「英国王のスピーチ」

2011年04月30日 01時00分00秒 | 沖縄の生活

▲<地味なテーマだけに、生きる勇気がわいてくる映画だ>

4月25日、シネマネQで「英国王のスピーチ」を観た。
83回米アカデミー賞部4門受賞作品(作品賞、主演男優賞、監督賞、脚本賞)なので、楽しみにしていた。
現、英国2世エリザベス女王の父ジョージ6世は、5歳から「吃音者」で、人前に出ると緊張して話が出来ない人だった。



父の英国王ジョージ5世が亡くなり、兄が王位に就くが、認められない女性との愛を貫いたため、本人が予期せぬ王座に就く事になってしまった。
国王とは、スピーチから逃げられない公務があるため、何人もの「言語聴覚士」の治療を受けるが、一向に改善しない。悩んだ末、妻がスピーチの矯正専門家を探してくる(実は無資格者だった)。



時代は、ヒットラー率いるドイツと戦争状態に入る。
開戦に揺れるイギリス国民は、王の言葉を待ち望んでいた。
生演説の時が迫る・・・。



実話だけに、コリン・ファース演じるジョージ6世の悩みと葛藤がひしひしと伝わる。
「言語聴覚士」の仕事を世に伝え、悩める患者にも勇気を与える作品になっている。

「研修の講師をしてきました」

2011年04月29日 00時05分00秒 | 沖縄の生活


4月13日、恩納村真栄田「ペンション美留」にて、顧問先企業の研修講師を10~12時まで行ってきました。テーマは、任されたので、「やる気のつくり方」決めた。

18歳で入った会社の社訓が、「自ら機会を創り出し、機会によって、自らを変えよ」だった。
若い頃は、自分の手で「チャンス」を掴め。くらいにしか理解していなかった。
この年になると、ビジネスや人生には、何一つ無駄な経験は無いと思うようになった。
同時に、「自分の人生に対する、時間軸を大切にする事がとても重要」と思えるようになった。
特に、今を大切に生き切る事が重要と思う。そのために、どうすればいいのかを考える事が多くなった。
そして、支社長になった頃から、「やる気が人生を変える」という事に気づいた。

しかし、その「やる気」をどう出したら出したらいいのか解らないで苦労している人や組織が、とても多い事もしばらくしてから知った。育った会社を卒業してから少し経って、「人材活性(人のやる気)」をライフワークにしたいと思った。





今まで読んだ本や自分の経験を加えて、体系的にまとめていた。



「やる気(樹)を育てる4つ要素」、「“人生の使命”を知るとやる気が高まる」、「“やりたい”“やるべき”“やれる”の関係」、「“他人が決めた目標”か?“自分が決めた目標”か?それが重要だ」、「やる気の法則」、「自己効力」、「目標を達成する人の7つの特徴」、「フィード・フォワード」、「意思下のセルフイメージは、“ポジティブ”か?!」、「コントロール出来るセルフイメージを知る」、「抽象のはしご」、「自分を責めるばかりでなく、自分をほめよう」、「“人間(じんかん)”に強くなれ」、「成果主義でやる気になる組織とは?」、「大切な生き方のスタンス」、「幸せが向こうからやってくる法則」、「思い込みの世界から飛び出せ!」、「自分は変えられる」・・・等々。





研修参加者全員に、質問した。
「性格は変わらないと思いますか?」に対して、半数の人が手を挙げた。
私のその反応に対しての答えは、「自分が変えたいと思う性格は、半年継続出来れば、それはもう自分のモノになり、その時に性格が変わっている」だった。


パワーポイント37枚を使い、途中脱線しながら話してたら、あっという間に2時間が経過してた。
最後に、「今日の話の中から、一つでも二つでもいいから、実行して頂ければ嬉しい」という言葉で締めくくった。

▲<14時過ぎに外に出たら朝の豪雨は、すっかり止んで、太陽が出ていた>

「コーラルリゾートヴィラ沖縄恩納」滞在記その④

2011年04月28日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<恩納村の高台に開設された、「沖縄科学技術大学院大学Okinawa Institute of Science and Technology:OIST(略称:沖縄大学院大学)」の校門>

4月24日は、朝から晴天。沖縄自動車道「石川IC」から下りて、国道58号線に入る交差点に新しい58号線のバイパスが出来た。本来の58号線に入る時に間違いやすい道路が急に出来ている。先は、どこに続いているのか確かめるために朝から、その道路を通ってみた。

途中にある「沖縄大学院大学」のキャンパスを見学する事も目的。
県外では、事業仕分けの時にマスコミに一瞬出たくらいで、詳しい情報はまったく出ていない新設の大学院大学。沖縄ではノーベル賞受賞者(複数)を含めた世界的高名な教授陣を揃える世界的な科学技術大学院大学として有名。キャンパスは、恩納村内に約90haを保有し、教育研究は英語で行い、学生・教員の半数以上は外国人。当面、50名の教授陣で一学年20名(5年制で100名)の学生を受入れる。平成24年秋に開校決定。
既に、平成17年~24年で700億円超を予算計上済(すべて国費で賄う私学との事??)。

▲<右上から走る白い線が「新しい58号線バイパス」で、行き止まりを右折するとキャンパス。そこから左折し海側へ下りると58号線の「谷茶(たんちゃ)」へ接続する>

▲<案内板の赤い文字の個所が、校門入口。斜面地に設計されているとはいえ、入口(大駐車場)から教育棟まで凄い距離がある>


▲<校門を入った所に、キャンパスの全体図の掲示板がある>




▲<キャンパス内には、オートロックで部外者は入れなかった。手前の低い敷地にも新しい棟を建築中>


▲<なぜ、こんなに立派で長いアプローチが必要なの?(沖縄の城をイメージさせる石垣がこの大学のデザインコンセプトらしいが、ここまでお金を掛ける必要性が見えない)>


▲<キャンパスに入れなかったので、校門へ戻る。右手は、谷間に造られた人工の池>


▲<校門付近から振り返ると、人工池の向こうの高台に建物が2棟、森の中にかすかに見える>

私的にいえば、「技術科学」よりは、「観光学」のような沖縄の人財育成や新しい観光ビジネスを創造出来るような学部の方が沖縄にはピッタリだったと思う。大学院大学は、金喰い虫だから今後相当の税金が投入されるのだろうなぁ・・・((+_+))。


「コーラルリゾートヴィラ沖縄恩納」滞在記その③

2011年04月27日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<久し振りに読み直した、平井謙次著「結局は自分」著者3部作の一冊。平成5年出版ですが、座右の書です>

4月23日、朝の豪雨は、午後にはすっかりあがり晴天になった。

「東洋住研」で、約一時間専務とひと仕事をして帰る。ベランダで、持って来た2冊目の本を読もうとしたが、風が強く肌寒いので、部屋の中で「結局は自分」(平井謙次著)を読む。

夕陽は、今日も19時過ぎだった。今日の、夕陽は実に美しかった!




日が沈んだので、ご近所の居酒屋に夕食を食べに出る。
今夜は、恩納村「ムーンビーチホテル」入口(58号線沿い)にある、寿司処「ずけやま」を選ぶ。
寿司屋さんなので、「寿司並一人前」と「ゲソのカラアゲ」「いかの丸焼」を2人で頂いた。

▲<沖縄ぽくない清楚な店構え>

▲<明るく清潔な店内>

▲<「イカの丸焼き」があったので妻にそちらを注文させ、メニューになかった、「ゲソのカラアゲ」を
注文した。これは身が柔らかく「衣」の揚がり具合も良く絶品だった>



▲<さすが、寿司処。綺麗なお寿司で美味しかった>

▲<削った木に書かれた粋なメニュー。「うちなー寿司(近海物)」の説明を聞いたが、解りやすく解説して貰えなかったのが残念だった>

私がビールを2杯飲んで、二人で4,200円也。

「コーラルリゾートヴィラ沖縄恩納」滞在記その②

2011年04月26日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<58号線沿い、恩納村役場前にある「東洋住研」の看板>

4月23日、朝から2時間の研修講師を終え、さらに午後の研修を一時間付き合って、14時過ぎにマンションに戻った。

今回のもう一つの目的である、大阪の不動産会社を恩納村の地元不動産会社(東洋住研)に、紹介するために山城専務にアポイントの電話をした。。
今すぐならOKだという事だったので、急いで訪問する。着くなり、会社の前に停めてあった専務の車に乗せられた。着いたところは、車で10分くらいの所にある「ホームセンタータバタ石川店」(大きなホームセンターだった)。

「針金」と「留め金」を購入した後、その足で58号線を北上して「恩納村役場前」に連れて行かれた。

国道58号線沿い恩納村役場前にある当社所有地の建看板に、「東日本大地震の新聞記事」と、「ミクシィ」で見つけて山城専務が感動した、A4版パウチ加工済「震災に対する激励文」24枚を針金で、ひとつひとつぶら下げる作業を二人で約40分間行った。







その後、会社に戻って約10分間話して面談は終了した(社長が焼いたケーキを頂いて帰る)。

「コーラルリゾートヴィラ沖縄恩納」滞在記 その①

2011年04月25日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<恩納村冨着「ムーンビーチホテル」の海に落ちる夕陽。「コーラルリゾートヴィラ沖縄恩納」のベランダより望む>

昨年から、4月10日~5月9日まで、恩納村冨着にあるリゾートマンションの10年間の利用権を持っている(昨年、このブログで報告済み)。年間を12口に分割し、定められた「一カ月間の利用権」を共同購入する仕組み。沖縄ロングスティ㈱が考案した、分譲リゾートマンションの再販小口商品です。

今年も、利用時期が来たが、今年は、私が「月・火・水・金」に那覇市内で仕事があり、妻が「水・木」に用事があるので、金曜日の午後からしか恩納村に行けない。先々週(4月15~17日)と、先週(4月22~24日)滞在してきた。

4月22日は、17時過ぎにマンションに着いた。19時頃の日没まで、夕陽を見ながらビールを飲みながらベランダで読書をした。



▲<最初に読んだのは、持参した2冊のうちの一冊「大人が変わる生活指導」~仕事も人生もうまくゆく~原田隆史著>

翌日の23日は、朝から台風のような雨。マンションから、約15分の所にある「ペンション美留」(恩納村真栄田)で行われている顧問先の研修の講師をするために、土砂降りの中、9時15分過ぎにマンションを出た(研修の話しは、後日ブログで報告します)。

「NHKBSで、4月から家族をテーマにした特集が始まった」

2011年04月24日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<今回観て、戦争の悲惨さが存分に描かれていた木下監督の反戦映画だという事を知った「二十四の瞳」。教え子が、次々と出征して死んで行く、あの時代の人々が、戦争によって人生が、ほんろうされる事を知り涙が出た。>

4月から、NHKBSで「山田洋次監督が選んだ映画100選」がスタートした。
これから2年に渡たる企画だ(今年は、家族をテーマにした50作品らしい)。

すでに、「二十四の瞳」「トウキョウソナタ」「東京物語」「めし」「ぽっぽや」が、放映された。


▲<高倉健が、かっこ良すぎる「ほっぽや」>

我が家の地デジは、ハードディスクに簡単録画が出来るので、便利だが録画ばかり溜まって観る時間をつくるのがひと苦労だ。


▲「トウキョウソナタ」は、公開時話題作だったので知ってたが、小泉今日子の出ている映画は、興味がないのでパスをしていた。今回始めて観て凄い映画だと知った。香川照之の演技が素晴らしい!観ていない人には、お勧めの作品でした(山田監督が、選んだ中で一番新しい作品です)。


▲「めし」は、上原謙(加山雄三の実父)が演じる、仕事は出来るが家では、まったく頼りない男が実にいい味を出している(大根役者と聞いていたが素晴らしい演技だ)。妻役(新婚5年目)の原節子が、生まれて初めて東京を離れ大阪で生活を始めたが、馴れない土地での不安や、家庭で何もしない旦那とのストレスを溜めて行く妻を上手く演じている(小津監督作品では見られない庶民的な演技が見もの)。

これからも、どんどんいい作品が出てくるので、目が離せない素晴らしい企画だ。

ちなみに、今日4月24日は、「若者たち」だ(映画名を聞くだけで懐かしい!!)。
田中邦衛、佐藤オリエ、山本圭、栗原小巻などの若きハツラツとした姿が観れる。


◎「山田洋次監督が選んだ日本映画100選」の解説小冊子が、140円切手を貼った封筒を送れば、一人一冊無料進呈してくれるというので請求した。

「花を数えて、春の沖縄散歩」瀬長島対岸編

2011年04月22日 12時00分00秒 | 沖縄の生活

▲<対岸の那覇空港側から見る「瀬長島」。手前は、マンゴローブが茂っている>

私が通っている「スカイスポーツセンター」は、那覇空港着陸侵入路にかかる瀬長島対岸にある。

今日は、時間に余裕があったので、少し足を伸ばして「瀬長島対岸の遊歩道」を初めて歩いてみた。
瀬長島の周囲は、いつも飛行機の見学者のデートカップルやファミリーで賑わっているが、ここは誰もいない。静かすぎる遊歩道を、ゆっくり歩きながら木々や花を撮影した。

▲<那覇空港&自衛隊と野球場の間を流れる生活排水路の河口>


▲<大きな亀が、完全に緩んだ形で日光浴をしていた>


▲<こんなところに、しっかり造り込まれた「遊歩道」があった。夏は、日差しを防いでくれる街路樹のトンネルが出来る>


▲<遊歩道と野球場の間には、「ハイビスカス」が植えられている>


▲<街路樹の新芽が、気持ち良く空に伸びていた>


▲<野球場金網付近、日当たりの良いところに育つ「ヒルガオ」>


▲<どこにでも繁殖する生命力の強い「ギンネム」(最近、睡眠用薬茶の原料なると聞いた)>


▲<街路樹の根元に繁殖する「ムラサキカタバミ」>

この後、約1時間半トレーニングセンターに行き、筋肉を少しいじめた後、風呂とサウナで一時間リラックスして帰った。



「花を数えて、春の沖縄散歩」ご近所編

2011年04月21日 19時30分00秒 | 沖縄の生活

▲<「ブーゲンビレア」が壁一面に咲いている家>

▲<花のように見えているのは、実は「葉」で、葉の中央に白く小さく見えているのが「花弁」>

4月21日、晴れていて24度なのに、風のせいで少し肌寒い。
ここ一週間は、4月23日に顧問先の研修(2時間)を引き受けたので、パソコンで資料作成をしていた。
テーマは、お任せという事だったので、最近関心を持っていた「やる気(モチベーション)」にした。
パワーポイントで、36枚作成し、昨夜やっと講師用の原稿が完成した。

朝から、花や果実を撮影しながら、トレーニングセンターに歩いて行く。

▲<先日咲いていた「レモンの花」が、結実していた>


▲<「山桃」が、色づき始めた>


▲<駐車場の屋根に咲いていた「パッションフルーツ」の花>


▲<今年の春は、雨が少なかったので「マンゴー」の花も良く咲いて豊作の様子>


▲<「オオハマボウ」の花。方言名「ゆーな」は、女の子の名前になっているほど人気の花>


▲<「ソウジュ」樹全体が黄色くなるほどたくさんの花が付く>


▲<ピークを過ぎた「コガネノウゼン」(キバナイペー)に、先に咲いた花がすでに種になっている>


▲<紫色が美しい「タイワンレンギョウ」>

花を撮影している時は、ゆったりした時間が流れる・・・。
こんな時間の使い方が出来る事が沖縄での収穫です。

「古民家食堂4月例会」

2011年04月16日 00時05分00秒 | 沖縄の生活


4月12日の夜、南風原町大名(首里に近い)にある「古民家食堂」で、4月の例会が行われた。
当日は、仕事がない日だったので、午前中は日経新聞と琉球新聞の整理を行い。
午後から、「スカイスポーツ」へ行き、3時間トレーニングで汗を流してから出かけた。

ゆいレールで、赤嶺~首里駅まで行き(4月から値上がりし320円になった)、そこから徒歩で行く(15分くらい)。駅で、上原君にあったので二人で話しながら歩き、ジャスト19時に到着。

久し振りに、小出さんと原川さんが参加していた。

▲<4月になりついに「囲炉裏」も塞がれた>


▲<「鍋」も終わり、「刺身」と「沖縄料理ずくし」>






▲<途中から店の「カンカラ三線」が出来てて、桜坂大学で学んできたからといって「原川さん」が弾きだした>


▲<古民家食堂のオーナーの「川満さん」が、さすが手慣れた感じで弾いた>


▲<今月の酒は、岡山浅口市の純米吟醸生酒「冬の月」(嘉美心酒造)2010.11.27仕込み>


▲<二度目とは思えないくらい馴染んでいる「上原さん」>

話は、地震からスマートフォンなど、多彩な話を肴にして、楽しいお酒を飲んだ。

「糸満市米須地区井戸探訪」

2011年04月14日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<沖縄本島最南端に位置する「大渡米須海岸」>

4月9日、平和祈念堂で行われた「平和の礎刻銘者追悼清明祭」に参加した。
その途中、糸満市米須(こめす)地区の井戸を探索した。

米須地区は、沖縄本島最南端に位置する、自宅から糸満市摩文仁にある「平和祈念公園」へ行く時に、県道7号線を南下して国道331号線に入る際に通過する街です。「ひめゆりの塔」や「茶処真壁ちなー」にも近い(どちらも米須ではないが)。

米須の「ファミリーマート」に車を止め、サンピン茶を購入してから、「井戸」の探索を始める。

まず、331号線から南下して集落と畑の中にある「福出(ふくだし)ガー」を探す。

▲<畑の中に一本だけ木が茂っているとことがあった。その下に「福出ガー」があった。柵に囲われた相当深い所に井戸がある様子。小さなモーターが設置されて、農業用水に使用されている模様>

331号線を北上して、畑の中にある「ユタカガー」を探す。

▲<畑奥の崖下に相当おおきな「ガマ」が「ユタカガー」。そばにコンクリート造りのポンプ小屋があり、相当の水量が出る事がそれで解る。>

今度は、再度、集落中心地にある「馬場」へ行く。



▲<米須地区の中央を東西に横切る「国道331号線」より幅広い、立派な二車線道路が住宅街に突然に現れる。年に一度、「綱引きの会場」になる村の広場>

「馬場」から、さらに南下して「栄ガー」を探す。
「米須貝塚跡」の看板は発見するも「栄ガー」は発見出来ず。

▲<「大渡米須海岸」の入口に小さな「米須貝塚跡」の看板があった>

▲<「大渡米須海岸」の海に続く道>

「米須貝塚跡」から、東側に白い石のオブジェのようなものが見えたので、近づいて行ったら「米須地下ダム」だった。

▲<この地下に大きな現代版「井戸」【米須地下ダム】があるようだ>

▲<地下ダムの工法の解説>

▲<地下ダムの水で出来る農産物>

▲<大きな「石のオブジェ」と思って近付いたら、地下ダムの「命水」と刻銘した記念碑だった>

▲<記念碑の解説>

帰ってから知ったが、近くの大渡海岸には「ジョン万次郎上陸地跡」もあったようだ。

331号線北側の米須小学校裏にあるはずの「クラガー」【村の産井戸】は、入口が解らず今回はパスをした。

「ハーモニー」~心をつなぐ歌~

2011年04月12日 12時00分00秒 | 沖縄の生活

先日、桜坂劇場で「フランソワ・トリュフォー監督特集」を観に行った時、入る劇場を間違い、始まったら違う内容に気がついた。

その時に観た映画が、「ハーモニー」~心をつなぐ歌~。
韓国・清洲女子刑務所に実在する女声合唱団の物語です。
主演は、「シュリ」や「LOST」で活躍している、国際女優の「キム・ユンジン」。

主人公の出産場面から始まる。主人公は、暴力夫を殺害して、女性刑務所にいる。
女子刑務所で出産した場合、18ヵ月間だけ一緒に子供と暮らし養育出来る。
慰問に来た合唱団の歌声に影響を受け、自分達でも合唱団を結成しようと考える。
所長を説き伏せ、死刑囚の元音大教授に指導をお願いする。

合唱団に参加した服役者の背景が少しずつ解り始める。
トラブルを乗り越え、練習が進む過程で、音楽というものが人を変えて行く・・・。
刑務所内での発表会は成功し、約束でもらった初めての外出許可の日が、最愛の息子との別れの日となり、新しい親に引き取られて行く・・・。



それから数年後、有名になった合唱団は、クリスマスの日、刑務所外の劇場で特別出演が決まった。出演する者は、家族を劇場に招待しても良い、コンサート後、会って話せるご褒美が付いた。
でも、主人公には、招待出来る人は、いない・・・。

実話だけに胸が詰まる。涙がいくらでも出てくる。久し振りに泣いた映画だった。

「第4回平和の礎刻銘者追悼清明祭」

2011年04月10日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<世界平和の祈りを込めて「故山田真山画伯」によって制作された平和祈念像>

4月9日午後2時から、糸満市摩文仁の「沖縄平和祈念堂」にて、「第4回平和の礎刻銘者追悼清明祭」が行われた。昨年は参加出来なかったが、第一回から参加している。
旧歴の3月「清明の節」に、沖縄では祖先供養行事として「清明祭」が行われるが、「沖縄平和祈念堂」では、宗教や思想、政治や人種、国を超えて、世界平和が達成されるようにと「沖縄平和祈念堂」に集い、平和の礎刻銘者追悼清明祭を毎年開催している。
すべての沖縄戦で亡くなられた戦没者240,931名の追悼を行うと同時に、平和祈念公園から全世界に平和を発信するものです。

主催者(財団法人沖縄協会)の挨拶の後、「弥勒世のお願い」を「ウチナー口」で行われた。

その後、「琉球手まり・折鶴奉納」が行われた。

▲<祭壇に奉納された「琉球手毬」>

「琉球舞踊奉納」
① 稲まづん(いにまづん)

▲<五穀豊穣を祈る舞踊、手の持つのは稲の束>

② 若衆麾(わかしゅてい)

▲<手に麾(旗)を持ち打ち払いながら踊る>

③ 黒島口説(くろしまくどぅち)

▲<五穀豊穣と健康祈願を込めて、月夜の浜に下りて蟹を獲る娘達の様を、面白おかしく踊る>

最後に、当日参加者全員の「折鶴奉納」があり終わった。


例年は、この後、平祈念公園の芝生で「清明パーティー」を行う予定だったが、今年は、実行費用全額を「東日本大地震被災者」に寄付するのでの中止だった・・・。


「フランソワ・トリュフォー特集」その④

2011年04月08日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<「家庭」より>

3月28日~4月10日まで、那覇市「桜坂劇場」で「フランソワ・トリュフォー特集」が行われた。
何作品かは、すでに観ているが今回、回数券(5枚4,000円)を購入して通った。

4月2日、「家庭」(1970年)を観る。
アントワーヌ・ドワネルが、結婚し家庭を持つ。子供も出来るが、行動的な日本女性と恋に落ちそれが原因で、妻との関係が悪くなり家を出る。妻と家庭。恋心多い男性の生きざまが良く描写されている。日本人女性役の、松本弘子(当時、パリコレのモデルとして活躍)が、最先端の女性を演じている。


4月2日、「逃げ去る恋」(1978年)を観る。
過去のシリーズと現在をつなぎ合わせる手法で創られている。裁判所で離婚が決まるところから始まる。途中、母親の話や、別れた最初の恋人との突然の再会・会話などが挿入されている。
5作目の集大成として、アントワーヌ・ドワネルの女性遍歴の深層心理が映し出されて行く、そして、また新しい恋人へと渡って行く・・・(このシリーズは、この作品で終了する)。
最初の「大人は判ってくれない」から(1959年~1978年)、アントワーヌ・ドワネルの成長記録(人生への葛藤や悩み)を同じ俳優で制作した事で、スクリーン上の話で終わるのでなく、観客にリアルな人間のドラマを同時に観ている気にさせる作品になっている(実は、主人公のアンソワーヌ・ドワネルは、トリュフォー監督であり、私小説のような作品である)。

「フランソワ・トリュフォー特集」その③

2011年04月07日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<「アントワーヌとコレット」<二十歳の恋>より>

3月28日~4月10日まで、那覇市「桜坂劇場」で「フランソワ・トリュフォー特集」が行われた。
何作品かは、すでに観ているが今回、回数券(5枚4,000円)を購入して通った。

4月1日、「大人は判ってくれない」(1959年)を観る予定で、チケットを購入したが、入る劇場を間違ってしまい。少し遅く始まったと思ったら、「ハーモニー」心をつなぐ歌(2010年・韓国)だった。偶然に観た、この映画の事は、別途レポートしたい。


4月1日、「アントワーヌとコレット」<二十歳の恋>より(1962年)を観る。
大ヒットしたトリュフォー監督の名前を世に高めた「大人は判ってくれない」から3年後のアントワーヌ・ドワネル初めての失恋を描いた作品。世界5カ国の監督が、「恋」をテーマに撮ったオムニバス映画の一篇として創られた。31分の短編映画だが主人公が、劇場で見染めた女子大生と付き合い始め、家に招待され家族付き合いまで発展するが、最後に彼女に振られる。その様子が彼の目線で、描かれている佳作。


4月1日、「夜霧の恋人たち」(1968年)を観る。
アントワーヌ・ドワネルが、社会人になり複数の恋人と恋愛体験しながら、ひとりの女性へと辿り着くまでの話。ホテルマンや探偵など当時の就職活動も垣間観れる。