「沖縄楽園生活」さよなら編 (10)「最終回」

2017年04月15日 18時00分00秒 | 沖縄の生活

※2017年4月15日早朝の6時30分、無事「大阪南港」に到着しました!

2006年4月15日「沖縄移住準備編」から始まった「沖縄楽園生活」も、奇しくも本日2017年4月15日、2103号をもって最終回になりました。

永く良く書けたなぁと、本人自身が驚いています。

毎日書いていた年もあり、今は亡き友人に感心されました(懐かしい思い出です)。

「沖縄病に罹り」大好きな沖縄へ、移住を計画するも訳あって、計画より2年遅れて「沖縄移住」が実現しました!

沖縄に来て、たくさんの新しい「縁」を頂きました(東京の原さんなど、たくさんの方にも応援して貰いました)。

前回も、書きましたが「観光移住」ではなく、若い仲間達との「仕事」や、「地元仲間との酒盛り」が、沖縄移住生活でした。

仕事も、たくさんさせて頂きました。

仕事には「守秘義務」があり、「ブログ」に書けない事がたくさんありました。「ブログ」では、毎日「飲んでばかり」になっていました(笑)。

沖縄でのご縁に「感謝感謝の嵐」です!


▲<大阪行きの「フェリー船室」で、「ブログ」を書く本人です>

皆様のご多幸とご健康を、大阪よりお祈り申し上げま~す!ありがとうございました!!

「沖縄楽園生活」さよなら編(9)「引っ越しの夜~フェリー乗船」

2017年04月13日 19時30分00秒 | 沖縄の生活

▲<沖縄に移住した翌年、私の部屋のベランダに「イソヒヨドリ」が巣を造って4匹産んで一羽育った事もあった>

引っ越しの荷出し作業も深夜まで続く日々、4月12日、朝9時「ヤマト運輸」搬出スタッフ4名で作業が始まり、手際よく進み15時に終わった(過去のケースに比べ随分速かった)。

コンテナ2つの長いトレーラーをマンションのベランダから見送る(マンションの駐車場から、細い道路に一発で出た時は、あまりも上手で感動した!)。


▲<ある日、駐車場から見上げたら、ベランダに「シロクマ」がたたずんでいた!(クマのぬいぐるみが干してあったのだ、笑)>

少しだけ掃除をして、16時過ぎに、小禄駅前の「チャビラホテル」に、チェックイン(二人で、8420円。これで充分です)。

最後の夜は、ご近所の高良さんに声を掛け、ホテル近くの以前行けなかった「居酒屋」に行ってみた(おもしろい店だった)。


▲<おもしろい経営をしているようだ。今夜は、国場に2号店を出し、若い男女が2人だけで運営していた>

翌13日は、家人が6時くらいから部屋の掃除に行く(昨日、荷を出した後、台所の下に忘れ物を見つけショクを受けていた・・・)。

私は交代で、朝9時から11時過ぎまで清掃をする(大掃除にもやらなかったくらい磨き上げた)。

10時過ぎ不動産会社の立会確認を終え、部屋の鍵を返却した。家人と合流し車に荷物詰めが終わり、任して「沖縄最後」の散髪に行く(最初から一軒で終えた)。

14時、「沖縄そばの定食」を食べて那覇新港へ。

15時に「那覇新港」で受け付けをして、フェリーに乗船。16時定刻に出航した(沖縄の夫婦友達、久茂地の「たかちゃん夫婦」が、自転車に乗って那覇新港まで、見送りに来てくれた(感謝!)


▲<純粋な「輸送フエリー」です。食堂はありません!今回乗用車での乗船は、4台でした>

私達といえば、一昨日からの忘れ物や出て来た荷物で「天手古舞」が続いている。車に積め込めたが、船の客室に持ち込む物と車に置いて行くものの整理が追い付かず、「港の岸壁」で整理していたら持ち込む保冷物の発砲スチロールの蓋が海に飛ばされた!?(涙)。

乗船し車を固定した後、部屋に入って、忘れ物に気づき、あわてて取りに行く始末(相当疲れがピークに来ていた)。

16時定刻に「那覇新港」の岸壁を離れ、9年10カ月の『沖縄楽園生活』も終わったと感慨にふけっていたら。

横で、家人が「乗船チケット」が無いと大騒ぎ!少したって客室サービス係に、確認したら「ハイ頂いてますよ」との事(笑)。


▲<「伊江島」を過ぎた頃から、夕焼けなった(客船ではないので、窓が開かずデッキにも出る事は出来ない)>

次の停泊港は、20時「与論港」らしい・・・。

海の上で、「ブログ」が書けるとは思わなかった(スマホは、偉い!!ただし、港や島に近い所のみ)

【移住成功の秘訣】沖縄移住のポイントは、風景ではない。一番おもしろいのは、地元の人です。夕陽を見ていても一年で飽きるが、沖縄の人は、面白い。


「古民家食堂4月例会」に参加

2017年04月05日 00時15分00秒 | 沖縄の生活

▲<4月4日の古民家食堂の夕景>
4月4日の夜、「古民家食堂4月例会」に参加した。いつもは第二週の定例会を私の都合で、今回は第一週にしてくれた。













▲<いつも渋い、友利さん>

例年4月から外で「BBQ」を行いますでも、今年4月の夜は寒い!(夕方16度)参加者みんなが厚着して震えていた(笑)。

私は、「古民家食堂例会」で、たくさんのいい縁を頂いました。

「古民家食堂」が出来た時の話を聞かせて貰った・・・。


▲<高良さんと又吉さん。ありがとうねー!!

ここを造った(創った)、「おやじ達」の活動は、NHKで「プロジェクトX」を創りたいくらいに凄くいい話だった。

「古民家食堂」づくりに参加した魅力的な人に逢えて、幸せだった!!

そして、ここ集まる人も、魅力的な人がたくさんいた。、「喜業会」の講師を依頼して刺激を頂いた。

そんな中でも、瀬崎君は、(喜業会メンバー)酒が飲めないのに「古民家食堂会」に、誘ったら喜んで参加してくれ、数年後には、実家(伊勢志摩)の牡蠣を沖縄に空輸してくれ、「古民家食堂蠣食べ放題」を実現してくれ、今では、「古民家食堂」の名物イベントになった。


▲<皆さん、一週間繰り上げの「古民家食堂会」。忙しい中、寒い中、来てくれて!!ありがとうーー!



「沖縄楽園生活」さよなら編(6)地元の仲間は、「公民館活動」から

2017年04月03日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<9回目、2017.2.5の「小禄南公民館舞台発表会」>

207年の6月に沖縄に移住した。一ヶ月あとに来た家人は、9月に公民館の「琉舞サークル」に入会した。私も負けじと、10月に「三線サークル」に入会した。

沖縄に永く住むつもりだったので、楽器経験がないのに、何か沖縄らしいものを身に付けたかった
三線は、牧志公設市場周辺にあった「三線製作所」に、飛び込んで、ワンセット25,000円くらいで購入した。

講師の小野さんは、宮城県出身で沖縄に移住して30年、三線歴も30年らしい。流派にとらわれず、古典・民謡・BEGINまで、日本語で歌う曲もあり馴染みやすかった。


▲<2017年の「舞台発表」前の記念撮影(初めてお揃いのTシャツを創った)>

生徒は、20名位いるが練習に出て来るのは10名程度。県外者と「うちなんちゅー」が半々、しかし、「うちなんちゅー」のおじいぃと、おばぁが、話出したら方言でまったく意味不明(笑)。


▲<2月22日の「舞台発表打上げ会」>

最初の頃は、弾く曲の順序が決まってなかったので言われた譜面も探せず、弾き方も解らず、先生のカスレ声も聞きとりにくく、最初の2カ月くらいは、ついて行くだけで、毎回泣きそうだった・・・。今でもそうだが、2時間の練習が終わって家に帰ると、ぐったりしていた(泣・・・)。


▲<2月22日、打上げ後の「カラオケ」>

翌年の2月に「公民館まつり(舞台発表)」があり、3カ月で舞台に上げられた(初舞台)。「渡りぞう滝落とし」は、何とか弾く事が出来たが、「ひやみかち節」は、まったく弾けず(今も上手く弾けない)、三線を手から離して、歌だけで参加した。

練習日に、仕事が入った日は休んだが、引っ越すまで、辞めず9年続けた。一昨年度は、「会計&広報」を担当し、昨年度は「会長」を担当した。今回3月末、沖縄を離れるにあたり卒業した。


▲<3月25日の「大送別会」(今年にの春は、私を含めて4名の県外引越者が出た)>

ご近所の人と、同じ趣味で席を同じくして、上も下もない付き合いが出来た(20代後半~95歳まで)

私の提案で、年に一度の「飲み会&カラオケ会」を始めた(三線好きは、カラオケも好き。特に、沖縄の人は、昭和歌謡が大好きです)。

今年は、2月22日に「舞台発表打上げ会」を行い。3月27日に「4名の送別会」と、2カ月連続の「飲み会&カラオケ会」があった(今までになく、イベントが多い)。


▲<3月25日の「大送別会」後の「カラオケ」。私は、一曲歌って寝てしまい。終了時までの記憶がない(笑)>

【移住成功の秘訣】近所付き合いを始めるなら、公民館のサークルに入れ!そうすれば、ご近所の同じ趣味仲間と知り合える(地域の伝統芸能が狙い目だ)。

「沖縄楽園生活」さよなら編(3)ビジネス人脈は「OB」から

2017年03月28日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<最近は、23~21度の日が続き暖かい。3月27日は、最高気温19度で、少し寒い(笑)>

2007年6月に移住して、知り合いもほとんどいなくて、毎日、那覇市内「ゆいレール沿線探索」の日々・・・。
秋にさしかかったある日、携帯に、一本の電話が入る。相手は、那覇市内で旅行情報誌を出している株式会社パムに勤める東濱(ありはま)さんからだった。

彼とは、面識がないので尋ねたら、元の会社上司に「今度、こんな人が沖縄に移住したから会ってみたら?」と紹介されたらしい。私を紹介してくれた「原さん」は、元の会社の他部署の部長だ。

東濱さんが「今勤めている会社の社長も、同じOBなので合わせたいがいいですか?」と言われた。聞けば「ゆいレールの駅」などで、いつも手に入れていたフリーペーパー2誌を発行している会社だった。「タビンチュウ」は、しっかりした編集だが、もう一誌の「タウンチュウ」は、正直言って残念な編集だった。

後日、社長の「長嶺さん」と、他のメンバーを加えた会食に誘って貰った。その場に、紹介者の「東濱さん」の他に、「Gさん」がいた!彼は前の会社の後輩(世間は狭いなぁと思った)。

長嶺社長とは、年齢や勤務地も違っていたので、まったく面識はなかったが、同じ会社に勤めた者同士、卒業したOB感覚を覚え、すぐに打ち解けた。

その場で、「タウンチュウ」をけなしていたら、リニューアルをする事を依頼されてので、その場の流れで期間限定で引き受けてしまった(笑)。

4カ月かけて、「ちゅら+」という「グルメフリーペーパー」に、変身させるために「営業マンの採用」「教育」「営業指導」を行い2008年3月に創刊した。


▲<営業期間約2ヵ月、4名の営業担当の内3名の女性は営業未経験。32P掲載107社(全て有料掲載)

創刊で仕事を終える予定だったが、3年ほど「編集&営業顧問」を引き受け、その後、「取締役」も引き受け現在に至る。

その会社は、その後9年間、毎年30~25%成長し、従業員も約30名~150名に雇用を拡げている。

※【移住成功の秘訣】どこに人脈が潜んでいるか解らないので、OBの縁を大切にしょう!
私は、住所変更通知を沖縄に来る前に、約200枚出した。

「沖縄楽園生活」さよなら編(2)人の始まりは「ジュリ馬」から

2017年03月21日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<旧二十日正月に那覇市で行われる「ジュリ馬祭り」>

【那覇の三大祭り】は、「大綱曳き」「ハーリー」「ジュリ馬」である。
その中でも「ジュリ馬」だけは、那覇市民は、ほとんど知らない。

その理由は、戦前辻にあった女性達は【じゅり】と言われた。「花街の祭り」です(花街は廃止された)。
一般市民が、足の踏み入れない地区の祭りだから、今でもいつどこであるかも地元新聞でも事前に伝えない。


▲<建物の中に「祭壇」があった>


▲<踊っている人は、【じゅり】ではなく、すべて「琉球舞踊」免許皆伝、プロの踊り手です>


▲<2010年は、途中から雨になり、「ふるまい御膳」を頂きながら室内で舞を観た>

私は、沖縄に移住した翌年に、偶然観て感動し、その後毎年観に行き、このブログでも盛んに取り上げた。


▲<「ジュリ塚」での奉納の舞(写真は、すべて2010年3月2日のものです)>

初めて観た、2008年の「旧二十日正月」(その年は3月2日だった)、辻で「ジュリ馬」が始まるのを、おっさんが3人一つのベンチに座って待っていた。

一人は、北海道から「ジュリ馬」を観るために間違って新暦の1月20日から来ていた人(笑)。
もう一人は、仕事の転勤で那覇に住んで数年目の人(偶然、同じ赤嶺駅周辺に住んでいた)。

この那覇移住先輩(小出さん)と知り合い、会社を訪ねたリしているうちに、年末の「壺屋育陶園忘年会」に招待してもらった。

そこで、地元の人達と出会える場所【古民家食堂】仲間の、又吉さん、髙良さん、川満さんに出会い現在に続いている・・・。、

※【移住成功の秘訣】飲みに誘われたら断らずに参加する事。

「沖縄楽園生活」さよなら編 (1)始まりは「ゆいレール駅周辺物語」

2017年03月18日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<世界遺産「識名園」>

207年6月に沖縄移住が実現した。

住んですぐ、夢中になって「那覇市内」の遺跡巡りをしていた。

参考書は、2003年に出版された「ゆいレール駅周辺物語」(188P、ゆいレール駅沿線ガイド)です。

「小禄南図書館」で見つけて、発行元の「沖縄都市モノレール株式会社」に、問合せたら在庫があったので即購入した(1,300円)。

内容は、第一章 ゆいレールのすべて 第二章 駅周辺の今と昔 第三章 遺跡めぐりベスト15

私は、第三章の「首里駅~赤嶺駅」までの15か所の遺跡を歩いて回ったのだ

私の住まいが、「赤嶺駅」だったので、那覇の南側から北上した。


▲<首里「金城の石畳」>

15駅中12駅。駅を下車して歩いて回れる遺跡巡りをした(所要時間1~3時間くらい)。


▲<首里「龍潭池」付近の住宅街>

各遺跡場所が写真入りで、6~10Pで紹介されていて、地図もあり楽しく散策出来た。

丁度、夏に入り「首里城から金城ダム」を巡った時は、「熱射病」で倒れる寸前だった(笑)。


▲<首里の住宅街の中にある「赤丸醤油」発祥の建物>

夢中で、歩き回った初めての夏だった・・・。

だから、今でも那覇市内は住宅街の路地の奥までよく知っている。

※【移住成功の秘訣】地域の情報は、「図書館」を活用し、「地元情報誌」や「広報誌」をたくさん読め!

「古民家食堂」3月例会

2017年03月15日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<原川さん手製の「岡山焼」>

3月14日の夜、「古民家食堂例会」があった。
いつもの通り、「髙良さん」の車で連れて行ってもらう。

今回のメイン料理は、「お好み焼き」でした。


▲<本日の付き出しの、「沖縄近海でとれたマグロ」です>


▲<どんどん作ってくれた、7枚焼いただろうか?>



一緒に行った、「原川さん」が、「広島風」と「大阪風」の中間「岡山焼」を焼いてくれた
※「岡山焼」とは、下地は「広島風」で、キャベツの中に「溶き卵」を流し込み、最後に生地をかけるので、「広島風」よりも、少し重くなる。


▲<真ん中のテーブルにあるのは、汁物の「味噌汁」>

奥のテーブルは、「沖縄そば」を使った、「焼きそば」を焼いた(最初は、ゆでた麺を出してきたので、途中から生めんにした)。




▲<自宅でもよくつくる「沖縄そばの焼きそば」>

新しい参加者で三河から沖縄に置いている「ヨット」を乗りに来た、牧野さんも加わってワイワイ飲んだ。


▲<最後の一品>


▲<「わったー那覇めし」に行って、顔が日焼けしている>

この「古民家食堂」では、たくさんの方にお会い出来た場所でもある(感謝!)。

沖縄住生活を終了します

2017年03月02日 13時00分00秒 | 沖縄の生活


わたくし事ですが、4月に「沖縄移住生活」を終えます。

沖縄を嫌いになったからでも、私の健康問題でもありません。

沖縄を離れる要因は、妻の95を超える母の介護問題です。

そしたら、妻だけ母のもとに行けばいいという事になりますが、今回色々話し合ったすえ、私も沖縄の地を去る事にしました。



新しい住まいは、妻と私の実家の中間地点である、「大阪市」になりました。

沖縄での顧問先の仕事が一番気がかりだったのですが、2月末に沖縄を離れた後も、引き続き契約を残す事に決まり、同社の管理職を前に報告をしました。

対外的にもこうして、報告が出来る事になった次第です。



2007年6月に、那覇市内で沖縄生活がスタートして、9年と10カ月。

ほぼ知らない土地で、たくさんたくさんのご縁を頂き、夢のような楽しい沖縄生活を今日まで過ごせた事は、ご縁を頂いた人さまのお蔭です。



今日まで、ビジネスをしながら、美味しいお酒を飲み語らいや遊びの毎日でした(感謝感謝!)。

4月12日に、荷物を出します。



この日を持って、11年続いたブログ「沖縄楽園生活」を閉じます

つたない文章にお付き合い頂いた皆様に、感謝を申し上げます!



※もう少し、続きますのでお付き合いをお願い頂ければ幸いです(拝)。

関西は寒かった!

2017年02月26日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<2泊3日の「関西旅行」、帰路ANAから観た雲の上を進む飛行機・・・>

沖縄に住んでから、何が嫌かと言えば「冬に本州に行く事」です。

2月23日~25日まで、関西に行って来た。

行く日の那覇は、23度くらいだったが、「伊丹空港」(大阪)は、8~14度(前日は、1~11度だったらしい)。

翌日は、奈良の実家に帰ったら、-1~9度でもっと寒かった!!(昔は、そこで育ったのだが・・・)。

大阪で、10人くらいの人と会い夜は、お初天神にある「鹿児島料理」の島国で3時間、「ソッタク」で1時間少し飲んだ。

奈良に帰っては、18時から「ミニ同窓会」で、10人仲間と飲み、「カラオケ店」で2時間くらい楽しんだ。

25日の朝、奈良を出て16時45分に「那覇空港」に帰着。

いったん家に荷物を置いてから18時過ぎに、首里の「東道BAR」(トゥンダーバー)で、那覇の仲間と飲んだ。

「東道BAR」は、那覇で住んでいる人でも、まず探せない隠れ家の店です。

「龍潭池」付近の「ローソン」を探して下さい。


▲<店内から目の前に、ライトアップされた「首里城」を観える。感激します


▲<誘ってくれた、又吉さんのお蔭で、特別メニューの「2,000ベロ」になっていた





Barですから、メインは、「カクテル」や「泡盛」を楽しむ店です。

▲<美しいこんな沖縄の素材を使った料理が三品出て来ました(すべて美味しかったです)>


▲<東京出身のオーナーも入って記念写真>

ご近所巡り「那覇市宇栄原」編

2017年02月20日 15時30分00秒 | 沖縄の生活

▲<空一面に咲く「イッペー」(さっき小学校校門前)>

2月19日は、朝から晴天で、21-15度。

陽気に誘われて、昼過ぎ、自宅から一番近いご近所(那覇市宇栄原地区)を散歩した。

那覇市宇栄原は、那覇市南部に位置し、「那覇空港」から、一駅目の「赤嶺駅」の南側にある丘陵住宅地です。


▲<コザ信用金庫(小禄支店)の駐車場に巨大な植物?出現(高さ4m位)>


▲<バス通りから、少し入った住宅街の綺麗な花>


▲<宇栄原でも最も神聖なカー(井泉)と言われる「クシンヌカー」


▲<後ろの土手には、様々な「石碑」が立っている>

小禄中学校前の「せせらぎ」を覗いたら、「メダカ」の中に「グッピー」も混じって泳いでいた。


▲<「小禄中学校」の裏側の住宅街に「カニステル」が鈴なりに実っていた>


▲<「五月公園」に初めて入ったが、南斜面に出来た。日当たりの良い大きな公園でした。手前の樹は「トックリヤシ」


▲<「さつき幼稚園」に咲いていた「オオバナソウシンカ」


▲<バス通りにある「大きなサボテン」がある白くて綺麗な瓦屋根の家>


▲<白い壁と「ブーゲンビレア」のコントラストが美しい>

少し日差しが強く、顔を少し焼きながら汗をかいての散歩でした(6,000歩)。



ご近所歩き「那覇市具志」編

2017年02月17日 12時00分00秒 | 沖縄の生活

▲<民家の「屋根瓦」が、実に味わい深いです>

北風が緩くなった2月中旬の午後、20度を超えていたので、Tシャツ姿で歩いて「スポーツセンター」に行った。

コースは、「那覇市具志」の住宅地です(具志は、那覇市の南端。豊見城市と接しています)。

垣根越しに、「グアバ」の大きな果実が熟れ始めている。


▲<沖縄では、「グアバ」が熟しても誰も食べないので、鳥だけが食べている

昨年、白い花を見て「シークワサー」と思っていたらビックリ!こんな大きなミカンになっていた!


▲<この「ミカン」も、ビニールハウスとコンクリートブロックの隙間に生えているのだが、誰も収穫しない・・・>

縁側で、日向ぼっこをしながら寝ている「ノラネコ」(沖縄は「猫天国」です)。


▲<家の方に、「飼い猫」ですか?と聞いたら、「ノラ猫」の家族が住みついているのだと言っていた>

民家の「寒緋桜」が咲き始めている(ここの桜は白い)。



公園周辺の「寒緋桜」が、満開です!




▲<先日報告した樹は、終わって違う樹が満開でした>

30分くらいかけて歩いたらうっすらと汗をかいていた。

古民家食堂2月例会

2017年02月15日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<2月は、「古民家食堂」名物の「きりたんぽ鍋」でした>

2月14日の夜、「古民家食堂2月例会」に参加した。

メイン料理は、沖縄では珍しい、「きりたんぽ鍋」でした。

始まりは、いつもの通り、前菜の「きびなごのから揚げ」と「殻付きピーナツ」で、ビールを飲む。

今日の午後、「スポーツセンター」で、汗を流した後なので「ビール」が美味しい!


▲<今月の「刺身」は、沖縄近海で獲れた「マグロの山盛り」です>

今回は、「囲炉裏部屋」(10名)に、14人の詰め詰めでした。
今回も瀬崎君が、「鍋サービスマイスター」をしてくれて、みんんなお世話になった(囲炉裏の「炭」の火つけもうまい)。


▲<酒を飲まないのに、楽しそうに料理を作ってくれる貴重な存在です>


▲<鶏肉に、ゴボウと山菜たっぷりの鍋です!(鍋の下で焼いていた「きりたんぽ」も、ハサミで切って入れた)>


▲<いつもの通り鍋の下で、「炭火」の遠赤外線で「川魚」を焼く>




▲<みんな、いい笑顔です>

今日も、いつもの通り、ワイワイ話をして、飲んで食べて面白かった。



さかな君「島魚(しまいゆ)の干物」を持ってやって来た。

2017年02月13日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<さかな君が手土産で持ってきてくれた「島魚の干し物」(ビニールパックの実物)>

2月10日の夕方(当日の那覇も寒波襲来で14-16度でした)那覇市の「ままや」で、後輩の「中澤さかな」君と飲み会をした。

中澤さかな君は、道の駅「萩しーまーと」の駅長で、地方自治体で「特産品」や「販売店創設」のお手伝いをして全国を飛び回っている。前日から「うるま市」で、「島魚の干物」のプロジェクトの仕事でやって来て、明日関西の仕事に行く途中、那覇に泊まってくれたのだ。

さかな君の要望で、「ままや」で美味しいお酒を飲みながら食事を楽しんだ。


▲<カタログの写真>

この「島魚の干し物」は、【農水産業振興戦略拠点施設キラーコンテンツ造成プロジェクトVer.1】らしい。
全国一の「もずく」出荷量を誇るうるま市で、漁獲される水産物が多品種であるため、「もずく」以外の水産物にいる特産品が生まれづらい状況にあった。そのような課題から「流通販路に乗らない魚」を活用して商品を開発するプロジェクトが発足した。平成30年に開発予定の「農水産業振興戦略拠点施設キラーコンテンツ(魅力ある商品)」になりうる素材として、市内4つの漁業組合が手を取り合って開発したものです。


▲<カタログの写真>


▲<カタログの写真>

干し物を美味しくするために、地元企業の(株)ぬちまーすは、塩を(有)神村酒造は、泡盛ともろみ酢を、沖縄では珍しい日本酒を造る泰石酒造(株)は、「酒粕」で協力しているらしい。

さかな君のいい仕事を観て感心した次第。うるま市のこの新しい商品がヒットする事を祈ります。


▲<2月12日に食した。「カタカシ」「グルクマ」「イラブチ」、塩味で美味しかったです!>

「小禄南公民館祭り」舞台発表

2017年02月06日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<「ロハス三線サークル」舞台発表>

2月5日(日)10時30分、「小禄南公民館まつり」の舞台に上がった(今年は、22サークルが発表した)。

毎週火曜の19時~21時に、小禄南公民館で練習している「ロハス三線サークル」の、年に一度の「舞台発表」です。

私が、沖縄に移住した2007年6月。近所にあった、「小禄南公民館・図書館」に、通って沖縄の関連書物を読んでいた。


▲<オープニングを飾った、母と子供の創作踊り>

そんな頃、妻がすぐに、公民館の「琉舞サークル」を探して来て入会した。

私も、2か月後の11月に「三線サークル」に、入会した(楽器の経験はゼロなのに・・・)。


▲<創作エイサーの「那覇太鼓」>

悪戦苦闘をしながら、辞めないように何とか続けて練習していたら、翌年2月に、公民館を利用しているサークルの「舞台発表会」があった。

私は、言われるまま「舞台」に上がったが、今考えれば凄い度胸だったと思う。

その年は、演奏曲2曲中一曲は、10年経った今でも、完全に弾けない「ひやみかち節」が発表曲で、三線を手から離して、歌だけ歌った記憶がある。

時は経ち・・・。
2016年度は、サークルで十年の最年長者となってしまい「会長」を仰せつかった一年でした。

「発表会」に舞台に上がるのは、会員25名の中から、毎年12~13名でしたが、今年は、なんと。17名が舞台に上がった!今までの最高人数でした。


▲<舞台に上がる前、練習後の記念写真(今回初めて揃いのTシャツを創りました)>

私も、10年連続参加出来ました!


▲<まだまだ、譜面を観ないで弾けない>


▲<3サークルがあった人気の「ハワイアンフラ」>


▲<最後は、エイサー「若鷹太鼓」>


▲<野外には、子供に人気の「ヒ―ジャー(ヤギ)コーナー」>