2009年最後の忘年会

2009年12月31日 00時05分00秒 | 沖縄現地情報

12月30日、19:00から今年最後(7回目)の忘年会に行ってきました。
今日は、那覇市壺屋にある壺屋焼の「育陶園」さんの忘年会でした(ショップは年中無休)。
年に数回、陶芸教室の生徒さん対象の卒業パーティに潜り込ませて頂いていますが、今日は育陶園の仕事納めの日で、従業員の家族を招待しての身内の忘年会だった。



従業員約30名の家族に加え、我々のような育陶園の関係者を含め60~70名参加の忘年会でした。
会場は、いつもの陶芸道場ではなく、「壺屋やちむん通り」に面した、ショップの陶芸工房でした。

いつものように、育陶園名物の「炭火焼の焼鳥」や「お寿司」に加えて、「スキ焼」ほか、たくさんの食べ物とお酒でした。

▲<「育陶園」6代目と奥さん&7代目の高江洲ファミリーで乾杯!!>

▲<工房責任者の挨拶>

▲<陶芸道場責任者の挨拶>

▲<左「ショップ店長の挨拶」、右「会場設営委員長の挨拶」>
最後には、全員でビンゴをやりました。
最初は、子供対象のビンゴ(景品が当たる)で始まり、後には大人のビンゴがありました。

▲<左「子供ビンゴ部門で一番大きい景品を取ったらティシュの四箱セットで大爆笑!」、右「大トロ」と私の「ビンゴカードー」一回目は、2枚(1,000円)買ったがビンゴが出ず(残念!)>

▲<今年最後の運試し。二回目で3番目のビンゴで2,000円を当てました!>
来年も、こんな様に運の良い年であればいいなぁと思いました。

★皆様におかれましても、来年も益々のご健康とご多幸をお祈り申し上げます!

2009年沖縄イベント振り返り

2009年12月30日 01時05分00秒 | 沖縄現地情報

▲<じゅり馬>
1月30日、「うるま市阿痲和利練習風景見学バスツアー」。
2月12日、「本部町伊豆味タンカン狩」。2月14日、「じゅり馬神事」。2月28日、「泡瀬キャンプ」。
3月1日の「じゅり馬」。3月21日、「第一回沖縄国際映画祭」。
4月12日、「喜如嘉」の「オクラレルカ」の花畑へ。

▲<「オクラレルカの花畑」>
5月5日、「那覇ハーリー」。5月27日、「奥武島ハーレー」。

▲<奥武島ハーレー>
6月7日、「与那原ハーリー」。6月27日、「BIGENうたの日」「北中城レイシパーティー」。
7月4日。「今帰仁ぶどう狩り」。7月18日、「沖縄本島北部泡盛酒造所4カ所巡り」。
8月2日、「国際通り一万人エイサー」。8月16日、「与那原大綱曳き」。

▲<与那原大綱引き>
9月20~22日、「座間味キャンプ」。
10月2~3日、「パム社員旅行」で、パイナップル狩り&ジャム作り、オクマリゾートホテル宿泊&「ディアマンテス」のライブ。10月4日、「真栄里大綱引き」、「首里城月見の宴」(雨天中止)。10月24日、「PAIKAZI」会員購入会参加、土砂降りの「県産業祭り」。10月30日、「首里城伝統芸能の宴」。
11月1日、「琉球王朝絵巻行列in国際通り」。11月22日、「首里城灯火祭」。

▲<首里城灯火祭>
12月3日、「沖縄市蘇れ越来城歴史ロマンの花道」。12月6日、「那覇マラソン」。
今年は、「泡盛ツアー」、「奥武島ハーリー」、「北中城レイシパーティ」、「座間味キャンプ」・・・等々、新体験に良いものが多かった。
2010年も、あと二日。2009年以上に、ワクワクドキドキの一年を過ごせたら幸せです。

「金太郎で地域を元気に」

2009年12月28日 00時05分00秒 | 沖縄現地情報

▲<道の駅「萩しーまーと」>
地方が疲弊しているとか、人材がいないとか、マスコミは日本を憂いて報じているが、経済のわからない新聞社やテレビ局の人間では、具体策は示せない。
先日(12月4日)、BSジャパンが刺激的で示唆に富んだ番組「ふるさと発元気プロジェクト萩の人気小魚」を制作して放映していた。
山口県萩市で、行われている地域起こしの成功例だ。
萩の金太郎は、地元では美味しい有名な魚だが、他地域では無名で雑魚扱いされているので、萩の漁師も甘鯛を狙い金太郎は捕れても捨てる場合もあるとか。
萩漁港の水揚げは、年間60億円程度だが年々減少しているらしい。
9年前に、滋賀県から「道の駅」駅長に応募して来た中澤氏は、9年間で全国道の駅917ある中で9番目にしたローカル成功物語だった。

▲<道の駅「萩しーまーと」駅長の中澤さかな氏>
その中澤氏が、毎年テーマにしている事がある。
250種の少量多品種の典型的な水揚げの中から、毎年一つの魚を選んで、PRして魚値を上げて行く戦略だ。
二年前は、「ふぐ」を前年の1.5倍にした。今年は、「萩の金太郎(ヒメジ)」を選んだ。

▲<未開発商材の「萩の金太郎(ヒメジ)」>
萩の道の駅は、他県で行われているような同地区を訪れる140万人の観光客向けではなく、最初から地元客に支持される店を目指した。
それは、地元の客に支持されない店は観光客に支持されないという中澤氏の考え方からだ。
中澤氏は、地元テレビや新聞・ラジオをフルに活用し、魚の食べ方も紹介した。毎週続ける事が大切と言っていた。

▲<地元NHK山口「萩の魚」レギュラー出演中の中澤氏>
久し振りに元気の出るテレビを観せて頂いた(BSジャパンいい仕事していた)。

沖縄大好き検定3級合格!

2009年12月26日 01時05分00秒 | 沖縄現地情報

▲<合格証(カード型です)>

一週間のご無沙汰です!
毎日チェックして頂いていた方には申し訳ありません。
元気にやっています。

最近は、年賀状作成や年末最後の講習会の原稿作成で、一週間もブログを休んでいました。
今日は、朝からすごい雨で一日中降っていました。
年末の忘年会は、26日で5回目です(最終的に7回くらいになりそうです)。

そうそう、11月1日に受けた「沖縄大好き検定」の合格書が先週、届きました!
今年も難しくて、それでも昨年よりは正解が多く合格は間違いないと思ってはいましたが、合格通知が届くまで心配でした。

ちなみに、第一回の合格者数は、2級は、608名受験して6名の合格(1.4%)。3級は、427名受験して157名の合格(27.4%)との事です(1級は、2級合格者に限るので今年6名の中からしか出ない)。


「なくもんか」を観ました。

2009年12月18日 00時05分00秒 | 沖縄現地情報

少し前ですが、「2012」と「なくもんか」を観ました。
「2010」は、正直言って疲れました。
「なくもんか」は、脚本が宮藤勘九郎で、主演が阿部サダヲです。
8歳の時に、父に捨てられた不幸な少年が、置き去りにされた東京下町の「ハムカツ屋」で育てられ、その恩返しに周囲に、「なくもんか」と心に決め笑顔を振りまいて、生きて行く話。
売れっ子の弟(瑛太)が出て来たり、ハムカツ屋の娘が整形をして美しくなって帰ってきたり(竹内結子)、ハムカツ屋のお母さん(いしだあゆみ)が認知症になったり現代の状況が凄く出ている。
後半の、沖縄ロケあたりは締りが無くなってきたが、全編に笑いと悲しみが交互に出て、ドタバタ劇ではないいい感じが出ていた(阿部サダヲのテンションの高さは、凄い演技)。

商店街での撮影は、すべてロケだと思ったら、スタジオにこのためだけに造ったセットだと知って驚いた!
今年の、Myベスト10に入るかなと思える作品でした(軽い映画と思って観たらうまく裏切られた)。

「糸満の女」上映会in糸満

2009年12月17日 00時05分00秒 | 沖縄現地情報

▲<最初の映像は、5人の糸満の女達が魚を頭に載せて、こちらに向かって歩いてくる。挿入の太鼓の音に合ったリズミカルな動きは、観客の笑いを誘ってた。>

さる12月12日、糸満市立中央図書館で復帰前のドキメンタリー映画「糸満の女」が上映されると聞き、早速妻と観に行ってきました。
上映会は、糸満市真栄里「ロンドン杜公園」の一角にある新しい図書館の多目的室で行われました。
一日に2回上映だったのが、3回の拡大上映になっていました。
私達は、一回目だったのですが、約百人の椅子席は満席で、通路に座って約150名以上で観ました。

この作品は、1968年に撮影され、一度テレビで放映されただけで、長い間お蔵入りしていたものです。カラー(全編モノクロに観えた)、27分間の記録フィィルム映画です。

監督の野村岳也氏曰く、制作スタッフと「男は海へ、女は畑へ」「男は魚を獲り、女はそれを売る」そんなシンプルな暮らしを探し求めて糸満で撮影をしたそうです。

▲<41年前の糸満漁港の荷揚げの風景>

「糸満は、山側の土地は大きな墓地で占められ、後は、海。それ以外は何もない・・・」、「那覇で食いはぐれた人間が、糸満に流れて来た。海で生きるしか方法は無かった・・・」など、ナレーションは、現在にそぐわない表現がところどころに出てくる(実際に映像を見ている糸満市民もケラケラと笑っていた)。

ドキメンタリーの作品なのに、監督の独断と偏見がところどころに出てくる。しかし、映像はまぎれもなく1986年の糸満の姿をリアルに記録している。

▲<当時の「サバニ」海燕社のHPより>

監督曰く、「糸満の女」というタイトルから、元気いっぱいの若く美しい糸満の女性が登場すると思われるかもしれないが、残念ながらその期待には応える事は出来ない(誠に、出てくるのは、元気な中年女性ばかりである)。

インタービューに応える糸満の女のコメントが面白い。
「男は、小さなサバニを操り台湾や東南アジアまで漁に出る勇気ある者達です。しかし、陸に上がるとまな板上の魚のように大人しい」「お金を渡すと、まったく駄目だから一切渡さない。欲しい金額だけその都度渡す。子供の時から、そうして母親から育ってられている。お金はすべて女が握っていいる」「糸満の女は、頭に60kgの魚を載せ、3里歩いて那覇まで売りに行った」・・・等々。

▲<魚を量り売りしている糸満の女。>

映像は、41年前の糸満であり沖縄である。
「糸満の祭り」「門中の葬式(亀甲墓の中の埋葬)」「漁港の風景」など、当時の人々の生活を撮影した、貴重な記録映像のオンパレードだった。

▲<亀甲墓で祈る糸満の女>

※映像・文章は、当日会場で配布された、案内文から転用しました。
野村岳也監督&海燕社のHPを合わせてご覧ください。

「天井座敷」十周年お祝いパーティ

2009年12月16日 00時05分00秒 | 沖縄現地情報

12月12日の夜、那覇市寄宮の住宅エリアにある、居酒屋「天井座敷」が十周年を祝うパーティがありました。18:30開始と聞いて、定刻に到着したらすでに始まっていました。

▲<この店の器は、壺屋焼「育陶園六代目高江洲忠さん」の作品です。>

席に着き、飲みながら知り合いと話していたら、19:00頃に第一回の乾杯があり、突然、いい声の男性が歌い始めました。
声は「井上揚水」で、見かけは「米米クラブの石井竜也」の人は、プロの歌手で村井敏朗さんでした。



店主と3年前に、沖縄のコンサート会場で出会い、意気投合しそれ以降、沖縄に来た時は、必ずこの店に立ち寄るらしい。
明日は、彼のファンが加わり50名規模のお祝い会になるようだ。
まったく知らない歌手で、歌は上手いが、ご本人に、なぜ売れないのか聞いてしまった(失礼な事を聞いて申し訳ありませんでした!その代わりCDを一枚購入させて頂きました)。

▲<お気に入りの高江洲忠さん直筆の絵の前で飲む(以前、絵を実際に描いている姿を見て感動した)>



▲<村井さんの「HERO(第13回世界移植者スポーツ大会メインテーマソング)」に合わせて拳を振り上げている>
20時頃に、壺屋焼育陶園六代目高江洲忠さんが到着し、二度目の乾杯をする。

▲<左、「高江洲忠」さん>



▲<いつもの仲間と村井さん。真ん中が店主の実兄、又吉康文さん>
お祝い会は、その後も続くようだったが、21:00過ぎに退席した。
来た道ではない他の道を探しながらほろ酔い気分で歩いたら、「ゆいレール安里駅」まで30分くらいかかってしまった・・・

「沖縄移住者倶楽部」第一回目の会合開催。

2009年12月15日 00時05分00秒 | 沖縄現地情報

▲<お庭が美しい「グリーン」で、15:00から貸切で初会合が始まりました。>

12月13日、日曜の午後、新都心おもろまちにあるレストラン「グリーン」で、第一回目の「沖縄移住者倶楽部」が開催されました。
県外から沖縄に移住して来た、9名が集いました。
15:00~17:30まで、ソフトドリンク数種にケーキを食べながら会話を楽しみました。

▲<今回は、ケーキセットにソフトドリンク飲み放題で、750円の参加費でした。子供連れの方が増えれば、子供はタダで、参加費@1,000円くらいにする予定。>

参加者のプロフィールは、年齢は、25~58歳。女性2名、男性7名。移住歴は2~18年。「うちなームコ」2名でした。

自己紹介から始まり、沖縄に来て驚いた事をひと言ずつ話し合いました(笑)。
沖縄らしく、移住のキッカケが、スキューバダイビングだった人が5名もいました。

この会のルールは、「沖縄の悪口は言わない」、「お互いにとって参考になる話をしよう」、「その人の仕事に参考になる人を紹介しよう」、「人の縁を大切にしよう」、「沖縄に貢献出来る生活をしよう、「移住者で悪い噂の人を共有しよう(自分自身も悪い噂の人にならないようにしよう)」等々・・・。







一番遠い人は、名護から2時間以上かけて参加してくれました。
今後は、月に一回くらい集まれたらいいなぁという感じで終わりました。

関心のある人は、「㈱沖縄ロングステイ」作成の「沖縄移住者サロン」をご覧になり登録をして下さい。次回以降の日程等、決まり次第、お伝えして行きます。

「第15回国場川水あしび」参加記 後篇

2009年12月14日 00時05分00秒 | 沖縄現地情報

▲<水鳥・湿地センター周辺の「マングローブ刈り」現場。抜かないマングローブは、赤いリボンで印をしている>

▲<広大な湿地だった漫湖は、マングローブが繁殖し過ぎて、森になっている。>

国場川河川敷の清掃が、思いのほか早く終わったので、「マングローブ刈り」を見学に行った。見ると泥まみれで、予想以上に大変な様子だった。
マングローブが、年々繁殖して湿地が減少し、水鳥には住みにくい環境になっている(水鳥の餌である湿地帯に生息する小動物が減少したり、陸化することで水鳥の天敵である猫やマングースが侵入し易くなる)。
毎年、マングローブを増やさないように計画的刈り取を行っているらしいが、悪い事に、国場川の水量減少も重なり、漫湖の干上がりによる陸地化がさらに進み、水鳥が飛来しなくなっているらしい。

▲<「マングローブ刈り」の現場風景。刈ったマングローブを泥だらけになり運んでいた。>

▲<左「マングローブ(メヒルギ)の種子(これが下に落ちて、湿地に刺さりその後、発芽する)。右「芽が出たところ」>

▲<左「群生になりつつある若木」、右「刈り取られたマングローブの若木」>

マングローブを植えて、海の環境を守るところもあれば、マングローブを刈り取らないと、自然の環境が守れない場所もある事を今回の「漫湖大清掃」で知った。

マンブローブ刈りも終わり、予定よりも早く11:30頃から昼食(じゅーしー)が始まった。ドリンクは、飲料メーカーからの提供されていた。

▲<豚肉、人参、しめじ、芋の葉の具で、味噌味のおじや風。青空の下で食べて美味しかった!>

▲<大鍋3つで作っていた>

午後からは、「自然体験型ゲーム」などが行われて、子供には楽しいイベントがあった。



清掃だけで帰る人には、「感謝状」が手渡された。



▲<今回、回収されたゴミの山>

私は、午後のイベントには参加せずに帰ったが、気持ちの良いイベントに参加出来て大満足でした。



「第15回国場川水あしび」参加記 前篇

2009年12月13日 00時05分00秒 | 沖縄現地情報

12月12日、9:30から豊見城市にある「漫湖水鳥・湿地センター」周辺の「漫湖大清掃」に参加して来ました。晴天の中、9:30の受付なのに、9時に到着。受付をすると「手袋」と「ビニール袋」が手渡されました。

▲<左「清掃地区の地図」私は、②から①へ作業した。右、河川に入った途端に、「不法投棄のゴミの山」に出会う。>

2班に分かれ、一班は、「国場川沿い清掃」。二班は、水鳥・湿地センター周辺の「マングローブ刈り、及び清掃」です。

▲<早速ありました!左側柵の外に大量のゴミ!私一人で、清掃しました。この場所だけで、「可燃性ゴミ袋」が一杯になりました。>


▲<両手に持った袋を持った私を見て、NPOの女性が近付き、写真を撮りたいと言って来た(左手が、可燃性ゴミ袋)。>

私は当初「マングローブ刈り」に参加する予定だったが、事前に用意していた長靴を家に忘れてしまったので、足元が湿地帯でない「国場川沿い河川敷」の清掃へ回りました。

▲<ほとんどの人が、家族連れ。子供に、この様な経験をさせる親は、本当に素晴らしいと思う。>

私は、「燃えないゴミ」と「燃えるゴミ」の袋二つを持って行ったが、「不燃ごみ(缶や鉄屑)」は、意外と少なかった(おじさん達が拾って持ち去るらしい)。

▲<右、国場川の干潟に水鳥が近くに見える>

私が拾ったゴミで、多かった順「発泡スチロール」「カップ麺の容器」「飴の袋」「タバコのフィルター」「タバコ及びお菓子箱の包装フィルム」でした。
後で聞いたら、数日前に「ペットボトル」の回収があったらしい。

▲<河川の隅に積み上げられた、「ペットボトル」の山。泥だらけだったので、川の中から引き揚げられたものだろう。>

100名以上の参加者があったので、11:30までの予定が、11:00にはすっかり終わってしまいました。
※後篇に続く。

「シーサー完成記念飲み会」

2009年12月11日 00時05分00秒 | 沖縄現地情報

沖縄の「シーサー」は、魔除けです。
元々は、村境に置かれて、「邪気払い」として村を守っていたものです。
屋根に登ったのは、瓦屋根が一般人に認められた1889年(明治22年)以降の事です。
屋根の上の「シーサー」は、古い風習が残る沖縄にあっては、新しい習慣なのです。
遡ると、エジプトの「スヒンクス」に繋がるらしいです。
ライオンの神様が、中国に入って「唐獅子」になり、朝鮮半島で「こま犬」になりました。
日本の神社は、「こま犬」ですが、沖縄のシーサーは、「唐獅子」です。
こんなところでも、日本の文化と沖縄の文化が異なっている事が解ります。

先日、沖縄に6年間住んでいる大阪府守口市出身の友人(2年前のジュリ馬で知り合いました)が、壺屋「育陶園」の陶芸教室で、3ヵ月間(週一回の授業、毎回3時間)制作していた、「シーサー」がついに完成したので、小禄の「KO菜YA」で、完成を祝って飲み会をしました。
 
▲<左、沖縄に住んで6年目のシーサー制作者の小出さん。右、「もんじゃ焼」を二つ頼みました。「明太子+餅」「ベーコン+餅」> 

▲<二つ目のもんじゃ焼を焼いている時に、お好み焼きが来ました。>

▲<一対のシーサー以外に、「シーサーの香炉も創っていました。>

▲<タコライス風お好み焼き>

▲<アルミホイルで包んだ「海鮮蒸し」>

▲<お祝いに参加したメンバーです>


「漫湖(マンコ)水鳥・湿地センター」

2009年12月10日 00時05分00秒 | 沖縄現地情報

地元新聞等で、漫湖の畔に「水鳥観察所」がある事は知っていたが、入口が解らなくて今まで行った事がなかった。
12月4日、「那覇市特定健診」に行った際に見つけたので、早速立ち寄ってきた。
漫湖の南西に位置する所に、2階建ての瀟洒な建物がありました。
幹線道路から住宅街へ、一歩入ったところにあるので、注意をしないと通り過ぎてしまいます。

▲<1F展示室の大型映像コーナー、2Fには望遠鏡で水鳥を室内から観察出来るコーナーもある。もちろん関連図書や模型もあります>

漫湖は、1600年の半ばに中国の使者(冊封使)の記録に出てくる。
それ以前は、「大湖」と呼ばれ、魚が群れ子供が遊んでいた。
1960年代以降に、進んだ急激な干潟化とともに渡り鳥の渡来が目立ち、1997年に特別保護地区に指定された。

▲<湿地内のマングローブ林の中を快適に歩ける、最近出来たばかりの「木道」>

▲<左、ヒルギ林の中にある解説ボード。右、一番奥にある水鳥観察所の窓から望むセンター>

▲<観察窓を覗く私。壁には観察出来る水鳥の解説ボードが掲示されている>

1999年には、南日本で初めて、国内で11番目のラムール条約の登録地になりました。

▲<ここが、那覇市内とは思えないような自然環境です。>

2003年に、「漫湖水鳥・湿地センター」がOPENしました。





※入館無料、9:00~17:00、休館日:月曜(休日の場合は翌日)

「第25回NAHAマラソン」観戦記 後篇

2009年12月09日 00時05分00秒 | 沖縄現地情報

▲<今年の優勝者、平良さん(2時間25分50秒)>

スタートから6時間15分経過すると(15時15分)、ゴールゲートが締まります。
今年は、3万81人が出走したが、制限時間以内にゴールした人は、2万860人でした。
完走率は、69.35%(前年比+0.19ポイント)でした。
制限時間に合わない人達が、9,221人出たことになります。
そんな人達は、何カ所かある中継地点でバスに拾ってもらい、ゴールに帰ってきます。
バスに乗れなかった人は、歩いて帰ってきます。
車道は、時間がくれば車に返しますから、ゼッケンを付けたランナーが舗道をとぼとぼと、奥武山公園へ向かって歩いて帰ってきます。

▲<左、歩道を歩いて帰ってくるランナー達。右、打ち上げの居酒屋「かんからカン」の奥座敷3階から見える「ゆいレール」の車両>

ゴールした人達を中心に、応援者を含めてその後に、打ち上げ始まります。
私も、顧問先の打ち上げに参加してきました(14名走って完走者は2名でした)。
15:30から開始が、スタートしたのは先ほどの理由で、16:30くらいからでした。
内定者を含めて、約20名強で21:00くらいまで行いました。

▲<完走者がもらえる沖縄ガラス製のメダル>


▲<16:30過ぎから始まりだした打ち上げ>


▲<完走出来なくても爽やかな笑顔の丸居君>


▲<到着した人が着く度に「カンパイ!」>


▲<段々人が増えてきて盛り上がって行く>


▲<足を引きずって帰ってくるジョガーを迎えては、またカンパイ!>


▲<何度も続くカンパイ!>


▲<店を出た時は、とっぷりと日が暮れていました>

今年も「NAHAマラソン」は、県外・海外の人13,824人を含む3万81人集めて無事終了しました。

「第25回NAHAマラソン」観戦記 中篇

2009年12月08日 00時05分00秒 | 沖縄現地情報

「NAHAマラソン」の特徴は、沿道の応援が素晴らしい事です。
応援は、「太鼓」や「エイサー」で行います。
これは琉球王府時代からの伝統の民俗無形文化財です。

差し入れも、「水」や「筋肉痛を抑えるスプレー」に始まり、「バナナ」「ミカン」「飴」「黒糖」「塩」等々・・・豊富です。
小さな子供が、差し出している様子を見ていると、観戦者までが微笑ましくなります。

▲<左「紅型の美しい衣装のねーねー」、右「ランナーにスプレーをしてあげているところ」>

▲<エイサーを踊っている前には、「獅子舞」も応援しています>



▲<ゆいレール奥武山公園駅歩道橋の奥に、肉屋さんの「豚の丸焼き」の看板が見えます>



▲<時間ぎりぎりのランナーたち>
※後篇に続く。

「第25回NAHAマラソン」観戦記<前篇>

2009年12月07日 00時05分00秒 | 沖縄現地情報

▲<スタート地点、旭橋の状況(TV琉球放送より)>
12月6日、午前9時にNAHAマラソンがスタートした。
今年のエントリーは、過去最高の3万3906人(県外1万3369人、海外455人)。
今年のスターターは、今年の賞金女王を逃した「諸見里しのぶ」さん。
ゲスト走者は、エリック・ワイナイナ(アトランタ銅、シドニー銀)、高橋勇市(アテネパラリンオリンピック優勝)。
温度は、18~20度位、天候は曇り、マラソンランナーには、ベストコンデションです。

▲<翁長那覇市長と一緒に手を振る「しのぶ」さん>

▲<14分50秒後の「国際通り」。道幅いっぱいのランナーです!>

▲<約2時間後の11時過ぎ、自宅から徒歩5分の「小禄バイパス」へ応援に行く。40㎞手前のトップ二人の走りぷり>

▲<二人を見た後、すぐに家に帰って、即TVをつける。数分後に、ゴ~ル!!>
※中篇に続く。