「2010年映画観賞記録」

2010年12月30日 02時00分00秒 | 沖縄の生活

▲<インビクタス>

2010年は、3D映画元年と言われる年だった。
私も、「アバター」「アリス」「パリ―ポッター 死の秘宝(1)」の3作を観たが、いずれもそんなにすごいとは思えなかった(飛び出るので驚いたが)。

▲<アリスインワンダーランド>

年間観賞作品数は、113作品(昨年比+22本)でした。

内訳は、外国作品81本(昨年比+30本)、国内作品32本(昨年比▲8本)でした。

▲<ハート・ロッカー>

劇場23本(昨年比▲3本)、DVD71本(昨年比+24本)、TV19本(昨年比+1本)。
遅ればせながら、10月に我が家も地デジになったので、昨年に比べてDVD&TVが増えた。

▲<プレシャス>

私の2010年観賞作品のランキングは、1位「インビクタス」(クリント・イーストウッド監督作品で、モーガン・フリーマン演じるマンディラ大統領がカッコ良かった!)2位「愛を読むひと」3位「君のためなら千回でも」4位「ハート・ロッカー」5位「アドレナリン①②」6位「プレシャス」7位「この道は母へと続く」8位「闇の列車、光の旅」9位「レオニー」10位「やさしい嘘と贈り物」でした。
2010年のベスト10の国内作品は「レオニー」の一作品だった(10位以下には、「RAILWAY」「借りぐらしのアリエッティ」「密約」があったのだが・・・。

▲<借りぐらしのアリエッティ>

「レオニー」

2010年12月28日 10時00分00秒 | 沖縄の生活


12月27日、久茂地にある「シネマパレット」で、「レオニー」を観た。
彫刻家イサム・ノグチを育てたアメリカ女性のレオニー・ギルモアの波乱に満ちた生涯を描いた映画です。

監督は、松井久子。「ユキエ」「折り梅」に続く3作目(前作はすべて観ている)。
完成まで7年かかっている。映像は、フランス・セザール賞の「永田鉄夫」が、日米13都市に渡るロケ地を撮影した美しい風景の中でレオニーの人生がたくましくも美しく描いている。

100年前のニューヨークから始まり、子供を抱えて日本に渡りシングルマザーとして育てる。我が身に降りかかる不幸にも負けず力強く生きて行く姿に感動する。

「自分らしく生きる」彼女の信念は、息子の「イサム・ノグチ」に引き継がれて行き、世界的な彫刻家を誕生させる。

「自らの意志で、未来を切り拓いて行く」レオニーの生き方は、女性にだけでなく、多くの人に生きる勇気を与える。


「12月のガーデンパーティ参加記」

2010年12月25日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

12月23日の休日に、地元の方の戸建お庭で行われる「ガーデンパーティ」に、ご招待して頂いた(このような「うちなんちゅうのガーデンパーティ」は、移住する前からの憧れでした)。

場所は、ゆいレール「小禄」駅から徒歩約3分の所にある閑静な住宅街にあるN邸。
 
▲<「玄関横、駐車場側のアプローチ」から庭に直接入る>
 
▲<母屋側から庭を望む>

▲<「本日のシェフ高良さん」が、竹串に刺した天ぷらを揚げているところ>

当日は「冬至」で、17:30位に陽が暮れた。17時に訪問したので、陽が落ちる前に、個性的な建物やお庭を観賞する事が出来た。
 
▲<暗くなり始めてから、参加メンバーが集い始めた>
 
▲<炭火で焼くシシャモ、豚肉、鶏肉、葱、椎茸明太子包み等々・・・>

▲<「何度目かの乾杯!」>

庭に、キヤンプ道具を置き炭火で本格的な料理を作るのだ。
参加者は、身内半分友人半分という感じで、計15名(1歳未満の赤ちゃんも)。

参加メンバーが、めいめいに持参したビールやワインを飲みながら、先ほどまで知らないかった者同士が和気あいあいと歓談をした。
 
▲<今日、初めて知り合った人との語らい>

▲<具がたくさんの「パェリア」が出来上がりました>
 
▲<タバスコが、たっぷり入った「豆のスープ」も出来上がました>

22時までの5時間を夜空の下で、美味しい手作り料理と美酒で充分に、「沖縄冬のガーデンパーティ」を堪能した!N邸のファミリーさま、ご馳走様でした!!(感激)

最後は少し寒くなってきたが、震えるような感じではなく快適だった。

「闇の列車、光の旅」

2010年12月23日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<主人公の少女(サイラ)の沈んだ目がいい>

先日、映画「闇の列車、光の旅」を桜坂劇場で観た。
中米のホンジュラスからメキシコを通過する列車の屋根に無賃で乗り、アメリカに不法入国しようとする親子。そこに、ホンジュラスのギャング団に所属する青年(カスベル)が交錯するストーリー。


▲<ギャングのボスに、隠していた恋人(中央の女性)を殺されるカスベル>

不法移民の実態をリアルに描いた社会派の秀作。
監督は、日系のキャリー・ジョージ・フクナガ(32歳)で、長編初監督で「サンダンス映画
祭監督賞受賞・撮影監督賞受賞」他、たくさんの賞を受賞した作品です。




▲<サイラに暴行を加えようとしたボスを殺してしまい、所属していたギヤング団から追われる立場になったカスベル>

日本では、想像できない国境を2つも越えて、アメリカに不法入国をしょうとするストーリー。
不法入国する人達の多さと、過酷で危険を伴う長い旅を映像によって知る。


主人公の少女サイラは、瞳の奥にある光を求めて、自らの人生をを切り開く姿に胸が熱くなった。

▲<脱いだ服を黒いゴミ袋に入れ、それを浮輪きにして国境の川を渡る>

「古民家食堂12月度例会&忘年会」

2010年12月22日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

12月13日の夜、南風原町大名にある「古民家食堂」で、12月度例会&忘年会があった。

▲<「きのこ(まいたけとしめじ)」と、たっぷりの野菜>

▲<囲炉裏の炭火で焼いた「さんま」は、絶品!>

今回は、「きのこ鍋」(豚・鮭・鶏をベースにきのこ・白菜・他・・・)+「サンマ+葱」の串焼き。




他に、前菜で「3品刺身の盛り合わせ」「シシャモ」。




最後は、「沖縄ぜんざい」で仕上げる。
  
▲<年中ある「ぜんざい(小)240円を二つ注文した>

19~22時まで、タップリ食べて、タップリ飲んで、今夜も高良さんに代行タクシーで自宅まで送ってもらう

第6回「沖縄移住者の会」

2010年12月20日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<新都心公園に咲くトックリキワタの花>

12月18日の15:00からおもろまちにある「クッチーナ天久」で、第6回目の「沖縄移住者の会」を行いました。今回の参加者は10名でした(うち初参加者は2名)。


「クッチーナ天久」は、おもろまちりゅうぼうの裏にある喫茶&レストランです。
通りに面した1階にある綺麗な店です。
パテシィエの吉村さんのケーキが美味しかった(吉村さんも移住者でした)。
  
▲<吉村さんが創るケーキは、@350~400円です>
 
初参加者も含めて、「自己紹介&近況報告」を行いました。


初参加者の一人、Sさんの「沖縄に来てからひとつも良い思いをしなかったが、この会に参加出来て、良い気持ちになれました」の言葉を聞いて、この会をやっていて良かったと思った(Sさん、一緒に頑張りましょうね)。

「年賀状」

2010年12月18日 08時30分00秒 | 沖縄の生活

▲<12月の美しい朝焼け>

◎12月16日の沖縄は、やんばるで10.7度、那覇は13.2度と記録的な寒さでした。

今年もあと、2週間で終わる。
12月に入ると、「喪中ハガキ」が届き始める。

私の年齢になると、両親がお亡くなりになる人が多くなる。
11月に、同世代の元同僚が突然に亡くなった時は、言葉を無くしてしまった・・・。

▲<ご近所の味わいある塀に咲く「キョウチクトウ」>

沖縄に来て、4回目の年賀状を書く事になる。
年に一度、沖縄から年賀状で挨拶するだけの方も多い。
暑中見舞いは、出さないので「年賀状派」です。
年賀状は、年に一度、近況報告するには、まことに良い連絡手段だと思う。

最近は、メールを年賀状にする人が、増えているらしいが、私は反対だ。
同じ文面で、一度にたくさん出せるだけに相手に対して失礼と思うからだ。
また、以前返信をしたら、楽天から案内メールがたくさん届き、それが取り消しにくくて往生した事もあった。

▲<那覇市内「与儀公園」小川にいた白鷺>

私の年賀状が、さすがに300通を超えた頃から、宛名の手書きは止め住所録からプリントアウトをしている。
裏面の内容は、近況を知らせるために、前年自分で撮影した沖縄の風景や自分の写真を必ず入れるようにしている。
そして必ず、一人ひとりその人に事を考えながら、メッセージを手書きする(印刷物で何もメッセージが書いてないものを年明けから頂くのはあまりにも寂しい)。

毎年、正月に頂く年賀状で、色んな人生をうかがい知る。
結婚や起業、病気の事や家族が増えた事等々・・・。
早期退職や起業した人の状況をあれこれと察する。

私の来年のテーマは、『地域貢献&他者支援』です。
来年も、「たくさんの出逢にワクワクして過ごす年になればいいなぁ」と思いながら、年賀状を書いています。

▲<12月の「豊崎浜」>

「野村元監督沖縄へ」

2010年12月15日 00時05分00秒 | 沖縄の生活


12月14日、ホテル日航那覇グランキャッスル(那覇市首里山川町)で、元楽天イーグルス監督野村克也氏の講演会があった。
主催は、地元大手企業「株式会社りゅうせき」、同社の創業60周年記念イベントです。


講演のテーマは、「弱者の戦略」。

最初の話は、京都の田舎の子供が金持ちになるために考えた仕事は、「歌手」→「俳優」→「野球選手」。
結局最後の野球選手になる事を決めた。そして、どうしたらなれるかを必死に考えた。

当時の実力では、スカウトにも引っかからず、テスト生しかなかった。
その当時、野球選手の引退年齢は35歳だった。
一番、「巨人」に入りたかったが、一年前に入った藤尾には、絶対に勝てないと思い、即諦めた。
30歳以上の正捕手がいたのは、「南海」と「広島」だった。
受からないと思って受けた「南海」に、テスト生で受かり野球人生が始まった・・・。

「失敗と書いて、成長という」
「言い訳は、進歩の敵」
「スター選手が監督になって選手に言う言葉は、そんな事も出来ないのか!」
「目あき千人、目くら千人」(しっかり仕事をしていれば、必ず誰かが見てくれている)
「一生懸命の姿が一番美しい」
「現代の野球は、監督よりキャッチャーだ」
「強いチームと戦う時は、同じ事をしてはダメ!奇策が必要」(何かやると思わせる心理的揺さぶりが必要)昔阪神の吉田監督へ4月に一度やったら、その年一年間通用した。
星野楽天新監督の話も出たが、ここでは割愛。


登壇から、あっという間の約100分間、野村元監督のぼやき節が、最初から最後まで続いた(笑)。

「クレイジー・ハート」

2010年12月09日 00時05分00秒 | 生き方・人生観


やっと、本年アカデミー賞2部門受賞作品(主演男優賞・主題歌賞)作品の「クレイジー・ハート」を観ました。
主演男優賞受賞の「ジェフ・ブリッジス」は、個性的過ぎてあまり好きになれない俳優だが、今回は悪役でもなく変人でもない。
彼にとって、この適役を射止めた事は人生の出会いだと思ったくらい(彼の人生の様に見える)歌うシーンは、吹き替えなし。歌手としても通用するくらい上手い。

ストーリーは、かって一世を風靡したカントリー・シンガーの大スターが、落ちぶれた末路の話は、よくある話なのであまり期待していなかったが、淡々と進むストーリー展開は、かえって真実味があり、どんどん引き込まれて行く。
悪い人が、一人もいなくて、本当に主人公を中心に展開して行く(ヒロインの「マギー・ギレンホール」も美しく見えてくるから凄い)。

これが、アカデミー賞受賞作?というくらいに地味な作品です。アメリカ人が好む作品だろうなぁ・・・。

日本風で言換えれえば、「吉田拓郎」が人気が無くなり、地方周りをして稼いでいる頃、彼を憧れていた“キンキキッズ”に、番組に誘われて復活するという様な映画。

団塊の世代向き、中高年が元気が出る映画です。

「トックリキワタ」沖縄の原木

2010年12月07日 21時00分00秒 | 沖縄の生活
 
▲<正面奥に「DFS」が見える。左端が、「ゆいレールおもろまち駅」>

ゆいレール「おもろまち駅」のDFSがある広場の片隅に「トックリキワタの木」が一本、丁寧に植えられている。
案内板の解説を読んでみると、この木が1964年10月、当時琉球政府農林局の天野鉄夫氏が南米ボリビアから、5~6粒の種を持ち帰り、翌年県内で初めて発芽した苗を那覇市繁多川の自宅の庭に植えて成長した、沖縄における「トックリキワタ」の原木そのものである事を知った。

種から植えられて、6年後の1970年の開花し、その後、鮮やかなピンク色の大柄の花を咲かせ、亜熱帯植物園都市那覇の晩秋の街並みを演出し続けました(遠くから見ると、秋に桜が咲いているように見える)。


「トックリキワタ」の名前は、天野氏の命名です。一般的に天野株として、ひろく知られるようになり、これまでの約40年間に、県下の街路樹・公園樹として広まり今日に至っている。
植えられてから約40年で、幹や枝が大きく成長し、天野家での成育管理がが困難となったため、那覇市が景観木として、2005年3月に、この地に移植しました。


開花時期は、9~12月で、開花の後に、こぶし大の果実になり、果実が完全に成長すると破裂して中の種は、綿を付けて飛散する。
種を包む「カポック綿」は、枕・座布団・クッションの詰めものとして利用される(その頃の沖縄では、晴れた日、綿が空を舞う、幻想的な風景を観る事が出来ます)。

「第26回NAHAマラソン」

2010年12月06日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<地元テレビでレポーターを行うシーサーのかぶり物のタレント>

12月5日、9時のスタートで始まった。
昨年、3万人を超え混乱をきたし、今年から参加者制限をし、25,000人にした(実質の参加者は、23,400人)。午前中の温度は、23.7度でした。

▲<トップの早坂さん。2時間26分43秒でゴールイン!>

▲<同じ頃、ハーフ手前の具志頭を走るランナー群>

▲<ゴール3km手前、沖縄風の応援風景>

ゆいレール駅「奥武山公園駅」下を歩いてた時に花火が上がった。15時15分が、ゴールインのラストタイムです(奥武山陸上競技場のゲートが閉まる)。

顧問先会社の集合場所へ行こうと歩いていたら、閉まったゲートの前で倒れて担架で運ばれる女性を見た。

集合場所には、約30人のメンバーが、集まっていた。
大きなブルーシートの上で、走った人を称えていた。
10人くらい走って4人が完走。他は、あと1㎞でクローズになった人や、ハーフで帰って来た人等々・・・。

▲<豚汁が凄くお美味しかった!>

お疲れさまでした!

「那覇餃子食べ歩きツアー」パート①

2010年12月03日 00時05分00秒 | 沖縄の生活
 <「OPA」のクリスマスツリー>

◎今日(12月2日)も、昨日に負けない暑さでした(那覇市内は27度~)。

11月26日(金)、人財パワー㈱の3人と私で、「那覇市内の餃子食べ歩きツアー」第一回目を行った。
19時に、牧志公設市場入口にある「OPA」で待ち合わせる。

一軒目は、牧志公設市場(外)にある「餃子市場」へ行く。
ウコンの入った皮に包まれた「餡」は、ニンニクは少なめで「あっさり系」。
「餡」が、歯ごたえが良くシャキシャキ感が個性(何かは直接食べて当てて下さい)。
男性なら、2人前はペロリと食べれる。
 
▲<フリーペーパー「Chura+」のクーポン持参でサービスがある>
二軒目があるので、一人前と「オリオンビール(大)」一本で終える。

二軒目は、「桜坂社交場」内にある「新茶家」。
以前は、桜坂劇場下の道路にあったが、区画整理で店舗が移転した(昔の店は、畳の席もあり古いが味わいがあった・・・)。

ここの餃子は、ニンニクのひとかけらが餡に入っていて、初めて食べる人はびっくりする。
餡は、しつこくないのだが、ニンニクがっしりと来る「コッテリ系」。
「新茶家」の餃子は、翌日の匂いが半端ではないので、必ず翌日仕事がない日を選ぶ。

本当は、三軒目も別の店に行きたいのだが、今回はここで終わる。

 
▲おまけは、「桜坂社交場」にある「Barエロス」へ行き一息ついてから帰路に着いた。

「12月1日の沖縄は、27度の夏日でした」

2010年12月02日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<12月1日、沖縄はまだ夏?!>

今朝7時30分から車に乗って浦添市の顧問先に行く。
窓を開けて運転が出来るほど、朝から暑かった。
仕事を終えて、いったん帰宅した後、11時から豊見城市の人工浜へ読書に行く。
 
少し風があったが、気持ち良く読書が出来た。
今日持参したのは、以前、妻が評判を聞いて購入した本「もし高校野球の女子マネジャーが、ドラッカーの『マネジメント』を読んだら」岩崎夏海著。

内容は、「ドラッカーの古典を女子高校生が読むか?!」と、思う現実離れした設定のベストセラー。

現実味があまりなさ過ぎて、なかなか読み進めない(ストリー展開も楽観的で、薄っぺらい内容だ)。
なぜ売れたのか不思議な本だ。
表紙のイラストが良かったのだろう。
発行元のダイヤモンド社は、成功した。
この本が入門書となり、再びドラッカーブームになったからだ。

▲<12月、ランニングシャツ一枚で、青空の下で読書出来る至福の時(沖縄に来てよかったと思う瞬間です)>