やちむん里

2006年05月31日 11時25分48秒 | 沖縄現地情報
読谷村は、沖縄のほぼ中央に位置する。西海岸に面する残波岬が有名。車が無いと見て回る事が出来ない良い所が多い。やちむんの里もそのひとつ。
住宅街の高台にあり、最初に行った時、入り口を間違って2度住宅街を回ってしまった。
窯元が10軒位と、ガラス工房がひとつ。あと喫茶店と食堂が一軒づつあったと思う。車で、中まで入って行けるので大変便利(車は、やちむんの里共同駐車場でとめてから歩く事を勧めます)。
沖縄では、もう見られない登り窯に触れらる。当然、作家別に即売もあり選ぶ楽しみもある。那覇の土産物屋さんよりは2割くらい安いと思う。
☆写真は、一番奥にある(歩いて10分位)登り窯。

沖縄の黒うさぎはすごい。

2006年05月27日 23時51分49秒 | 沖縄グルメ
3年前の秋、沖縄に行った時。すごい店に出会った。
その前の年に、会社の旅行で奄美大島に行った。
(その時の話は、またの機会にレポートします。)
その時に、黒糖焼酎に出会った。
当時まだ、黒糖酒が爆発的なブームになるまえだったので、大阪では、黒糖焼酎が10銘柄以上置いてある店は無かった。
そこで、沖縄に黒糖酒が20本以上置いてある店がある事を雑誌で知る。
早速、沖縄に行く機会を作り飛び込んだ。
那覇市久茂地3-8-3の2階に有った!ロの字型のカウンター席とテーブルが3つ。
壁際には、黒糖酒の一升瓶がびっしり!並んでいた。
30銘柄はあった。自分が飲んだ事の無い銘柄が15以上あった!ひと銘柄ごとに、6杯飲んだ。幸せだった。
いい気持ちで、ホテルまで歩いて帰った。
たった、5分位の時間だったが、すごく幸せだった事を覚えている。
酒はほろ酔いが一番良い。

マングローブを植林したい。(マングローブの秘密)

2006年05月26日 05時33分22秒 | 私のユメ
「マングローブの森」は、間違った言葉だという事を知った。マングローブという名の木は存在しない。熱帯や亜熱帯の海水が干満を繰り返す潮間帯の環境に生育する植物の総称だ。植物の名前ではない。森を意味する言葉らしい。マングローブの森は、「森の森」という意味になる。
マングローブには、本物の純マングローブ種の「マヤプシキ」「オヒルギ」「メヒルギ」「ヤエヤマヒルギ」「ヒルギダマシ」がある。準マングローブ種には、「ヒルギモドキ」「ニッパヤシ」があるそうだ。ちょっと待ってくれ!「ヒルギダマシ」が純マングローブで「ヒルギモドキ」は、何んで準マングローブなんだ?なにか可哀想ですよね。
写真の、可愛い「ヒルギモドキの花」を見てやってください。★見出しをクリックすれば、写真が大きくなります。

沖縄で、マングローブの植林したい!

2006年05月25日 04時04分01秒 | 私のユメ
沖縄に行ったら、前から一度してみたいことがある。マングローブを植える事。よく東京海上保険やコスモ石油の広告で見ます。あれです。
マングローブは、えらい奴です。二酸化炭素を吸収し酸素をつくる。小魚やエビが住む住処にもなる。八重山諸島だけでなく、沖縄本島でも植林が必要ではないだろうか?一日中、マングローブを植えると腰が痛くて翌日は動けないだろうが、そんな事をやってみたいのです。
マングローブという木があるのではなく、南米のネイティブの人々が「マンガル」と呼んでいたのが、ヨーロッパからアメリカに広まり、グローブ(grove)という、森を意味する言葉と重なって、マングローブとなつた説が有力。沖縄では、琉球王朝時代に漂木(ヒルギ)と呼ばれていたようです。
☆写真は、石垣島のマングローブです。

ほっとするフクギ並木の村、備瀬

2006年05月22日 22時28分28秒 | 沖縄現地情報
沖縄には、ほっとする空間がたくさんあるが、私は本部の備瀬と言う村にある並木道が好きです。
木は、フクギ(福木)と言う風から家を守る木です。火災からも守るらしい。その木が、何メートルも木立のトンネルを創っている。大きな木は、樹齢300年のものもあるらしい。道は舗装されていない味のある土の道。
それ以外は、何も無い静かな村です。車が一台通るだけの道が一本あるだけ、民家を挟んでその向こうは、海。なんともいえないゆったりした空気が流れている。
沖縄の田舎道。何時間でも居たくなる。不思議な空間です。
美ら水族館の帰りに是非寄り道して欲しい。絶対損はさせない。
☆写真は、本部備瀬のフクギ並木道です。

星砂

2006年05月21日 21時49分12秒 | 沖縄現地情報
沖縄に旅を初めてした頃。浜辺の砂が、星の形をした砂浜があると聞く。聞くだけで夢がパーと頭に広がった。なんとメルヘンな砂浜だろう。
石垣島の先にある竹富島にあると聞いて立ち寄った。上陸早々に、浜で探すがなかなか見つからない。目が慣れてくると確かに星の形をしている砂である。しかし、水に触れないところは、踏まれて形が崩れている。波打ち際はいくぶんましな形が多くなる。そうしているうちに、海の中を探し、形が崩れていない完全な形の星砂は、藻についている事を知る。しかしそれでは、なかなか集まらない。
その後、西表島に渡ったら、ある浜でも完全形の大きな星砂がそこら中に有った。あるところにはあるんだと思った。百聞は一見しかず!これで、満足して、少しだけ持ち帰った。今でも、西表島の星砂は大丈夫だろうか?
☆写真は、竹富島の星砂の浜です。星砂は、サンゴの死骸です。夢無くなりました?

沖縄の夜を楽しむ。「屋良文雄のジャズを聴く」

2006年05月19日 23時30分00秒 | 沖縄グルメ
沖縄の夜は、長い。
昼が暑いからか知らないけど、何しろ沖縄の夜は長い。
食べても食べても、飲んでも飲んでも、終わらない。
店は何時までも続く。話したい事も多い。楽しく語り、楽しく食べる。
泡盛もいくらでも飲める。
しかし、静かに飲みたい時もある。
そんな時に、出逢ったのが、「ライブ・イン寓話」。
ジャズのライブハウス。静かに、ゆっくり飲ませてくれる。
話したい人は、ここに来るまでに話し切って来て欲しい。
あくまでも、ジャズを聞きに来て欲しい。拍手は大歓迎。
おしゃべりや食べに来るところではない。(私はそう思う)
屋良文雄さんのピアノを聞いて欲しい。
私は、大昔「ウコンの広告」出ていた爺さんと、思っていたがすごい人だ。
生きている内に、ライブを聞きに行こう。
騒げるジャズラウブハウスもある。
しかし、「寓話」は屋良さんを中心にして、じっくりと聴きたい店だ。
そんな店があっても良いだろう。
☆写真は、最近の屋良さんとトリオです。
店の場所は、久茂地の端、泉崎通りです。分かりにくい所が憎い。電話098-867-0449

東京の沖縄。その1.

2006年05月17日 22時47分56秒 | 沖縄グルメ
古い話が続きまして、お付き合いありがとうございます。
今回は、沖縄は沖縄ですが「東京の沖縄」です。私の生活圏の東京には沢山の沖縄があります。コーヒーブレークでなく、泡盛ブレークさせて下さい。
今日、職場の仲間と帰り道沖縄料理の店に行きました。私の職場は、東京の高田馬場です。馬場には、たくさんのインド料理店と有名なラーメン店がありますが、沖縄料理の店も少しづつ増えています。
どんな店が、好みで流行るのかは、又の機会に書きますが、今日行った店を、応援したいので書きます。店の名は「琉'」(Ryu)です。
以前から、気になっていたのですが、今日始めて行きました(オープンして一年と言っていました)。ゴーヤチャンプル、ジマミー豆腐、海葡萄のサラダ等を食べました。そこで、グルクンの空揚げがあったのです。即、注文して食べました。美味しかった!一人で頑張っている。店長君は、20代です。気持ち良く頑張っていました。沖縄人が、東京で頑張っている事に感激しました。これからも応援する意味で、ボトルを入れました。東京の人で、高田馬場に寄れる人は、是非お立ち寄り下さい(私も応援します)。JR徒歩2分。電話03-3203-1785です。

西表島で山ヒルにくわれる。その2

2006年05月16日 22時29分51秒 | 私の沖縄(回想編)
1974年の夏、西表島に渡った。船に乗ってマングローブの林を抜けて、滝を見に行く。船のお客は、自分と何か違う?私以外に人達は、山ヒル対策をしていた。私は無防備のままどんどん船は進んで行く。
ついに、陸に上がった。山ヒルはどんな大きさか?木の上からも落ちてくると言う。足元に気をつけて、頭の上を気にしながら歩く。気が気でない。滝まで何分だったか記憶に無い。滝に着いて見ていても、感動しない。水量が少なかったことをかすかに記憶している。
やっと、船に戻る。首筋や身体に吸付いていない事を確認する。安心して帰路に着く。山ヒルは確かにたくさんいた。岩の上でも尻尾を震わせて何かに取り付こうとしていた。それも集団で、大きさは1cm位。しっかり見ないと見過ごしてしまうくらい小さい。大丈夫と喜んでいたら、サンダルの指の間が妙に痒い!良く見たら、たっぷり私の血を吸った山ヒルが、丸くなって転げ落ちた。ちゃんと山ヒルにかまれていたのだった。傷跡は1mmも無いくらい小さく、直ぐに血も止まった。これが、30年以上前の、私の西表島の山ヒル体験です。
この後、20年後にもう一度西表島に行き、マングローブ林の中のサキシマスオウノキを仲間川を上って見に行った時は、山ヒルはいなかった。
☆写真は、竹富町(西表島)のHPから西表島の滝の写真を借りました。ご堪能下さい。

西表島で山ヒルに食われた。

2006年05月16日 19時08分16秒 | 私の沖縄(回想編)
1974年の夏、一ヶ月の休暇を貰って沖縄旅行をした。時間がたっぷりあったので、八重山諸島にも足を伸ばした。当時、西表島は今以上に秘境だった。赤軍派が逃げて、山の中に隠れているとかの噂が出ていた頃だ。私の同期が山を歩いて横断したと聞いていたので、私も俄然やる気が出た。船浦港の民宿に泊まり、私の方は、北側から南の仲間港に行くつもりだったが、宿の人に聞くと、途中の道は険しく登山の用意とハブに会っても負けない人だけが行けると聞いて、簡単にギブアップしてしまった。それでも、船浦港側には歩けるところに、美しい滝が3つも見られると聞いたので、朝、船に飛び乗り、滝を目指した。船が動いてから周囲の人を見たら、私だけがサンダル!他の人は、真夏に靴?。なぜかと船頭に尋ねたら、今から行くところは山ヒルが足元から吸い付くからだ。そして、滝に行く途中の道では、木の上からもヒルが落ちてくるので、首はタオルを巻いておく事と言われた。私の様子は、帽子もかぶらずランニングに短パン、足元はサンダル。船はどんどんマングローブに林を突き進んで行く・・・。

竹富島で海ほたるを見た。

2006年05月15日 22時40分24秒 | 私の沖縄(回想編)
「海ほたる」を見たことありますか?私は、1974年の夏に一ヶ月間沖縄に旅行に行きました。その時に、竹富島に2週間ほど滞在しました。皆さんも知っている通り、小さな島ですから、遊びは、昼は泳ぎ夜は泡盛を飲みながら話をすることしかありません。それでも、夜空が美しい日は、星を見なが海辺を歩いたりします。西の浜に行った時。海が光っているのです。月の光りでは無く、海に中から光が出ているのです。石を投げるとスーと消えます。小浜荘に帰って、おじいに聞くと「海ほたるだよー」と言われました。すごく綺麗だったので、それから、後に来る宿泊者には、必ず見せてあげたことは言うまでもありません。いまでも、いるのでしょうか?
実は、正体は、ミジンコらいしいです。詳しくは、次のアドレスで確認下さい。http://www.awa.or.jp/home/tomisakikan/umihotaru.htm

与那国島で水牛に追っかけられる。

2006年05月15日 02時04分45秒 | 私の沖縄(回想編)
1974年の夏、一ヶ月の休暇をもらって、沖縄旅行に出た。石垣から船で初めて与那国島に渡る。一泊した朝。朝食後、おばーに、島巡りをしたいと言ったら、午前中に歩いて回ってこれると言うので、何も持たずに村の道を時計回りで歩く。一時間くらいで東側の村につく、そこに居た男の人に島一周をするには何時間くらい掛かるのかと聞いたら「歩いては回れない。車が必要だ」と言われる。断念して、マップにあった岬の灯台を見に行く。歩いて一時間くらいで、海の見えるところに出た。途中は、何も無い草原。灯台までは、30分くらいの距離か?
そこに、黒く点在するものがいくつも見える。近くまで行くと、それは水牛だった!もっと近くまで行くと、放し飼いでこちらを睨んでいる。さらに近づくと自分たちの生活圏に入ってきた者に敵意を感じてる様子。追っかけられたら隠れるところや、逃げ登る木も無い。そうしているうちに、一番近い水牛に見つかり、こちらに歩み寄ってくる。真っ黒な角の大きい水牛が。私は逃げた。必死でにげた。へとへとに疲れて、旅館に着いておばーに言ったら、皆朝出て、午前中に帰って来て、島を回って来たと言うから、てっきり一周してきたのかと思っていたと言うではないか(怒)。
最近の、与那国島はDr.コトー診療所の撮影地になったりして有名になっている。飛行場や北牧場というのも出来ている様子だ。海底遺跡もその頃は発表されていなかった。機会があればもう一度行ってみたい。
☆写真は、アフリカの水牛です。イメージとしてご覧下さい

与那国島は日本最西端。

2006年05月13日 08時10分22秒 | 私の沖縄(回想編)
一ヶ月の休暇をもらって、沖縄へ。竹富島の他に、この際に日本の最西端の島へ足を伸ばすことにした。ガイドブックには、「晴れた日には台湾が見える!」と書いてあった。当時、ファンだった沢木耕太郎さんの本を読んだ影響かもしれない。石垣島から小さな船で、確か夕方に出て朝頃に着いたと思う。久部良港について、周辺を散策。人頭石を見た気がする。たどり着いた宿に二泊ほどした。宿は確か港の高台に、一軒しかなかったと思う。おばあさんが一人で経営をしていた。その日の行動が旅館の下の浜で甲羅干しをしていて、かにに足をかまれた事しか思い出せないので、昼過ぎに着いたのかもしれない。滞在中は、薄曇りだったので、台湾は見えずじまいだった。おばあさんと色んな話をした。今でも(当時)、台湾の紙幣が通用していると聞いたことが記憶にある。昨日、初めて沖縄に行ったのが1974年と書きましたが、その後、手元にある沖縄の高校教科書を読んだら、交通方法の変更は、1978年7月30日となっているので、ましかしたら4年のずれがあるかもしれません。この話は、1974~1978年頃の話としてお読み下さい。
☆写真は、与那国島ダンヌ浜日本最西端の浜です。

初めての沖縄&竹富島のシーサー

2006年05月12日 12時45分18秒 | 私の沖縄(回想編)
私が、初めて沖縄に渡ったのは、1974年の夏1ヶ月間。会社のボーナス休暇を使った時だ。確か、沖縄の車道が右から左になった年だったような気がする。大阪の南港から丸2日位掛けてフェリーで、渡ったような記憶がある。その時は、沖縄で一泊ぐらいして、やはりフェリーで石垣島に渡り、竹富島で2週間ぐらい滞在した。その間に石垣島から西表島や波照間島に行った。竹富島では、小浜荘で主のような生活をしていたら、新しい宿泊者にそこの住み込みアルバイターと思われた。布団の上げ方や、島の案内をしていたからそう思われても不思議ではない。その時の思い出は、星砂ときつい泡盛だった。朝から泡盛が出て、おじいさんが飲めといってうるさかったのを記憶している。おじいさんには、酒飲みの記憶だけがある。おばあさんは働き者で、島でも人望があったと記憶している。典型的な沖縄のおばーだったんだ。※写真は、竹富島のシーサーです。

泡盛で好きな酒は、残波。

2006年05月10日 22時06分21秒 | 沖縄グルメ
30年前に、竹富島で飲んだ泡盛は、やたら臭くてアルコールが強くて美味しくは思わなかった。それが、5~6年前にうりずんの姉妹店で、古酒を勧められて飲んでみたら素晴らしく美味しかった。その時は、たしか10年物を飲んだ記憶がある。それから、新しい酒は飲めなくなった。古酒はさすがに違うと言う事だ。今は一番気に入っているのは、残波の古酒で黒(43度)だ。偶然に、親戚から頂いたのだが、いくらでも飲めて、怖いくらい美味しくて、すっかりお気に入りになったが、手に入らない。飲み屋でもめったにお目にかかれない。貴重な一品です。