3月29日は、「浜下り」の日です。

2009年03月29日 03時05分00秒 | 沖縄現地情報

沖縄では、旧暦の3月3日に「浜下り(ハマウリ)」という日があって、女性が一日仕事を休み、食べ物などを持って干上がった海岸に降りて、潮干狩りやモズク採りなどをして遊ぶ日があります(三月御重とフーチムチなどをお重に盛って、一日浜に出て悪い穢れをを流し、健康を帰還する女性の休息日)。



その日は、男達は女性が家に帰るまで待ちます(昔は草相撲をするところもありました)。
この頃は、八重山では海開きも終わり、本島でも浜遊びが本格的に始まります。





※写真は、3月27日に「豊見城市豊崎総合公園」で撮影。

6代目 高江洲忠筆を振るう!

2009年03月26日 00時05分54秒 | 沖縄現地情報

先日、「アチャメ~小」の開店パーティに参加させて頂いた時、二次会に又吉さんの弟さんがやっている焼き鳥の店「天井座敷」に行った。
場所は、壺屋から歩いて5分くらい寄宮一丁目にある。
寄宮一丁目は、与儀公園や那覇中央図書館の裏にあるが観光客は立ち入らない住宅地です。
「天井座敷」に着いたら、先客で壺屋焼「育陶園」の高江洲さんが友人と飲んでいた。
私達は、飲み始めたら突然に、高江洲さんが座敷の窓に絵を描き始めた。



それは何と、壺屋焼きの皿に描かれている、典型的な絵柄の魚と海老だった。
筆使いは、速くて、すごく綺麗だった。

その店の器や調度品は高江洲さんの作品です。
そんな関係もあり、時々飲みに来ているとの事。
店内に壺屋焼きの絵柄が入るといっそう店の雰囲気が締った。

そんな絵を描く時に、偶然遭遇した。
住んでいると、こんなラッキーもある。
※「天井座敷」那覇市寄宮1-21-8 電話098-853-5453

壺屋に三線店新規OPEN!

2009年03月24日 00時05分08秒 | 沖縄現地情報

3月20日に、「アッチャメ~小(グワァ~)」という三線店が壺屋ひめゆり通り沿いに新規開店した。
18:00から関係者向けにお披露目会が開催された。
地元の友人に誘って頂いたので、「春雨(カリー)」を片手に飛び入り参加した。

以前は、てんぷら屋さんがあったそうだが、閉店した後、永い間空き家になっていた。
道路側が大きな窓なので、店内で三線を制作しているところが良く観れる。

中にある畳の部屋は、三線教室になる。
ビールを飲みながら、手作り料理を頂きながら参加者同士でおしゃべりをした。
最後に、店主の「吉川徹」さんと、三線講師の「国吉翔子」さんによるライブが始まった。

▲<左、「吉川徹」さんは、約10年前に関西から三線修行で移住し楽器店で勤めながら三線制作技術を学ばれた。>

▲<ライブを楽しむ関係者。右手奥には、「中身汁」の鍋が見える。>

九州からお祝いに駆けつけた人や、道行く人も、飛び入り参加して、めでたく楽しく夜が更けました。
「アッチャメ~小」さんの商売繁盛をお祈りします!!
※「アッチャメ~小」那覇市壺屋1-28-17 電話098-861-7034 営業時間:火~金11:00~20:00 土~月10:00~18:30 三線学校:毎週木曜20:30~ 毎週日曜14:00~

「第一回沖縄国際映画祭」を観て来ました。

2009年03月23日 00時05分47秒 | 沖縄現地情報

▲<私が着いた、朝11時頃は人が少なかったが、午後からは人も増えてきた。レッドカーペットは、多くの監督や女優&タレントが通ったらしいが、詳しい案内が無いので待状況が解らない。>

3月19日~22日、北谷町アメリカビレッジで、吉本興業が沖縄で行う「国際映画祭」の第一回が開催されました。

コンペンション部門8作品(海外5作品)を始めに、特別招待作品10作品(海外6作品)、吉本芸人監督作品4作などが上映された。

▲<ファミリーマートで無料配布ガイド冊子が実に解りにくい(HPで確認しても難しい)>

▲<4日間のイベント&上映スケジュール表>
私は、21日に行って来ました。
観た作品は、「守護天使」と「サンシャイン・クリーニング」。
「守護天使」は、「カンニング竹山」が主役のカッコ悪いヒーロー映画。

「サンシャイン・クリーニング」は、ガケぷち姉妹が事件現場のクリーニング仕事を始めるアメリカ映画。

北谷アメリカビレッジのシネコン8スクリーンを使い吉本興業が、沖縄で総力上げて行った初の国際映画祭。

▲<赤いシールは、ソールドアウトの作品&イベント(特別招待作品と吉本芸人監督作品は前売りでソールドアウト。特に吉本芸人監督作品は、4日間で一回の上映なので早いうちに完売になっていたようだ)>

▲<当日券の販売窓口。「Unstoppable Marriage」(韓国映画)に「エドはるみ」の舞台挨拶があった(イベント出演は、当日発表なので会場で知る)>
駐車場に車が留められない。イベントの詳細が解りにくい。案内の悪さが多く残った第一回目です。
しかし、「北谷アメリカビレッジ」を上手く使った、魅力一杯の国際映画祭だった(さすがに、吉本芸人のトークイベントは大人気だった)。

▲<「ビーチステージ」では、色んな無料のイベントが行われている。当日はTV向けイベントが行われていてすごい数の観客が楽しんでいた。>



来年はもっと上手く運営されるだろうから、これからも永く続く大きなイベントになる事を期待します。

今年最初の日光浴

2009年03月18日 00時05分44秒 | 沖縄現地情報

3月17日は、「彼岸の入り」暑さ寒さも彼岸までと言い伝えがあります。
もうひとつ、今日は50年前に「少年マガジン&少年サンデー」が創刊された日だそうです。
今の週刊マンガから比べると、薄かったが毎週出るのが待ち遠しかったのを覚えています。
ある時期、少年マガジンの「巨人の星」原作者「梶原一騎」が、両誌(少年サンデーでは、「あしたのジョー」)の仕事をしていて、別名の高森朝雄で出ていた事があったなあ・・・。







今日の那覇は、朝から晴天で温度は、22-14度でした。
今年初めて、豊見城市豊崎総合公園で日光浴をしながら、読書をしてきました。
まだ、太陽が雲に隠れると少し風が冷たかったが、2時間くらい過ごしてきました。

3月29日は、沖縄は「浜下り」の日です。
この頃になると、北(ニシ)風が終わり温かい南(フェー)風が吹きはじめ、初夏のような「うりずん」の季節に入ります。

壺屋の登り窯全壊!

2009年03月17日 00時05分22秒 | 沖縄現地情報

那覇市壺屋にある、2002年12月指定の「国指定重要文化財新垣家登り窯」が、3月8日の夜崩壊した。
この登り窯は、「東ヌ窯(アガリヌカマ)」で、壺屋のシンボルとも言われる窯で関係者は大変残念がっている。
この窯では、人間国宝の「故金城次郎」さんや「故浜田庄司」らも作品を手がけた300年の伝統を誇る壺屋の共同窯です。
都市の中心にあり、煙害問題で1975年頃から使用されなくなり、以後、壁の亀裂や崩壊が少しずつ進行していたという。



▲<この石垣の奥に「東ヌ窯」があった>



▲<気になって見に行ったが、個人所有地なのでここまでしか入れない。右奥に崩壊した東ヌ窯がかすかに見える。>

新垣家入口側のシーサーのある石垣積みの作業小屋の壁も崩落が進んでいてこちらも心配だ。
また、県指定文化財の「南ヌ窯(フエーヌカマ)」があり、こちらの保存も課題だ。

▲<「南ヌ窯」>

まず、窯は内部を高熱にする事により焼き締められ堅固になる使用しないと自然に崩壊が進むらしいので、火を入れずに放置すれば崩壊するのは時間の問題だった。
修理費は、国が80%、県と市町村15%、所有者5%の割合で、今回の修復費用は約3億円らしい。
そうなると、所有者は1500万円の負担が発生する事になる。
こうなれば、個人で所有している次元をすでに超えている。
観光地としても、最近は敷地への立ち入りが禁止されていただけに、国指定重要文化財であれな、公的な収用という方法を採用出来ないだろうか?
そうして、入場料金と補助で管理・整備して行ければいいと思うが・・・。

▲<壺屋やちむん通り東端にある「東ヌカー」と通りにポツンとあるカラフルな井戸>


興南高校野球部監督「我喜屋監督」激励会

2009年03月16日 00時05分33秒 | 沖縄現地情報

▲<乾杯の様子>
3月15日、19:00から那覇市寄宮の「JA寄宮支店」で、高校野球春の甲子園出場校に決まった「興南高校」野球部監督の激励会に、縁あって参加させて頂いた。
甲子園へ行く前日の激励会で、参加者は、地元の経済界や個人的な仲間である。
集まった方々の激励のスピーチがあり、我喜屋監督本人のスピーチがあり、ゆったりした中、我喜屋監督のお人柄が出ていた激励会でした。
15分間位のスピーチに、監督の指導スタンスや人柄が出ていて惚れました。
「監督は、試合になれば何も出来ない。サインで動いているのは、本当ではないんです。選手が自分で考え動けて、メンバー一人のために全員が動くようになる事がいいんです・・・。」の話が印象的でした。

▲<「我喜屋優氏」は、高校野球指導者というより、大企業の人事部長の様な方でした。>
監督は、1950年生(58歳)で、興南高校4期生。夏の甲子園で興南旋風を起こした時のキャップテンで4番。卒業後、静岡「大昭和製紙」に入社し、後に転勤で北海道白老町へ。
1974年に大昭和製紙北海道は、都市対抗野球で優勝し、北海道に初めて優勝旗をもたらした。
その後、沖縄育ちの我喜屋さんは、経験のない寒さの中で34年間の実業団の野球人生を送り、監督も経験するが、監督就任3年目の93年に廃部が決定した。
しかし、地元、白老の住民は、見捨てなかった。
地元企業や自治体が資金を集めクラブチーム「ヴィガしらおい」としてスタートさせた。
95年には、都市対抗に出場を果たした。
97年チーム解散後も北海道に残り、野球教室や観光協会の役員を務めた。
その間、隣町、苫小牧市「駒大苫小牧」の香田監督にも、雪上トレーニングをアドバイスした。
2007年に母校から監督要請があり、就任4か月で沖縄代表になり、その指導法は、高校野球界は勿論ビジネス界でも注目を集めました。
その秘訣は、生徒達の生活習慣から改めた事。
挨拶から始まり、規則正しい生活を送る事や、掃除をさせ精神を律する事を徹底させたようです。
「ゴミを拾う生徒は、バントも上手い」と監督は言う。ちょっとしたゴミひとつでも見逃さずに拾える事は、小さな事でも気にかける事が出来るという訳で、生徒いわく「考えて野球をするようになった」。
このような指導者に出会った球児は幸せだ。

このような、我喜屋さんですから今夜は、学校関係者ではなく、我喜屋さんの人柄に惚れた人達の集まりでした。
25日の初戦「富山商業」にまず勝利し、第2戦「天理と慶応」の勝者との戦いが待っている。

▲<中央「我喜屋監督」右「高江洲忠氏」左「本人」>

夜空の下で宴会

2009年03月13日 13時49分29秒 | 沖縄現地情報

3月12日久し振りにいい天気になった。
友人が東京から8人連でやって来た。
2泊3日のゴルフ三昧旅行だという。
12日、夕食に誘われたので、店は私が予約した。

17:00~20:00くらいまで、店内の庭席で宴会を行った。
3月とはいえ、半そで・短パンの姿で夜空の下で泡盛を飲む。

▲<左、手前「ヅゥル天」「豆腐チャンプルー」奥「アグーステーキ」「ソーミンチャンプルー」「ミヌダル」。右、「CORCOR(南大東島のラム酒)のシークワーサー割」奥のビールはもちろん「オリオンビール」。>
爽快で楽しく夜が過ぎた。

店は「おもろ殿内(ドゥンチ)」です。

「オオバナソウシンカ」がまた咲いていました。

2009年03月12日 06時00分00秒 | 沖縄現地情報

やっと、確定申告が終わった。
月曜日、沖縄は風が強く大雨が降り台風のような天候だった。

いつも通る「小禄バイパス」国道311号線にピンク色の花を見つけた。
12月頃に、咲いて花がすべて散ったと思ったら、また咲いていた。

ここ数日の、強風で花弁や葉が傷付いていたが、けなげに咲いていたので撮影した。

木についている標識には、「ムラサキソウシンカ」と書いてあったが、「オオバナソウシンカ」と開花時期が異なるようだ。
図鑑と比べると、花弁が幅広い。








沖縄市の音楽エンターテイメントショーに招待されて

2009年03月09日 00時05分28秒 | 沖縄現地情報

▲<場内撮影は不可との事だったが、ビデオ撮影に影響を与えないストロボでなければ撮影許可が出て、途中から撮影させて頂いたので、雰囲気を確認するロングの撮影に徹した。>

3月6日、沖縄市ミュージックタウンで、20:00から行われるイベント「綾庭の宴」に招待されたので、ミュージックタウンへ初めて行って来ました。

▲<「沖縄空手」>

このイベントは、ミュージックタウン音市場エンターテイメント創出事業プレビュー公演で、200名限定無料招待で行われたものでした。

▲<「神谷千尋」のライブ>

沖縄市へは、那覇に住んでいると私には、我如子より子の民謡ライブハウス「姫」や「かっちゃん」を始めとするオキナワンロックのライブハウスなど、魅力的なスポットがあるのに、なかなか立ち寄る事もなく、縁遠い街になっています。



琉球王朝時代の沖縄市「コザ」には、越来城があり、城下には「あやにわ(綾庭)」と呼ばれた美しい庭があり、その庭では、祭祀や芸能が行われていたそうです。

本公演では、「琉球王朝~現代」までの沖縄文化の歴史的重なりを、音と光と舞で表現し、三線を始めとした古典楽器にドラム・ギター・バイオリン等の洋楽器をかけ合わせた生演奏に、華麗な琉球舞踊やエイサーなどが演じられた。
演目は、 ①「琉球古典音楽と創作パーホーマンス」②「沖縄市東青年会エイサー」③「琉球民謡と琉球舞踊」④「沖縄空手」⑤「「沖縄戦を音のイメージで表現」⑥「神谷千尋のライブ」の6舞台があったが、あっというまに90分が過ぎた。あと、一時間くらい楽しみたかった(最後はやっぱり、カチャーシーで締めくくる)。

▲<「フィナーレー」>







「ミュージックタウン」が完成して、約2年と半年が経った。
「ミュージュクタウン3階の音市場」は、劇場内の売店で購入したアルコールやおつまみを持ち込んで、ライブを聞く事が出来る大人のホールです。
今回も、ビールや泡盛を飲みながらの公演だった。

このような催しを、月に一度行って、沖縄市の中心街に観光客が多く呼び込むのが主催者の狙いだ。
音楽で沖縄市を元気にするためのアイディアや企画をアンケート(これが今回無料で参加出来たことの理由)に、たっぷり書いて返送した。

※『ミュージックタウン音市場』は、オールスタンディング時最大1,100名。椅子席最大489名。椅子・テーブル時約200名の収容。
使用料(10~20時)は、平日(1ドリンク販売付なら)20万円、金~日・祭(1ドリンク販売付なら)30万円。

北中城村「大城地区」は、シーサーが一杯。

2009年03月08日 00時05分30秒 | 沖縄現地情報

中村家を見学した後、大城(オオグスク)地区を約一時間歩いた。目的は、平成の名水百選に選ばれた萩堂・大城の湧水群の見学と撮影。



元々、中村家が存在し、隣には世界遺産の「中城城跡」があり、民俗的価値のある村ガー(井泉)や拝所など多く残され、緑多い人口400名弱の美しい村です。

▲<沖縄そばの店「さーふーふー」の招きシーサー>

▲<「さーふーふー」入口のシーサー達>

▲<「軟骨ソーキそば」500円を食べたが、美味しかった!>

大城地区は歩いていると、集落の角々にユーモラスな顔をした「シーサー」と、彫塑が多いのに驚いた。
シーサーは、屋根にあるのではなく、道端や門の上が多い。



1987年に景観美観推進運動をスタートさせ、壁面緑化や県道146号線沿い1250mに蘭の花やその他たくさんの花草木も植えられている。
平成16年からは、県立芸術大学が、「大城芸術の里彫刻カジマヤー」を計画し10年間で99点の彫刻を寄贈展示する計画で、村落内にテラコッタという素焼の大きな彫刻が飾られている(今回は、テラコッタなどの大型のオブジェは撮影しなかった)。

静かで、蘭やその他の花々が咲いていて、地区全体が「ギャラリー」で、気持良く歩ける村落だった。

世界遺産「中城城跡」見学記

2009年03月07日 23時22分19秒 | 沖縄現地情報

▲<見学者入口(県道146号線)が城の東側なので、「三の郭」がある「裏門」から入る事になる。>

世界遺産の中では、唯一「中城城跡」だけは、訪問をしていなくて気になっていた。先日、中村家を見学した足で、立ち寄った(中村家から車で3分位)。

▲<「裏門」の手前の木は桜。咲いていたら綺麗だろう。「三の郭」は、一番最後に出来た新城(ミーグスク)。石積み技法の最も進んだ「あいかた積み(亀甲乱れ積み)」。>

中城城は、13世紀後期中山王である英祖王の子「中城按司」築かせ、以後英祖王系統が引き継いで鉄壁の備えを持った美しい城壁を築いたと言われています。
1853年浦賀に行く途中に、立ち寄った「ペルリ提督」も高度な石造建築に感嘆したと伝えられている。

▲<「裏門」の内側「北の郭」(護佐丸が井戸を取り込み増築した郭)から写す。>

▲<「北の郭」に入ると、正面に「二の郭」の城壁と「三の郭」に上がる石段がある。>

▲<左、北の郭にある「ウフガー」へ降りる石段。右、「ウフガー」随分高い場所なのに綺麗な水が今も湧いている。当日も盛塩が置かれていた。>

▲<「二の郭」の東面城壁(一の郭と二の郭の石積み技法は「布積み」。特に二の郭の曲線はひときわ美しい。「二の郭」へは、いったん「北の郭」へ出てから入る。>

最後の城主、座喜味城主の護佐丸は、勝連城主の「阿麻和利」への抑えとして、迎えられ城主となって、「北の廓」、「三の廓」が増築され、現在見られるグスクのかたちが完成したようです。

▲<「二の郭」の城壁の上から「一の郭」への門を写す。>

▲<左、美しい「一の郭」への門。右、曲線が美しい「二の郭」の東面の城壁。>

▲<「二の郭」の南面の城壁。その先には、中城湾の海岸線が見える。>

1972年5月15日に、国の史跡に指定された。2000年12月2日には、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」のひとつとして世界遺産に登録された。

萩堂・大城地区の湧水群 その②「大城編」

2009年03月06日 01時05分48秒 | 沖縄現地情報

▲<「イリヌカー」水量が豊富だったので、1960年まで集落の簡易水道水として利用された。井泉後方地に「ハブ爺さん」手掘りの水路幅2m(洞窟)がある。>

萩堂・大城地区の湧水群には、陶板製の「解説看板」が設置されています。かわいいイラスト付きで、この地区で井泉がどのような役割をしてきたか解りやすく書かれています。
私は、沖縄の井泉を100以上、観てきましたが、当地区のような「解説看板」がある所は、一部の観光地以外にはありません。当地区の解りやすさは、沖縄ではトップクラスです。
このような対応は、大人すら由来が解らなくなってきている現状において、「沖縄の井泉保存」の素晴らしい対応手法だと思います。
井泉に対する感謝と尊敬の念が深いという表れであると思います。
沖縄の他地域も、地元井泉が荒廃する前に参考にして頂きたい。



▲<「チブガー(チブ井泉)」大城集落で一番古い共同井泉。「ウブガー(産井泉)」で、新生児の「ウブミジ(産水)」として利用された。死者の身体の清めの水もこのカーから汲んだ。水量が豊富だったので、住民の洗濯・野菜洗い・水浴びなど生活用水として貴重なカーであり、多くの人達が集まり、触れ合い憩いの場としても大きな役割を果たしてきた。>


▲<「アガリヌカー(東井泉)」幅も広くコンクリートの屋根があり立派な井泉。上の空き地は、花壇と休憩所になっている。戦前は、大半の大城集落が飲料水として利用していた。>

▲<右、シダに覆われた樋口から豊富な水が流れ出ている。>

▲<「アガリヌカー」の流れた水で大きな池が造られ、周囲は遊歩道になっている。>

▲<遊歩道には、かわいいシーサーも>

▲<説明の「陶板」。子供が天秤を担いで水汲みの手伝いをしているイラストが描かれている。>


▲<左、車道から「アガリガー(東井泉)への入り口。右、「井泉」>

▲<解説の「陶板」には、女性が野菜を洗っている様子が描かれている。>


萩堂・大城地区の湧水群 その①「萩堂編」

2009年03月05日 00時05分01秒 | 沖縄現地情報

▲<「イーヌカー(上の井泉)」1965年12月に、この地区に水道が敷設されるまで、屋敷内に井戸の無い家の、生活用水として貴重な井戸だった。現在も元旦に地区の役員達が水の恵みに感謝して、ハチウビー(初御水)の祈願をしている。>

▲<陶板の「説明看板」>

2月28日に、北中城の「中村家」を見学に行った際、入場券を購入してたら平成の名水百選「萩堂・大城湧水群」のチラシが目にとまり、案内所の方に無理を言ってコピーをして頂いた。
「平成の名水百選」とは、環境問題がテーマの「北海道洞爺湖サミット」で、水の大切さ認識の「新名水百選」を企画した。沖縄県内から唯一の認定を受けた。
上質な水質や水量、両地区自治会の保全活動、子供達の自然観察会や文化学習の活用実績が高い評価を得た(チラシの文章より)。
解説チラシには、10カ所記載されてたが、7か所を撮影出来たので、2回に分けて紹介します。

▲<「ヒージャーガー(樋川井泉)」、水道が敷設されるまで、大半の家庭が飲料水として利用していた。1924年(大正13年)改修後は、メーヌカーに代わって「ウブガー(産井泉)として新生児の「ウブミジ(産湯)」にも利用された。旧元旦の早朝子供達が、カーの水を「ワカミジ(若水)」として汲んで、「ヒヌカン(火神)」等に供えたりお茶を沸かして仏壇に差し上げて、新しい年の家運隆盛と健康を祈った。右、大正15年7月の文字が読める。>

▲<左、「ヒージャーカー」の樋口から、今も綺麗な水が流れている。右、前の広場は児童公園になっていて遊戯施設もある。懐かしい手動ポンプがあり、汲み上げたら澄んだ水が出た。>

▲<「ヒージャーガー」の陶板の「説明看板」>


▲<バナナの群生に囲まれている「メーヌカー」。>

「中村家住宅」見学記

2009年03月04日 00時05分33秒 | 沖縄現地情報


『今日、3月4日は「三線の日」沖縄の地元ラジオは、特別番組で、一日、三線をの音色を流し続けます。』

沖縄に移住した時から訪問したいと思っていた「国指定重要文化財 中村家住宅」を2月28日に見学して来ました。
中村家住宅は、沖縄本島中頭郡北中城村大城(オオグスク)にあります。
18世紀中頃に建てられた上層農家の代表的な規模・形式を完備した建物です。
奇跡的に沖縄戦の戦火を免れ、室町時代の日本建築と中国建築の様式を併せ持つ独特の建造物として、復帰の年の1972年に国の重要文化財に指定されています。
士族屋敷の形式に、農家の形式である「高倉」「納屋」「畜舎」などが付随して沖縄の建築様式の特徴がすべて備え持っています。
見学した感想としては、規模の大きさといい、手入れの生き届いた保存状態といい、最高の沖縄県建築古民家です。

▲<左、中村家の入口。「ヒンプン(顔隠し塀)」で、家の中は見えない。右、母屋の屋根の「シーサー」シーサー愛好家の中では、このシーサーはベスト3に入る人気者です。>

▲<「ヒンプン」を抜けた中庭(ナー)と母屋(ウフヤ)の「二番座」「一番座」の縁側。シーサーがある所が、「三番座」。>

▲<左、「フール(豚小屋)」及び裏庭へ続く琉球石灰岩の石畳。右、三連結の「フール」全景。>



▲<手前「ウフヤ(母屋)」奥は、「アシャギ(離れ座敷)」>

▲<左、正面入り口の中庭から見るウフヤ。右、ウフヤから見るアシャギと前庭が美しい!。>

▲<アシャギ縁側から見るウフヤ。>
北谷や沖縄市へ行かれた際は、ぜひ訪れる事をお勧め致します。
その際は、1時間でいいですから、さらに余分に時間を取って頂き、大城の集落を足で歩かれて見て下さい。人口381名、138世帯の地区ですが、この地区全体が美術ギャラリーのようになっていて美しい(大城集落は、次号を参照下さい)。