「恩納村のタイムシェアマンション」

2012年04月30日 17時00分00秒 | 沖縄の生活

▲<自作の「イカ焼きそば」醤油味で美味しかった>

4月27日~28日まで、今シーズン3度目の恩納村にあるタイムシェアマンションへ行く。
昼食は、珍しく外に食べに行かず、持ち込んだ食材で「焼そば」を作って食べた。
昨日、那覇イオンで買った「イカ」を入れた「イカ焼そば」の手作り。
11階のベランダで、海を見ながらビールを飲みながら食べた。


▲<「ムーンビートホテル」とサンゴ礁の海が眼下見える>

「焼そば」を食べた後、一階にある「小さなプールサイド」に、1時間ほど読書をしに行く。
久し振りの「晴れ間」だったので、日光浴も出来て嬉しかった。




▲<セルフターマーで撮影する>





沖縄は、4月28日に「梅雨入り」をした(平年よりも11日、昨年よりも2日早い)。


「スパルタの海」を観た。

2012年04月28日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<2月「桜坂劇場」で公開していたのだが、見逃したのでやっとDVDで観た>

28年前の映画だが、公開直前に「戸塚ヨットスクール事件」が起き、封切り直前に中止された問題の映画。

上之郷利昭の原作本を西河克己監督(吉永小百合主演の伊豆の踊子の監督)で製作したが、1983年6月「戸塚ヨットスクール事件」により戸塚宏は、傷害致死容疑で逮捕される。以降、戸塚宏は、悪の象徴として世論に抹殺される。

この事件以降、日本の教育界から「体罰」が消えて行く事になる。

以来20年以上、「ゆとり教育」「体罰反対」の世の中が続き、この映画が日の目を見る事は無かった。

しかし、2005年「スパルタの海管理委員会」が、東宝東和から権利を買い取る。

戸塚ヨットスクールHPや戸塚校長の講演会などでDVDが少しずつ販売され、2007年特集上映会などの小規模公開が実現する。

2011年に入ってから本格的な全国ロードショーが始まり、実に28年の時を経て「完全解禁」となる。

伊東四朗の凄い演技を始め、脇を固める役者の使命感が凄い(原作者、監督、平田昭彦、牟田悌三など、他界されている人もい多い)。

DVDの特選映像に入っていた、ロードシヨー舞台挨拶で語る戸塚校長の数十分間の言葉が重かった。「あれから、教育界は変わりましたか?文部省は、学校を良くしましたか?マスコミや評論家は、良くしましたか?その後に起こった残虐な事件や学級崩壊は、誰が責任を取るのですか?」戸塚校長の実践に基づく、信念と使命感を感じた。実際に、戸塚ヨットスクールでは、今も数十人を預かり運営されていて、今までに延べ600人を社会復帰させている。

「しまぶた屋“農園炉端”」へ行った。

2012年04月26日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<移住6年目でも食べた事の無い「島野菜」があり、感激した「サラダバー」>

4月21日の夕方、恩納村にある「しまぶた屋“農園炉端”」へ予約なしで飛び込んだ(恩納村に2軒、那覇に一軒あり)。そうしたら、予約で席が埋まっていたので焦った。交渉の末、19:30までならカウンターの席が空いているという事で、店に入る事が出来た。

「やんばる島豚」が売り物の店で、仕入れは「我那覇畜産」(名護市)との事、EMを噴霧している豚舎で育てられた肉らしい。


店内には、食べ放題の「サラダバー」があり、新鮮な「島野菜」がたくさんあり嬉しい(これが最高に美味しかった!)。


▲<料理が出て来るまで、ガラスのコップに、二杯食べた>
※この店オリジナルのドレッシングが絶妙の味!(中味は、リンゴ、玉ねぎ、人参、擦りゴマ、島人参、ゴーヤ、醤油、サラダ油等々・・・初めて美味しいドレッシングに出会った)

料理は、まず「アーサの出し巻き玉子」「あぐーつくね」「ドゥル天」を注文する。


▲<アサーが、だしの中にもたっぷり入っていて、やさしい味だった(アサーとは、沖縄の海辺に育つ柔らかい海藻で、砂が混じるので、取った後処理に手がかかるが美味しい海藻>


▲<「あぐーつくね」を目の前の網で焼き上がるのを見ながら出来上るのを待つ>


▲<どこから来たのかと聞れてたら、後で手書きのカードと一緒に「あぐーつくね」が出て来た>


▲<「田芋(ターム)」に、野菜を入れて油で揚げる「ドゥル天」>

最後は、「アグーモモ炭火焼」「油みそおにぎり」で締めた。




▲<家人が飲んでいた「沖縄タンカン+梅酒」>


▲<「アグーモモ炭火焼」(780円)は、ボリュームがあり過ぎ>

※行きたい人は、予約をお勧めする。098-964-3785

「忠孝酒造春のイベント」

2012年04月25日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<4月22日16時過ぎ、大抽選会が始まった頃の「忠孝蔵春祭り」のテント内>

4月21・22日に、豊見城市にある「忠孝酒造」が、春のイベントを行った。
秋と春、年2回行われるイベントは、忠孝酒造の感謝祭である。



会場には、無料の「ふるまい酒」の他に、「うまいもの屋台」(有料)があり、恒例の地元ミュージシャンステージや、焼き物工房では、忠孝酒造製造の「南蛮甕」や「陶器のカップ」を10%引きで販売していた。


▲<今回の「ふるまい酒」は、製法を変えて美味しくなった「夢航海」>



16時からは、この日で一番盛り上がる「大抽選会」が始まる。
忠孝酒造の商品が、総勢120名に当たる(一位は5升甕、二位は3升甕・・・)。




▲<くースの杜「忠孝蔵」の販売店に、書浪人「浦崎善隆」氏の手書きラベルの特別商品が売られていた>



参加者は、地元住民が中心だが、誰でも参加が可能です。当日商品を購入した人は、大抽選会にも参加出来る。
年二回4日間、このようなイベントを社員総出で開催する忠孝酒造さんの心意気には、頭が下がります。





「那覇市に本格的な“広島焼”の専門店が出来た!」

2012年04月23日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<「chura+」の掲載写真(そば玉+青ネギトッピング)>
※「chura+(チュラプラス)」とは、ゆいレール改札付近の「無料情報誌コーナー」で手に入るクーポン付無料情報誌です。

今年の3月に、那覇市久茂地に「カバチ」という、広島焼の専門店が出来た。
お好み焼きの「広島焼」だけでなく、「鉄板料理」が55種類あるのが売り物。以前、広島で延べ8年くらい勤務したので、懐かしく食べに行った。





広島の「鉄板焼き」は、お好み焼き屋のサイドメニューから始まったと思われるが、それだけを食べに行くくらいにメインメニューになっている食べ物です。



特に酒飲みは、アルミホイルに包まれた、色んな食材を数多く食べるのが嬉しい。
「牡蠣のホイル包焼」「ゲソ炒め」「ホタテとカリフラワー」等々・・・、たくさんのメニューがある。





広島で勤務していた時は、伝説の「ちず」という店で、仕事仲間と大いに飲み明かした。
女将が亡くなった後、従業員が独立創業した「五右衛門」を応援した。
「カバチ」の経営者も、その頃の話を知っていて懐かしかった。







※「カバチ」098-943-6567は、年中無休、営業は、11:30~0:00。店名の語源は、店に行った時に聞いてみて下さい。chura+(ちゃらプラス)持参の人には、1.お好きなトッピングひとつサービス 2.三名以上ならスパークリングワイン、二名ならグラスワイン、一名ならお好きなドリンクサービスあり。

「石原都知事尖閣購入発言!」

2012年04月20日 00時05分00秒 | 沖縄の生活


琉球新報が、4月19日の第一面にトップ記事で、「沖縄県下の41市町村長アンケート調査」を報じている。

どちらとも言えない(26)、賛成(6)、反対(3)、無回答(3)、その他(3)。
反対派の、那覇市長は、「奇想天外」、大宜味村長は、「越権」、名護市長「唐突に出てきた話」・・・。
賛成派の、石垣市長は、「個人より国や沖縄県が所有する方がいい、本来なら国が所有すべき」、浦添市長「行政が所有する方が乱開発を防げる」、伊江村長「国がやらなければ東京でもいい」・・・。

マスコミを通じて学識者達が、したり顔で「話せばわかる」的な発言をし始めているので、政治的な話はこのブログに書かない主義の私だが今回だけは特別に書く。



自民党時代を含め、海洋国でありながら国境離島問題は、隣国を刺激しないようにとの考えで先送りしてきた。そして、島根県の「竹島」が、事実上韓国の管理下に置かれて久しいが、国は何もしていない。

そして今度は、中国と台湾が「尖閣諸島」の領有権を主張し始めて来た。今回も政府は動かない。

早急に、自衛隊を派遣して、近隣国に日本の領土である事をあらためて意思表示した上で、施設を建設し国家公務員を常駐させるべきである。

「尖閣諸島」の周辺には、地下資源がある事が解ってから騒ぎ出しした隣国へ、そうであれば、よけいに日本もその土地と資源を守るのが国の役目だろう。



隣国との円滑な経済活動を考えて、「穏便にしよう」と発言する人が沖縄でも多い。
ではその人達に聞く、自分の敷地へ隣人があなたの土地は私の土地だと言って、境界線を越えて垣根を造作してきたらたらどう答えるのか?敷地を与えてまで、経済関係を優先するのか?



今でも、石垣や糸満の漁民は、日本領海内なのに、武器を持った中国漁船が怖くて漁業が自由に出来ない状態になっている。
地下資源以前に、海上の仕事が出来なくなっている状態を今も政府は放置しているのだ(北方領土海域で、ロシアから受けている北海道漁民の命がけの漁業を直視すべき。このままでは、間違いなく同じ事が沖縄の近海で起こるのだ)。この状況を放置すれば、中国に事実上占拠され「竹島」と同じ状態になる事が目に見えている。



石原東京都知事は、米国で話した事が偉い。中国親派の朝日新聞やNHKなどの日本マスコミは、中国に遠慮して報道しない(どこの国のマスコミだ?!)。世界マスコミの中心、ワシントンにいるジャーナリストが、この件を好意的に世界に報道する事を願うばかりだ(良心的なジャーナリストは、中国の傲慢で品の無いやり方を醜いと思っている)。



日本のマスコミが、「こんな乱暴な事をしては駄目だ」、「隣国に失礼だ」と言えば言うほど、喜ぶのは「中国」であり「韓国」なのだ。野田政権が、この問題をどう処理するかを全国民が凝視しなければならない(先延ばしするようであれば、日本の政治家を辞めてもらうしかない)。

「肌寒い沖縄」

2012年04月19日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<4月13日、民家の庭先に咲いていた「月桃」の花>

4月に入っても、天気予報は「曇り時々雨」が多い。
明け方も、少しまだ肌寒い(今日も朝から雨で風が強い)。
でも、4月18日の天気予報の気温では、25~20度?


▲<小禄「県産業支援センター」前に咲いていた。散りかけの「火炎木(カエンボク)」の花>

それでも、「月桃」の花が咲き始めた(夏は、もうそこまで来ている)。


▲<「マキバブラシノキ」瓶を洗うブラシに似ている>

その前に、一番沖縄で嫌われる「梅雨」が来る(式服や皮製バック・皮靴などに、白カビが浮かんで来る)。


▲<道路植栽の「ゲッキツ」が、赤い実を付けていた(花は白くていい香りがする)>

「本当は怖い沖縄」

2012年04月18日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<4月17日、昼の「豊崎総合公園美らSANビーチ」>

4月17日、浦添市の顧問先で行う「管理職早朝研修」の、講師するために家を6:57に出る。
いつもなら、車で20分くらいかかるのが、6時台に出ると10分で着いた。

7:30~9:00まで、90分の研修を終えて自宅に帰るたら、まだ9:30前だった。

少し、デスクワークをしてから、11時過ぎに豊見城市のトミトン隣接の「戸田書店」へ行く。

久し振りに晴れてたので、その足で12:00~「豊崎総合公園美らSANビーチ」へ行く。
いつもの場所で、約一時間「読書&日光浴」してから、トレーニングに行く。


▲<観光客だろうか、楽しそうに海水浴をしていた>

本日の本は、「本当は怖い沖縄」新潮社、2010年4月25日出版だが、以前から気になっていたが未購入。先週末、赤嶺駅前の「BOOK・OFF」で、半額セールがあったので購入した。

著者の仲村清司さんは、筆力がある人なので、恐ろしい話が書かれている本だが面白く読める。
相当沖縄に興味のある人しか読まない本だろうが、まだ読んでいない人は、「沖縄裏ストーリー本」としてお勧めします。

「恩納つばき」へ食べに行く。

2012年04月16日 00時05分00秒 | 沖縄の生活


4月12日、東京から友人が夫婦で沖縄旅行に来てくれたので恩納村へ行った。

夕食は、4人で「恩納つばき」へ食べに行った(建物の建て替えで、約一年間休業していたので久し振り)。

約一年間休業していたのだが味は落ちていなかった。
「ムーンビーチホテル」の周辺には、美味しい店が多くあるが実際に食べた店では、私的にはNO1店だ。

以下、食べた料理とその感想です。


▲<「海ぶどう」恩納村漁港に養殖場があるので、新鮮で美味しい>


▲<好きな人には、たまらない「島ラッキョ」。身体の血の流れが良くなる食べ物>


▲<「海ぶどう」がのった「海鮮サラダ」海老も二種類入ってドレッシングも濃過ぎずいい感じ>


▲<「もずく酢」>


▲<「ソーミンタシヤー(ソーメンチャンプルー)」ソーメンの絡み具合が難しいのだが油の絡みがベスト」>


▲<「もずくの天ぷら」カラリと、揚がってました>


▲<「あこや貝の刺身」友人が頼んだのだが、新鮮でシコシコして美味しかった!>

予約して19時に入店したが20時頃には、満席になっていた(さすが!)。

4月度古民家食堂例会

2012年04月13日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<4月10日の「古民家食堂会」は、新しいメンバーが2名参加(真ん中の人が、相模原市から新規店舗工事で一カ月間、那覇に滞在の坂本さん)>

4月10日の夜、「古民家食堂の例会」があった。
私は、顧問先の浦添市勢理客(じっちゃく)から、バスで向かった。「儀保駅前」で下車し、首里を通って「古民家食堂」がある南風原町大名まで歩いて行った(25分)。


▲<料理の撮影を順番にとっていたのだが、途中で消してしまったので前半の料理写真が無い>

今回の料理は、アラカルトだった。
いつもの「刺身の盛合せ」「豆腐チャンプル」「ホッケ」「中華風肉炒め」と続いた。









途中から参加した下地さんが(前回会った時は、クリーニング屋オーナー)、「俺のチキン」という店をOPENさせたという事で、商品の「フライドチキン」と「いなりずし」を持参。皆で、試食会をした(われらの仲間、又吉さんのコーディネートと聞く)。


▲<美味しそうにビールを飲んでいるのが下地さん>


▲<「フライドチキン」は、ピリ辛系。食べて再度写真に映せなかった。「いなりずし」は、かき集めてかろうじて撮影出来た(関西系の具たくさん)>


▲<当日持って来た小さな「チラシ」店舗は、那覇市安謝185 電話:098-866-7578>

最後は、これも前回参加した株式会社リバネスの「福幸豚」を使用した古民家食堂の新メニュー「コロッケ」試作品3品の試食会になる。①「豆腐入りコロッケ」、②「二つの部位の50%割合のコロッケ」、③「70:30の割合のコロッケ」が出てきて、皆で品評会をした。①「豆腐入りコロッケ」は、ヘルシーなので女性向きに良いだろう。③「70:30のコロッケ」は、肉の臭みが強いので没。②「50:50のコロッケ」は美味しいので合格になった。





今夜の会話は、北朝鮮のロケット発射問題などが出て国際・軍事問題まで幅広かった・・・。

「帰郷」その④ 『五條市新町』番外編

2012年04月12日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<「鉄矢橋」付近の川の蛇行が美しい>

4月6~8日まで、5月に行う父の7回忌の打合せで実家に帰った。
久し振りに、五條市新町を歩いてみたら、故郷なのに新鮮な発見があり楽しかった。

子供の頃は、この道路も車が行き交い道路幅ももっと広く感じた。軒先も、こんなにも低くかったのかと驚く。

古いだけと思っていた新町通りも、新しい料理店が出来、幼馴染の自宅(病院)が資料館になり、たくさん変化していた。残っている店や建物も、なぜか旅行者の目で見てしまっている私がいた。




▲<「松の友」ブランドで、清酒の山本酒造がまだ健在なのが嬉しい(新商品の柿ワインが好評)>




▲<中学生の頃、「年末餅配達」のアルバイトをした「一ツ橋餅店」(大正時代の建造物)>




▲<路地に、一歩入るとこんな景色が見える>






▲<「まちなみ伝承館」は、新町筋の歴史を学ぶ事が出来る無料のギャラリー(近くに「旧辻家」の内部が無料で見学出来る「まちや館」もある>


▲<「美容院」もこんな感じ>


▲<こちらは、「たばこ屋」さん>

故郷は、離れてその良さを再認識するものですね(「帰郷編」4回で終了)。

「帰郷」その③ 『五條市新町探訪記』

2012年04月11日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<4月7日、夕方「新町街並み」>

4月6~8日まで、5月に行う父の7回忌の打合せで実家に帰った。

実家のある奈良県五條市は、江戸時代紀州街道筋の宿場・商業町として栄えた(紀州藩の殿様時代の徳川吉宗も通った)。

五條市は、国宝「栄山寺八角堂」が、有名ですが【五條市新町】は、江戸時代の漆喰塗の壁や格子など、今も実際に生活している古民家が数多く残されている街並みとしても有名です。その中でも、「栗山家住宅」は、建築年代の解る民家として、日本最古の民家(江戸初期1607年)です(ダイワハウスのTVCMの舞台にもなった)。


▲<新町東口向かい側の「中邸」(奈良県指定文化財)は、元禄大火以降に建てられた、貴重な江戸時代の防火策建造物です>




▲<「薬問屋」>




▲<「郵便ポスト」と、美しい「格子」>














▲<「山田旅館」>


▲<新町西の端には、使われなくなった古民家が、「レストラン」に改装中で、近日開店の予定>

※毎年5月末の日曜日に、「かげろう座」という街全体を使ったイベントがあります。450店舗出店があり、買い物客を約6万8000人を集客する(2012年は、5月27日、10~16時)。今年は、20回目を迎え、以前から20年目で、一区切りをつける予定。来年は、一年かけてけ検討するらしい。

※明日は、「新町通り探訪」の番外編です。

「帰郷」その② 『桜満開!』後編

2012年04月10日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<4月7日の夕方「五條代官所跡」南側の桜並木>

4月6~8日まで、5月に行う父の7回忌の打合せで実家に帰った。
今年の奈良県五条市は、4月に入ったとはいえ、底冷えのする寒い春だった(4月8日の気温は、-3~17度)。

それでも、ところどころに春の息吹が感じられた。
妹から、「五條代官所跡」の桜が綺麗と聞いたので、「柿の葉すし本舗たなか」へ行く途中に観る事にした。










▲<寒い中、代官所跡入口広場で「花見の宴会」をしている人達がいた>




▲<代官所跡の入口にあった「しだれ桜」の、赤い色が美しかった>

※「五條代官所跡」江戸末期の文久3年(1863年)、「天誅組大和義挙」で焼き打ちにあう。五條代官所の長屋門が残されている。建物の中には「民俗資料館」があり、天誅組の資料が展示されている。

※「天誅組の変」とは、幕末新しい日本を目指す、尊王攘夷思想の若者達が、全国より集結し「五條代官所」を襲撃した。しかし、決起は、朝廷から反乱とみなされ、討伐に来た幕府軍との攻防の末、40日間で東吉野に散った。この後、明治維新が起こり日本を変える先駆けになった。


▲<「天誅組の乱」の解説看板>

※明日は、「五條市新町通り」探訪です。

「帰郷」その① 『桜満開!』前編

2012年04月09日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<4月6日、南海&JR「橋本駅」(和歌山県)から見えた風景>

4月6日~8日まで、5月に行う父の7回忌の打合せで、奈良の実家に帰る。
沖縄に移住してから、出来るだけ実家に帰るようにしているが、年に2~3回ぐらいしか帰れない。

4月の時期に帰るのは、何年振りだろうか?
関空から、南海本線を使い、難波経由で帰る途中、線路端の桜が丁度満開だった。

実家のある、奈良県五条市の「桜」は、まだ6分咲きでした(4月8日の温度は、-3~17度)。

翌日、咲き始めた花を撮影しながら、父の墓参へ行く。


▲<JR「大和二見駅」付近で満開の桜を見た(花見用の提灯も見える)>

帰郷も、昨年8月の高校学年大同窓会以来だ。


▲<紅梅>


▲<菜種の花>


▲<ボケの花>


▲<線路際に咲いていた「雪柳」>

「水仙」や「椿」など、冬の花がまだ咲いているかと思えば、「梅」、「菜種」、「ボケ」、「桃」、「木蓮」、「コブシ」など早春の花が咲き始めていた。










▲<30年振り?なつかしい吉野川を望む川縁に立って「川」と「桜」を撮影する>

やはり、春は「桜」を見るとなぜか嬉しくなるので、翌日も桜を探して近所を歩いた(「桜満開」後編に続く)。

「春の嵐が過ぎて」

2012年04月06日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<4月4日の「豊崎総合公園美らサンビーチ」>

テレビでは、春の嵐が台風のように日本列島を縦断した事を報じていた。
沖縄も3日から強風で、夕方仕事で「泊大橋」を通過する際ハラハラしながら左車線をユックリ走行した。

4日からは、朝から晴天(台風一過のようで空が綺麗)。


▲<4月1日に、福島県の子供約100名を集めて「海開き」をしていた「豊崎総合公園美らサンビーチ」。>


▲<風が強いので「リーフ」に波が白く立っている>

風が北風に変わり、まだ夏は遠い(朝は、17~18度で少し肌寒い)。
昼は、22~25度になり、車は窓を開けて走行しているが、空気が乾燥しているので気持ちがいい。


▲<運休便があったせいか、那覇空港に降りて来る旅客機が、普段より多く感じる>


▲<美しく色づいている「マニラヤシ」の果実>