那覇市遺跡探索散歩 コースC.『小禄ノ嶽』(1)

2007年08月31日 01時23分39秒 | 沖縄現地情報
コースC.『小禄』前編 最寄駅:奥武山公園
⇒[森口公園の東側裾を南下して県道62号線までの小禄地区を歩く]
奥武山公園駅をモノレール軌道下の南側道路を小禄駅方面へ進む。
約500m位の、メガネ店(弐萬円堂)の角に「後原ヒーザーガー」がある(今でも綺麗な水がこんこんと、歩道側に湧き出ています)。

その手前の角を左折して、坂を登る(この道は、戦前の小禄三本道のひとつ、ナカミチに当たる)。坂を上がった所、右手に「班ヌガー」があるが、保存状態が良くないのが残念です。

そこから、数メートル歩いた左側に「ミーガーモ跡」があり、小さな祠の中に「原石」がある。祠の中の原石には、「ユ川原」と記されている(力石もあったが見忘れました残念!)。
 
道沿いに、数分歩くと三叉路になる。「コーポ上」という3階建てアパートの手前を入ると直ぐに「ヒンガー」がある。
表の道に戻り、正面の下り坂途中の右側、大きな赤瓦民家の庭先に「小禄ノロ火神」があります(ノロが、集落の祭祀を行った場所で、足を止めるだけの価値あり)。
 
⇒中・後編は、次回に続く。
※今夜(8月30日)、元の仕事仲間H君が、沖縄の後輩を呼んで「那覇市久米」で飲み会を企画してくれた。久し振りのビジネス会話で、盛り上がって飲過ぎました・・・。



沖縄の庭の花・木 その③『サガリバナ』

2007年08月30日 00時05分31秒 | 沖縄現地情報
  
昨年、東京に住んでいる時にテレビで松岡修三君が「西表島」のサガリバナの開花をレポートしていた。《深夜にバニラの匂い放って咲き、夜明けに落下し川一面に花が流れて行く。》それで「サガリバナ」は、秘境に咲く珍しい花だと、すっかり信じていた。

今年、6月に沖縄に移住して直後、琉球新報で「サガリバナ」が、那覇市内のゆいレールの旭橋駅で咲いていると知り早速見に行った事は、このブログで書いた通りです。
7月に、「瑞泉酒造」(首里崎山町)に見学に行った時、サガリバナの街路樹があった。他にも、市内数か所に植わっているらしい。

まだ見た事がない人は、くれぐれも夜遅くに見る事をアドバイスしておきます(昼見ても何の変哲もないただの木です)。
方言名:キーフジ 開花時期:6~8月

沖縄の庭の花・木 ②『月桃』

2007年08月29日 00時05分19秒 | 沖縄現地情報

以前沖縄に旅行に来た時に、民家の庭先やホテルの遊歩道で、白くて美しい花を見た。のちに「月桃(ゲットウ)」と知る。
「月桃」は、ショウガ科の多年草で、中国南部や台湾、インド、ビルマ、日本では沖縄や小笠原(北限は鹿児島県佐多岬)に自生する。
沖縄では、いたる所に植えられており普通に見る事が出来る花です。
人の背の高さまで成長し、葉は幅9㎝長さ40~70㎝の笹のような葉を広げる。
5~6月には、白く花先に紅色をさしたスズランのような香りのある花を咲かす。
沖縄の方言名で「サンニン」と呼ばれ沖縄の人々の暮らしに生かされてきた。

繊維の強さから、サトウキビの結束用として、種は薬、葉は防虫・防菌・消臭効果があり、ムーチー(旧暦12月8日の鬼餅)を包む「カーサー」(餅を包む葉)に、茎は紙の材料にと利用範囲は広い。

葉で作った蚊取り線香の様なものは、防虫系と香り系の二種類が売られている。
これを専用の硝子器で使うと風情があります。

最近は、健康補助食品や化粧品など多岐にわたり活用がされている万能植物です。これから、もたくさん商品化される沖縄期待の植物です。

沖縄の庭の花・木 ①『ハイビスカス』

2007年08月28日 00時05分24秒 | 沖縄現地情報

ハイビスカスは、沖縄の民家の垣根や道路緑化に植わっているのを良く見る。
沖縄に来てから、色んな種類がある事を知った。
 
色では、赤(アカバナー)、白、黄色、ピンク等々・・・。

形では、一重以外に八重や二重咲きなどがある。

ハワイの州花で、約250種の原種があり、世界で約6000種類もあるらしい。

沖縄では、仏前やお墓にお供えされる事が多く「後生花(グソーバナ)」<あの世の花>の別名もあり、縁起の良くない花として、敷地内に植えるのを嫌がる所もあるらしい。
色んな種類を見たがやっぱり、沖縄の青い空には、常緑の葉っぱに一重の赤い花が一番美しいと思う。

『斎場御嶽』へ行って来ました。

2007年08月27日 00時41分24秒 | 沖縄現地情報

一週間前の8月17日、沖縄南部の知念村にある、世界遺産「斎場御嶽(せーふぁうたき)」へ行って来ました。
「御嶽(ウタキ)」とは、南西諸島に広く分布している「聖地」の総称で、「斎場御嶽」は琉球開びゃく伝説にもあらわれる、琉球王国最高の聖地です。
御嶽の中には、6つの「イビ(神域)」があるが、その中でも「大庫理」「寄満」「三庫理」は、いずれも首里城内にある部屋と名前を持っています。
この事は、当時の首里と斎場御嶽との深い関りを示すものです。
琉球王国時代、国家的な祭事や「聞得大君(キコエオオキミ:琉球王国時代の最高神女)」の聖地巡拝の行事を今に伝える「東御廻り(アガリウーマイ)」の参拝地として、現在も多くの人々から崇拝されています。
 
入口は、普通の植物園入場口の様だが、「御門口(ウジヨウグチ)」からは、木が鬱そうと茂る中に入り、「大庫口(ウフグーイ)」あたりから、外の世界とは異なる畏れ多いエリアに入った事が、身体全体に感じる。
 
「寄満(ユインチ)」を経て、三庫理(サングーイ)」の、ゾーンに入った。
「サングーイ」の場に入るだけで身が引き締まるのを感じた。

大きな二つの岩の割れ間に入り、少し歩けば明るい場所(祭壇)に出る。
 
そこから、真正面に「久高島(クダカジマ)」が、見えた!
[⇒知念半島の東方海上に位置する。琉球開びゃく伝説では、「あまみきよ」(琉球開びゃく神)の上陸地とされ、五穀発祥地と伝えられる。イザイホーを始めとする多彩な祭祀行事が有名で島全体が聖域とされている。]
私だけでなく、多くの見学者が感動の声を上げ頭を垂れていた。
日本には、数多くの聖地があるが、その中でも「沖縄の斎場御嶽」は、有数の聖地である事は間違いないと思いました。


那覇市遺跡探索散歩 コースB.『小禄・新集落』(2)

2007年08月26日 00時03分43秒 | 沖縄現地情報
田原公園の「フール」から南下した、小禄の住宅街の中に「当間ノ御嶽・当間の御嶽碑」がある(琉球国由来記によると、神名はススカミノ御イベで赤嶺ノロが、ここで祀りをしていたとある)。
元の当間村は、基地の中にあったので1953年にここに、移り住み御嶽も移設した。
※御嶽を、住宅街の中に新しく移築したとなっていて、当間氏の家の周辺を何周もして探したが発見出来ず残念した。その代わりに、鏡水豊年祭の綱引きの準備現場に遭遇した。

そこから県道62号線の内側、前原郵便局手前の住宅街の一角に「鏡水の御嶽」があった。新しく整備され綺麗な公園のようだった。

御嶽前の民家が、美しかった!普通の住宅地で、このような家は、首里の方でも見れない様な絵になるお家と周辺環境は貴重だ。
 
そこからまた南下した小禄の端の住宅地に、「ナガタガー」(旧村名長田原のガー)がある。ブリキの屋根が被さっていて、ミサイル基地のようだ。

そこから、62号線を越えたバス停大嶺入口付近、アップル歯科の裏に「大嶺ノ嶽」がある(琉球国由来記によると、神名はマシラタイ御イベで、大嶺ノロが祀りをしたとある)。大嶺ノ嶽のある場所は、高台になっていて緑の木が茂り、門には鍵が掛けてあり、普段は、人が入れない状態で、いかにも聖地といった感じがした。

ここからは、小禄の駅には歩いて20分位かかる。住宅地を抜けるのだが、少し遠いのと道が解りにくいので、タクシーを勧めます。ワンメーター(450円)少しで帰れます。コースB.は、これで終了です。

沖縄市遺跡探索散歩 コースB.『小禄・新集落』(1)

2007年08月25日 00時10分36秒 | 沖縄現地情報
コースB.(1) 『小禄コース』 最寄駅:小禄駅
小禄駅から、モノレール軌道下の道路(南側)を奥武山公園駅方面へ下る。ひとつ目の信号を右に曲がり、でいご公園南側のカーブ道を住宅地に入った突き当りに「梵語碑(ウン・ボロン」がある。この梵語は、一切の悪を払い清浄にするという意味があり、一字金輪という仏様も表している。
 
通りをそのまま進み車道の手前に「田原自治会館」の建物がある。その左側角地に「堀川火神」(村火神)がある。

そこから田原公園に戻って行く途中の道路際に「アカナー森・ジマーラガー」(田原の拝所)がある。

田原公園の南端にはフェーメーシチャグイ家の「フール」の現物が残っている。「フール」は、遺跡ではないが、豚小屋と便所を兼ねた施設で、終戦直後までは沖縄の地方に見られたもので珍しい生活遺産です。

田原公園からさらに南下した小禄新集落の中に、「当間ノ嶽」「鏡水の御嶽」「大嶺ノ嶽」がある。⇒次号へ続く。

那覇市遺跡探索散歩 コースA.『宇栄原・具志』(3)

2007年08月24日 00時02分34秒 | 沖縄現地情報

具志ウタキ下の「ウッカー」から、南へ徒歩2分位の「具志自治会館」を目指す。
「具志自治会館」を過ぎて、高台の一本松を目印に住宅地を上がって行くと、「ミーヤー毛(モー)」があります(地元の大人に聞いたが、はっきりとは知らなかった)。
ミーヤーモーとは、村に不幸があった時などに、鐘などを叩いて知らせた場所です(今でも、見晴らしが良い風景が残っている)。
 
その場所には、左上が欠けている「ふ・くし原」と記された原石がある。王府時代の税負担を決める、区割りの測量ポイントになったものが、この原石です。

しかも、途中の道には「印部土手」(シルビドウティ)という土手が、そのまま残っている。那覇でもここぐらいと言われるほど貴重なものらしいです。
そこから、赤嶺駅に、戻る途中の小禄バイパスと331号線の中の住宅地を北上すると「宮城御嶽」がある。児童公園にあった「前ヌカー」と「宮城御嶽」。
  
「宮城御嶽」から、331号線に出て北上すれば徒歩10分位で「赤嶺駅」に着く。
 途中にあった黄色の屋根とシーサー


那覇市遺跡探索散歩 コースA.『宇栄原・具志』(2)

2007年08月23日 00時02分29秒 | 沖縄現地情報
高前原公園には、「下ヌウタキ」と、「マチガーガー」があります。
児童公園内の広場では、子供達が野球を楽しんでいた。一番の高台に「下ヌウタキ」があり、一番低い南入り口に「マチガーガー」があった。
 
公園を出て、小禄南図書館・公民館を抜け、331号線を横切り、具志街区に入る。
右手の小高い丘には「具志ウタキ」がある(入口の表示はないので推測で住宅地の中を上がって行く)。

「具志ウタキ」から、元の道へ戻り、少し南へ行った住宅地の中に「ヌルガー」がある(具志の村ガーで、神事の時に利用された)。
そこから、また通りへ戻り少し南へ歩く、はなぞの保育園の裏に「ウッカー」(井泉)がひっそりと佇んでいる。
 
さらに、住宅街を南下して「具志自治会館」奥に、「ミーヤー毛(モー)・原石ふ」がある(ミーヤーモーは、村に不幸があった時などに、鐘などを叩いて知らせた場所で、「ふ・くし原」と記された原石もある)。(次回へ続く⇒)

沖縄市遺跡探索散歩 コースA.『宇栄原・具志』(1)

2007年08月22日 00時05分52秒 | 沖縄現地情報
第一弾、コースA.『宇栄原・具志』その① 最寄駅:赤嶺駅
赤嶺駅から北へ、徒歩で5分ほどの高台の公園(赤嶺緑地)に、「安次嶺嶽(アジミネタキ)」がある。そこには、「安次嶺シーサー」が可愛い顔をして村を守るために座っている。
 
赤嶺駅へ戻り、駅から15分位南下した宇栄原3丁目の住宅地の中に、「クシヌカー」(井泉:宇栄原で最も神聖なカー)があります。その後ろには、石碑が林立し、そのうちの二つが梵字碑になっている。
 
「クシヌカー」から、3分程度歩いた所に、「ホーグガー」と「カミガーイリヌアシビナー」が住宅地の隅にひっそりと、佇んでいる(自転車では通り過ぎてしまうくらい)。
 
高良大通りへ出て、JA高良支店の左の小道を少し上がると、「高前原公園」北入口に着く。高前原公園には、「下ヌウタキ」(琉球国由来記にある松川御嶽之殿と考えられている)と、「マチガーガー」(松川の地名の由来を伝える唯一の場所で、松川の村ガーであった)がある(次回へ続く⇒)。


沖縄市内遺跡散歩『生活圏の遺跡探索』 

2007年08月21日 00時05分14秒 | 沖縄現地情報

(小禄駅から歩いて10数分の住宅地)
沖縄県那覇市内は、首里が王都であった事から、市内各地に歴史的遺産が散在しています。
これらの遺跡は、「首里城」のような世界遺産や国家遺産ではありませんが、祈りを捧げる聖地や庶民の命の糧であったカー(井泉)など生活に関わる遺跡です。
その遺跡や聖地が、「ゆいレールの駅」から徒歩数分の住宅地や公園の中に見る事が出来ます。
 
それらは、気を付けないと、うっかり見過ごしてしまう様な場所や状態で現存しています。今も、生活の中で一体となって息づいているのです。
だから、車ではなく歩いて探索する事が一番合っているのです。
 
これらの遺跡は、「ゆいレールの各駅」から殆ど徒歩圏に点在しているので、散歩感覚で遺跡を渡り歩けるところが嬉しい。
また、この遺跡探索には、下を向いて歩いている途中で、ふと民家の屋根を見上げると、色んなかたちの「シーサー」を発見する楽しみがおまけに付いています。
 
※この稿は、沖縄都市モノレール㈱2003年6月発行の「ゆいレール駅周辺物語」の『15の遺跡めぐり』を参考にし、実際に歩いたものをレポートしています。

「沖縄コンクリート住宅の遮熱を考える」セミナー参加録その②

2007年08月20日 00時05分16秒 | 沖縄現地情報

※昨日からの続きです。
⑥壁面緑化は、壁面の保水効果があり断熱に効果あり。
沖縄では「オオイタビ」が多く、他には「キヅタ」「アマミヅタ」がある。「ブーゲンビリア」や「カエンカヅラ」「ノウセンカヅラ」は、赤い花が咲くので美しい。
 
⑦打ち水は、気温を下げる効果がある。
撒かれた水が蒸発する時、気化熱が周囲の熱を奪うため、気温が下がる。ちなみに水1gが蒸発する時約0.5Kcalの熱が周囲から奪われる。そして打ち水をした場所としていない場所で気温差が生まれるため、空気は気温が低いところから高いところへ流れる性質があるので、涼風が発生するのです。

⑧昔から沖縄の生活の知恵である「天水利用」(雨水を貯めて、飲料や生活水に使った)を再評価し、各住戸に「雨水ろ過装置」を普及させよう。
沖縄は、全国的にも降水量が多い。しかし、その殆どは垂れ流し状態。
パネリストの知念氏が、自宅の雨水再利用実態を公表、年間水道料金の平均額は2177円。うち4カ月が基本料金(1523円)だった。

⑨開口部(窓)対策として、良く問題にする「ブラインドVSカーテン」は、遮光対策にはなるが、遮熱対策にはならない。効果があるのは「樹脂サッシ+Low-Eコーティング複層ガラス」の導入。
紫外線カット(家具の日焼け防止)以外に、暖房費で43%、冷房費で29%、CO2は38%の節減効果が認められたいる。

※①~⑤については、前日分をご覧ください。
※今回も、専門的で難しい話だったが「具体的事例や知らない事が多く有効だった」。

我が家の窓から見える隣家のオオイタビ(メジロがよく遊びに来る)

「沖縄のコンクリート住宅遮熱を考えるセミナー」参加録その①

2007年08月19日 00時05分01秒 | 沖縄現地情報

主催:琉球新報 折込「住宅情報紙かふう」後援:沖縄振興開発金融公庫
8月18日のテーマは「遮熱の具体策―コンクリート住宅で涼しく暮らす工夫」
①遮熱対策として、「外断熱工法」がある。外断熱工法には、湿式と乾式がある。
コンクリート屋根は、暑い日差しを一番多く受け、真夏は約60度になる。

②外断熱工法とは、コンクリート建物に断熱材の服を着せるようなもの。
在来工法では、内側に石膏ボードを張っているため、外熱が直にコンクリートに伝わり部屋の温度を上昇させる。

(外断熱工法と在来工法の温度差)
③外断熱工法と在来工法のコンクリート住宅温度比較では、午後4時が最も高くなり外側は37度に対して、在来が35.5度、外断熱は31.9度でその差は、3.6度。(午後5時、外側と在来が同じ36.4度になり、外断熱は31.3度でその差は、5.1度)

④遮熱塗料によって、近赤外線(熱線)を反射し、室内に熱を吸収させない(約80%反射出来る)。

⑤屋上緑化による断熱・遮熱の効果は、コンクリートスラブのみとの差は、午後3時で55~56度に対して37度(断熱・遮熱効果は18度!)。
 
屋上緑化は、「省エネ」効果以外に「コンクリートの劣化防止」「ヒートアイランド化防止」「空気のクリーン化」「洪水対策」などがある。※コンクリートは、水溶量があると強化される特性があるので、屋上緑化はコンクリートの保存にも効果あり。
⇒次回に続く。

糸満の比嘉酒造へ行ってきた。

2007年08月18日 00時05分58秒 | 沖縄現地情報
 沖縄サミットの色紙
8月17日、糸満の「比嘉酒造」へ行ってきた。
同社の、商品ブランドは「まさひろ」で有名。
創業明治16年の伝統ある酒造所、戦後与那原町に移転。20年後首里石嶺に移転。25年後の平成3年に現在の糸満西崎に再度移転した。
 他社の商品も展示
オートメーション化による品質管理と同時に、沖縄の酒造メーカーとしては、珍しく「泡盛ギャラリー」を開設して、観光客を含めた一般の泡盛フアンを開拓し続けている。
一階は、商品の展示と試飲・販売コーナー。二階は、工場見学と座間味氏の泡盛コレクションを展示している。
今は無くなった他社ブランドも展示されているので、泡盛愛好家には嬉しい展示です。
 貴重な泡波の一升瓶も展示
一階で、商品の試飲は自由に出来るので、飲み比べた上で、自分の嗜好に合った商品をそこで購入出来る。
私は、県内でしか販売されていない「琉球美人」(5年古酒)35度2200円と「まさひろ・クロラベル」43度2080円購入した。
同社の設備の刷新と同時に、顧客満足度を求めた経営姿勢を応援したい。
 

庭のフルーツ その⑦『スナックパイン』

2007年08月17日 00時03分05秒 | 沖縄現地情報
さすがに、沖縄でも都市部の民家の庭先にパイナップルは、植わっていない。
しかし、内地であまり食べれないパイナップルがある。
「スナックパイン」と言って、房が一つ一つ剥がれる種類のものです。
 
私は、沖縄に来て初めて「スナックパイン」を知りました(見た目は変わりはない)。

普通のパインとは食べ方が異なり、一房ずつちぎって食べるタイプです。

甘さは、こちらの方が甘い。そして、最後に芯まで食べられる(今回のモノは、スーパーサンエーで360円でした)。

今回は、庭には植わってないが、沖縄ならではのパイナップルだと思うので紹介しました。