▲<仲間樋川>
仲間地区は、「浦添の中の浦添」と言われる、古琉球時代に栄えた「浦添城跡」、沖縄最初の仏寺である「龍福寺跡」、英祖・尚寧墓陵(ようどれ)等の史跡があります。
「浦添グスク・ようどれ館」から「安波茶交差点」へ、下って来る途中に、うがんじょ(拝所)がいくつかありましたので、「うらそい道じゅねーマップ」を片手に探索をして来ました。
まず、「浦添グスク・ようどれ館」から、住宅街を下って行くと三差路の角に「サーターヤー跡」の標識があります。「サーターヤー」とは、砂糖屋(砂糖きび工場)の事です。
そこの三差路を住宅地へ降りて行くと、畑の中に小さな森があります。
そこが「クバサーヌ御嶽」です。
「クバサーヌ御嶽」は、仲間集落の発祥の地と伝えられ、戦前は大木がうっそうと茂っていた。
古老の話によると、石で積み封じた神墓があったそうです。
その昔は、クバの木の下で子供を出産したという言い伝えもあります。
旧正月の「初拝み」、5月・6月の「稲二祭(ウマチー)」、12月の「御願解」などの年中行事には、他の拝所ともに村拝みが行われます。
<クバサーヌ御嶽>
そこから、真直ぐ下へ降りて行くと小さな児童公園がありその一角に、「仲間ンティラ」があります。
ティラは、テラと呼ばれる拝所は、沖縄や奄美地方に広く分布し、その多くは洞穴になっています。
仏を祀る寺ではなく、ムラの神が鎮座している所と考えられています。
現在は、洞穴一帯は埋め立てられて、再建した祠の中から洞穴に入る形に変わっている。
▲<児童公園で遊ぶ子供達には、忘れられたように鎮座している「仲間ンティラ」>
「仲間ンティラ」の直ぐ東に、「仲間樋川」があります。
最近修復したらしく、新しくて綺麗な樋川です。
ここの井泉の水は、セジ(霊の力)があると信じられ、今でも信仰の対象になっています。
正月には若水を汲んで各家の仏壇に供え、子供が産まれた時には、産水として使われてきました。
▲<以前の井泉は、樋口から落ちる「水タンク」の蓋がされていたので、今回の改修で昔通りに上を開けている。今も、こんこんと美しい水が樋口から流れ出ていた。>
「仲間ンティラ」から、少し西へ県道153号線へ歩いた所に、「火ヌ神」があります。
気をつけないと、入口を見過ごしてしまうくらいの脇道です。
中に入ると、日頃から掃除をしている事が伺える綺麗な保存状態です。
火ヌ神(ヒヌカン)とは、各家庭で祀る火の神と、ムラの火の神があります。
この石の祠は、近世の仲間村の「地頭火ヌ神」です。
地頭は、琉球王国時代に間切や村を領地にした士族で、その就任や退任の時に拝んだのが地頭火ヌ神です。
また、王府の公式祭祀として、浦添ノロが執り行う「稲二祭」などでも、他の拝所とともにこの火ヌ神も拝まれた。
▲<この様な小道の奥に、由緒ある「火ヌ神」があるとは思えない。探す楽しみのある拝所でした>