町・豊見城市)。

▲<「やんばる」の海岸部は、島尻マージ。「本部町新里の菊畑」>
酸性を好む「パイナップル」は、南部では育たない。
アジサイの花は、酸性土壌の北部では青くなり、南部では赤くなる。
マンゴーなどの熱帯果実や柑橘類は、どこでも出来るが国頭マージの方が糖度が高くなる。

▲<南部南城市の島尻マージ。左「玉城百名受水走水の水田」、右「玉城垣花樋川のクレソン畑」>
近年、マンゴーやギーヤー等、沖縄の特産物が県外物に押され気味だが、沖縄の土壌で育てた農作物は、県外産よりもカルシウムや鉄分、カリウムといったミネラル分が多く含まれているのでもっと差別化をして巻き返しを図ろう(とよみ生協病院事務課長金城稲子氏)。

「サガリバナ」の下草刈りに参加してきました。

2010年03月20日 20時00分00秒 | 沖縄現地情報

▲<下草の「ギンネム」に覆われて「サガリバナ」が枯れる原因になっていた。地肌が出て「サガリバナ」も気持ちよさそう>※「ギンネム」は、世界の侵略的外来種ワースト100リストの1種。

3月20日に、那覇市の国場川右岸河川敷に植樹されている「サガリバナ」に対して「NPOおきなわ環境クラブ(OEC)」主催で、追肥&下草刈りの作業活動がありました。これまで、国場川河口域で「Myキーフジ(サガリバナの方言)作戦」を行ってきました。

NPOOECは、今まで約1,000本のサガリバナを植樹してきましたが、年数を経るにしたがって、立派に花を付けているのもあれば、枯死しているものが出てきたので、下草刈りと追肥作業日を3月20日の10時~12時に行う事を決めました。
この事を地元新聞の記事で見つけ、早速参加した次第です。

私は、沖縄の花で、「サガリバナ」が大好きです。
サガリバナは、西表島のマングローブの中に育成し、花が夏~秋にかけて夜に咲き、朝の太陽を浴びると落下し、引き潮で流れ海に出てくる。
花は、バニラの香りがする独特の熱帯花で、那覇市内でも、数カ所で見る事が出来る。

今回この事で、国場川漫湖公園の河川敷に植えられている事を初めて知った。

▲<雑草防止用に今日植えた。左「ハマユウ」、右「ボタンボウフウ」>

▲<左「グンバイヒルガオ」、右「サガリバナ」の奥は「マンブローブ」>
「NPO沖縄環境クラブ」さんは、2カ月に一度のサイクルで環境保全活動を行っている。
将来的に、夏の夜に「サガリバナ並木」で花見が出来るように考えているようです。
※参加した人の希望者に「サガリバナ」をひと株くれましたので喜んで頂いて帰りました。

沖縄は、もうすぐ夏です。

2010年03月19日 19時00分00秒 | 沖縄現地情報

今日(3月19日)は、すこぶる良い天気でした。
11~13時頃は、雲もなく夏近しという日差しでした。

▲<観葉植物の花>
今日の気温は、24度(体感は26度くらいだった)。
11時~13時まで、東側のベランダから南側のベランダへ移動して、Tシャツ&短パン姿で日光浴をしながら読書をしていました。

▲<オーストラリア原産の「マキバブラシ」>
読んだ本は、「人と企業の価値を高めるヒント」大久保寛司著でした。

▲<「オオハマボウ」レモン色の花が青空に良く映える。沖縄の方言では「ユーナ」と呼ばれ人気のある花です。>
明日は、沖縄で一番早い「海開き(石垣島)」の日です。

マンゴーの花が満開です。

2010年03月18日 20時00分00秒 | 沖縄現地情報

今日(3月18日)天気が良かったので、久し振りに、徒歩20分くらいにある「スカイスポーツ」へ歩いて行った。

途中の道際に出ている「マンゴー」が、花を満開にさせていた。



▲<3軒の庭先のマンゴー、これから3ヶ月くらいかけて結実し、早いモノは7月頃に熟す。>

約3年歩いていた道で、すごく派手な「ハーレー」を発見した!
バイク屋がある事は解っていたが、こんなにすごいモノが店先に置いてある事は知らなかった。
オーナーに、聞くと1980年代の物らしい。

▲<オーナーの趣味で、サイドカーの先には「金色の弥勒像&金の鯱ほこ」が取り付けられていた>

街は、歩かないと新しい発見が出来ないと実感した日だった。

今年初めて、確定申告を電子申告で行いました。

2010年03月16日 00時05分00秒 | 沖縄現地情報

▲<電子申告用には欠かせない「e-Tax用公的個人認証カードリーダー」2,480円也>

今年の確定申告は、早々と済ませ、3月15日は悠然と過ごせた。
今年初めて、税務署の申告窓口に出向かないで「電子申告」で確定申告を行ったからだ。
毎年、2月下旬から3月上旬は、確定申告で落ち着けなかった。
窓口申告は、東京都と比較して那覇市はそんなに混まないが、それでも待たされる2時間はかかる。

今年は、2月24日に『電子申告』を行ったので、3月12日に「国税還付金振込通知」が来ていた(さすがに速かった)。

でも、終わるまでが大変だった。

まず、1月下旬に「住民基本台帳カード」(500円)を家の近くにある市役所の出張所へ申請に行ったら、本庁であれば、その日に貰えると言われ、日を改め、遠くになった「那覇市役所新都心仮庁舎」へ行く。有料だったがその日に入手出来た。
後日、豊見城市にある「ヤマダ電機」に行き、「e-Tax用公的個人認証カードリーダー」(2,480円)を購入。

2月の中旬に、一人で深夜にやったが届いていなかった(最後までやらなかった事が要因)。
でも、順序に従ってやれば、そんなに難しくなく私でもやれた(書類の保存がポイント)。
自動計算が嬉しい(マス目に入力さえすれば、計算間違いなく自動計算してくれる)。
事前に、内訳明細別に仕分けして計算しておけば、入力は簡単に出来る。
再度、2月24日の深夜に送ったが、どうも頼りなくて、2月26日に「那覇税務署」に電話で届いたかを確認し、届いていたのでやっと安心して終わった。

※「e-Tax用公的個人認証カードリーダー」を購入して確定申告をした初年度は、5,000円の控除があると書いてあったので、期待して申告用紙に入力したが、マイナス5,000円にならないので、申告後、到着を電話確認した際、税務所の担当官に確認したら冷たく、「利益が出ていない方は、控除が出来ません」と言われガックリ!

沖縄今季最低気温記録!でも7.3度(3月10日)。

2010年03月11日 10時00分00秒 | 沖縄現地情報

▲<3月6日の温かかった時の朝の風景>

昨日の3月10日は、朝から雨は止んでいたが、強風の北風が冷たかった。

明け方よりも昼にかけて、さらに冷え込み今季の最低気温(那覇市9.7度)を記録した模様。
私も、10時に新都心おもろまちにある「沖縄県キャリアセンター」に、講師で出かけて行ったが、すでに納めていた冬物スーツを出して着て行った。

仕事が終わり13時頃に外に出たら、吹きすさぶ風は冷たくて、野外で弁当を売る女性達が、可哀そうだった。

沖縄気象台の報告によると、渡嘉敷島で午前10時53分に7.3度、国頭村奥で7.5度、南城市玉城糸数で7.8度を観測した。それらの3か所を含む県内14観測所で今季の最低気温を記録したと琉球新報で報じていた。
※渡嘉敷島の魚は、仮死状態になりって浮いて来たのだろうか・・・。

今日(3月11日)は、午後から快晴になり沖縄本島中南部は、18度まで上がる予想が出ている。


北風と南風が闘っている。

2010年03月10日 00時05分00秒 | 沖縄現地情報
今の時期の那覇は、天候が猫の目のように変わる。
2月の下旬~3月の第一週は、26度。
夏になったと思ったら、3月9日は、16度。
突然、冬に逆戻りして急激に冷え込み、風雨が強く台風のようです。

▲<花弁が大きくて美しい「フイリソウシンカ」(3月1日、那覇バスターミナル)付近>

沖縄は、北風(ニシカジ)が吹くと寒くなり、南風(フェーカジ)が吹けば暖かくなる。

▲<デイゴに間違われる「カエンボク(火炎木)」花がチューリップに似ているので、アフリカンチューリップとも呼ばれる(3月1日、旧那覇市役所前)>

3月上旬は、北風と南風が闘っている状態。
3月中旬を過ぎると、南風が勝ち初夏のような「うりずん」の季節となる。

▲<花だけが先に咲き黄色が空に映える「コガネノウゼン」沖縄では「イペー」と呼ばれる。ピンク色が本来のイペーである(3月3日、小禄)>

そして、旧歴3月3日(今年は新暦の4月16日)は、春の大潮で昼に潮が大きく引き、普段見えない海底が出て珊瑚礁の海水もぬるみ、女性の厄払いの「浜下り」行事が行われるが。その頃は、初夏を通りこして真夏の気候だろう。
昨年の浜下りは、新暦の3月29日だったので、昨年の方が沖縄の初夏の行事らしい。

▲<落ちていた花を見て、大きな椿か?と思えるような「キワタノキ」葉が無く見た時に異様に感じた(3月5日、久米 福州園>



古民家会2月例会

2010年03月09日 00時05分00秒 | 沖縄現地情報


少し前、2月26日に南風原町大名にある古民家食堂(こみやしょくどう)の「古民家会2月例会の参加報告」です(1月の例会を欠席したので今年初めての参加)。

夜19時から始まるので、自宅を18時20分位に出て、ゆいレールに乗り「赤嶺」~「首里」へ(首里駅から徒歩で15分)。

今日の料理は、「寄せ鍋」と「鮎の囲炉裏焼き」。あとは「刺身の5点盛」と「小魚の唐揚」が出てきた(新潟の古民家だけに鍋料理です。しかし、当日の那覇は、2月としては温かい25~22度でした)。

今回も新しい人が、1名参加されていました。
19時から開始でしたが、高良さんと友利さんは、すでにお酒を飲んでいました。

▲<「鮎の塩焼き」囲炉裏の炭火で焼く結構時間がかかった。仕上げに炭に近づけて焦げ目をつけている。>

▲<芯までよく焼いたので、頭からすべてきれいに食べれました。>

窓を開けて、鍋料理を食べていたら、20時くらいから豪雨になり、あわてて窓を閉めた。雨は、家に着いた23時過ぎなっても止まなかった(まったく夏の集中豪雨だった)。


2010年の「じゅり馬」 後篇【奉納演舞】

2010年03月08日 00時05分00秒 | 沖縄現地情報

▲<部屋の奥には、祭壇があり「弥勒(ミルク)」と「獅子」が飾られていた>

今年は、奉納演舞の舞台が設営されて無く、奉納の「じゅり馬演舞」は、今日の15時30分から、「(財)辻新思会4階」で行うと、舞台上の看板に書かれていた。

例年、神事と奉納演舞は2日に分けて行われいる。
今年は、看板の内容から関係者だけで行うと思って、神事が終わったら帰ろうと思っていた。
そしたら、辻新思会の方が「どうぞ、辻新思会の4階へ上がってください」と言われた。
「本当に、上がらせて頂いて良いのですか?」と2度も確認したが、「どうぞ、どうぞ」と言ってくれたので、遠慮なく上がらせて頂く事にした。

小さなビルなので、30名くらいの見学者が入ると、4階の部屋は満員になった。
部屋の中央に、踊れるスペースを空け、見学者達は壁際に詰めて座った。
台所では、辻新思会の方が宴会の準備をされていた。

直ぐに、先ほど奉納演舞をされた踊り方(料亭那覇の専属)による、「じゅり馬奉納演舞」が始まった。





▲<目の前で「じゅり馬」を観る事が出来た!>

その後、「貫花」他2つの演目が次々と披露された。




踊りが終わりかけた頃に、「二十日正月料理」が目の前に出てきて、「召し上がってください」と言われた!

▲<時計回りに左下から「ジューシー(沖縄の炊き込みご飯)」「紅白ナマス」「お茶」「サツマイモの練り物」「アーサーと豆腐の汁物」真ん中は「スーチカ(豚肉の塩漬け)>

さらに、ビールを出して頂き、恐縮しながらひと缶だけ頂きながら「じゅり馬」の唄を聞いた。
料理は、料亭那覇直伝の料理だと思われるだけに、踊りを手が届く距離で観させて頂き、ビールを飲んでいる自分に感激し通しでした。

▲<最後に、詰めて座ったのが一番奥の中央席だった>



最後に、カチャーシで締めくくられたので、長居は無粋と思い退出させて頂いた。
帰りには、料亭那覇特製の「大型サータアーアンダンギー」が、用意されていて、さらに土産までもらって帰ったのだった(大恐縮で、大感激の日でした)。

2010年の「じゅり馬」 前篇【神事】

2010年03月07日 00時05分00秒 | 沖縄現地情報

▲<14時に、カミンチュウの白い装束をまとった女性達の拝所巡りがスタートしました。>

今年の3月5日は、琉球350年の伝統を背負う民族・信仰の恒例行事である旧暦二十日正月(はちか・そーがち)<旧暦1月20日>の日です。
私が、一年で一番楽しみにしている、那覇市辻2で『じゅり馬』が行われる日なのです。
まず、「神事」があります。
その後に、「奉納演舞」があり、紅型の衣裳にまとった踊り手さん達が20人近く「ユイ!ユイ!」の掛け声で踊る『じゅり馬踊り』は何度見ても感動します。
観るのは、今年で3回目ですが、今年は少し様子が違いました。

▲<昔、寺だった所(民家)で、最初の御願(ウガン)を行います。見物人が約30数名付いて歩きます。>

辻むらの「じゅり」は、薩摩侵攻後、薩摩や中国を接待するために、王命を受けた王女や王女の側女、三司官の娘から始まったと言われますが、後に貧しさの中で、親兄弟の犠牲になり、辻に身売りされた子女が増えて行きました・・・。

▲<「志良堂御嶽」で「ビンシー」(木箱に納められたお供えセット)を出して御願をします。>

彼女たちは、過酷な運命を受けながら、歌舞音曲、料理、躾、言葉づかいなどの教養を身に付け、陰ながら王府の外交・内政政策の守り手として、琉球王国の発展の基礎となりました。そして辻むらを発展に導いた美麗なる先駆者でもあります。

▲<「村井戸」でも、「ビンシー」を出して御願をします(井戸が民家の駐車場隅にあるのと今日は車が駐車していて凄く狭い場所になっていた)。>

『じゅり馬行列』には、肉親を恋うる哀歓が秘められていた事は想像に難くありません。
見物人の中に紛れた、日頃会えない肉親に密かに顔を合わせる事が出来る機会でもありました・・・。

▲<「当森御嶽」下にある祠で御願>

終戦後、沖縄の芸能文化復興を図った時も、縁の下の力持ちとしてその役割を果たしました<(財)辻新思会理事長 島繁子氏趣意書より転用>。

▲<「当森御嶽」を上がる(中腹に数か所の拝所がある)。>

現在、財団法人辻新思会が、先人の畏敬と鎮魂、感謝の念を持って「二十日正月」の行事を継承し、泉下の彼女達に感謝と謙虚な祈りを捧げる事と商売繁盛と豊年を祈願しています。

▲<5名の踊り手が「じゅり馬」を奉納演舞行う。>

▲<「当森御嶽」の頂上にある「辻開祖の墓(4基)」の前で御願。>

▲<「当森御嶽」にある「辻開祖の墓」の前で御願が終わると奉納演舞が行われた>

※後篇に続く。

友、遠方より来る。そして南大東島へ行く。

2010年03月06日 00時05分00秒 | 沖縄現地情報

昔の会社の同期が沖縄に来てくれた。
那覇空港近くの、我が家に一泊して、翌朝から「南大東島」へ旅立った。
南大東島に3泊して、東京へ帰った。
翌朝、友から「南大東島」の土産が届いた。
開けてみたら、南大東島のサトウキビから造った「ラム酒」と「ラム酒ケーキ」の詰め合わせだった。

▲<「CORCOR」は、南大東島のサトウキビで造ったラム酒です。沖縄のベンチャー起業、㈱グレイスラムが製造販売を行う沖縄県産品です。詳しい情報は、CORCORの個所をクリックして下さい。HPに飛びます。>

▲<一緒に入っていた「南大東島」のガイドブック>
ガイドブックによると、南大東島は那覇から東に空路で360㎞(1時間)、海路で400㎞(13時間)。
宮崎のほぼ南に位置し、太平洋の4,000mの海域に浮かぶ島。
北大東島の間が8㎞。その間でも水深1,600mあり、深海に2本の塔が立っているような島。
人口1,278人。小中学校1校。信号機(小中学校門前)1機。
観光地は、東洋一美しい鍾乳洞「星野洞」。宿は3か所。年間の観光客は約5,000人(沖縄の人もめったに行かない離島です)。

同じマンションの2階から6階へ引っ越ししただけでも住所変更。

2010年03月04日 00時05分00秒 | 沖縄現地情報

▲<那覇市役所の仮庁舎は、今まであった「泉崎1」から「おもろまち上之屋1」へ移転しプレハブ2階建て3棟で業務を行っている>

今日、3月4日は『三線の日』です。琉球放送RBCiラジオでは、「ゆかる日、あさる日さんんしんの日」という番組を11:45~21:00まで流し続けています。

昨日は、一日「住所変更届けデー」でした。

朝から一番最初に、おもろまちの「那覇市役所仮庁舎」へ行き、「住民票」変更の手続きから始まり、「住民基本台帳」、妻の「印鑑証明申請」などを行った。
作業に一時間見て欲しいと言われたので、丁度、昼食時だった事もあり、歩いて3分くらいにある「ヌーベルダイニング グリーン」へ行く。













約一時間後に市役所へ戻り、出来ていた「住民票」「住民基本台帳」「印鑑証明」を持らって、西町にある「運転免許所センター」へ免許書の住所変更へ行く。

済んだら即、「琉球銀行金城支店」へ滑り込む到着は、14時45分(銀行は15時までの営業)。
終わったら、近くの「小禄金城郵便局」へ(郵便局は、16時まで営業している)。
銀行印を確認後、マンション賃貸管理会社へ「家賃の銀行引き落し申請書」を持参。

最後に、ゆいレール赤嶺駅近くの「docomo小禄支店」へ行く。
ついでに、通話時間の持ち越しがあったので、昨年10月に決めたランクよりさらにワンランク落とした(最近の携帯電話は、知らない内にルールが変わるので2カ月に一度の見直しが有効だ)。
まだ、銀行2行が残っているが、効率良く動けた・・・。

ひな祭り

2010年03月03日 09時44分13秒 | 沖縄現地情報

▲<今年29歳になる長女が誕生した年に、埼玉県岩槻市で購入した「ひな人形」>

我が家も、引越しをしたので虫干しを兼ねて、「ひな人形」が数十年ぶりに日の目を見ました。



沖縄にも、「ひな人形」を飾る習慣はあるようです。
以前、糸満の「真壁ちなー」に行った時、三番座の部屋から奥の部屋に飾ってあったのを見ました。

▲<玄関に飾った「ミニひな人形」>