テルマエ・ロマエⅡ

2014年04月29日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<4月26日(風呂の日)に、全国ロードショーが始まった「テルマエ・ロマエⅡ」>

4月28日、「テルマエ・ロマエⅡ」を観た。

第一作が、興行収入59.8億円の大ヒット(阿部寛が、2012年日本アカデミー賞最優秀主演男優賞受賞)して、続編を製作。

大ヒットで、製作費も多くなり作品もスケールを増し豪華になっている。

今回のロケ地、ブルガリアの首都ソフィアにあるヨーロッパ最大級の「ヌ・ボヤナ・フィルム・スタジオ」に古代ローマの街並みを再現し、高さ50メートルの「コロッセオ」のオープンセットは、CGではなく見ごたえあり。

海外ロケで、外人エキストラ5,000人を使った撮影は圧巻!(前作は1,000人)。

国内ロケは、「草津」「水上」「地獄谷」「常磐ハワイアンセンター?」などの温泉地が採用されている。

「コロッセオ内」で闘う、最強のグラディエイター(格闘者)で、これは「曙」に交渉したんだろうなぁ、と思っていたら本人だった!

「上戸彩」の入浴シーンが、前評判だったが言うほどではない。

今回も、主人公の阿部寛(古代ローマ風呂制作職人)が、日本の温泉やアミューズメント施設を参考にして、古代ローマに転用して行くストーリーに、その都度笑ってしまう。

難しい事を考えないで、2時間笑っていたい人向き。

千客万来

2014年04月26日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<「目利きの銀次」おもろまち店、いつも満員の新鮮な魚を食べさせる人気店>

沖縄に住んでいると、結構、友人が訪ねて来てくれる。特に、今年の春は、多かった。

上司や元部下、同僚など5組が訪れてくれた(時間が少ない人は昼のお茶。那覇に宿泊してくれれば夜の居酒屋へ)。



3月17日、神戸にいる同僚の知り合いの「花粉症」人が、家族で沖縄に「花粉が舞う期間(3~4月)」疎開したい人を紹介され、浦添市で不動産会社経営している友人と一緒に会って、相談に乗った。

これから、毎年来るようなので、「マンスリーマンション」の相談と思ったら、購入したいとの事。

海が見え、浜に歩いて行けるマンションが希望と言うので、北は「北谷」南は「那覇市内」に、決めて物件を案内した。

あれから、2か月が経ち、今週いよいよ神戸に帰るらしいので、昨夜、お別れ会を企画してくれ、不動産会社社長とご相伴に預かった。



物件は、豊見城市の豊崎(豊崎美らSANビーチに近い)のマンションに決めたらしい。

めでたしめでたし。再逢!!。

屋久島「屋久杉ランド」トレッキング体験

2014年04月23日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<「ヤクスギランド」標高1,000~1,300mに広がる自然休養林。4つのコースを選べる>

4月18日~20日で、「屋久島」へ、那覇から船で行った。

憧れは、「縄文杉」だったが、後で知ったのだが、実は本格的登山コースで往復8時間らしい。

悩んだ上、ツアー会社が企画している6コースの中から「じっくりヤクスギランド&大川の滝コース」を選んだ。

那覇港を昼に出て、明け方に到着。翌朝8時に「屋久島宮之浦港」を、貸切りバスで「ヤクスギランド」を目指す。港から、約一時間で、標高1,000mに上がる。途中、道路で「屋久島猿」を観る。

屋久島は、海辺地区は、「亜熱帯気候」だが、垂直のような山頂「宮之浦岳1,936m」に上がると、頂上は「北海道の旭川」の気候になるらしい。(沖縄~北海道の気候と生態系が一つの島にある希少の島として世界遺産に選ばれた)。

1,000mの標高に、「ヤクスギランド」がある(冬は雪が降ると車道は凍結して通行止になる)。

「ヤクスギランド」は、ガイド付きの4コースに分かれて、我々は、80分コースだ。


▲<「もののけ姫」の舞台の参考地になった「苔むした」倒木の風景が美しい>

一昨日に降った雨で、「苔」が蘇り、最高に美しくなったらしい。

さらに途中、霧が出てくれて「ミスト」状態になり、縄文杉林が幻想的になる(ガイドが、珍しがるような景色になった中を歩く)。


▲<霧の中の「屋久杉の休養林」が幻想的で美しい!>


▲<江戸時代の伐採の様子>

「倒木更新」「切株更新」「千年杉」「仏陀杉」「双子杉」「くぐり杉」などを観ながらの約2時間を充分に堪能した。


▲<「仏陀杉」推定1,800年、樹高21.5m、胸高周囲8m、標高1,010m、左側の瘤が仏様が座っているに見える>




▲<屋久島の山間部の土壌は「花崗岩」で成り立ち、土が極端に無く栄養分が無く、渓流は異様に澄んでいる>


▲<「屋久杉」には、苔がいっぱい巻き付き、水分を溜めて水滴が溢れている>


▲<約1/3は、「杉の根」や「花崗岩」が剥き出しの自然の道を歩く・・・>

雨が、月に35日降る「屋久島」と聞いていて、雨具を用意し、雨を覚悟していたが、当日は、歩いている時は、雨が降らず、1,000mの標高のおかげなのか、霧は出たが汗は殆どかかなかった。

「ヤクスギランド」をバスで下山して、島の西側にある「大川(オオコ)の滝」を目指す(途中「JRホテル」で昼食をとる)。


▲<一昨日の雨で、水量が多いらしい。凄く大きな滝だ(落差88m)岩の上の人間が小さく見える>

日本の滝100選に選ばれた「大川の滝」を観た後、島の南部をぐるりと戻って、16時過ぎに船に戻る。

外の風景を観ながら「展望浴場」で、トレッキングの汗を流す。「サウナ」にも入れてリフレッシュ出来て大満足。

「屋久島」旅行

2014年04月21日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<日本クルーズ客船株式会社の「ぱしふぃくびいなす」1997年進水、26,518トン、全長183.4メートル、238室(696名)>

以前から一度行きたかった「屋久島ツアー」【沖縄発】を見つけたので妻の随行で、4月18日~4月20日まで、「チャータークルーズ屋久島ツアー」に参加してきた。

少し奮発して、「スイートルーム」にしたので、タクシーの送り迎え付のデラックスコース。


▲<新しく出来た、豪華客船用【那覇港 若狭バース】から出港>

部屋は、10階で開放感溢れるベランダ付。部屋の冷蔵庫は追加自由無料(ルームサービスも殆ど無料)。



船内の食事は、交代の無い20名だけの特別室(生演奏付き、アルコール無料)。


▲<最上階(11階)の「プール&ジャグジー」。奥の12階には「ゲームk-ナー(ルーレット・ブラックジャック・スロットマシーン)がある>

出港と同時に、順航なのに足元が微妙に揺れるのが気になる(これが、荒航だったらと思うと・・・)。

船内では、船内新聞にたくさんの催しが発表されて忙しいくらい。私は、「マジック教室」「Fuego」(外国人ダンサーによるラテンダンス)「亜羅仁のマジックショー」など鑑賞して大満足(「展望浴室&サウナ」にも大満足)。


▲<「Fuego」は、迫力ある踊りに圧倒される。隣のテーブルでは、ワインを飲みながら鑑賞>

最終日は、朝食と昼食を食べた後、那覇港に着くまで、プールサイドで、読書をしていた。




▲<チェックアウト時には、楽団がお別れの曲を演奏してくれた>


▲<下船後、出迎えのタクシーで、自宅まで送ってもらう(奥が船首で、救命ボート手前が私の船室>

あっという間の2泊3日の船旅だった(※「屋久島」トレッキング編へ続く)。

故郷の花巡り

2014年04月15日 12時00分00秒 | 沖縄の生活

▲<父の墓があるお寺参道の「桜と椿」>

4月12日、大阪で元の会社の上司や旧友に会ったあと、最終の電車で奈良の実家に帰った。

翌朝、6度の寒さに、朝早く目が覚めた(沖縄は、23~17度)。

朝、父の墓参りに行く。

家から歩いて10数分なので、いい朝の散歩になる。

途中の、民家や畑に咲く花を眺めながら歩く。


▲<「桃」だろうか、ピンクと紅色に2色が鮮やか>


▲<何の花だろう?民家庭先の花>


▲<桃の花かと、近づいたら花弁の先が尖がった多弁の花だった>


▲<寺の参道に、「枝垂れ桜」が満開だった>

20代の頃の上司に、40年振りに会に行く

2014年04月14日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<20代前半の若者だった私と、当時30代の上司が、今では、同じような姿になっているのが面白い>

4月12日、LCC「ピーチ」に乗って関西へ行く。

用事は、20代の頃の上司が久振りに大阪に来るので、当時の昔の仲間が集合した。

その上司とは、かれこれ40年以上お会いしていない(何度か欠席をした)。

当時の仲間も20名くらい集まった。



でも、年々親族の介護や本人の健康状態等で、欠席者も多くなっている(亡くなられ方も数人いる)。

昔の仕事仲間なら、瞬時に40年の歳月がワープする。

同じ時代を過ごし、戦った仲間との話は尽きず酒も進む・・・。

折角、創ってくれた料理も食べ残す始末。

当日の店(関西テレビ近くの「楽縁」)の、女将も当時の仲間。

あっという間の3時間だった。

「佐喜眞美術館」訪問

2014年04月11日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<「米軍普天間基地」に隣接する「佐喜眞美術館」>

以前から気になっていた「佐喜眞美術館」に行ってきた(沖縄の知人である高良さんが、「佐喜眞美術館」の館長「佐喜眞道夫」さんと、縁戚だと聞く。以前、北中城の「旧家のお庭で」行われるパーティで、お会いしたが美術館には訪問していなかった・・・)。

先日の「古民家食堂会」で、高良さんから「明日、瀬崎さんを誘って訪問しよう!」という話になり同伴した。

「古民家食堂」で、ランチを食べ、瀬崎さんと待ち合わせする。

「古民家食堂」のある南風原から、美術館のある宜野湾市上原まで、車で30分くらい。

県道330号線から、一筋入ると、静かな住宅街の中に美術館があった。

月曜まで開催されていた「沖縄を描いた画家たち展」は終わり、本日から「利根山光人展」に替わっていた。

利根山光人(1921~1994年)画家としての教育は受けず、1951年前衛画家として活動を開始。1959年メキシコに渡り制作活動を行う。その後、西欧を訪れピカソ、ミロに会う。1972年・1987年メキシコ政府より文化勲章を受章。1985年日本芸術大賞受賞。

版画作品の「ドンキホーテ」や「闘牛」の作品の中から、私は、「メキシコ・インカ」の影響を受けた、単純で明るい版画に興味を惹かれた。

常設展示の「沖縄戦の図」(丸木位里・丸木俊)の原画に圧倒された後、館内にある「小さな喫茶店」で、館長の佐喜眞道夫と我々3名。1時間くらい話をさせて頂いた。


▲<「屋上」にある「6×23階段」(沖縄戦終了日6月23日を表現している)>


▲<「6×23階段」の最上段から「米軍普天間基地」は、直ぐ眼下に見える>


▲<丁寧な対応をして頂いた館長と、「利根山光人」さんの作品前で、記念写真を撮影させて頂く>


▲<「美術館」入口の前庭にある「石の声」のオブジェ跡>
※「石の声」1996年、この場所に沖縄の高校生達が沖縄戦で亡くなった人と同じ数、23万6095個の石に1つ1つ番号を書き込んで積み上げた。

古民家食堂4月例会

2014年04月09日 10時00分00秒 | 沖縄の生活

▲<7時過ぎに、到着したら4番目のテーブルになっていた(早い人は、6時から来ている)>

4月8日の夜、南風原にある「古民家食堂」の例会に参加した。


▲<沖縄の「ビーチパーティ(浜辺の焼肉会)」の肉は、事前にタレに漬け込んだものだが、今回は生肉でした>



今月から、場所は「夏バージョン」の建物外(軒先)「あまはじ」になった。

小保方さんの話や、色んな話をしながら、「焼肉」を楽しんだ。


▲<長老の中嶋さんが誘った、南城市の保育園のネーネー達3人が、初参加>


▲<今回も21時過ぎ「代行車」が来るまで、楽しい会話をしながら、美味しい酒と食事で盛り上がった・・・>

ダラス・バイヤーズクラブ

2014年04月06日 00時05分00秒 | 沖縄の生活


女とロディオが大好きな、どうしょうもない電気技師が、仕事の怪我で病院へ治療に行ったら医師からHIV陽生で、余命30日の身体と宣告される。

当時は、同性愛者が罹る病気と言われていたものが、同性愛者でもない自分が罹るはずがないと、啖呵を切り病院を飛び出す。

兆候が出始め、図書館で調べるうちに、未承認のAZTという薬が効くと知り、病院で貰おうとするが、未承認薬で使用出来ないと言われる。

その後、研究を重ねるうちに、実はAZTは身体に悪い薬と解る。

メキシコに渡り、身体に優しくHIVに効く治療薬を手に入れ、会員制で薬を売る事業を開始する。

国に、睨まれ薬事法で摘発され妨害される・・・。

1980年代の米国での「エイズ患者」と、「製薬会社&政府」との戦いの実話。

最初、どうしょうもない人間が、HIVに罹った事で、人が変わったように「使命」に目覚め、国と戦い続ける。そして、気がつけば余命30日と言われた者が、その後7年も生きた延びるのだった。

※主役を演じた、「マシュー・マコノヒー」は、21キロの減量を行い、病に侵され刻々と体重が減って行く様を演じて、第86回アカデミー賞主演男優賞を受章した。

ジャンボ最終フライト

2014年04月02日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<3月31日、「那覇空港側」を見下ろす「瀬長島ホテル」の駐車場に集まった撮影者達(私は「瀬長島龍神の湯」に入りに行って遭遇した)>

3月31日、「ANAジャンボ機(ボーイング747)」が、午前中に「羽田」を飛び立ち13時過ぎ「那覇空港」から折り返しが、最終フライトになった。(これで、日本企業航空会社からジャンボ機は消える)。

今の時代、「燃料」を食い生産性の悪い飛行に成り下がり、完全に時代遅れの飛行機になってしまっていた。


ジャンボ機のフアン達が、最後のフライトを惜しみながら、撮影して見送った(私も、ハワイ旅行や色んな旅で、ジャンボを良く活用した)。


▲<飛行場での待機中を見ていたら、他の飛行機と「3倍以上」の差がある>


▲<二便前に飛んだ「ANA機」。機体は小さい>

全日空は、1979年2月就航。これまでに、全日空のジャンボは12万回運行で約3億人を運んだらしい。

沖縄にとっては、「日航」と「全日空」が、どれだけ沖縄に観光客を運んでくれたかを感謝して欲しい。


▲<風向きの関係で、南向きに飛んでくれたので撮影出来た!>

沖縄に、一番「観光客」を運んでくれた「ジャンボ747」お疲れ様でした!