「沖縄の桜まつり」

2015年01月29日 16時00分00秒 | 沖縄の生活

▲<以下、那覇市内で撮影した「沖縄の桜」(1月22日~28日)>

日本で一番早い、「桜」の開花が見られる沖縄は、今週末がやんばる地区の「寒緋桜の花見」が、ピークを迎える。

「今帰仁城跡」「八重岳桜の森」「名護城跡」など。

沖縄本島は、北から開花が始まり、南に降りてくる。



1月29日は、少し寒くて18度だが、一昨日は、24度(4月下旬並み)だった。



那覇市内にも、少し種類が異なるが、桜が咲き始めた。



2月11日~2月15日は、那覇市内「与儀公園」で、「なはさくらまつり」が開催される。



那覇市内でも2月に、「桜の花見」が出来るのだ。

ムーチー(鬼餅)の日

2015年01月28日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<写真は、夕方、「イオン」で買ってきたものです>

沖縄は、旧暦で生活が営まれている土地です。

1月27日は、旧暦の12月8日に当ります。

旧暦の12月8日に、「悪鬼悪霊」の退散を祈り厄払いする風習があります。

米粉で作った餅(ムーチー)をサンニン(月桃)のカーサー(葉)に包んで蒸したものを供えます。

今夜、三線の練習に行ったら二人の女性が自宅で作った「ムーチー」を持参しており頂く。

特に一人は、初孫であり「初ムーチー」で、近所に配ったらしい。

いずれも、白餅だったが、「黒砂糖」や「紅芋」なども店では売っている。

嫌われる勇気(21)

2015年01月25日 13時00分00秒 | 沖縄の生活

▲<沖縄は、ここ2日暖かい(22‐16度)で、空が美しい>

アドラーの「嫌われる勇気」 岸見一郎+古賀史健著より 236~240P

第5章 「いま、ここ」を真剣に生きる

d.仕事の本質は、他者への貢献

まず、交換不能な「私」をありのままに受け入れる。それが「自己受容」です。そして他者に対して無条件の信頼を寄せる。これが「他者信頼」になります。

自分を受け入れる事が出来て、なおかつ他者を信頼する事が出来る。この場合、自分にとって他者とは、どんな存在になるのか?他者に信頼を寄せる事は、すなわち他者を仲間だと見なす事です。仲間だからこそ、信頼する事が出来る。

仲間でなければ、信頼まで踏み出せません。そして、他者が仲間であれば、自分の属す共同体に居場所を見出す事に繋がって行きます。だから、「ここにいていいんだ」という所属感を得る事が出来るのです。

他者の事を仲間だと見なすためには、「自己受容」と「他者信頼」の両方が必要になる。他者の事を敵だと思っている人は、自己受容も出来ないし、他者信頼も不十分なのです。

共同体感覚とは、「自己受容」と「他者信頼」だけで得られるものではありません。そこには3つ目のキーワードである「他者貢献」が必要になって来ます。

「他者貢献」とは、仲間である他者に対して、何らかの働きかけをして貢献しようとする事です。

「他者貢献」が意味するところは、自己犠牲ではありません。むしろアドラーは、他者のために自分の人生を犠牲にしてしまう人の事を、「社会に過度に適応した人」であるとして、警鐘を鳴らしています

我々は、自分の存在や行動が共同体にとって有益だと思えた時だけ、つまりは、「私は誰かの役に立っている」と思えた時だけ、自らの価値を実感する事が出来ます。

つまり、「他者貢献」とは、「私」を捨てて誰かに尽くす事ではなく、むしろ「私」の価値を実感するためにこそ、なされるものなのです。

もっと解り易い「他者貢献」例は、仕事です。社会に出て働く。あるいは家事をこなす。労働とは、金銭を稼ぐ手段だけではありません。我々は労働によって「他者貢献」をなし、共同体にコミットし、「私は誰かに役に立っている」事を実感して、自らの存在価値を受け入れているのです。

勿論、お金を稼ぐ事も大きな要素です。しかし、一生かかっても使い切れないほどの資産を抱えた富豪がいます。彼らの多くは、今も忙しく働き続けています。なぜ働くのでしょうか?底抜けに強欲なのでしょうか?違います。

それは「他者貢献」のためであり、ひいては「ここにいてもいいんだ」という所属感を確認するためなのです。

「他者貢献」とは、「私」を捨てて誰かに尽くす事ではなく、むしろ「私」の価値を実感するためにこそ、なされるもの――。この考え方が社会に一員である実感であり、「ここにいていいんだ」という所属感を確認出来る。現在、多くいる「孤独感」を抱えている人に知っておいて欲しい事です。

「現状のままにしておきたい心理欲求から自分を解き放て!」

2015年01月22日 12時00分00秒 | 沖縄の生活

▲<“現状維持バイアス”を上手くコントロールして「殻を破ろう!」>

人間の脳は、数パーセントしか活用していないらしい。

仕事も、本人が持つ能力の20~30%で充分に、普通の成果を出せるらしい。

では、残った能力は何に使うのか?亡くなるまで出せなくて、宝の持ち腐れという事なのか?



人間は、強力な動機がないと、新しい方法を試そうとは思わない習性を持っているらしい。
         
人間は、自分に対する利益と損失が同じであれば、利益から得る喜びより損失による苦痛の方が大きく感じるようになっているらしい。



ゆえに人間は、リスク回避を常に優先している。

この人間心理の“損失回避性”が、新しい挑戦をせず、現状に甘んじる傾向を増強させる。



この事を【現状維持バイアス】に罹っている状態という。



自己成長するためには、新しい仕事の仕方を取り込み、新しい人間関係に変えなければならない。


                 
しかし、慣れ親しんだやり方を変える時、「現状維持バイアス」により、嫌な気持ちや不安な気持ちになる。



それは、変わりたい自分と変わりたくない自分が葛藤し、変化する事への恐れや、未知への不安が「現状維持」に引きずり込むからだ。



多くの人が、「成長したい」と思いながら実現出来ていない。   

それは、「脳が楽をして、冒険をしないで成長したい」と思っているからです。



成長とは、新たな自分との出会いです。本来の自分を開発する事です。

過去の成長しない自分を後生大事にして生きて行く事は面白くない。



「現状維持バイアス」を上手くコントロールして自己成長を図りましょう。
                
自分を変えてあげられるのは、自分しかいない。



せっかく頂いた「命」を、新しい自己発見・自己成長して「使命」に使い切りたいですね。

※写真は、スポーツセンターに行く途中の住宅街の風景とお庭の花々です。

嫌われる勇気(20)

2015年01月19日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<1月16日、日没少し前の空>

アドラーの「嫌われる勇気」 岸見一郎+古賀史健著より 230~236P

第5章 「いま、ここ」を真剣に生きる


c.信用と信頼は何が違うのか

「自己への執着」を「他者への関心」に切り変えて行く時、絶対に欠かす事が出来ないのが、第2のキーワード「他者信頼」です。

ここでは、「信じる」という言葉を、「信用」「信頼」に区別して考えます。

まず、「信用」とは条件付きの事です(例えば、銀行でお金を借りようとした時、何かしらの担保が必要になる。信頼しているからではなく信用です)。

これに対して、対人関係の基礎は「信用」ではなく、「信頼」によって成立していると、考えるのがアドラー心理学です。

「信頼」とは、他者を信じるにあたって、一切の条件を付けない事です(担保を考えず、無条件に信じる。それが信頼です)。

我々は、無条件の「信頼」を置くからこそ、深い関係が築けるのです。

「誰かを無条件に信頼したところで、裏切られるだけだ」と思っている人へ。裏切るのか裏切らないかを決めるのは、あなたではありません。それは他者の課題です。あなたはただ「自分は、どうするか?」だけ考えればいいのです。

「相手が裏切らないのなら、私も与えましょう」というのは、担保や条件に基づく「信用」です。

これも「課題の分離」です。課題の分離が出来るようになると人生は驚くほどシンプルな姿になります。

アドラー心理学は、道徳的価値観に基づいて「他者を無条件に信頼しなさい」と説いている訳ではありません。

無条件の信頼とは、対人関係を良くするため、横の関係を築いて行くための「手段」です。

「裏切られた時」の事ばかり心配している人は、そこで受ける傷の痛みにばかり注目している人です。

信頼する事を怖れていたら、結局は誰とも深い関係を築く事は出来ないのです。

「他者信頼」によって深い関係に踏み込む勇気を持ってこそ、対人関係の喜びは増し、人生の喜びも増えて行くのです。

裏切られる恐怖を踏み越える勇気は、「自己受容」です。ありのままの自分を受け入れ、「自分に出来る事」と「自分には出来ない事」を見極める事さえ出来れば、裏切りが他者の課題である事も理解出来、他者信頼に踏み込む事もなくなる。

我々は、信じる事も出来るし、疑る事も出来ます。そして我々は、他者を仲間と見なす事を目指します。信じる事と疑る事のどちらを選択するかは、明らかでしょう。

※「信用」と「信頼」の話は解りやすい。「裏切られる」事を【他者の課題】と考えられたら、確かに自分の問題ではないので、出来ない事に悩む事は無くなりますね。

若手向けビジネスパワーアップ研修

2015年01月16日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<若手には少し難しいが、「企業の成長ステージによる求められる人材要件」を解説した>

1月14日の18~20時、顧問先企業の若手11名に対して、「若手人材ビジネスパワーアップ研修」を行った。

この研修は、若手層(23~26歳)に対して、ビジネス社会で生きていく力を身に付けさせるため、昨年の4月から一年間かけて月に一回実施している

一方的な講義にせず、前回の講義に対して質問をさせてそれに答える形式にしている。

この事で、研修内容の「復習」と「質問力」を鍛える事を狙っている。

先月は、「生涯賃金」「会社は、仕事は遅くて丁寧な人より、雑でも早い人を選ぶ」「伸びる新人の条件」「教えてもらうには“明るさ”が必要」「クレーム対応が自分を成長させる」「本を読む効用」「35歳限界説」などを講義した。

今月の質問は、「日経新聞を読むから年収が上がるのか?」「人間の価値相場とは?」「Googlの早さとは何?」「人間関係を構築して行く上で一番重視する点は?」「自信満々でミスをするポジティブな人とミスはしないけどネガティブな人どっちがいいか?」等々、ユニークな質問が続出。

▲<若手は。まだただの「人材」に過ぎないが、「人財」を目指せ!>

▲<「スティーブ・ジョブスのような仕事が出来る人になるには?」の質問に対して、以前解説した「PDCAをたくさん回せ!」を使い、普通の人間は、たくさんのPDCAを回して他人よりも多くの経験を積むしかないと答えた>

▲<PDCAを回すと同時に、「時間管理のマトリックス」を使い、仕事中「第二領域」の時間を少しでも多く創出する事が重要だと伝えた>



▲<仕事に対して、ネガティブになる人には、「自己効力」という考え方を教えた>

▲<「かわいがられる若手とは?」との質問には、以前使った「明・元・素」を再度説明した>

▲<この研修のメンバーで、3年以内で会社去って行く人がいたので、「3年以内に会社辞める事がいかにもったいないか」を話した>

そのような「質問」に対して、一つ一つ資料を交えて解説したら2時間が過ぎていた(笑)。

終った後も、有志の5名と会社近くの居酒屋で意見交換が続いた。

この研修は、私自身が「活かされている」と感じられる至福の時間でもある。

古民家食堂1月例会

2015年01月14日 12時00分00秒 | 沖縄の生活

▲<採れたての新鮮な「三重の牡蠣(焼牡蠣)」>

1月13日の夜、「古民家食堂例会」があった。

今月のメイン料理は、昨年好評だった「牡蠣」です。

前回同様、瀬崎さんの実家(三重県)が養殖する採れ立ての牡蠣を送って貰った。

昨年同様「牡蠣づくし」のはずが、昨年、店長&料理長が独立して、伝わっていなく。

着いてみたら、囲炉裏に「牡蠣の土手鍋」が掛かっていて、別の部屋では、「焼牡蠣」が始まっていた!!


▲<牡蠣を提供してくれた「瀬崎さん夫妻」が、「牡蠣の土手鍋」をつくってくれた>


▲<味噌がいい味を出していた「牡蠣の土手鍋」>

厨房に行き、新しい店長&料理長に、「他の牡蠣料理が先だろう!(料理の名前が解らなかったので)例えば、フライとか」と言って、席に戻ると。


▲<今回、新しい仲間(佐原夫妻)他2名も参加があった>


▲<パーマ屋の秀子さんは、今日も元気だ>

少し立って出て来たのが、いつもの「突出し」の、「鶏のから揚げ」と「きびなごのから揚げ」・・・?!

「牡蠣の土手鍋」と「焼牡蠣」を繰り返し食べる・・・。


▲<たくさん牡蠣を、何度も入れ「鍋」を食べ続ける>

少したって、「牡蠣フライ」が出て来た。


▲<さすがに新鮮で美味しい!>

たくさん送ったらしいが、牡蠣料理は3品で終わった・・・・。


▲<途中から、アルコールが回って来て、どうでもよくなり楽しくなって終る>

「嫌われる勇気」(19)

2015年01月13日 11時00分00秒 | 沖縄の生活

▲<1月13日、那覇の気温は20-16度で空が美しい>

アドラーの「嫌われる勇気」 岸見一郎+古賀史健著より 222~229P

第5章 「いま、ここ」を真剣に生きる


a.過剰な「自意識」が、自分にブレーキをかける

アドラーが共同体感覚の概念を提唱した時、心理学は科学であるべきなのに、アドラーは「価値」の問題を語り、科学的ではないと反発が、たくさんありました。

いきなり宇宙や過去や未来を考えずに、まずは、「私」をしっかり理解する。続いて、「対人関係」を考える。そうしてようやく、大きな「共同体」が見えてくる。「私」に執着せず「他人への関心」に切り替えよ

例えば、会議の時、「なかなか手を上げられない」「こんな質問をしたら笑われるかも知れない」「的外れな意見だと馬鹿にされるかも知れない」と余計な事を考え、躊躇してしまう「私」がいる。

いつも自意識が自分にブレーキをかけ、その一挙手一投足をがんじがらめに締め付ける・・・。

b.自己肯定ではなく、自己受容

「自意識が自分にブレーキをかけ、無邪気に振る舞う事が出来ない」。これは多くの人が実感している悩みです。

では、もう一度原点に立ち返って、あなたの「目的」を考えてみましょう。あなたは、自分の振る舞いにブレーキをかける事で、何を得ようとしているのでしょうか?

「笑われたくない、馬鹿な奴だと思われたくない」?「自分は、無邪気でありのままの自分に自信が持てないという事」?そして、「ありのままの自分による対人関係を回避しょうとしている」?

一人であれば、自由に振る舞えるが、人前では出来ない。これは、「共同体感覚」の問題です。

それは、自己への執着を他者への関心に切り替え、共同体感覚を持てるようになる事です。

ここで必要になるのが、「自己受容」と「他者信頼」、そして「他者貢献」の3つです。

我々は、「私」という容れ物を捨てる事は出来ないし、交換する事も出来ない。

しかし、大切なものは「与えられた、ものをどう使うか」です。

「私」に対する見方を変え、いわば使い方を変えて行くのです。ことさらポジティブになって自分を肯定する必要はない。

「自己肯定ではなく自己受容」です。

「自己肯定」とは、出来もしないのに「私は出来る」「私は強い」と、自らに暗示をかける事です。これは優越コンプレックスにも結び付く発想であり、自らに嘘をつく生き方であるともいえます。

一方、「自己受容」は、仮に出来ないのだとしたら、その「出来ない自分」をありのままに受け入れ、出来るようになるべく、前に進んで行く事です。自らに嘘をつくものではありません。

もっと解り易く言えば、60点の自分に「今回は、たまたま運が悪かっただけで、本当の自分は100点なんだ」と言い聞かせるのが「自己肯定」です。それに対して、60点の自分をそのまま60点として受け入れた上で「100点に近づくにはどうしたらいいか」を考えるのが「自己受容」です。

「肯定的な諦め」と言う言葉を使いますが、「変えられるもの」と「変えられないもの」を見極めるのです。

交換不能なものを受け入れ、ありのままの「私」を受け入れる。そして変えられるものについては、変えて行く“勇気”を持つ事。それが「自己受容」です。我々は、何かの能力が足らないのではありません。ただ、“勇気”が足りていないだけです。すべては、“勇気”の問題なのです。

※アドラーの「嫌われる勇気」最終章に入りました。「自己肯定」ではなく「自己受容」の話です。昨年はやった「ありのまま」の自分を受け入れる勇気を持て。この章は、解り易いです。

「たんかん」狩りに行く。

2015年01月10日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<我が家が、今年の一番乗りの「畑」です>

1月9日(晴時々曇り)18-14度。

朝、ラジオで「たんかん」の出荷が始まったと報じていたので、名護の「たんかん農園」に電話した。

そしたら、今週の土日には観光バスの予約が入っているとの返事。これは、明日なら「込み合う」と感じた。

――という事で、午後から車で出かける。

高速を使って、1時間30分少しで到着。

見たところ、今年の「たんかん」の大きさは、少し小ぶりだった。







訳は、秋の台風で「葉」が飛ばされて、「果実」が大きくならなかったらしい。



まず、採りながら味見をするのだが、味は変わらず濃厚だ。


▲<約30分間で、すぐにカゴ一杯になった>

※「たんかん」は、ポンカンとネーブルオレンジの自然交配種の一種で、中国の広東省が原産地。奄美大島を始めとする南西諸島へ1896年(明治39年)頃に、台湾から移植された。1929年(昭和9年)頃に本格的な栽培が始り、現在の主な産地は沖縄県と鹿児島県の種子島、屋久島、奄美大島である。「みかんの王様」とも呼ばれます。「見かけは悪いが、味は美味しい」が、キャッチフレーズです。

映画「100歳の華麗なる冒険」

2015年01月08日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<40か国800万部のベストセラー「窓から逃げた100歳の老人」の映画化>

100歳の老人が、誕生日を老人ホームで迎える時、「誕生日会」なんて、まっぴらと、窓から脱げ出した。

偶然、バスターミナルで、トイレに入る若者から、スーツケースを預かる。

老人は、うっかりスーツケースを持ったまま、来たバスに乗ってしまった・・・。

スーツケースの中には、ギャングの闇資金5,000万クローネ(5億7000万円)が入っていたのだった!!

取り返そうとするギャング連中に追われながら、スーツケースを持った老人のマイペースな旅が始まる。

この老人は、子供の頃からダイナマイトマニアで、大人になってダイナマイトの専門家になる。

その腕を買われて、20世紀の世界の要人や歴史的事件に巡り合う数奇な人生を歩んできた・・・。

老人の昔話と、ギャングに追われる現実とが交錯しながら、笑える話が展開して行く。

【評価】★★★★

沖縄の正月は、申し訳ないくらいの温かさでした。

2015年01月05日 00時08分30秒 | 沖縄の生活

▲<1月2日の昼、歩いていたら「高良地区の餅つき」に遭遇>

6連休だった正月。2015年の沖縄の正月は、凄くいい天気だった。

4日などは、天気予報では21度となっていたが、23度くらいになっていたと思うくらいの強い日差しだった(車は窓を空けて走っている)。

歩いて8分の「BOOK・OFF」に行き、20%OFFで、100円本を5冊買ってきたら行きも帰りも汗をかいた。


▲<1月2日、豊見城市の「三角池」で撮影した「セイタカシギ」>


▲<瀬長水路にいた「アオサギ」>


▲<1月3日、那覇市具志の住宅街で出会った日向ぼっこする「ねこ」>

2015年 「一陽来復」

2015年01月03日 00時05分00秒 | 沖縄の生活


「一陽来復」 新年あけましておめでとうございます!

昨年は、天候不順や火山災害がありました(災害にあわれた方方にお見舞い申し上げます)。

今年も日本には、引き続き昨年のような状況が続くと思われます。

皆様に、おかれましては、くれぐれも、「自分の命は自分で守る」という生活をなさって下さい。

日本、いや、世界は、今、変革期です。

今までの状態が、続けばラッキーだけど、それは続かないという事です。

変革期は、過去の体験が活きない。

特に日本は、今まで順調過ぎました。

日本のいいところは、今年以降も世界から益々、大いに称讃されるでしょう。

でも、日本の仕組みは、戦後70年余り変わっていません(遅れていると思った方がいい)。

先ず、日本の年寄りに、「老兵は去るのみ」とは申しませんが、もう、21世紀を若い人達に任せませんか?

若い人達が暴走したり間違ったら、経験豊富な人がアドバイスをすればいい。

そんな感じでやらないと、日本の経済は、世界(特にアジア)の変化から相当遅れてしまう。

生活施策は、政治家は、老人向きの人気取りをするのではなく。

日本の将来を背負って立つ、若者や子育て世代にもっと気を配り、予算を配分すべきです(生活保護は別に問題あり)。

日本を住みやすく働きやすい、将来に期待のもてる日本にして行きましょう!

皆様におかれましては、本年も、健康で、いい事が多い年である事をお祈り申し上げます。