「イオンモール沖縄ライカム」開業!

2015年04月28日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<地上5階建ての中央吹き抜けの空間がゆとりを生んでいる>

4月24日に、イオンモール沖縄ライカム(沖縄県北中城)が、ついに開業した。

4月27日の午後、高良さんに誘って貰って、おっさん3人が、那覇から車で行ってきた(50分くらい、駐車場が平日にも関わらず混んでいた)。

2010年に返還された、「米軍泡瀬ゴルフ場」が地権者に返還されて、2年間で完成させた早期開発のモデルケースだ。



沖縄県最大の売り場面積で、スーパーのイオンを含め、228店舗(うち、116店舗が沖縄初出店。飲食店は、82店舗5,500席)。

従業員の雇用者約3,000人あり、観光客の誘因も合わせて、沖縄本島中部地区の地域活性化の起爆剤として期待されている(客は、国内よりも海外観光客狙いか)。


▲<4階にある映画館(4スクリーン)>

早速、4階にある「野菜を食べるカレーcamp express」で食事をした。


▲<沖縄初上陸の「野菜を食べるカレーcamp express」>


▲<一番人気の「たっぷり野菜のカレー」スコップに形をしたスプーンが可愛い>


▲<「アスパラと半熟卵チーズかけカレー>


▲<「きのこたっぷりカレー」>




▲<我々が、カレーを食べた席の向こう側には、沖縄市泡瀬干潟が見下ろせる>

高良さんと又吉さん達は、夜まで見学をするとの話。





私は、夕方から久茂地の会社で会議があったので食事をし後、直ぐにバスで、約1時間かけて那覇市内に戻った(始めて行ったら半日は遊べる規模だ)。

日光浴&読書 三線の音色が・・・。

2015年04月25日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<今日は、遊泳禁止なのか?泳いでいる人はいなかった>

4月24日も、15時位から「豊崎美らSANビーチ」に、「日光浴&読書」に行く。

今日は、昨日に比べて曇り。しかし、風が少なかったので「日光浴」には最適(「うりずん」の季節らしい、暑すぎず、寒すぎず)。

本を読んでいたら、下の数寄屋から、三線の「安里屋ユンタ」が流れてきた(実は、「ディケアサービス」の浜辺遊び中でした)。



三線の音色を聞きながら、沖縄の太陽にあたり、今日も田坂広志著「仕事の思想」の後半を読む(沖縄らしい、幸せに遭遇し感動)。

第六話 「格闘」人間力を磨くための唯一の道 (人間力とは、日々の生活の場や仕事の場での体験を抜きにして、決して学ぶ事は出来ない)(様々な人間が集まる職場ほど、人間の心を見つめられる場は無い)(生身の人間ほど、不思議さが潜んでいるものは無い)(新人時代ほど、人間を深く学べる時代は無い)(人間と格闘するという事は、相手のこころと正対する事)(ものわかりのいい人間になるな、シニシズム病に罹るな)(優しさは、自分のテリトリーを暗黙に認め合い、お互いにその領域を侵さず。その安全な距離を作れば、心が成長する事はない)

第七話 「地位」 部下の人生に責任を持つ覚悟 (マネジャーという地位は、権利と権限というプラスを与えられている代り、義務と責任というマイナスも与えられている)(義務と責任が、仕事への働きがいに繋がり、人間としての成長を与えられる)(仕事のリスクは、マネジャーの精神を鍛え、成長させる)(部下の人生に責任を持つという事は、部下の成長に責任を持つ事)(部下を成長させる事は、自分が成長し続ける事)

第八話 「友人」 頂上で再会を約束した人々 (友人とは、何十年も別々の道を歩み、顏を合わせなくても、無言の励ましを送り合える人)(一人ひとりは登って行く道は違っていても、目指す頂きはひとつ。いつか、その頂上で、再会する)

第九話 「仲間」 仕事が残すもう一つの作品 (我々は、タンポポだ。どこかに飛ばされたなら、そこでまた、大きな花を咲かせれば良い)(仕事の作品とは何か。商品やサービス。もう一つの作品は、職場の仲間です)

第十話 「未来」 後生を待ちて今日の務めを果たす時 (俺は、敗れ去った。だが、挑戦した!)(夢を描く私達の問われるものは、その夢を実現したかではなく、その夢を実現するために、力を尽くしたかです)


▲<今週から、上半身もTシャツを脱いで、読書している>

※田坂広志さんは、学者でもなく経済界でも活躍した、国の将来も考えている日本を代表する「賢人」だ。

日光浴&読書 日和

2015年04月24日 12時00分00秒 | 沖縄の生活

▲<平日なので、海水客は少なかった>

4月23日の午後、いつもの「豊崎美らSANビーチ」に、「日光浴&読書」に行った。

気温は、24度で晴天。浜の風は6メートル/秒だったが寒くはなく、肌に心地良い。

持参本は、「仕事の思想」田坂広志著(PHP文庫)です。

この本は、1999年に新刊本を読んで感動して、周囲の人にも薦めた本。

2003年に、文庫本になって久しく(現在、BOOK OFの100円コーナーにある)。

今回読んでも、内容は古くはない。

何故なら、「なぜ我々は、働くのか?」を考えるビジネスマンにとって不変の内容だから。

第一話「思想」 現実に流されないための錨 (よりよく働くためには、「仕事の思想」が求められる)
第二話「成長」 決して失われる事のない報酬 (仕事というものは、心を込めてやれば、何でも面白い)(仕事の報酬は仕事である)(仕事の報酬は、成長である)
第三話「目標」 成長して行くための最高の方法 (夢を語り、目標を定める)(人間tぽいうものは、目の前に明確な目標があるから、力を絞り切れる。力を絞り切れるから、力が伸び、成長して行く)(本気で語る夢があるからこそ、人間は力を振り絞れる)(夢は、力を振り絞るエネルギーになる)
第四話「顧客」 こころの姿勢を映し出す鏡 (顧客こそが、自分の姿を映す鏡)(厳しい顧客こそ、優しい顧客)(最も怖い顧客は、黙って去る顧客)
第五話「共感」 相手の真実を感じ取る力量 (無意識の顧客操作性は、顧客は敏感に感じている)(顧客に共感を得るのではなく、無条件に顧客に深く共感する)

・・・・時々読み返して、働くスタンスを確認するにはベストな本です。

浜下り in 2015

2015年04月22日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<4月21日の13時頃の「名城ビーチ」奥に見えるのが「エージネ島」既にたくさん人が、海に入っていた>

沖縄では、旧暦の3月3日「浜下り」(はまうり)の日です。

女性対象の慣習で、4月に入って海の水が温んだ、潮が大きく引く時期に浜に下りて、海水に親しむ。

4月21日の「浜下り」の日(沖縄県各地で、数万人浜に入っただろう)。

沖縄の友人、たかちゃんに誘って貰って、沖縄本島南部(糸満市)「名城海岸」に下りた。

15時が干潮だったが、到着した13時頃には、すでに、たくさんの人が浜に入っていたので、我々も浜に下りる。

私は、スパーの袋片手に持ち、「もずく」を採る計画。

たかちゃんは、遠くの沖にあるサンゴ礁付近で、「サザエ」を採る計画。

海に入って直ぐの浅瀬に、「もずく」を見つけたので採っていたら、たかちゃんから沖に太いのがあるよと笑われる。

潮がどんどん引き始める中、沖に見える小さな岩礁に向かってどんどん進んで行く(短パンが少しつかる程度の浅瀬が続く)。


▲<最初の岩礁から、スタートした浜を振り返る(青い籠は先客のもの)>


▲<膝下くらいの浅瀬は、砂地で「水草」と「もずく」がたくさん生えている(「モズクは、死んだサンゴの切れ端に生えている)>


▲<随分沖に来たら、珊瑚で出来た岩礁がたくさんあった。潮溜まりには、小さな熱帯魚やシャコが泳いでいる(ここに「サザエ」がいると期待していたのだが居なかった)>


▲<岩礁にいた、小さな「シャコ貝」>


▲<たかちゃんとは、ここで別れ、私は引き返す>


▲<帰る途中にも、太い「もずく」が、そこらじゅうにあり、面白いように採れる(透明度があり海水が無いように見える)>

15時には浜に上がった(海に入っていたのは約2時間)。手元のビニール袋には、「もずく」が、ずっしり入っていた(家で測ったら、2キロ少しあった)。


▲<家に帰って、水道水で洗う(「モズクもどき」や「根元についているサンゴ」「砂」を除き、最後に、塩水で締める>

たくさんあったので、ご近所さんに配った。

※「浜下り」:アカマタの子を身ごもった女性が、海で体を清めたとの言い伝えがの由来とされる。今では、女子の健やかな成長を願って行われ、潮干狩りを楽しむ人が多い(琉球新報4月22日)。

忠孝蔵春の祭り

2015年04月20日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<「忠孝蔵」の広場に特設テント下に約400名位が集っていた>

4月18・19日、忠孝酒造(豊見城市)で、恒例の「忠孝蔵お祭り」(春祭り)が開催された。

私は、18日の午後、3時~17時まで参加した。

例年参加していた、「利き酒」はやらなかった(絶対に当らないから)。




▲<忠孝蔵窯で焼かれた、「素焼き酒器」これに新酒を入れて1週間待つと、美味しい酒になる!>

全国カラオケ大会の沖縄予選を行っていた。2日間で約100名参加し、ベスト10名くらい選ぶようだ(歌い終われば、カラオケが瞬間に点数が出る)。18日の最高得点は、14歳の男子だった。


▲<毎年「振る舞い酒」の種類が変わる。今年は、「忠孝よっかこうじ」(43度→15度)だった。>


▲<到着して直ぐに、「ビール」と「豚串揚げ」>


▲<「沖縄天ぷら」の4種ミックスに、振る舞い酒の「泡盛」>


▲<てんぷら4種とは、「ゲソ」「モズク」「白身魚」「に、「サメ」>

抽選券を1枚持っていたので、最後まで楽しんだがハズレだった。


▲<約50個の景品が次々当てられて行く・・・。>


▲<一等賞の「五升甕」を当てた人>


▲<一日限定200本「五年古酒忠孝」43度、二合瓶(1,440円)を特別価格720円で購入した>

ビール1杯(有料)、振る舞い酒を2杯飲んで、気持ち良く歩いて帰ったのでした。

朋遠方より来る

2015年04月18日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<「豊崎美らSANビーチ」、シーサイドレストラン「KAI」>

4月16日、元部下のH浦君が沖縄にやって来た。

前日まで詳しい予定が解らず、電話をしたら本人は、伝えていたつもりだった。

11時那覇空港に到着と聞かされ、チェックインまで付き合う事にした。

車で、赤嶺駅に迎えに行き、そこから「豊崎美らSANビーチ」へ行く。

途中、「三角池」に、「フラミンゴ」が飛来していると聞いていたので確認しに行く。




▲<ラジオの情報では、動物園から逃げたものではなく、遠方から飛来したものと思われるとの事だ>

いつも、「読書&日光浴」をしている「豊崎美らSANビーチ」を見せたら感動していた。

シーサイドレストラン「KAI」で昼食をとり、少し話をした。




▲<私は、「たっぷり野菜のカレー」を食べた>

「野菜」に、関心があると聞いたので「糸満道の駅うまんちゅう広場」へ連れて行く。


▲<ビニール袋に詰め込む方式>

見た事が無い野菜が一杯あり、喜んでいた。

土産に、「パッションフルーツ」を購入した。

3時少し前に、那覇市内のホテルに送って行き、夜の店で会う約束をして別れた。

19時から、久茂地「和磊」で飲む(方向が反対の違う店に行ってしまって遅れて来る)。


▲<「ボンジリ軟骨にんにく包揚げ」100円?>


▲<結構なボリュームがあり、ビールのつまみとしてピッタリ>

10時過ぎまで、いろんな思い出や、これからの事を話した。


▲<店長の古舘さんを挟んで記念写真>

20年前は、40代と30代。お互い、若かったね。

嫌われる勇気 (29) 【最終回】

2015年04月16日 00時05分00秒 | 沖縄の生活


アドラーの「嫌われる勇気」 岸見一郎+古賀史健著より 276~294P

第5章 「いま、ここ」を真剣に生きる

m.無意味な人生に「意味」を与えよ

人生の意味とは何か?人は何のために生きるのか?アドラーの答えは「一般的な人生の意味はない」です。

例えば、戦禍や天災のように、我々の住む世界には、理不尽な出来事が隣り合わせで存在しています。つまり、人生には一般論として語れるような意味は存在しないのです。しかし、そうした不条理なる悲劇を前にしながら、何も行動を起こさないのは、起きてしまった悲劇を肯定しているのと同じです。

どんな状況であれ、我々は何らかの行動を起こさねばなりません。大きな天災に見舞われた時、原因論的に「どうしてこんな事になったのか?」と過去を振りかえる事に、どれだけの意味があるのか?我々は、困難に見舞われた時こそ、前を見て「これから何が出来るのか?」を考えるべきなのです。

アドラーは、「一般的な人生の意味はない」と語った後、こう続けています。「人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ」と。

あなたは、その人生に意味を与える事が出来る。あなたの人生に意味を与えられるのは、他ならぬあなただけなのだ、と。

自分の人生に迷っている人は、なぜ迷っているのか?それは「自由」を選ぼうとしているからです。

他者から嫌われる事を怖れず、他者が望む人生を生きず、自分だけの人生を生切る。

人が自由を選ぼうとした時、道に迷う事もあるでしょう。アドラー心理学では、自由なる人生の大きな指針として、「導きの星」というものを掲げています。

旅人が北極星を頼りに旅するように、我々の人生にも「導きの星」が必要になる。それがアドラー心理学の考え方です。この指針さえ見失わず、その方向に向かって進んで行けば幸福があります。それは「他者貢献」です。

あなたがどんな刹那を送っていようと、たとえあなたを嫌う人がいようと、「他者に貢献するのだ」という導きの星さえ見失わなければ、迷う事はありません。

嫌われる人には嫌われ、自由に生きて構わない。そして、刹那としての「今、ここ」を真剣に踊り、真剣に生きる。過去も見ないし、未来も見ない。完結した刹那を、ダンスするように生きるのです。

誰かと競争する必要は無く、目的地もいりません。踊っていれば、どこかに辿り着くでしょう。人は誰も、これまでの人生をどう振り返っても、なぜ自分が「今、ここ」にいるのか、上手く説明が付かない事が多い。しかし、解っている事がある。

それは「私達の力は計り知れないほどに大きい」という事です。

つまり、世界は、他の誰かが変えてくれるものではなく、ただ「私」によってしか変わらない

もう一度、アドラーの言葉を贈りましょう 「他の人が協力的でないとしても、あなたには関係がない。私の助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなど考える事は必要ない」



※「あとがき」から、アドラーの思想を実践して行く事は簡単ではない。反発したくなるところ、受け入れがたい言説、理解に苦しむ提言もある。しかし、アドラーの思想は、人の一生を変えさせてしまう力を持っている。あとは一歩を踏み出す「勇気」を持ちえるかどうかです(古賀史健)。
真摯に生きたいと願う事は大切な事ですが、それだけで十分ではない。アドラーが「人間の悩みは、すべて人間関係の悩みである」と言っています。どうすれば良い人間関係が築けるか、他人の期待を満たせるか、他人を傷つけまい、主張したい事もしないで伝える事が出来ない・・・。そのような人は、確かに周りの人からの受けは良く、嫌う人も少ない。その代わり、自分の人生を生きる事が出来ない事になるのです(岸見一郎)。
この本は、私の人生にとって、たくさんの学びを頂きました。私の勉強に、お付き合い頂き感謝します。今後も、「アドラーの心理学」を実践しで行きたいと思っています。岸見一郎氏&古賀史健氏へ感謝申し上げます。

「色っぽく引く!」

2015年04月15日 00時05分00秒 | 沖縄の生活


4月12日、沖縄本島中部にある、恩納村、道の駅「恩納(おんな)の駅」に立ち寄ったら、ドアノブに面白いメモが貼ってあった。そのひとつが、上の写真だ。

下には何枚か、同様の手書きメモがあったが、要は「優しく開けてね」という意味だった。

日曜の昼だったが、駐車場は満車状態だった。



特に、野菜類が安くて新鮮だった。

「今という一瞬一瞬を精一杯生きる積み重ねが充実した人生を創り出す」

2015年04月13日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<頑張る花シリーズ「民家のコンクリート塀にある排水溝に育つインパチェンス」>

「今という一瞬一瞬を精一杯生きる積み重ねが充実した人生を創り出す」 松下幸之助

一念とは、一つの今の心と書きます。

この一念を積み重ねて生きる事が、人生を豊にして行く。

物事は、自らが一念を持って動いたものでしか、成就しない

他人を当てにする心があれば、物事は進みません。

一瞬の中に、意識を集中させて、自らが必死に動けば、道は開かれるのです。

※幸之助さんも、アドラーさんも同じ事を言っています。

嫌われる勇気 (28)

2015年04月11日 00時05分00秒 | 沖縄の生活



アドラーの「嫌われる勇気」 岸見一郎+古賀史健著より 273~276P


第5章 「いま、ここ」を真剣に生きる

l.人生最大の嘘

真剣に生きるとは、大学に進みたいと思えば、毎日少しでもいいから、数式を解き単語を覚える。そうすると、そこには必ず「今日出来た事」があるはずです。今日という一日は、そのためにあったのです。

人生は、どこに到達したかを「線」で見るのではなく、どう生きたか、その刹那を見て行く事なのです。

遠い将来に目標を設定して、今はその準備期間だと考え、「本当は、これがしたいけど、やるべき時が来たらやろう」と考える。これは、人生を先延ばしする生き方。人生を先延ばしにしている限り、どこにも行けません。「今、ここ」は、準備期間で我慢の時期だと思っている訳ですから。

「今、ここ」は、遠い将来に向けての本番なのです。目標など無くてもいいのです。「今、ここ」を真剣に生きよ。

でも、深刻になってはいけない。真剣である事と、深刻である事を取り違えないで下さい。人生はいつもシンプルであり、深刻になるようなものではない。それぞれの刹那を真剣に生きていれば、深刻になる必要はない。

そして、もうひとつ、エネルゲイア的な視点に立った時、人生は常に完結しています。

20歳で終えた生も、90歳で終えた生も、いずれも完結した生であり、幸福な生なのです。

人生における最大の嘘。それは「今、ここ」を生きない事です(過去や未来を見て、人生全体にうすらぼんやりとした光を当てて、何か見えたつもりになっている事)。

ありもしない過去と未来ばかりに光を当てて、「今、ここ」から目を背ける(自分の人生に、嘘をつかない)。

人生の嘘に頼らず、この刹那を生き切る“勇気”を持て。

※人生は、どこに到達したかを「線」で見るのではなく、どう生きたか、その刹那を見る事が生きる事です。その内容は、人さまざまでいい。刹那を生き切る事が大切なのですね。

あるべき姿を曖昧にするな!

2015年04月09日 12時00分00秒 | 沖縄の生活

▲<1月に咲いていた「寒緋桜」には、今「さくらんぼう」が、一杯出来ている>

職場で起きる「問題」を分解すると「常識的な問題」と、「個別特有の問題」に分けられます。

「期限を守らない」「挨拶をしない」「嘘をつく」「整理整頓が出来ていない」「目標が達成しない」…などは「常識的な問題」です。



しかし、経営者やチームリーダーの価値観によって、組織の「あるべき姿」が個別特有になるケースがあります。
例えば、「上司には1週間に1度は報告・連絡・相談をする」「お客様から電話を受けたら、その日の内にコールバックする」「朝礼がある日は10分以上前に集合して社長の話を聞く」…等々。共通認識を正しくしておかないと理解されない「あるべき姿」の事。

この「あるべき姿」を曖昧にして、チーム内でギャップのある行動を放置していると「個別特有の問題」に発展して行くという事です。

「個別特有の問題」が発生している時、スルーするのか、叱るのか。


▲<この後、「熟れて」深紅色になりますが、渋くて食べられません(笑)>

このあたりが、ハッキリ整理されていない管理職が、部下指導に苦労するのです(当然会社にとっても良くならない事です)。

横山信弘メルマガ『草創花伝』2015.3.23より

4月「古民家食堂例会」

2015年04月08日 01時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<今夜の「古民家食堂例会」のメイン料理は、「スペアリブ」なのだが、何故か「クレソン」で盛り上がった>

4月7日の夕方、「久茂地」の仕事場から会社の仲間と二人で「古民家食堂例会」に直行するために。

「パレット久茂地前」のバス停から、19時過ぎに遅れて来たバスの中から、何も思わず「首里城下行き」に飛び乗った。

ゆいレールで「県庁前駅」→「首里駅」で行った方が絶対に早いのだが、何故、私は、「ゆいレール」ではなく、バスで「首里」に行くのか?

私は、3月から始まったバスレーン拡大による、「キャンペーン」通勤時に、バスを優先的に使用する「わったーバス党」になったので、那覇市内であれば、出来る限りバスを利用しているのです。

バスは、目の前の「国際通り」に入らず、左折して58号線へ迂回した。

58号線を北進し、「おもろまち」を横切って、新しく出来た「真嘉比」の街を抜け、首里城下「寒川樋川」を経由して「首里駅」へ向かう(230円)。

約30分以上乗車して、首里駅ひとつ手前の「鳥堀交差点」で降り、タクシーを捕まえ「古民家食堂」へ行った(初乗りの500円で到着)。

19時30分過ぎに着いたら、古民家食堂の外「あまはじ下」で、スペアリブが、燃上していた(今日の料理は焼肉で、メインは「沖縄あぐーのスペアリブ」だった)。



喉が渇いていたので、「ビールサーバー」を自分で使い、ビールをかけつけ3杯を飲み、すでに焼けていた、「スペアリブ」を3~5本食べた。




▲<スペアリブの次は、「海鮮」が出来て来た>



そこに、「クレソン」が出て来た。ここからが問題。

参加者の一人が、南城市で栽培していた「クレソン」を来る時に刈り取り、たくさん持参してくれたのです。


▲<「クレソン」は、サラダでもOK、焼いてもOKです>



参加した、女性達からこれは「クレソン」では無いとの意見が出て、「クレソン大論争」になる。

実は、料理場で勝手にサラダに「大根の葉」が混ざっていたのだった。

今回は、主役の「スペアリブ」ではなく、「クレソン」が話の中心になったのだ(笑)。

「クレソン」は、茎の中がストローのようになっている(私の好きな、「空芯菜」と同じである事を発見した)。

映画 「ジヌよさらば」

2015年04月07日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<4月3日から全国ロードショウの「ジヌよさらば」>

4月6日の午後、桜坂劇場で「ジヌよさらば」を観た。

原作は、いがらしみきお「かむろ村へ」(小学館ビックコミックスペシャル)らしい。

「さわれない、使えない、欲しくない」・・・。仕事でお金恐怖症になった男が、東北の限界集落に移住してくる。

「一円も使わないで、村で生きて行くためにこの村に来ました!」そんな事が可能なのか?(ジヌとは、お金の事)

非現実的で、奇想天外の展開が、最後までこれどもかと続く。

主役は、松田龍平。

脇を、阿部サダヲ、松たか子、二階堂ふみ、西田敏行が固めるから面白くないはずがない。

監督は、松尾スズキ(脚本&出演)。

携帯やお金もいらない生活をしようと格闘する青年は、現代社会への警告。ばかばかしいストーリーだけど、おもしろかった。

評価:★★★

沖縄は、夏到来!

2015年04月06日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<4月4日の午後、「豊崎美らSANビーチ」。気温は、23-28度>

日差しはまだ、刺すようなものではないが、豊見城市「豊崎美らSANビーチ」では、観光客だろうか、100人位海に入って泳いでいる。

土曜日、「YOUは何しに日本へ」を観た後、「豊崎美らSANビーチ」に、読書&日光浴に行った。

持参した本は、「別れる力」(伊集院静)と、「アドラー 人生に革命が起きる100の言葉」(小倉広)。

管理棟屋上に当たる浜風が、5~4m/秒で気持ちが良くて、普段より30分多い1時間半くらい居た。


▲<Tシャツを着て、海に入っているので地元の人達だろうか?>



海が見える場所で、浜風にあたりながら「読書&日光浴」が出来る事は、私の至福の時だ。


▲<「BBQコーナー」の上に上がる雲>


嫌われる勇気 (27)

2015年04月04日 10時00分00秒 | 沖縄の生活

▲<4月3日の空。入道雲のような形の雲が出始めた>

アドラーの「嫌われる勇気」 岸見一郎+古賀史健著より 270~272P

第5章 「いま、ここ」を真剣に生きる

k.「今、ここ」に強烈なスポットライトを当てよ

アドラー心理学の「エネルゲイア的生き方」は、後ろを見る事も前を見る事も否定する。

我々の人生は、舞台の上で、自分に強烈なスポットライトが当たっている状況。

人生全体に薄らぼんやりとした光を当てているからこそ、過去や未来が見えてしまう。

しかし、「今、ここ」に、強烈なスポットライトを当てていたら、過去も未来も見えなくなる。

過去が見えるような気がしたり、未来が予測出来る気がしてしまうのは、あなたが「今、ここ」を真剣に生きていない証拠です。

人は、過去や未来を見る事で自らに免罪符を与えようとする。

過去にどんな事があったなど、あなたの「今、ここ」には、何の関係もない。未来がどうであるかなど「今、ここ」で考える問題ではない。

フロイト的な原因論に立っていると、人生が因果律に基づく大きな物語として捉えてしまいます。

確かに、人生を物語に見立てる事は面白い。ところが、物語の先には「ぼんやりとしたこれから」が見えてしまい、その物語に沿った人生を送ろうとする。私の人生はこうだから、その通りに生きる以外ない、悪いのは私でなく、過去であり環境なのだと。ここで持ち出される過去は、まさしく免罪符であり、「人生の嘘」に他なりません。

人生は「今、ここ」の話であり、自らの意思で変えて行けるものなのです。

すべての人にとって、これから先の人生は、まったくの白紙であり、進むべきレールが敷かれはなく、そこに物語は無い。

人生は、「今、ここ」にスポットライト当てると言うのは、今、出来る事を真剣かつ丁寧にやって行く事なのです。

人生は「今、ここ」の話であり、自らの意思で変えて行けるものなのです。人生は、「今、ここ」にスポットライト当てると言うのは、今、出来る事を真剣かつ丁寧にやって行く事なのです。『今ここに生きよ!』です。