桜坂「千ベロ」ほろ酔い散歩

2015年08月29日 12時00分00秒 | 沖縄の生活

▲<「国際通り屋台村」>

8月28日の午後、「桜坂劇場」で映画を観た(映画の内容は、後日に)。

16時30分に終わったので、「牧志公設市場」内の「串揚げ酒場足立屋」へ行く。










▲<「桜坂」「牧志公設市場」界隈には、「猫」がたくさんいる>


▲<桜坂には、こんな懐かしい映画看板も観れる>

最近、那覇でも「千ベロ」が流行っている。

「牧志公設市場」内に、「昼飲みの店」が多くなった。

しかし、「旧盆ウークイ」で、お目当ての「足立屋」他の店が休業だった(残念!)。


「那覇屋台村」に戻り、「串焼きフィシュバード」で、生ビールを2杯やる。


▲<「えのき豚肉巻焼き」凄いボリュームだった>

歩いて、「ジュンク堂」へ立ち寄り本を探す。

再び、「国際通り」を歩いて「ゆいレール県庁前」へ。

途中に「串揚げ田中」があったので、「串揚げ」で、ビールを一杯飲んでから「ゆいレール」に乗る。


▲<右から「キャベツ」「レンコン」「とんび」「ジャガイモ」「玉葱」(二度漬け厳禁!)>

家には、19時前に到着。

※「千ベロ」とは、「千円でベロベロに酔えるお得なセットメニュー」の事。そんな店では、昼間から「酒を飲みまくれ」、「酔っ払いがたくさんいる店」。

沖縄は、只今「旧盆」です。

2015年08月26日 11時00分00秒 | 沖縄の生活

▲<旧盆用のサンエーのチラシ>

沖縄は今も、「旧暦」で生活をしています。

お盆も、「旧盆」(旧暦の7月13~15日)に行われる。

旧暦の「旧盆」は、「新暦」と毎年日ズレが生じるので、「新暦」の日が異なる。


▲<イオン琉球のチラシ>

今年は、「新暦」の8月26(水)~27日(金)です。

13日が、「ウンケー」(お迎え)です。夕方、門口で線香を焚いて祖霊を迎えます。

14日は、「ナカビー」(中の日)。分家が品物を持って本家を訪問する日。

15日は、「ウークイ」(お送り)。暗くなってから、家族で線香を焚き、「ウチカビ」(紙銭)を焼いて、祖霊を送ります。

旧盆の間、本家は仏壇に果物(青いバナナなど)やお菓子、サトウキビ、食事などをお供えする(数日前からスーパーでは、この時期店内は旧盆の商品で埋め尽くされる)。


▲<サンエーの「お重セット」や「オードブル」>


▲<琉球イオンの「お供え花」や「さとうきび」「線香」「打ち紙」の広告>

旧盆中の「門中」(ムンチュー)本家は、親戚の訪問対応に追われ、夜は、地元の青年会による「エイサー」を行われ、太鼓や掛け声が夜の町に響き渡る・・・。


▲<午後から、那覇市内に行って19時過ぎに、帰って来たら近所で「エイサー」が行われていた!>

歳を取れば、一年は早い!

2015年08月24日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<8月24日、台風15号が襲来し、公共交通機関がストップして会社は休業した

佐藤優氏が、「老いがもたらす時間感覚の妙」という題で書いていた。

歳をとれば、時間の流れが速くなって行く。

小学生の頃は、40日間の夏休みがとても長く感じたものだが、今では40日間はあっという間に過ぎて行く。

客観的に見て時間の流れに変化はないはずだが、主観的に時間の流れは、加齢とともにどんどん速くなるのだ。

1歳児の場合、1年を生涯で割ると1分の1だ。10歳児になると10分の1になる。

分母が増えてくるので、1歳児と比較した10歳児の1年は、人生の10分の1にしか相当しない。

当然、1年という時間が経過するのを早く感じる。

50歳の人にとって、1年の比率は10歳児の5倍、1歳児の50倍になる

加齢とともに時が早く流れて行くように感じる事には根拠がある訳だ。



「確かにその通り!」

歳をとると、その日に相当の事が無いと、一日が薄く、昨日何をしたかも忘れている(笑)。

それは、「経験済み」の事では、「脳」が記憶に留めないからだろう。

だから、「マンネリの生活」が一番いけない

「新しい人に会う」「相当楽しい事をやる」「未知の経験をする」など、「脳が楽しいと思い活性する」事が必要という事だ

「日本のいちばん長い日」

2015年08月21日 10時00分00秒 | 沖縄の生活


8月17日に、「日本のいちばん長い日」を観た。

この作品は、岡本喜八監督の「日本のいちばん長い日」(1967年)とは異なる視点で、戦後70年記念作品(2015年)として原田眞人監督が取り組んだ。

原田作品は、その後の別資料も取り入れ作品としてはまったく異なったものになっている。何よりも、旧作に比べて、主要人物を阿南陸軍大臣(役所広司)、鈴木貫太郎首相(山崎努)、昭和天皇(本木雅弘)、迫水久常(堤真一)、畑中健二陸軍少佐(松阪桃李)に絞り込んだ。

岡本作品は、あえて「モノクロ」にして、ドキメント手法で観客に、あたかも歴史に立ち会ったような臨場感があった。70年前の8月15日は、暑かっただろう。画面から「汗」と「緊張感」が、ほとばしっていた。

原田作品は、監督自身もインタビューで応えているように、「家族」を描きたかった。だから、阿南陸軍大臣の戦死した息子の話や妻の話が出てくる。陸軍を思う軍人より、一人の父親が出過ぎたマイホームパパだ。岡本作品の「三船敏郎」は、強硬に「本土決戦やむなし!」と言い切る、頑固一徹な陸軍大臣が表現されていた。

鈴木首相も、岡本作品の「笠智衆」の方が、天皇の裁断を仰ぐリ-ダーシップの無い首相が良く演出されていたが、「山崎努」の方は、天皇にお伺いを立てなくても、一人で押し切れるような気がするくらい、策士のように見えた。

松阪桃李君は、若すぎて中学生の軍人だった。黒沢年男は、映画を観た時は何を目球ばかり剥いてるのか?と思ったが、今に思えば「狂気状態」を表現していたのだった。

新しい視点と言えば、本木演じる「昭和天皇」は、「国」や「民」を想う「天皇」を表現していたのがこの作品のポイントだ。しかし、旧作は、松本幸四郎(8代目)で、声だけで顔が一切出ず、絶対的な威厳があった。

旧作(1967年)は、東宝映画の創立35周年作品とはいえ、東宝俳優オールスター作品で、個性が際立ち、顔も役柄とピッタリで凄かった!

新作の方は、戦後70年。2015年の俳優は、顏も「平和」で「個性」も無くなっていた・・・。

評価:★

「時間資本主義」とは?。

2015年08月19日 00時30分00秒 | 沖縄の生活


このブログは、いつも「食べていたり」「映画を観てたり」遊んでいる事ばかりのようだ。

でも、毎週月曜日の朝は、6時台に起きて、久茂地の顧問先に8時過ぎに出勤している。

8時40分から始まるMgr朝会に出て、ひとこと話す。

その後にある9時からの「全社朝礼」にも出ている。

第三曜日には、私の講話がある。

約10分くらいだが、私の経験した事や知っておいて欲しい事を、パワーポイントを作成して、若いメンバー達に伝えている。

8月17日は、「時間資本主義」の話をした。

「時間」の「価値」は、先進国で爆発的に高まっている。

その要因は、

1)都市化への人口流入(省略) 

2)高齢化(省略) 

3)情報通信技術の発達


「情報通信技術の発達」は、今まで使えなかった、わずか1分や数秒の時間を自分の事に使えるようになり、超短時間の「価値」が一気に上昇した。

企業の「競争優位の価値」は、「良いものを安く」から「消費者の時間価値極大化」へ変化した。

この事は、「消費者は無駄な時間を徹底的に排除し、自らの時間価値を最大化する行動を取る」を意味する。

だから、企業経営者およびビジネスパーソンは、



その結果、「心掛け」「探求」しなければいけない事は、

1)「移動時間の短縮」

2)「選択肢間の短縮」

3)「待機時間の短縮」


特に、3)の「待機時間の短縮」をどれだけ消費者に満足させられるかで、企業間格差がつく事になるのだ。



映画「残波ZANPA」

2015年08月18日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<桜坂劇場で上映中の「残波」>

先週、桜坂劇場で、「残波」という映画を観た。

監督は、出馬康成(いずまやすなり)さんで、「オバアは喜劇の女王仲田幸子沖縄芝居に生きる」「マブイの旅」「ソフテン!」などの作品がある。

「残波」という映画は、不思議なストリーだった。過去と現代が行き来し、「YUSURA」演じる女性が実在する女なのか?

主人公(美勇士)の死ぬ間際の母が、「YUSYRA」の身体を借りて、息子の「命」を助ける。

仕事の無いやくざ親分の命令で、県外の「ヤマト原子力発電所」に出稼ぎに行く。

地震で、漏れた「原子力発電所」の「放射能」除去作業で死ぬ作業員・・・。「ヤマト原子力発電所」の除去作業で死んだ作業員の調査(隠蔽)に役人が沖縄に来る・・・。反対運動が起きる。最近の出来事が、暗示のように続く。


「じゅり」だった母の形見の「ジーファ(銀製のかんざし)」をめぐる二人の女性。

母が昔、「じゅり」だった頃の(?)「じゅり馬」踊りの映像が、映し出される(沖縄でも、なかなか観られない貴重な映像だ)。

母親役の「玉城節子」さんの「琉踊」と、八重山の唄者「大工哲弘」さん演じる「ジーファ職人」。その他、沖縄のタレント・芸能関係者の出演が、作品にリアリティ効果になっている。

出馬監督が、情念の世界を複数の伏線に絡めて仕上げている・・・。

評価:★★★

「瀬長島ウミカジテラス」OPEN!

2015年08月15日 00時05分00秒 | 沖縄の生活




7月25日、OPENした。「瀬長島ウミカジテラス」に行って来た。

計画から約一年遅れでOPENにこぎつけた。

「瀬長島ホテル」西側の斜面に階段状の店舗が31店(グルメは19店)が出店した。
しかし、8月14日にいった時点では、OPENしているのは半分くらいだった。

ロケーションがいいので、特に夕方がお勧め。
レストラン前のデッキから、目の前に夕日が沈むのが観れる。












▲<「a-29」肉料理>


▲<若い人達は、テラスが大好き>


▲<「タコライスcafeきじむなぁ」のタコライス>


▲<「オリオンノンアルコールビール」>


▲<店の中からも「海」が真近に見える>

赤嶺駅から【ウミカジテラス】への「送迎バス」が出ているので、アルコールを飲む人には嬉しい。

「古民家食堂8月例会」

2015年08月13日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<本日のメイン料理は、「焼肉」>

8月11日の夜、「古民家食堂8月例会」があった。

丁度、昼に「興南高校」の甲子園の試合があり、ハラハラしたが、9回裏の逆転で辛勝・・・。

当然、今日の話題は興南高校の試合の話から始まった。


▲<18時30分頃の「南風原」の風景>


▲<「沖縄の天ぷら」と「きびなごの唐揚げ」を食べながら、「肉」が焼けるのを待つ>

ビールは、自分でサーバーから入れる。何度やっても、レバーの向きを間違ってしまう(笑)


▲<「BBQ」の時は、外の駐車場を使う>


▲<手前は「石垣あぐー」、「タン」も美味しかった>


▲<たっぷりの「野菜」>


▲<「鶏串」と「激辛ウィンナー」>


▲<今日は、原川さんが焼役をしてくれた>


▲<夕焼けが美しかった>




▲<本日も、良く食べ良く笑った>


「志士の峠」

2015年08月11日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<中央公論社、2015.4.25初版発行>

文久3年(1863年)、帝の威光を示す行幸の先鋒隊を命じられた京都の公家「中山忠光」と、土佐藩士「吉村寅太郎」「池内蔵太」「河内郷の武士」達30名で、「天誅組」を名のり、大和国の「五條代官所」を焼き討ちした。※中山忠光(19歳)は、明治天皇(祐宮)の叔父に当る(母の中山慶子は実姉)

「五條代官所」を焼き討ちした後、近くの「五條桜井寺」に、「五條新政府」を起ち上げた。

それは、明治維新の先駆けになるはずだった・・・。

「五條代官所」を焼き討ち直後、京都御所の「親幕派」や「薩摩藩」によって、「天誅組」は朝敵となり、「五條新政府」は幻に終わる

そして、幕府軍から逃れるために逃走が始まる。

天ノ川辻から十津川へ南下する途中、天ノ川辻の勤王商人「鶴屋治兵衛」や「十津川郷士」の加勢を得て、高取城を攻めるが敗北する。

大和国の険しい南部山間部を逃走しながら、同志は次々と戦死して行く・・・。

明治維新の5年前に起きた、早かった「天誅組」の政変

日本人には、殆ど知られていない実話を植松三十里氏が、「中山忠光」の苦悩と心情を軸に、「天誅組」同志達の40日間の死闘を壮絶に描いた。

植松三十里(うえむらみどり):本名植松治代、静岡雙葉高等学校・東京女子大学文理学部史学科卒業後、1977年婦人画報社に入社。1980年に退社。退職後、7年間アメリカで暮らす。帰国後、建築関係のライターとなる。2003年『桑港にて』(サンフランシスコにて)で、第27回歴史文学賞を受賞。2005年『三人の妾』で、小学館文庫小説賞優秀作品入選。2009年『群青 日本海軍の礎を築いた男』で、第28回新田次郎文学賞を受賞。『彫残二人』で、第15回中山義秀文学賞受賞。

崩壊!老後のシナリオ 貧困の危機が忍び寄る

2015年08月08日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<台風13号が、宮古島・石垣島の南側を通過中。沖縄本島は、東からの強風に晒されている・・・>

7月28日、BS日テレ「深層ニュース」が、「老後の貧困問題」を報じていた。

ゲストの藤田孝典さん(NPOほっとプラス代表理事・社会福祉士)と、荻原博子(経済ジャーナリスト)さんが解説していた。

解り易い解説で、勉強になる番組だった。


▲<老後の貧困「下流老人」になる3つのポイント>


▲<平均年金月額>


▲<高齢者が貧困に陥る原因の3つ>


▲<老後に必要なお金。21年間で、収入ー支出=▲1500万円(が必要)>


▲<高齢者の貯蓄額、平均1270万円と出ているが、問題は【貯蓄なし16.8%】、【500万円以下26.7%】だ>

①老夫婦や一人住まいの人は、広過ぎる「持ち家処分」や、捨てずに残している「持ち物処分」「身辺整理」する。
②日頃から健康に留意する(寝込んだら医療費を含め、生活が根本的に悪化する)。
③生活費を見直す。無駄な支出を減らす努力(生活規模を小さく)する。そうすれば、預金が多少少なくてもやって行ける。




「大腸がん検査」を受ける

2015年08月06日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<7月31日の「人間ドック&胃ガン検査」に引き続き、「大腸がん検査」に行く(右側の建物は、「ホテルグランビュー豊崎」)>

8月5日、朝から「大腸がん検査」を受けに、豊見城中央病院付属健康管理センターに行く。

18年前に、神戸の「海星病院」で受けてから2度目。

その時は、「胃」と同時に行い、随分楽だった記憶がある。

医師に10年大丈夫!と言われたが、あれから約20年も経ってしまった・・・。

今年は、春先に今井雅之さんが「大腸がん」で亡くなられた。世の中の人は「大腸がん」の恐ろしさを痛感したはず。

他にも、有名人がたくさん亡くなられているが、「大腸がん」は、検査をしてたら早期発見で助かる「がん」だ。

今回は、3日前から消化の良いものを食べる指導があり、前日は21時に下剤を2錠飲んだ。

朝食はとらず、水だけを飲んで病院へ行く。

8時に着いたら、他に2名が既にいて「下剤2リットル」を渡されて飲んでいた。

2時間で2リットルの「下剤」を飲み続ける(トイレは、隣にあり自分で歩いて行く)。

1時間もすると、トイレに行き始める(2時間で約7~8回行くと、色が無くなる)。

3人中、私が一番早くスタンバイ状態になり、一番検査に。

検査服に着替え、肩に「筋肉注射」を打つてから、ベットに横たわる。

睡眠注射は打たないので、両サイドにあるモニターで、最初から最後まで腸の中に入ったカメラ映像で大腸の壁を観る。

角を曲がる時に、多少お腹の中に違和感を感じるくらいで、全然痛くない(緊張しない事がコツ)。

カメラを入れ、「盲腸」のある所まで行ってから、後戻りしながら何か所か撮影をする。

腸を拡げるために空気を入れているので、空気が出るが気にしない(「おなら」ではない)。

何か所か、撮影していたが「検査採取」するような、「ポリープ」も無く、30分くらいで終了。

「胃カメラ」に比べると、「嘔吐感」が無い分ずいぶん楽だ。

検査費用は、1万8360円だった。

40歳を過ぎたら、一度「大腸検査」を受ける事がとても大切。50歳過ぎたら、5年に一度位は「大腸検査」を受ける方が絶対いい(「安心」と「早期発見」が一番!)。

※「大腸がん」になった有名人
渡哲也(俳優:1991年直腸がん)
今井雅之(俳優:2015年大腸がん死亡54歳)
中村紘子(ピアニスト:初期の大腸がん)
柏木厚志(芸能レポーター:2014年死亡45歳)
石田信之(俳優:2014年告知、肝臓や胃ガンも見つかる)
藤子不二雄A(漫画家:2013年上行結腸がん手術)
坂口良子(女優:2013年横行直腸がんおよび肺炎で死亡57歳)
入川保則(俳優:2010年直腸がん発見全身に転移2011年死亡72歳)
青山繁晴(民間シンクタンク社長:早期発見大腸を10センチ切除)
原田芳雄(俳優:2008年早期大腸がん発見後復帰したが末期がんで死亡71歳)
原元美紀(フリーアナウンサー:2007年大腸にポリープ発見摘出手術)
金哲彦(元陸上選手:2006年大腸がん手術)
鳥越俊太郎(ジャーナリスト:2005年直腸がん手術)
深浦加奈子(女優:2008年S状結腸がん死亡48歳)
中尊寺ゆつこ(漫画家:2005年S状結腸がん死亡42歳)
2015年の「がん死亡要因」では、「大腸がん」は、女性1位(2位肺がん、3位胃ガン)、男性3位(1位肺がん、2位胃ガン)です。


映画「レフト・ビハインド」

2015年08月05日 07時00分00秒 | 沖縄の生活

▲<「ニコラス・ケイジ」主演のパニック映画>

ニコラス・ケイジが演じるパイロット(機長)の操縦する旅客機が、「ニューヨーク→ロンドン」へ飛行中(3万メートル上空)、機内から副操縦士を含む大量の乗客が機内から姿を消す!

残った乗客は、パニックに陥る。

一方、地上の世界でも数百万人が一瞬に姿を消し、未曽有の大混乱が起き、略奪も起きていた。

「消えた人」と「消えなかった人」は何が異なるのか??

機内の混乱と、地上の混乱がどんどん悪化状況が進行中、少しずつ謎が解かれて行く・・・。

飛行機は、ニューヨークに引き返すが、飛行場は既に下りた飛行機で一杯で、着陸許可が出ない(他の飛行場に行くだけの燃料は無い!)。

尾翼が故障のため、河にも降りれない・・・。

ニューヨークの上空で、燃料がゼロになった!

※米国の牧師ティム・ラヘイの終末論研究を基に、ジェリー・ジェンキンスが小説化し、1995年の出版以来、全米でシリーズ累計6300万部以上の売上げを記録した原作の映画化。昨年10月に米国公開。

那覇市内、ぶらりはしご酒

2015年08月02日 13時00分00秒 | 沖縄の生活

▲<桜坂の「おもろ」にあった、年代ものの「カラカラ」>

8月1日の夕方、高良さんに誘われて「パレット久茂地」の6階にある「市民ギャラリー」で、HさんTさんご夫妻の「水彩画教室」の展覧会を観る。

絵画鑑賞を終え「市民ギャラリー」を後にして、18時から飲みに行く。

一軒目は、久茂地にある「酒と串と男と女しかまち酒場」。


▲<入った時間が、18時過ぎだったので火が温まっておらず、キャベツだけ食べて待った「串盛り竹コース11本1390円也>


▲<「ネギ巻」。「エリンギ巻」が美味しかった>


▲<19時過ぎに店を出たが、まだ外は明るい>

二軒目は、高良さんがまだ行った事が無いと言ったので、「那覇屋台村」へ。

丁度、「A sign」の店頭にオーナーの滝澤君がいたのでそこで飲む。


▲<店の外で飲む。外に貼ってある、昔の看板が懐かしく、高良さんが喜ぶ>


▲<「フィシュ&フライ」を「生ビール」でやっていると、高良さんの友人「囲碁サロン親雲上(ベーチン)」の大見謝さんに出会い一緒に飲む>

三軒目は、桜坂の中にある60年やっている老舗の「おもろ」に案内して貰う。


▲<薄暗い路地に入る>


▲<開店から60年。店主は、三代目と四代目でやっている。左の「写真」には、今は亡き壷屋陶芸界重鎮と浜田庄司がこの店で飲んでいる>


▲<「水屋」の中には、由緒ありげな器が・・・>


▲<店の奥右側上には、昔厨房の火用の「薪」が置いてある>

四軒目は、歩いて10分くらい「ニューパラダイス通り」にある、宮古島出身のママが一人でやっている店に行く(ここは、3回目)。

カウンターに、「三線」と「工工四(くんくんしー)」が、置いてあったので、何か弾こうと思って触ったが、結局一曲もまともに弾けなかった(残念!)。さすがに、ママの「なりやまあやぐ」は絶品だった。

高良さんが、相当酔って来て、同じ話を繰り返すので、タクシーを呼んで、家まで送って帰った。

自宅に帰ったら、まだ23時前で、万歩計は7938歩だった。

「人間ドック」に行く

2015年08月01日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<豊見城中央病院付属健康管理センター(豊崎)の5階から北側を観る(右側が「与根大橋」、左に「瀬長島」が見える>

7月31日、「人間ドック」に行って来た。

40代から毎年、会社指定の「人間ドック」を利用していたのでそのまま毎年行く事が習慣になっている。

退職の年、毎年行っていた「人間ドック」で、「胃ガン」が見つかったのも「人間ドック」のお蔭だ。

昨年は、「バリュウム」だったが、今年は2年振りに「胃カメラ」を行った。

今回は、少し実験してみた。それは、4日間「アルコールを抜いた」事。

年365日「酒」を抜いた事が無いのだが、抜いて見たらどうなるか試してみた。


▲<5階の食堂窓から、いつも「読書&日光浴」に行っている「豊崎美らSANビーチ」が見える>

最後にあった「結果報告」時に貰った【速報版】によると。

1)腹囲 昨年より▲3cm○
2)血圧 最高(100~129)119。最低(60~84)85 作年は、130-94×
3)中性脂肪 基準値(30~149)に対して106でクリア(4年振り○)
4)インスリン抵抗性指数 基準値(0~1.9)1.3でクリア 昨年は、2.3×
・・・等々、数か所で数年来「B」&「C」だったのが、「A」に改善していたので驚いた。

8時~11時(胃カメラ約1時間)までかかったが、11時30分から最上階の「食堂」で、「鰆の西京焼定食」を食べて終了した。


▲<「人間ドックコース」には、昼食がついている4つのメニューから選ぶ>

※家に帰って、飲んだ「ビール」が美味しかった!(笑)