豊見城市 民俗文化財巡り(23)『長堂地区』②

2008年02月07日 00時05分14秒 | 沖縄現地情報

▲<屋根と庭が美しい民家>

西端にある「名称不明のガー」は、「アザナガー」でした(ここは、周辺の住民にも知られていないそうです)。
 <「アザナガー(ナカシジガー)」>

マンションサンフラワー長堂の南側には、昔の「地頭」屋敷があり、敷地南東端に「ジトーガー(地頭井戸)」がありました。

▲<「旧地頭の家」漆喰の屋根が実に良い感じです。良く見るとシーサーのしっぽに見えるのは、オオタニワタリです。>
 <「ジトーガー」>

「ジトーガー」南側の車道を越えた畑の中には「メーヌカー」(昔は、豆腐を作る時の水だったとか)がありました。

▲<「メーヌカー(メントーガー)」(木の下の茂みの中に井戸があり綺麗な水が溜まっていました)。>

▲<案内してくれている宮城さんの後姿。>

車道に戻り、「ジトーガー」からワンブロック東側、ひと筋住宅街に入った東角に「トーヌカー」(教育委員会が、アザナガーと名付けていたのは「トーヌカー」(こちらは、葬式の時使う「シニミジカー(死に水井戸)」)でした。
 
▲<「トーヌカー(シニミジカー)」、手前の草木は「島胡椒(フィファチorピパーツ)。>
奇跡的に、自治会長さんに出会えてこの地区の探しにくい「ガー」をすべて解説付きで案内して頂くという、ラッキーな日でした。
⇒次回は、宮城さんに自治会館の中入れて頂いた時の話と、「ニービガー」を訪ねます。

豊見城市 民俗文化財巡り(23)『長堂地区』①

2008年02月06日 00時05分04秒 | 沖縄現地情報

▲<「クシヌガー」前の道から見た東側、南部農林高校を望む。>
豊見城市長堂(ながどう)地区は、「那覇東バイパス」の「嘉数交差点」から南下します。「ホットスパー」のある交差点を右折し、「南部農林高校」過ぎたら左手に「神谷商店」が見えます。そこの向いの道を住宅街に入った所に「長堂公民館」があります。
公民館東側(正面は南向き)の道を北へ上がり、「クシヌガー」を探すが共同墓地まで行っても探せない。公民館まで戻り、訪ねようとしたが締まっていて聞けぬまま、今度は、「ヌルガー」のある所へ行くがそこでも見つからない。
所在地と思われる畑で作業をしている方に「ヌルガー」のことを聞いたら、案内をしてくれると言う。
その場所から、畑を横切り住宅北側の山に入った所にありました(これは絶対に探せない)。
 <「ヌルガー」>
その方が話されるには、「明日、このあたりの草刈日なので、明日だったら奇麗になっていてたのに」とおっしゃる。よく聞くと、この方は長堂地区自治会長の宮城右勲(みやぎすけのり)さんだった。
「ヌルガー」を見た後、「クシヌガー」も探せなかった。と、言ったらそれも案内しましょうと言ってくれた。
先ほど会った場所から、西へ少し歩き北側へ折れて、ここには昔「ノロの家」があったなどと説明をしながら坂道を上がり、右に折れた畑の中のビニールハウスの奥にありました(これも一人だったら探せない)。

▲<「クシヌガー(ウブガー)」>
その後、この宮城さんは、長堂地区(住宅地)の「ガー」をすべて案内してくださった。

▲<「アザナガー」へ行く途中の民家の敷地の一角にあった拝所の「根屋(ネーヤー)」村を開いた古い家であるとか教えてくれた。>
⇒次回は、宮城さんの案内で、教育委員会の地図には無かった地頭の家の「ジトウガー」を観に行く。



豊見城市 民俗文化財巡り(22)『与根地区』

2008年02月05日 00時05分39秒 | 沖縄現地情報
<ジジムイ(珠数森)>
豊見城市与根(よね)地区は、豊見城市の西部に位置し、豊見城市では唯一の「漁港」(与根漁港)を持っています。
6000年前、この一帯は浅瀬の海で、1000~2000年前に泥湿地となっていました。
現在、南隣接地の埋立地豊崎地区は、アウトレットモールやトミトンの商業施設や住宅地があり、豊見城市いや沖縄でも最高に成長著しい地区です。
市の産業振興策で造られた埋立地ですが、2001年から始まった企業用地の分譲は、すべて売れたと、昨年末に報じられていました。
沖縄では、まれな埋立地の成功例と言えます。
この地区のシンボルとして「ジジムイ(数珠森)があります。ジジムイは、標高37mの小山ですが、「琉球国由来」「琉球国旧記」にもその名が登場しています。雨乞いの神事を行う事が記されて、現在でも古来よりの聖域として大事にされています。

北東側に「ジジガー」があります。コンクリートで頑丈につくられていて、水も湧いています。拝所として人が拝みに来ている形跡もありました。山に入って行く道が出来ていましたが今回は遠慮しました。

▲<左、「ジジガー」後ろ、拝所祠の香炉には賽銭が今も置かれていました。右、手前の石の上には、沖縄線香が置かれていました。>

ジジムイ北側のバス通りを真直ぐ、海の方へ進み集落を抜けると「与根漁港」があります。漁船が30艘くらい停泊していました。那覇市から数十分の所にこんな漁港があったのには驚きました。
港の周囲には、「クロツラヘラサギ」で有名になった「豊崎干潟や具志干潟」があり、この辺は水鳥の生育地として沖縄有数の干潟や池・河口が多くあります。

▲<港の前に掛っている橋は、県道331号線「小禄バイパス・豊見城道路」(無料)橋を渡った所が、「アウトレットモール」です。糸満市の埋め立て地西崎まで開通しています。>


漁港から、南へ車で2~3分行った、住宅街の中に「土帝君(トゥーティンクン)」があります。


※「土帝君」は、中国から伝わってきた土地の神と言われています。
豊見城市においては与根、我那覇、平良の3か所にあり、土帝君が最初に伝来したのは史書「球書(きゅうよう)」によれば、小禄村の大嶺親方が中国より神像を持ち帰り、領地の大嶺村に祀った事が最初と言われます。
旧歴の3月3日、4日と8月15日には拝みが行われ、3月3日には、ウニとその他の海産物や農作物などを供えて祈願します。
当日も、中年のご夫婦が御参りに来ていました。
⇒「与根地区」は、完全に農・漁業地区です。県外からの移住者は、隣接の豊崎タウンか331号線沿いの地域に住む人が多い。


『高嶺剛』映画特集

2008年02月04日 00時05分38秒 | 沖縄現地情報

▲<沖縄県立美術館3階にある講堂前に設営された監督自作の絵画&ポスター>
沖縄県立博物館・美術館開館記念関連イベントとして、2月1日から2月3日まで『高嶺剛映画特集』として、監督の作品映画8本を一挙上映されていました。

私は、全く知らない監督であったが、「嘉手苅林昌(かてかりりんしょう)唄と語り」が見たくて、2月1日と2月3日の延べ2日間行き8本を観てきました。
作品は、「ウンタマギルー」(1989年)「パラダイスビュー」(1985年)「オキナワ・チルダイ」(1976年)「ワイルドウーマクオキナワンコンディショングリーン」(1979年)「嘉手苅林昌唄と語り」(1994年)「夢幻琉球・つるヘンリー」(1998年)「サンシングワー」(1973年)「オキナワンドリームショー」(1974年)トークセッション/高嶺剛&土江真樹子&親泊仲真。

▲<「夢幻琉球・つるヘンリー」の劇中で使われた脚本>
監督の作品は、独特の世界観による沖縄ムービーでした。
商業映画としての「パラダイスビュー」「ウンタマギルー」は、面白かった。ふたつ同時に観たのでストーリが頭の中で交錯したが(どちらも小林薫と戸川純が出演して似た内容)。

一番良かったのはやっぱり「嘉手苅林昌唄と語り」だった。本格的に嘉手苅林昌さんをじっくり見たが、一度でファンになった。これは、ご本人の人間的魅力に負う所が多いが、監督が惚れた人である事も作品に表れていたと思う。
他には、「ワイルドウーマクオキナワンコンディショングリーン」で、初めて「かっちゃん」の本職である「コンデンンショングリーン」の活動風景を見られた事が収穫だった。「沖縄カーボーイよろしくゴザイマス。」の『マサーおじいの傘』で、伝説の空手家の演技は彼にしたら、すごく抑えた演技だったのが理解出来た。
「夢幻琉球・つるヘンリー」の大城美佐子さんは、カッコ良かった!

▲<トークセッション出演メンバー、真ん中の赤いジャケットが高嶺剛さん>
「オキナワンドリームショー」は、監督には申し訳ないが寝てしまっていた。
沖縄に来て、恥ずかしながら知らなかった「高嶺剛監督」の作品をすべて観れて、さらに沖縄の風習・考え方が学ぶ機会を頂いた。
沖縄県博物館・美術館に、これだけの作品を一挙上映し、それも無料だった事に驚きと感謝をした次第。
※高嶺剛 1948年、沖縄石垣島川平生まれ、琉球政府立小禄高校卒、国費留学生として京都教育大学特修美術科で絵画を学ぶ。その頃から8mm映画を撮り始め、1974年日本復帰前後の沖縄の風景を凝視した『オキナワン ドリーム ショー』でデビュー。その後も一貫して沖縄を撮り続ける。『パラダイスビュー』(1985)は初の劇映画。『ウンタマギルー』でベルリン国際映画祭カリガリ賞など内外で多数受賞。その他、『夢幻琉球・つるヘンリー』(1998)、1996年のジョナス・メカス来沖がきっかけとなり生まれた『私的撮夢幻琉球 J・M』(1996~)など。現在、専門学校や大学にて非常勤講師をしながら、劇映画『変魚路』を準備中。


豊見城市 民俗文化財巡り(21)『根差部地区』④

2008年02月03日 00時05分31秒 | 沖縄現地情報
<伊良部之殿>
「ヌキン殿」東側の道を北上して5分位歩くと、突き当りに豊見城ニュータウンへ降りる階段あります。
その左側空き地の北端にある大木の根元に「伊良部之殿」があります。
そばに「カー」があるはずでしたが、見当たりませんでした。

公民館へ戻る中間地点(「アミチーヂグシク(雨乞嶽)」北側)に「内原(うちばる)の殿(とぅん)」があります。
公園のようになっていて、祠や井戸の形式保存などが整然と並んでいました。
昔からの井戸は、今も南側の住宅の井戸になっている様子でした。
のぞかで、静かな住宅地を歩きながら花やシーサーを撮影しました。


<昔から利用されている井戸>
 
⇒「ウタキ」の一つ手前の、敷地に立派な個人民家に「無名の井戸」と「殿(とぅん)」のようなものがありました。



▲<「内原の殿」北側の民家とシーサー、白い屋根に黒ぶちのシーサーが可愛い。>
⇒根差部地区は、東西に広い地区です。北側の一部は豊見城ニュータウンです(雰囲気は、完全に嘉数です)。
南部は、未開発の所も多く隣町の嘉数と比較すると地域性が強い感じがしましたしかし、のんびりした気持ちのいい住宅地です。

豊見城市 民俗文化財巡り(21)『根差部地区』③

2008年02月02日 00時05分26秒 | 沖縄現地情報
今まで、沖縄でたくさんの文化財を観て来ましたが、初めてのケースでした「ウタキ」と「ガーデンゴルフ」の組み合わせは、しかも9ホールありました。
当日は、小雨でプレイをしている人はいませんでしたが、楽しんで全ホール撮影をしました。
朝の散歩にちょっとガーデンゴルフ。友達が集まってガーデンゴルフ。楽しんでボールを打っている姿が目に浮かびます。




※「パター&ガーデンゴルフ」は、通常のゴルフと違って転がしてホールを進めて遊ぶ。ルールも複雑ではないので、ゴルフの未経験者でも簡単に行う事が出来きます。
また最近は、パターゴルフの一種で、ビリヤードの球を大きめのクラブで打つ、自然の林の中や公園の中で行う「ガーデンゴルフ」が、お金が掛からず自然の中で行えるので注目されています。
転がしながら、ゴルフの倍以上あるグリーンホールへ入れます。パー3~5の設定のホールになっているが、男性でも結構打ち損じてしまう。ハードな運動が無いので、ゴルフの経験のない女性やお年寄りでも充分にプレーが出来るので、年齢・性別関係なくゲームとしても競えて結構楽しめる。
⇒次回は、根差部の最終回です。

豊見城市 民俗文化財巡り(21)『根差部地区』②

2008年02月01日 00時05分14秒 | 沖縄現地情報

「ウブガー」の、対角に「アミチークシク(雨乞嶽)」があります(これも、道路建設によりこの場所に移転)。

根差部公民館の南面道路を東へ真っすぐ行くと数分で、根差部地区の「ウタキ」に着きますが、その途中に「ヌキン殿跡(ノキンの殿)」があります。

▲<「ヌキン殿跡」は、大木が一本あるのみの広場です。>

根差部「ウタキ」は、直径100m位、高さ10mの小山ですが、その中に拝所が5か所に点在してありました。
急勾配の階段を20段位を上がると、頂上に岩で出来た祠があります。
階段の途中にもひとつありました。正面の階段付近にも祠があります。
外周にも「ウィソウサラシンガー」という枯れ井戸の祠がありました。
外周道路際には、「アガリヌガー」がこちらも道路建設でこの場所に移転していました。
これだけあるという事は、この村の重要な「ウタキ」であるという事が充分に解ります。



な・なんと!「ウタキ」の外周に「ガーデンゴルフ場」を造っているではないですか。こんな事は初めてですが、この地区の人達の人柄が出ているのではないでしょうか。
⇒次回は、その「ウタキ・ガーデンゴルフ場」を紹介します。