大城武教授最終講義

2012年02月26日 14時00分26秒 | 沖縄の生活

▲<沖縄キリスト教学院大学SHALOM館で行われた最終講義には、たくさんの人が参加した>

2月25日の14時~16時まで、沖縄キリスト教学院大学で、大城武<オオシロヨシタケ>さん(沖縄キリスト教学院大学人文学部教授、意味論、社会心理学)の最終講義があった。



講義内容は、大城教授がライフワークにしている「マンガのセマンティックス」でした。
※「セマンティックス(semantics)」=【意味論】(Weblio辞書より)。


▲<パワーポイントを活用して、貴重な文献を紹介しながらの講義。画面は、文久2年(1862年)ワーグマンの「ジャパン・パンチ」を紹介>

私も、15~20歳まで「漫画家」を目指していたので、23日の「喜業会」で島袋さんから聞き、一般の人も聴講出来るとの事だったので、飛入り参加をさせて頂いた。


▲<「漫画観」の変遷を解説>


▲<初めて「吹き出し」を使った「ジャパン・パンチ」>


▲<つげ義春の作品で「漫画コマ」の構成要素を分析>


▲<背景による表現効果>


▲<描き文字による表現効果の色々>


▲<初期の手塚治漫画で、すでに映画手法が使われている>


▲<「藤子不二雄」作品の異界から来たヒーローとこちら側の者と対人価値志向性分類>


▲<楽しく講義を進める大城教授>

以下、内容の要約です(18項目の一部)。
①日本近代の「漫画」の創始とその展開 
②「漫画」観の変遷 
③「漫画」という話のセマンティックス 
④「漫画」の表記の違いによる「感じ」の違い 
⑤この「漫画」は、どの「漫画」か? 
⑥コマ割りの発明 
⑦吹き出しの発明 
⑧「漫画」の49個の感情調 
⑨「漫画」の理論(仮説と定義) 
⑩記号の4項構造モデル 
⑪「漫画」のコマの構成要素 
⑫「漫画」の面白さの要素 
⑬藤子不二雄作品の異界者 
⑭ドラえもんの社会関係 
⑮日本アニメーションの先駆者「下川凹天」

以上、約80分の講義であったが、江戸時代の「漫画絵」~「ドラえもん」まで、見事に「漫画」の分析を講義された。また、学生を使った調査や学生の卒論「ボイス・イメージ」の調査などを加えた考察に、アカデミックさを感じた。


▲<熱心に聴き入る参加者>


▲<「コブラ」の4人のキャラクターのボイス・イメージについての考察>


▲<たくさんの花を受け取る大城教授。お疲れさまでした!>

講義の締めくくりの言葉、『漫画研究は、まだ道半ばである』通り、元気でこれからも研究を続けて行かれて下さい。

「第19回喜業会」開催

2012年02月24日 10時30分00秒 | 沖縄の生活

▲<美しい「浦添市産業支援センター結の街」5階の会議室で行われた第19回「喜業会」>

2月23日の19:00~21:00まで、「那覇商工会議所起業塾OB会喜業会」を開催した。

今回の、ゲストスピーカーは「島袋直子」さん。島袋さんは、東京の専門学校で編集を学んで沖縄に帰って沖縄の月刊漫画雑誌「コミックおきなわ」の編集職に就く。その後、編集長になるなど、沖縄漫画界の重鎮(日本漫画協会沖縄支部長)。現在は、株式会社コミチャンの代表取締役。






タウン情報誌「おきなわJOHO」の編集長も歴任し、「沖縄オバァ列伝」(双葉社)の執筆なども行う。
最近は、沖縄発信のウェブマンガ「コミックチャンプルー」を発信中で、5月に沖縄発信の電子書籍化を準備中とのこと。


▲<編集レイアウト用紙の説明中>


▲<島袋さんの漫画の生原稿>


▲<島袋さんの仕事道具や懐かしい「コミックおきなわ」など>

今回の会場は、株式会社コミチャンが入っている「浦添市産業支援センター結の街」5階の会議室で行った。終了後は、近くの浦添市仲西にある「満腹」で飲み会を行った(安くて美味しかった)。

「カエンカズラ(火炎蔓)」を探しに

2012年02月22日 14時00分00秒 | 沖縄の生活





▲<「三角池」の傍で、見事に咲いていた「カエンカズラ」>

2月15日、「三角池」に水鳥を撮影に行った時、隣接地の「豊見城カントリー倶楽部」の金網に「カエンカズラ」が満開だったので、2月22日、陽気に誘われて、以前近所に豪快に咲いていた「カエンカズラ」を思い出して散歩して観に行った。

具志地区の住宅街の家だったのだが、歩けど見つからず、途中で見かけた花やネコを撮影して帰って来た。


▲<古木の「寒緋桜」>


▲<「モモイロイッペー」>


▲<屋外の玄関先に、綺麗に咲いていた「ラン」>

▲<怒ってるのではなく懐いて啼いている>


▲<気持ちよさそうに、クローバー畑で日向ぼっこ>

13時頃だったが、23~25度の気温で、汗をかくくらいの気候だった。

自宅に帰って、過去の写真ライブラリーから探し出した「カエンカズラ」




▲<2009年2月13日の撮影>

※「カエンカズラ(火炎蔓)」【のうぜんかずら科】ブラジル原産、大型のつる性植物で10メートル以上に伸びる。コンクリーとの壁に這わせると一面花の絨毯に変わる(炎のように見えるため火炎蔓の名前が付けられた)。比較的塩害にも強く、沖縄では人気が高い。花期は、1~4月。


プロ野球オープン戦 『巨人対阪神』を観戦

2012年02月20日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<2月19日、「沖縄セルラースタジアム那覇」は、「曇り時々晴」。1万6000人が観戦した>

2月19日、「沖縄セルラースタジアム那覇」で、プロ野球オープン戦「巨人VS阪神」が行われた。
沖縄で行われる「巨人対阪神」の試合は、33年振りらしい。

内野自由席だったので、11時のOPENに合わせて並び、2階3塁側(阪神)に座って観戦した。
阪神の練習から巨人の簡単な練習が終わり、昨夜23時に沖縄入りした巨人軍は、本日が沖縄での春期キャンプ初日。巨人来沖の祝賀式を行い、地元の子供達による「エイサー踊り」で祝ってから試合がスタートした。



巨人の先発投手は、2年目沖縄出身の「宮國椋丞(ミヤグニリョウスケ)」(糸満高校)、1~3回まで登板して、ノーヒット4三振で素晴らしい沖縄凱旋を果たした(彼は、春・夏優勝した年の興南高校に県大会決勝で負けた。島袋投手と双璧の逸材)今年の活躍を期待したい。


▲<「宮國椋丞」は、素晴らしいピッチングで勝利投手になり、今年は、開幕1軍でやれそうだ>


▲<今年、横浜から移籍した「村田」選手も、気を使う一年だろうが活躍出来そうだ>


▲<小笠原選手も出場。今年は頑張り年だ>


▲<阪神の金本も出場していたが、ノーヒットだったが、出場出来た事にホッとした>


▲<高橋選手も、今年こそは活躍して欲しい選手だ>


▲<阿部選手は、今年も大丈夫な感じ>


▲<さすが、「巨人対阪神」の試合で、ぎっしり埋まった「沖縄セルラースタジアム那覇」>


▲<この後、3回に長野のタイムリーヒットが出て、その1点が勝利点になる>

試合結果は、1対0で巨人軍が勝利した。

「沖縄にトラムを!」

2012年02月19日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<「藤井由美」さんの講演の後、「ゆたかはじめ」さんも加わりトークショーに>

2月18日、15:00~16:30那覇市の「ジュンク堂」特設コーナーで、「沖縄にトラムを!」特別講演会が行われた。知り合いの「ゆたかはじめ」(エッセイスト・トラムで未来をつくる会)さんが、ゲストスピーカーだったので参加した。

まず、「ヴァンソン藤井由美」(日仏異文化マネジメント研修講師)さんが、フランスの地方都市ストラブールで住んでいた時の新型路面電車「トラム」の事を語ってくれた。


▲<ストラブールの位置を説明している>


▲<ストラブール市内の説明>

ストラブールは、ドイツ国境に位置する25万人のフランスNO1のエコシティ地方都市。1994年に新しく当選した市長が車公害に悩んでいた市を「トラム」導入で生き返らせた。現在では延べ、53キロメートルの軌道に75の駅がある。4:30~24:00まで走り市民の足となり、人口も毎年1%増加中。


▲<「トラム」が出来る前と後、街並の比較写真>


▲<「トラム」の駅の様子(バリアフリーが良く解る)>

市外から来る車は、市内を通り抜けれない都市計画になっており、市内の入り口の駅には、400~600台収容の駐車場が完備されて(1日200円で、人数分のトラム市内乗車無料券が支給される)、郊外は車、市内はトラムを利用するようなシステムが根付いている。


▲<すべての駅が、改札の無い「信用乗車方式」>


▲<車は、市内を抜けられない交通システムを紹介している>


▲<右側の軌道には「芝生」が植えられていて美しく騒音も少ない(鹿児島市でも導入中)>

現在、日本にも路面電車は、熊本・広島・鹿児島・長崎などの地方都市では運転されているが、2009年に富山市でトラムが導入されている。近年、車公害(渋滞・排気ガス・駐車場問題)の解決策として、新型路面電車「トラム」が地方都市で注目されている。


▲<ターミナルには、人が多く出て栄えているらしい>

沖縄では、戦前「軽便鉄道」という路面電車があったが、戦後アメリカ軍の方針で撤去されたままになっている。その後、沖縄には、公共鉄道が無く、戦後アメリカ軍の政策も加わり、過剰な車社会になっている。
近年「ゆいレール」というモノレールが導入されたが、那覇空港と首里を結ぶ観光列車の域を超えず市民の足にはなっていない。そこで、現在一番コストの安い「トラム」を市民の足と地域活性のために、導入運動を一部の市民で推進しているところです。




▲<約1時間半程度だったが、50名くらいの視聴者が最後まで話を聞き入っていた>

私の意見は、公共投資で海岸を埋立てたり市民ホールを各町で競って建てるくらいなら、那覇から「浦添・名護線」「豊見城・糸満線」「与那原町線」「北谷・沖縄・うるま線」を造り、公共交通機関を完備し、各街の活性を計る事が、今後沖縄発展のために最も良い施策と思っている。公共交通機関が出来れば、観光客は目指す地域へ安心・安全に足を伸ばし、滞在時間・期間が延びる。そうなれば、50年後も地域発展が望め地域雇用拡大に繋がって行く。

三角池に水鳥を観に行く。

2012年02月18日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<2月15日、10時頃の「三角池」にいた美しい【ダイサギ】>

毎年、2月の天気の良い日に、「水辺の渡り鳥」の撮影をしに行った。2月15日も、朝からいい天気(24度)だったので、車で10分くらいにある「三角池」(豊見城市)へ行く。


▲<【コサギ】>


▲<クイナの仲間【バン】>


▲<珍しい【セイタカシギ】群れ>




▲<サギでは一番大きい【アオサギ】>


▲<【アヒル】だろう>


▲<水面の波紋が美しい>


▲<朽木のシルエットが美しい>


▲<後ろ姿も美しい>

この「三角池」は、水が汚いのに鳥が良く集っている。エサがあるのか?鳥が泳いだり、休息したりしている水辺が周囲の歩道から、離れているのが鳥にとって安全地帯なんだろう。

「フェア・ゲーム」を観た。

2012年02月17日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<ナオミ・ワッツ×ショーン・ペンが演じるイラク戦争の真実とは?>

ブッシュ政権最大のスキャンダル、「ブレイム事件」の映画化。ブッシュ政権時のホワイトハウスとCIAが、一人のCIA情報部員を「情報漏えい事件」として葬ろうとした。

2001年9月11日、世界を震撼させた同時多発テロは、当時の政権をイラクに戦争をする方向へ急速に傾き、イラク政権が大量破壊兵器を密かに保有し、世界にテロを輸出する「悪の枢軸」の一つだと世間を動かしながら、攻撃準備を進めていた。しかし、潜入捜査をしていたCIAの秘密情報部員のヴァレリー・ブレイムは、イラクに核兵器開発計画がない事を突き止める。同時に、ヴァレリーの夫で元ニジェール大使(ショー・ペン)のジョー・ウィルソンも、国務省の依頼で、アフリカ・ニジェールで調査するが、イラク政府がウラン購入を買い付けていた事実は無いとの結論に達する。しかし、ブッシュ政権はヴァレリー夫妻の報告を無視し、イラクへ宣戦布告をする。



その後、ジョーは、NYタイムズに「イラク戦争の真実」を寄稿する。その後、ワシントンのマスコミは、ヴァレーリー(ナオミ・ワッツ)がCIAの秘密情報部員だったと報じる。情報漏洩元は、チェイニー副大統領の首席補佐官だった。
身分を剥奪され、世間から好奇の目に晒され、家族や各国に散らばる協力者にも危機が及ぶ。メディアに出て自身の正義を論じる夫と、沈黙を貫くヴァレリー。家庭も崩れ落ちそうになる。しかし、大切なものは何か?守るべきものは何か?に気づき、自らの名誉と家族を守るために、巨大な国家に闘いを挑んだ・・・。



映画の最後に、実際に裁判所で証言する本人のフィルムが数分流れ、アメリカの正義とは何かをみせる骨太の映画だった。9.11以降のアメリカは当時からも異常だった。イラク侵攻も焦っていたのは見え見えだった。「そうだったのか!」を解らせてくれた映画だった。



原作本「フェア・ゲーム」<ブックマン社刊>の上杉隆氏推薦文⇒「フェア・ゲーム」時代の米国よりも、アンフェアな洗脳国家になりつつある日本で生き抜くために必要なものは何か?3・11後を生きる日本人にとって必須のガイドブックになるに違いない。

※その昔、沖縄返還時の「密約問題」時、首相に噛みついた毎日新聞の記者を男女問題のスキャンダルで失脚させた。この時に、当時の日本マスコミや司法が、この映画のようなレベルの高さであれば、沖縄問題も少しは変わっていただろうと観た後に感じた。

古民家食堂2月例会

2012年02月16日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<2月の料理は、珍しい「トマト鍋」野菜がたっぷりでヘルーなのが嬉しい>

2月14日、恒例の「古民家食堂」の例会に参加。


▲<本日の突き出は、「刺身の盛合せ」と「蛸キムチ」>

今日の昼は、25度あった!(25度以上は夏日という)。18時過ぎに、首里駅から歩いて行ったら暑くて店に着いたらTシャツになる。




▲<本日、初参加の木村さん(うちなんちゅー旦那)ファミレスRの現役料理人が鍋奉行>

「トマト鍋」が、どんなモノかと思い食べたら凄く美味しかった!






▲<バクバク食べる。美味しい!>

この会の良さは、「楽しく食べ」て、「楽しく飲んで」、「楽しいい話」をする事。
今夜は、宮古島出身の二人から、「ヤシガニ」の美味しさ談義が聞けて面白かった。







県外の人間には、想像出来ない話が聞けて、とても嬉しい。




▲<シメは、チーズとコショウとニンニクたっぷりの「ぞうすい」>

沖縄に移住する人達が、3年経ったら8割の人が帰ってしまうと聞くが、それは地元の人達と交流が出来ないからです。

私は、6年目になるがまだまだ、沖縄に興味津々です。

「哀しき獣」

2012年02月15日 00時05分00秒 | 沖縄の生活


2月13日は24度、14日は25度で、車の窓は全開で走った。

年明けから、映画を良く観る(27本)。全て書いていたら、このブログが「映画評論」に、なってしまうで、私が良かったと思う作品のみ紹介するようにしている。

この作品は、韓国映画です。第64回カンヌ国際映画祭「ある視点部門」正式出展作品で、韓国初のハリウッドのメジャースタジオが出資して、ハリウッド版のリメイクも決定したとか。

見所は、釜山市の中心街を3キロメートル封鎖して50台の車が使われたカーアクション(そのうち20台が使用不能になった)。特に、交叉点で転倒する大型トレーナーの一発撮影(13台のカメラが使われた)が凄い。


▲<中国の朝鮮自治区から、出稼ぎに行き音信不通になった妻のいる韓国へ、殺人を目的に密入国する主人公>

借金の取り立てに追われ、帳消しにするために殺人を引き受ける事になった主人公が、殺人した組織や依頼組織、もちろん警察からも追われて逃げる逃げる・・・。車のアクションだけでなく、銃は一回も使用しないで、刀や手斧のリアルな死闘が、これでもかこれでもかと、スクリーンに映し出され(R15指定)、我を忘れて入り込み140分が気にならない展開が続く・・・。しかも、主人公と敵役がなかなか死なないで戦い続ける「ターミネーター」のようだ(笑)。妻に会うまでは、死ねない主人公の最後は・・・。



※デビュー作品「チェイサー」(2008年)で世界的評価を受けた、ナ・ホンジン監督の最新作品

「龍潭・古式船遊び」

2012年02月14日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<琉球王朝時代の「舟遊び」の再現>

2月12日(日曜日)。11:40と14:40の2回、那覇市首里「龍潭池」に「爬龍船」を浮かべて、琉球王朝時代にあった「船遊びの宴」(290年前、中国からの冊封使が来琉の際、首里城下の「龍潭池」で、爬龍船を浮かべ、宮廷音楽でもてなしの宴を催した)を再現するイベントがあったので出掛けた。


▲<開始前に、「王府おもろ」の歌いがあった。「船遊び」を見届け役の三冠司達>















「古式船遊び」のイベントは、【豊見城龍船協会】主催、【首里城公園管理センター】共催で、本年初めての開催。龍譚池の周辺は、事前に聞きつけたアマチュアカメラマンや、当日訪れた観光客で一杯だった。



沖縄からすこし早い春を届けます。

2012年02月13日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<那覇市内「壷屋小学校」の寒緋桜>

2月11日に、「じゅり馬祭り」を観に市内に出た。
そしたら、街のそこかしこで「寒緋桜(緋寒桜)」が、満開だった。
3本の違った「寒緋桜」を撮影した。


▲<「対馬丸追悼碑」と寒緋桜>

県外では、まだ雪が降りマイナス気温のところもある日本ですが、沖縄から少し「早い春」を届けます。




▲<那覇市辻町の「寒緋桜」、この桜は紅白で珍しい>

旧二十日正月「じゅり馬祭り」

2012年02月12日 00時05分00秒 | 沖縄の生活




2月11日(旧歴二十日)の午後3時から、那覇市辻において、那覇三大祭りの「じゅり馬祭り」が行われた。
例年、旧二十日正月にお行われるので、実施日は、新暦では毎年異なる(昨年は、2月22日の火曜日だった)。



一時間ほど前に、辻町の拝所を数カ所「御願(ウガン)」して回る。
その後、ジュリ装束の踊り手が「奉納演舞」を行う。



沖縄に移住してから毎年見学をしているが、毎年趣向が異なる。
今年は、建国記念日の祭日に当たった影響か見学者が多かった。





2年前位までは、「ジュリ馬踊り」以外にも、琉球舞踊や寸劇などがあったが、最近は演目が極端に減った。
それでも、「じゅり馬踊り」を見るのが、私の年中行事になっている。


▲<この「ジュリ馬踊り」を観て正月が明ける>

「坂の上の坂」を読む

2012年02月11日 06時30分00秒 | 沖縄の生活

▲<2011年11月25日に、ポプラ社から刊行された藤原和博著「坂の上の坂」>

昨日、藤原和博君の講演を聞いた。その中で話されていた、「成長時代」から「成熟社会」への頭の切り替えの話があり、「正解」を探すから「修正」しながら、まず一歩踏み出す事も話されていた。
そのような話をたっぷり詰め込んだ本が、昨年末に出された「坂の上の坂」だ。



早速、今日の午前中に、豊見城市「戸田書店」に行き購入した。
一時間ほど、豊崎総合公園美らサンビーチの青空の下で読書をしてきた。



定年後、あと20~30年近くある後半の人生を萎むか?咲かすか?
正解のない時代には、最初から成果を求めず、ゴルフに例えたら「何打打ってもいいから、速くゴールに辿り着く」ルールに変わっている事を認識しろと言っている。何歳になっても、過去を捨てられるほどの「無謀」を冒す事が、その後の人生の「坂の上の坂」を乗り越えて行ける原動力になる。勤めている時からも、名刺を出さないで自分を証明する訓練をする。地域のコミュニティを速く探し、得意分野で貢献出来る居場所を探しておくと定年後、家でくすぶる事や粗大ごみにならない。等々、彼の経験から示唆に富んだ生き方が55示されている。
彼は、50代から読んで実践して欲しいと書かれていた。


▲<2月10日の「豊崎総合公園美らサンビーチ」は、22度だが(薄曇り風速4メートル)で少し肌寒かった>

「藤原和博沖縄に来る!」

2012年02月10日 00時05分00秒 | 沖縄の生活


2月9日、午後から浦添市「てだこホール」にて、グッジョブおきなわ推進事業局主催のセミナー&シンポジウムがあった。基調講演に藤原和博(ふじはらかずひろ)君の名前があったので、13:30まで那覇市内で顧問先の研修を行っていたのだが、終えて急ぎで会場に向かった。

藤原和博君は、私の会社の後輩で部署は異なったが、同じフロアで仕事をした仲間だったので懐かしい。会社を辞めた後、杉並区立和田中学で、民間出身初の校長になり、「よのなか科」という新しい授業を考案し、さらに地域を巻き込みアイディアを駆使し、そのやり方で日本の教育界を変えた人物であり著書もたくさん出すスーパーマンでファンも多いと聞く。

最近の動向は、マスコミからしか知る事が出来なくなったが、沖縄に来たのであれば、是非話を聞かなくてはならないと思った。

1時間30分の基調講演は、つかみから進行まで、「日本有数の講演力」がある人になっていた。
参加者約1000人は、ほとんどが教育関係者だったので、話の中心は、学校・教員向けの教育論だった。

20世紀は、成長社会で『情報処理力』や【明確な正解】を求められる時代だった。
21世紀は、成熟社会で『情報編集力』や【納得解】を求められる時代で、多様化・変化・複雑の時代は、他人の情報を組み合わせて修正して行く事でしか【解】はない。





今も正解を求めている日本の教育は、世界でもまれで発展途上国のやり方だ。
思考する脳(拡張する脳)にしなければ、現代社会では太刀打ち出来ない。
ネットワーク脳の時代で、一人で勝負する時代ではない(教員も一人で教育する時代でなく、地域を巻き込んで斜めの関係を有効活用すべし)。



明快で、ユーモアに富み実に解り易い講演だった(会場の聴衆者を巻き込む技術には感心した)。

※和田中学の「よのなか科」の授業についてはHPを参考にして下さい。

「第30回小禄南公民館まつり」参加記

2012年02月06日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<2月5日の「小禄南公民館まつり」の舞台発表風景>

2月4~5日にかけて、「小禄南公民館まつり」(那覇市)が開催された。
6年前に沖縄移住してから、自宅から歩いて10分ほどにある「小禄南図書館」に良く通い、地元出版物や郷土史の本などを良く読に行っていた。併設の公民館で行われている「三線講座」がある事を知り参加した。
無料で、譜面(工工四:クンクンシー)が貰えて、しかも授業料がいらないというのが魅力で、今まで楽器を演奏した事がない私が、三線を購入して三線入門をした次第(現在は、公民館使用料が月額1,000円必要)。5年前(2月)の公民館祭りが初参加で、入門して4カ月で舞台に上がったのは、今考えても赤面する。


▲<舞台前に、メンバーと記念写真>


▲<なんとか、初心者コースの2曲を弾きながら唄えた>

今年も、我々のグループは、【初心者コースのロハスグループ】「渡りぞう」「芭蕉布」と、【中級コースのハイビスカスグループ】「かなさんどー」「レッドおじさん」の2つに出演したが、入門して5年3カ月になる私だが、中級者コースの課題曲が、「弾けず唄えず」の、落ちこぼれ生徒である。


▲<初心者コース終わり、この後、舞台で演奏する中級コースの曲を練習中>


▲<中級コースの舞台では、一番端に座る>


▲<中級コースでは、弾きも唄もついて行けずに固まっている・・・>


▲<他には、「フラダンス」なども・・・>


▲<野外で行われて子供に人気だった「F1レース」遊び>

朝の10時から、各グループから31の演目が発表されて15時に幕を閉じた。

※19時~211時30分、小野先生のを囲んで有志7人で、3年振りに近くのカラオケ店「Station21」で打ち上げを行った。