「南の島のフリムン」を観ました。

2009年09月30日 00時05分00秒 | 沖縄現地情報

26日から、やっと那覇市内で上映を始めた、ガレッジセール、ゴリ初監督の「南の島のフリムン」を観てきました。

この作品は、今年の3月19~22日に開催された、第一回「沖縄国際映画祭」の出展作品です。
当日、この作品を目当てに、会場に行ったが、すべてソールドアウトで、観られなかった。
ロードショウが始まったが、沖縄県下ではMIHAMA(北谷)のみだった。
やっと、那覇市内で上映されるようになったので、早速、観に行った次第。

単純なストーリで、どんでん返しもなく、スパーマンが出るわけもなく。
等身大の人間が様々に織りなす、そんなことあるよねーという感じで、沖縄のありふれた情景が上手く描かれていた。
でも最初から最後まで、結構笑いました。
夏川りみは、たった5分くらいの出番で3時間待ったとか(面白い演技でした)。平良とみさんが、すごい役で活躍している。

ゴリさんは、漫才師になるよりは、映画監督を目指していたと言うくらいだから、映画のセンスは充分にあると感じました(拍手!)。

最近の生活 その④

2009年09月29日 00時05分00秒 | 沖縄現地情報


少し前、9月19日の話です。
外出していた妻が20時過ぎに、ゆいレール「赤嶺駅」に降りたら、駅の北側にある「赤嶺団地」で、エイサー祭りが行われていると、電話をしてきたので早速、家を飛び出して観に行く。
いわゆる、団地内の空き地を活用した盆踊りである。
着いた時は、丁度、「子供エイサー」が、終わる直前だった。
その後直ぐに、「獅子舞」が始まった。


















中に入って演舞をしていたのは、小さな獅子は小学生で、大きな獅子は高校生でした(でもすごく上手だった)。
随分、この日のために練習をしたのだろう。
沖縄の各町(字単位)で、この様なお祭りが、伝統を伝えながら行われている。
沖縄は、那覇市内でも地域の結びつきが、まだ強く人の関係を大切にする土地だという事が良く理解できる。

こうして、沖縄の夏も終わってゆくです。
10月4日は、「首里城月見の宴」。10月11日は、「那覇大綱曳き」と秋の行事が続きます。

座間味島キャンプ その⑤

2009年09月28日 00時05分00秒 | 沖縄現地情報

▲<朝起きて、浜に出たら「赤いシーカヤック」が停泊していた>

朝食は、昨日の焦げご飯を「おにぎり」にしてくれていたので、キャンプ参加者の弟さんが、アメリカで製造販売しているというアメリカ製の海苔で包んで食べた(この海苔、香りが良くて実に美味しかった!)。

この二日間で、分別ゴミ袋に、ビールの空き缶が約100缶入っていた!
他にも、ワイン2本。シャンパン1本。泡盛が一升瓶&ハーフ各一本も、完全にカラになっていた。


▲<左、キャンプ場から、浜へ出る道。>

▲<ブロンドの美女が、今日も浜に来ていた>




シルバーウィークの東京は、秋の風が吹いている頃だと思いますが、沖縄は、まだ夏です(8月頃と比べて、太陽が優しくて気持ちがいい)。
夜は、涼しくなるし、蚊はいなかったのでとても過ごしやすい(このキャンプ地は、蠅とアリがやたら多かった)。

テントを9時くらいに撤収した。同時に、今日帰る人の台所セットや椅子なども解体した。
そしたら、テーブルの裏から、その年毎のキャンプ参加者の寄せ書きが出てきた!

▲<左、今年の初参加者(右手前)。右、一番古い平成15年の寄せ書き。>


▲<キャンプ仲間にお借りし、二泊した私のテント。テントが借りれたので、荷物は、リュックと寝袋だけで参加出来ました。>


▲<キャンプ場は、もう一泊する中島・高良さんの2名用に模様替え>

昼の1時の出発まで、再度買ってきたビールを飲みながら時間をつぶした。

1時に車で港まで送って頂き、出港の14:20まで港の食堂で昼食をとる。
このキャンプに誘ってくれた友利さんが、「沖縄チヤンポン」を頼んだのを撮影させてもらう。

▲<これが、「沖縄チャンポン」。ご飯の上に、野菜炒めの卵とじが乗っているモノ>

港の売店に、目当ての座間味島名物「鰹のなまり節」が売り切れてたので土産は買えず。

帰りの高速船は、阿嘉島に寄らない便だったので、50分位で泊港に帰って来た。
運賃は、往復で5970円だった。

今回は、天候にも恵まれ最高の状態だった。
今度は、シュノーケル用の足ひれは持って行こう(カメラも水中で撮影できるものにして、海亀を撮影したい)。
夜空の撮影できる様に三脚と撮影技術をマスターして、満天の星と天の川を撮影したい。
⇒呉屋さん始め、キャンプメンバーの皆さん、初参加にもかかわらず歓迎してくれてありがとう!
※座間味島キャンプ記。計5回、これにて終了です。

座間味島キャンプ その④

2009年09月27日 00時05分00秒 | 沖縄現地情報

▲<キャンプメンバーが、夕方釣った魚と貝の刺身>

夕食は、「魚と貝の刺身」「そーめん」「スペアリブ」「チジミ」と、豪華メニュー。



▲<なぜか解らないが、「そーめん」は、全員立って食べてる>

▲<左、水切りの際に、落としてしまった「ソーメン」残念!。右、炭火で焼く「スペアリブ」>

▲<「チジミ」>

▲<中学生の息子とキャンプ仲間の語らいを楽しく聴いている父と母>

夕食後、隣でテントを張っていた「旦那さんが外国人で、奥さんが日本人」のファミリー2組が参加して、なぜか夫婦のあり方を話し合う。

3歳くらいの可愛い女の子が、楽しくしていた時に、ジャロが突然かぶり物で、登場して、この子を怖がらせたので、この後、なだめるのに一時間ほどかかった。

▲<突然、変なモノが登場して、この後大変なことに>

その後、近くでテントを張っていた沖縄の若者達が加わって、本格的な三線を弾いてくれて大宴会となる。





宴会は深夜まで続いたらしいが(私は23時位にテントに入って寝た)、その後、ジャロと若者達が裸で浜に出て、ヌーディストクラブ状態だったらしい。

※座間味島キャンプ その⑤へ続く。


座間味島キャンプ その③

2009年09月26日 00時05分00秒 | 沖縄現地情報

▲<「古座間味ビーチ」向こうに見える島は、「渡嘉敷島」>


昼食後、海で少し泳いだ後、ハンモックで30分位昼寝をして起きたら。
高良さんに、展望台巡りに誘われ車で出かける。
座間味島の観光スポットは、島に6カ所ある「展望台」だけ。
島の最北端にある「チシ展望台」へ行く途中に、一番賑わっている「古座間味ビーチ」を見学。

「安護の浦」にある古い集落「阿佐」を散策する。
静かなたたずまいの集落で、本部町の「備瀬」に似ていた。
散策していたら、三線の音色が聞こえた。
弾いている人と、お家を眺めるだけにして素通りした。
そしたら、集合に帰らないジャロが、その家に上がり込み話し込んでいると聞いたので連れ戻しに行く。

▲<右、縁側近くで三線を弾く住人がいて、良い音色が流れていた。こんな風景に遭遇すると、沖縄で生活していて良かったと思う>

▲<右、浜側の道路脇にあった「拝所(海神)」、祠の中にはサンゴが祀られていた>

▲<縁側に上がり込んで、三線を借りて弾いて、お茶まで頂いてた呆れ返ったジャロ君。迎えに行った私にまでお茶をくれた母さんありがとう!>

▲<可愛い消火栓が入っている島のマンホール>

▲<「チシ展望台」>
島の北側にある「チシ展望台」を観た後、我々のキャンプ場まで戻って、西の端にある「神の浜展望台」「女瀬の展望台」「稲展望台」へ向かう。
そこでも、スエーデン人のご婦人2名に会ったら、またジェロが話し込んでしまった。

▲<神の浜展望台から望む「阿真ビーチ」>

▲<右、「女瀬の崎展望台」へ行く途中に咲いていた「相思相愛のハイビスカス」>

※座間味島キャンプ その④へ続く。

座間味島キャンプ その②

2009年09月25日 00時05分00秒 | 沖縄現地情報

▲<「座間味港」近くの防波堤に描かれたクジラのイラスト>

キャンプ場が、防風林の中にあり、樹が太陽を遮ってくれるので、朝に直射日光でテント内が熱くならない(風も良く通っていて涼しかった)。
トイレに行きたくなって、8時頃にテントから出た。
昨夜は、1時位までお酒を飲みながら話していた所まで記憶があるのが・・・。
でも泡盛だったので、まったく「二日酔い」になっていない。
朝食は、クラッカーとインスタントコーヒー。
「ジェロ」が、持って来たオーストラリア製のチューブに入った食べ物を勧められ、クラッカーに塗って試食してみる。

▲<味わったが、野菜や果物を発酵させたペースト状の物で味はいまいちだった。万田酵素の方が美味しい。>

▲<朝食後の風景。テーブル右端の中島さんは、パソコンで昨日撮影したDVDを編集している。>

朝食後は、食後の散歩をかねて座間味港の中間点にある映画「マリリンに会いたい」のモデルになったマリリン像を観に行く。
3㎞対岸の「阿嘉島」から泳いで会いに来る「シロ」を持つマリリンの像が可愛い。

<シロが見る「嘉比島(無人島)」の先が「阿嘉島」>

さらに歩いて座間味港まで行き、島の中心街を探索するが、民宿だらけだった。





▲<町の中には、ユニークな「シーサー」が、たくさんあってすごく楽しい!>


<座間味港内にあるシロナガスクジラのオブジェ>

昼食は、高良さんが焼いた「パン」と「焼き飯」をビールで食べる。
「パン」が、塩味でシンプルだが実にお美味しい!

▲<塩味のパンと沖縄で有名なマーガリン>

▲<溶けないチーズを入れたチーズ味パン>

午後は、昨日見つからなかった「海亀」を探しにシュノーケルを付けて海に入るが、見つけられずに陸にあがったら、後で、泳いだ中島さんが「海亀の子供」の撮影に成功した。
撮影したビデオを観せてもらうが、良く写っていて羨ましく悔しい思いをする。
ビーチには、何でこんなにというくらい外人が多く来ていた。これも、ミシュランの影響か?
※座間味島キャンプ その③へ続く。

座間味島キャンプ その①

2009年09月24日 00時05分00秒 | 沖縄現地情報

▲<「阿真ビーチ」>
9月20日~22日まで、2泊3日で座間味島へキャンプに行って来ました。
座間味島は、那覇から西方約40キロメートルに浮かぶ慶良間諸島のひとつです。
渡嘉敷島へは、以前行った事がありますが、座間味島は、ホエールウォッチングシーズンに二度チャレンジしたが二度とも行けなかったので、今回が初上陸。

今回は、シルバーウィーク中にキャンプに誘って頂いたので20日の午後から出発して2泊3日で楽しんできました。
那覇市内にある泊港から、村営の高速船「クィーンざまみ」に乗ると、約一時間で行けます(フェリーは2時間)。

夏はマリンスポーツ、冬はホエールウォッチングと慶良間諸島では一番にぎわう島です。
今回のキャンプ場所は、島の南西部にある「阿真ビーチ」の防風林内にある村営のキャンプ場(シャワーとトイレ・炊事場があり)です。

▲<着いて直ぐ明るいうちに、一番奥の浜に近い場所にテントを張った。>
我々の場所は、キャンプ場で唯一、電気が取れる場所を確保していたので、食事場のテントには電灯が灯っていた(携帯の充電も出来るのでラッキーだった)。
今回のメンバーは、那覇市内の飲食店設備工事関係者の仲間に入れて頂きました。
毎年、この場所にキャンプに来ているとの事。
台所や食卓など、すべて数十年かけて揃え改良されて、キャンプ道具は完璧だ。
ビールや酒・水は、あえてお世話になっているこの島で購入する。

海岸へは、歩いて1分。
透明度が良いので、シュノーケルで、たくさんの魚が見れた(海亀の親子に会えた人もいた)。

▲<左、ミシュランで最近二つ星になったとかの透明度抜群の海。右、美しいヤドカリの足跡。>
18時半過ぎに、沈む夕陽を撮影出来た。
丁度、島と無人島の間に落ちる夕陽がすごく美しかった!

夕食は、先発隊が海で採ってきたアコヤガイと刺身を前菜にして、「お好み焼き」と「焼き肉」。





夜は飲むだけだが、私が、夕方、浜で拾ってきた関西弁を話す変なオーストラリア人の「ジャロ」が加わり、三線談義で盛り上がる(沖縄に来て、三線が好きになり、今日、島の三線店で購入をしてきた)。



浜に出て、夜空を見上げたら怖いくらいクッキリの空一杯の星と、天の川が観れて感動した!
※座間味島キャンプは、その②に続く。

那覇商工会議所「起業塾」の講師をしました。

2009年09月23日 01時00分00秒 | 沖縄現地情報

那覇商工会議所で主催する「起業塾」で、9月20日に、『地元起業者に学ぶ』というテーマで話をさせて頂きました。

沖縄に移住した2007年の夏に、那覇商工会議所主催の「起業塾」に受講し、9月2日~30日まで、「起業塾6期生」として5週間毎週日曜日(9:00~16:00)に、創業の心得を学んだ。

今回は、2年後輩に対して、OBとして話して欲しいという依頼だったので、お礼をかねて引き受けた次第。
前半の1時間は、私が起業塾で学んだ事と卒業後の現状と、6期起業塾有志によるOB会の事務局を引き受けている「喜業会」で、話して頂いた沖縄で起業したゲストスピーカー6人の紹介と学んだ事を中心に話した。

▲<自己紹介をしているところ>

残り30分は、今年7月に与那原町で創業した、起業塾同期の宮里さんに来て頂き、「丸吉そば」の創業話を私のインタビューに答える形式で話して頂いた。



▲<宮里さんへのインタビューコナーの様子>

8期生も我々の時と同じくらいの約80名の受講者があり、最後の質問タイムでは、5名から質問を頂いたので盛り上がって90分の講演は終了した。

▲<質問タイムで質問者に答えている様子>

「糸満道の駅」OPENしたが・・・。

2009年09月20日 00時05分00秒 | 沖縄現地情報

▲<左「ファーマーズマーケットいとまん」、奥「糸満市物産センター」、右「花屋さん」>

9月11日、糸満市西崎町に「糸満道の駅」が開業しました。
今まであった「ファーマーズマーケットいとまん」、「お魚センター」に加えて、カフェ&お惣菜の「イノー」と「糸満物産センター」がそろった。
県7カ所目の「道の駅」で、敷地面積では県最大らしい。
新しく出来た2つの施設を見学したが、どちらも何をコンセプトにしているのか解らない品揃えの店だった。



以下、「糸満物産センター」の、ここがおかしいを書く。
①糸満市の物産が、全然出そろっていないのはなぜ?
②OPEN記念に「北海道の醤油」を売るのはなぜ?
③「沖縄そばの高級店」が、あったがなぜこんな店が必要?
④「糸満お魚の店」は、高すぎるよ「海人」町で、なぜ?
⑤カマボコ屋が2軒あったが、お魚センターを含めて、3軒になったのはなぜ?
⑥食堂が7軒入っているが、全然沖縄らしくないのはなぜ?
⑦「糸満市の歴史や観光名所」の紹介コーナーがないのはなぜ?
2005年から誘致を検討してたらしいが、何を考えていたのかと言われても仕方がないような店舗創りだ。

沖縄の観光客は、リピーターも多く、他府県の観光地も見ていて、目が肥えている。
どの、「道の駅」も似たりよったりだが、それでも一番考える時間が長かったのに、糸満の特徴を出せないのは、絶対におかしい。
創れば、お客が来る時代はとっくに終わっているのに、このプロジェクトの誰一人も解らなかったのか。そこが不思議だ。

以下、私の提案です。
①「糸満のお魚の店」は、高級刺身ではなく海人の街らしく、お魚のバイキング大人1000円をやって欲しい。
②「沖縄そば」は、県外にある「讃岐うどん」セルフの店方式をやって欲しかった。基本の素沖縄そば200円で食べられて、トッピングは、一品100~200円追加(糸満市内の沖縄そばの店のガイドマップがもらえる)。
③糸満市内の泡盛酒造メーカーすべてを揃え、県内でしか買えない限定品を置く。
④もっと、糸満市内にある企業やメーカーの製品を並べる(地産地消)。
⑤「FMいとまん」の放送局ブースを中に設置する。
⑥ブースを2~3つぐらい解放した、お店創業支援コーナーを創る。

▲<建物は、建設会社が喜んで創ってくれるけどね。中身が大切という事を発注者は大切にして欲しい。>

「96時間」を観ました。

2009年09月19日 00時05分00秒 | 沖縄現地情報

この映画の脚本は、リック・ベンソン(トランスポーターシリーズ他)だから、絶対に、はずしはしないと期待してた。

ロスに住む元CIA工作員の主人公は、離婚後、17歳の娘キムと同じ町に離れて一人寂しく暮らしている。
キムが、友達と二人だけでパリ旅行に行き(危ないので止めたが最後は、折れてしまう)、現地に着いた直後に誘拐されてしまう。
元の仕事仲間から、犯人が人身売買組織である事を知り、娘を救出するために単身パリへ乗り込み、身に付けた技を駆使し救出を始める・・・。

ストーリーは、単純だがリュック・ベンソンが、凄い速度でぐいぐい最後まで引っ張って行く(ストレートの剛速球)。
主人公役のリーアム・ニーソンは、当年57歳だが、体当たりで凄いアクションをこなしている。
離婚してがっくりして生きている姿と、娘を救出し始めると生き返ったように大活躍する落差が観る者を映画に集中させるすごい演技力だ。
馬鹿な母親と馬鹿な娘だけど、父親はそれでも助けに行く。
娘を救出するためなら、相手は容赦なく叩き潰す(殺す)。
本年度の「父にしたい俳優コンテスト」があるなら、間違いなく第一位だ。
次回作は、東京が舞台らしいが、今から待ち遠しい。

※邦題の「96時間」は、劇中に話される「誘拐事件の被害者が無事でいられると考えられる時間」らしい。

「伊良皆善子童謡物語」コンサート

2009年09月17日 00時05分00秒 | 沖縄現地情報

▲<「青い目の人形」を迎える記念合唱団。指揮は、嶺井浩子氏>

9月16日、19:00~20:45まで、那覇市ぶんかテンブス館で『青い目の人形平和コンサート』へ行って来ました。
主催者、伊良皆善子氏と縁があり、前売りチケットを購入し、夫婦でコンサートを鑑賞させて頂いた。

▲<左、ガラス箱に入った2体の人形。右、当時の新聞記事と「人形のパスポート」>


▲<伊良皆氏が長野から大切に持って来た人形。全長約40㎝>

昭和2年に、アメリカから「青い目をした人形」が、1792体日本に寄贈された。
当時、日本全国の小学校へ贈られたらしい(それぞれに名前があり、パスポート付だった)。



▲<会場ロビーに、展示された長野県で現存する人形のパネル写真>

そんな時代もつかの間、太平洋戦争が始まり、「青い目をした人形」は、アメリカの人形という事で全国各地で、子供の前で焼かれたり、壊された。
戦後それでも、全国で約300体残されていたそうだ。
特に、長野県は約30体現存している(沖縄には一体も現存せず)。

▲<左、ポスター。右、沖縄ジャズ界重鎮の「屋良文雄」さん>

長野県飯田市の「高野辰之記念館」に展示されていた2体を、伊良皆氏が偶然に見て、そのドラマを知り、この度、長野に出向き、沖縄にお借りして来たものです。
2体が沖縄に来た事を記念し、「世界の平和は子供から」の願いで今回のコンサートを開催した。

「青い目の人形」「我は海の子」「うみ」「おうま」「野菊」「赤ちゃんのお耳」「花の街」「朝はどこから」「とんがり帽子」「あの子はたあれ」「揺籃のうた」「赤いくつ」「七つの子」を約2時間にわたり聞いた。
伊良皆氏からは、童謡作家の生家やその歌が出来た背景など、エピソードを聞けた。

▲<最後に、会場全員で「とんがり屋根」を合唱した>

私の贔屓の「屋良文雄」さんが、目の前でピアノを弾いてくれた事に感激!
懐かしい歌をたくさん聞いて歌って最高に気分の良い夜でした。
※9月19日、15:00~「沖縄市民小劇場あしびなー」でも公演されます。

最近の生活 その③

2009年09月16日 00時05分00秒 | 沖縄現地情報

▲<9月14日、朝7時の空。毎日27℃~33℃です。>

確か9月13日に、サンエー宇栄原店南側に、新しい居酒屋「魚まる」が新規開店した。
早速、9月14日の夕方に、妻と二人で夕食に行った。
私は、「魚の天ぷら」500円とビールを注文する。
後で、「刺身の盛り合わせ」1,000円も注文する(しかし、刺身が先に出て来て天ぷらが出て来ない。まず、ビールに天ぷらなのだ!)。



▲<どちらも少し食べてから撮影しましたので、ボリュームが減っています>
天ぷらのイカが、新鮮で美味しかった。
刺身の盛り合わせも美味しかったが、魚の専門店なら600円位にして欲しいものだ(天ぷらが遅れた恨みか?)。

妻は、大海老定食(1,380円)を注文。



▲<天ぷらが遅かったので、ビールは二本目を頼む。妻の食べた大海老の頭をつまみにビールを飲むが、美味しかった。>

他のお客が食べていたマグロ丼(500円)は、この店の一押しメニューのようだ(確かに安い!)。

食堂の外に、「いけす」もあり新鮮な魚貝類が買えるようになっているので、魚好きにはたまらない店になるだろう。


諸見里しのぶ 日本女子プロゴルフ優勝!

2009年09月15日 00時05分00秒 | 沖縄現地情報

▲<琉球新報9月14日朝刊一面より>

昨日の日本女子プロゴルフで「諸見里しのぶ」さんが優勝した。
今年の彼女のプレイを観ていると、凄味させ感じるくらい素晴らしい。
宮里藍さんの後ろで、プレイをしていた頃は気の弱そうな女の子という感じだったが、どうしてここまで強くなれたのか不思議で気になっていた。
先日、9月8日の琉球新報「金口木舌」に、「『ネガティブな人間には運は訪れない』という本の一節が気に入り、前向きな姿勢が保てるようになった」と、言っていた。と書いてあるのを読んで納得した次第。
仏教用語の「三毒追放(妬まない、怒らない、愚痴らない)」に通じるものがある。
こんな言葉もある「悲観主義は気分の問題。楽観主義は意思の問題」。
悪く考えれば、必ず悪い方向へ行く。悲観主義は伝染する。
ピンチの時に、前向きに心をコントロール出来るようになれば、人生は拓けると私は思っている。

最近の生活 その②

2009年09月14日 00時05分00秒 | 沖縄現地情報

▲<いつもお世話になっている。豊崎総合公園管理事務所(この屋上で日光浴をしながら読書をしています)>

9月13日(日曜日)は、朝から昼まで「ゆいレール」の全線運転が運休している。
那覇空港に午前中降りた人は、ビックリしただろう。
私が住む宇栄原で、「不発弾処理」が行われるからだ。
規制解除するまで、赤嶺駅から小禄駅間が通れないので、全線の運転をストップしているのです。


2時過ぎから、豊見城市の豊崎浜に行き、読書をしながら、約一時間日光浴。
今日は、「その気にさせる質問力トレーニング」を読んだ。
「質問は思考力を鍛える」「質問力は状況をコントロールする」「質問力は人の心をひらく」「質問力は人をその気にさせる」など、興味深い内容だった。
小学生の時は、ハイ!ハイ!といって皆、教室では質問をしたのに、社会人になると、なぜ質問をしなくなるのか?不思議で仕方がない。

眼下の海では、まだ泳いでいる人や浜遊びをしている親子がいる。



帰りに、「スカイスポーツ」に寄り、トレーニングを行い、サウナを利用して家に帰る(約3時間)。

※沖縄の「不発弾処理」、2007年度実績は、不発弾781件25・4トン。不発弾処理は、復帰後から累計で3万24件、1757・9トンが処理され、まだ約2300トンが地中に残っていると推定している(約100年間かかる計算です)。


9月12日は、午後から講師をしてきました。

2009年09月13日 00時05分00秒 | 沖縄現地情報

NPO沖縄人財クラスタ研究会主催の「観光核人材育成事業インターンシップ」09年秋期生への講義が、那覇市ぶんかテンブス館であり、「企業にとって必要とされる人材とは?」というテーマで90分講義をしてきました。

今回のインターンシップ生10名は、全員「うちなんちゅう」で、約半数が琉球大学の現役生だった。

講義の内容は、「人生はたまたま理論で生きよう」「面接に強くなろう」「面接とは何か?」「肯定的生き方」「運が良い人になる7つの行い」「視点を変えて生きよう」「夢は必ず実現する」等々。


約50分話して残りの時間を質問コーナにした(質問力の実践)。
各人に、最低一つ質問をさせそれに答えながら、色んなエピソードを話した。

帰って夜パソコンを開けたら、早速、5人からメールが入っていた。
元気が出ましたという内容が多く、これからの研修や面接を元気に取り組んでくれれば、講師としてやり甲斐があるというものだ。
移住した沖縄の地で、地元若者に対して私のつたない経験でも、貢献出来る事に大変幸せを感じている。