「ペコロスの母に会いに行く」

2012年11月30日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<西日本新聞社から出ている漫画です>

11月29日、本州では冬到来とTVで報じているが、沖縄の那覇は、19~24度で夕方から久茂地の顧問先に行く時に迷ったが、半袖の「かりゆし」で、出掛けたが正解だった(自宅では、長ズボンを履くようになったが、まだ半袖のTシャツ)。

先日、那覇市牧志の「ジュンク堂」で、待ち合わせ中に「ペコロスの母に会いに行く」という本が、目にとまり少し立ち読して即購入した。

還暦を過ぎた漫画家の母親が80歳を過ぎて「認知症」になり、グループホームに入れる頃からの介護ストリー。

作者の岡野雄一さんは、長崎県生まれの62歳。20~40代を東京の出版社で働くが、離婚を機会に故郷の長崎に帰り、地元情報誌で働く。父が亡くなった後、母が少しづつ認知症の症状が出始める。

生きていた頃は、重症のアルコール依存症だった父が、母の認知症が深くなるほどに、母の前に出て来るようになる。



母親は、子育ての頃と、グループホームにいる自分が交錯する。

原爆で亡くなった、長女との会話は、涙を誘う。

少し認知症が入った義理弟宅へ行く「エンドレスシアター秋」や、義理の弟との暑中見舞いをお互いが出し続ける「エンドレスシアター夏」などは、こんな笑いがあったのかと感心する。

母親の認知症という病状がほのぼのとした岡野雄一さんの豊かな感性と画風や長崎弁に、救われたりしながら、私達の年代が抱える「親の介護問題」を暗くならずに描かれている。

今年の7月7日の初刷から、私が購入した10月10日の第7刷。私の今年ベストブックになる事は間違いない。※映画化が決定との事、どんな作品になるか今から楽しみです。

横山信弘さん沖縄に来る!

2012年11月29日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<今回2度目の来沖になる「横山信弘」氏>

11月26日、13:30~16:30まで、浦添市「結の街3会大会議室」で、「達成が当たり前のマネジメントはこれだ!」の講演会があった。講師は、横山信弘氏(アタックス・セールス・アソシエイツ代表取締役社長、著書「絶対達成する部下の育て方」「脱会議」「絶対達成するマインドのつくり方」)。

一昨年、初めて聴いてファンになった。その後、初出版の本を購入したのはもちろんの事、彼のメルマガに登録し、毎日「草創花伝」で勉強させて頂いている。

今回、地元恩納村のパワフルメネジメント廣瀬さんが、この講演会を企画してくれたので喜んで申し込んだ。数人の友人や顧問先企業にも案内したところ、一社で20名の参加者を出してくれたところもあった。

講演内容は、一部:絶対達成する営業マネジメント術「予材管理」二部:科学的自信を付ける!「倍速管理」

「脳」は刺激を受けると、身体に「反応」が起きるが(意志は無い)、反射的(感覚)に、「言葉」を発するが、そこから、人は後知恵で考え始める。
※「反応」の内容は、本人の過去の経験、人それぞれ異なる。いわば、その人の「習慣」であり、「現状維持バイアス」の固まり。
※人は、「後知恵」に振り回される。さらに「一貫性の法則」により、発した言葉に対して自分を正当化する習性を持つ。



「脳」は、「空白」を埋めたくなる習性がある。

「時間は未来から流れて来る」と考えれば成長出来る。

絶対達成は、目標は当然に達成するものと考える(例えば、重要な約束は、誰でも時間に間に合わせ守るべきものと考える)人間は、絶対と思ったものに対して、自分で達成するように努力する。

コミュニケーションには、「ペーシング」8割、「リーディング」2割。日頃からの「ラポール」を重要視する(逆になるから失敗する)。

「予材管理」の考え方(「白地」を作り脳を働かせる)。

人間は、「インセンティブ」よりも「損失回避性」の方が、インパクト大きい。



「倍速管理」エビングハウスの忘却線理論から考えても、早くやる方が効率が良い。

日頃、本とメルマガで接触しているが、本人のダイレクトに話を聞ける機会は凄く刺激が多く満足した3時間だった。

「ウーマクーボーイズ漫才をやる!の巻VOL6」

2012年11月28日 00時05分00秒 | 沖縄の生活


11月25日19:00から、那覇市牧志の「バンターハウス」で「ウーマクーボーイズ単独ライブ」が行われたので観に行く(最近知ったので初めての参加)。

演芸集団FEC(お笑い米軍基地など漫才コンビ多数)劇団脚本家の「小波津正光」さんと、沖縄でヒージャー役で有名な「いさお名ゴ支部」さんが、漫才ライブを2カ月に一度行うもの(前売り一人1,000円、別途ワンドリンク購入)。





本年は、今回が最後との事。最初に来年はやるかどうかを考えているところで、観客に相談していた。



一応、30人くらいいた観客からやって欲しいとの声が上がり、やる事が決定!



内容は、「まーちゃん」が、この2カ月に起こった出来事を素材に組み立てる。突っ込み役のまーちゃんをいさおさんが受ける。15分くらいやり、3分の休憩をしながら5本くらい行った。内容は、いさおさんに先月初めて子供が出来たので出産のテーマから始まる。当然、米軍兵士の夜間外出事件やオスプレイを取り上げた。プロ野球ネタ(昔の球団)。吉本興業や巨人軍のココだけネタ等々・・・。大いに笑った。



最前列に座れたので、2m先でネタをやる二人に堪能。小さなライブハウスなのでアットホームな感じ出て気持ちのいいライブだった。


マグロのステーキを食べる。

2012年11月27日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<久し振りに、鉄板ステーキの店「SAM'S」へ行った>

妻と11月25日の夜、那覇市牧志にある「バンダーハウス」で、お笑いのライブを観るために出掛け、その前に外食をした。

SAM'Sマウイの「久茂地店」は、以前入った事があるが、SAM'Sマウイの「国際通り店」は、初めて入る。妻は、「牛ステーキセット」を注文し、私は、「マグロのステーキ&海老セット」を注文した。


▲<マグロのステーキと海老が鉄板の上で焼けている・・・>

マグロのステーキは、牛の肉に比べて「筋」が無く、食べやすかった。妻は、牛ステーキが噛みごたえがあって、アゴが疲れたと言っていたので正解だった。


▲<良く切れる「ナイフ」で、マグロを上手くカットしながら焼いて行く>

「野菜のサラダ」と「炒めた野菜」が浅く焼いているのに美味しい。


▲<「むつみ橋」交叉点にあるSAM'Sマウイの「国際通り店」>

離島フェア2012年

2012年11月26日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<「沖縄セルラーパーク那覇」周囲で行われた「離島フェア2012」>

11月23~25日まで、「奥武山公園」で、今年も「離島フェア」が行われていたので、11月25日の午後に観に行く。素晴らしい天候で、Tシャツでも大丈夫な気候。

セルラーパーク那覇の「雨体育館」で、123ブース(例年以上に多かった)。「野外」に離島食堂が13設営されていた。




▲<売り切れの札が出ている>


▲<石垣アグーのステーキ販売>


▲<「雨天体育館」の中は、見物人でいっぱい>


▲<久高島の「イラブー(海ヘビ)」の燻製は、凄く貴重で高い>


▲<今年も、与那国島「入波平酒造」のブースへ立ち寄ったら、いつものメンバーに会う。今年は、泡盛で造った「ブランデー」を試飲した。>


▲<石垣牛の最後の販売中>


▲<宮古島の鰹・鮪の醤油漬「吉太郎漬」を一袋購入した>

沖縄にいてもなかなか簡単に離島には行けない。島もたくさんある。その分、このように特産品が一堂に集まる機会は貴重だ。また、離島から本島に出て来ている人達にとっては、故郷の品に接する機会が人を集めるのだろう。

毎年思うのだが、いい製品を創っても売る力がない。その辺に、もっと知恵と力を結集しなければ、商品が拡がらない・・・。

沖縄の結婚式 その④

2012年11月25日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<沖縄に来て、4回目の結婚式に参列させてもらった>

11月23日、糸満市西崎の「NBCサムシング・フォー西崎」で、18:30~22:00、元部下の結婚式があり参列させて頂いた。

新郎は、糸満市の地元青年。新婦は、東京都出身で8年前に沖縄に憧れ移住。数社で働いた後、5年前、私の顧問先に提案した新規プロジェクトの立ち上げメンバーとして面接し採用。


▲<沖縄の結婚式は、「かぎやで風」で始まる>

グルメ情報誌の創刊時、苦しい時期に良く頑張ってくれた。その後、チームリーダに成長し媒体価値を上げる事に、多大の貢献してくれた(後輩が、今回の結婚式のビデオ作製で、当時のクライアントに撮影してきた、数々のメッセージを聞いて感動した)。


▲<司会は、地元有名タレントの「津波信一」さん>

新郎とは、エイサー仲間の縁。きっと、営業初体験の悩みを聞いてもらい、応援をしてもらい歩んで来たはず。


▲<辞めた仲間もたくさん参列していて、3つのテーブルを占領>

新郎と5年くらいの付き合いを経て結婚に至る。沖縄移住女性の幸せな「うちなー嫁」の誕生!



糸満の結婚式。今まで参列した中でも、一番たくさんの参列者で、160名以上いた。余興もたくさんあり感動した(結婚式場の仕掛けも派手)。






▲<参列者半分以上がOBで、完全に同窓会>


▲<最後は、「エイサー仲間」の演舞でお祝い>


▲<エイサー仲間のカチャーシー演奏で、参列者が舞台に上がりカチャーシーを舞う>

その後、一転し、新婦の両親への手紙では、親の気持ちになり、涙々・・・。


▲<新郎の今の職場(保育園)仲間とお祝い>

お二人に、永遠の幸せが続く事を心から祈る・・・。

第22回喜業会

2012年11月23日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<今年最後の「第22回喜業会」>

11月22日19~21時まで、那覇市泊2-1-18「KEEP FRONT」会議室で第22回喜業会が行われた。

始めの一時間は、メンバーの近況報告。後半の一時間は、ゲストスピーカーの講話。

今回のゲストスピーカーは、農業生産法人「株式会社農園計画」生産部長水落敏幸さん「株式会社アイランドファーム」代表取締役を兼ねる。「島ベジ」名のホームページで沖縄から産地直送で野菜を売る。



水落さんの理念は、①沖縄県に有機農業の輪を広げる ②広義における新規就農希望する若者達を育てる ③沖縄県の農業の可能性を拡げる

将来の夢は、①有機農業のみを実践する観光農園を開業する ②沖縄・日本のみならずアジア地域の若者を受けられる農業研修センターを開校する ③沖縄の有機農業のクオリテイーを数値化し世界に発信する



他に、「沖縄におけるファーマーズマーケット事情」「農家レストラン」「グリーンツーリズム」「伊賀の里モクモク手づくりファーム」など、普段知らない話をしてくれた。

講話の後は、恒例飲み会になる。店は、会場から歩いて10分くらいにある「漢謝園」ちゅらグルメ<プレミアム版>のクーポンを使い、3時間中華料理食べ飲み放題に行く。


▲<男2300円、女2100円で、中華料理なら何でも有る>

最初は、「焼餃子」「ピータンと豆腐」「痲婆豆腐」「鶏の唐揚」「イカリング」「レバにら炒め」を注文。







さらに、「水餃子」「蒸し餃子」「春雨炒め」を注文した。大人8名が腹一杯になる量を食べ、「喜業会」の「望年会」を終えた。




「古民家食堂11月度例会」

2012年11月22日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<「古民家食堂」も、囲炉裏に火が入り「よせ鍋」の季節に>

11月20日、南風原町大名にある「古民家食堂」で、例会があった。
例会と言っても、第三火曜日の夜に、古民家食堂の関係者で行う飲み会。

今日は、いつも便乗させて頂いている高良さんが、東京出張中なのでゆいレールで行こうとしていたら、小出さんかが電話をくれて便乗させて頂く。


▲<突き出しの「きびなご」と「ゆしドーフのコロッケ」>


▲<「肉野菜炒め」>

今回、私が10月に行ってきた「鹿児島」で芋焼酎を買ってきたものを持参した。


▲<「鹿児島空港」で購入した鹿児島限定の芋焼酎「薩摩維新」>

「小倉シュー」を持参すると何度もメールを送って来ていた「勝チヤン」が、今日その店が休みだったので手ぶらで参加する事になり、恐縮しながら鍋の世話役をしていた(笑)。




▲<手前の女性が、「勝チャン」>





美味しい鍋をつつきながら、美味しい芋焼酎&泡盛を飲みながら、7名が渡辺淳一の「愛ふたたび」の話から、衆議院選挙の話まで、幅広く語りあった。




▲<締めに出て来た「炊き込みご飯」焦げが付いて凄く美味しかった>

早朝管理職勉強会11月度

2012年11月20日 10時00分00秒 | 沖縄の生活


11月20日、浦添市勢理客の顧問先で、月一回7:30~8:30に行われる「早朝管理職勉強会」の講師を行ってきた。



管理職として、メンバーとの関わりを良くして行く事で、「組織活性」&「メンバー育成」を上手く行えるように学習する。

今回のテーマは、『正のサイクルで、コミュニケーションを回す』①必要があれば話し合うではダメ ②一日一回、週一回、月一回 ③定期的なコミュニケーションを優先する

参加者全員、事前に私が作成したレポートを読んで感想文を提出済み。
全員、メンバーとの個人面談の必要性は充分に感じている。しかし、定期的に実行出来ていないというような悩みを抱えていた。その点を、全員で討議した。




▲<参加者同士で、約20分間討議した>

それぞれの出来ていない理由は、絶対出来ない理由では無かった。実行するための意志の問題である事が解った。


▲<若年層のキャリアUPには、上司の関与が必要>

私からの、アドバイスとして【権限委譲】【NO2を創れ】【緊急度は低いが重要度が高い課題に取り組め】を行った。


▲<「時間管理」は、第一領域から第二領域へシフトする>


▲<「NO2」を育て、Mgr本来の仕事をしよう!>

※この勉強会は、小倉広著「リーダーのための7つのステップ49のコツ」をテキストにして、私の経験含めて解説を行う形式で行われている。

「関西昭和KKKの同窓会」

2012年11月18日 17時00分00秒 | 沖縄の生活


11月17日大阪梅田の「大東洋」で、「関西KKKの同窓会」が、行われたので参加してきた。



34名の参加者は、リクルートの現役2名を除き、OBである。



私の在籍は、昭和48~49年。関西KKK(教育機関広報)の創設メンバーに約一年遅れて参加。初めて営業職になった、思いで深い部署。



その後、中四国担当として広島支社に転勤するまでの2年間だが、多くの事を学びその後のビジネス人生の基礎を創れたところ。



72歳の長老岡崎さんを始め、懐かしい面々との、束の間の友好を温めた。



若手50~40代達も、教育関係や広告関係などで活躍をしている様子。

元会社仲間とはいえ、OBとなりまた新たな、道を歩んでいる人達との交流も面白い。



リタイヤする人も出るなどの年代が増えるが、それゆえにこのような会への参加が必要となる。年は取っても、「世の中との交流は絶ってはいけない」。



「精神の豊かさ」に加えて、「しなやかさ」が、増々重要だ。

インターネットの使い方が異なる中国と日本

2012年11月16日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<11月12日、昇る朝日と偶然にカメラの前を飛んだトンボ>

今年、尖閣問題から発生したように報じられた「中国の日本企業焼打ち騒動」。
実際のところは、中国国内の収入格差問題のようであったが・・・。
中国も他国同様に、情報伝達は、インターネットが媒介した様子。


所変わり、日本国の京都での話。
日本でも、インターネットを経由して、学生達が動いた騒動が先週あった。
ある大学の生協坦当者が、プリン20個の発注を、ミスで4000個発注してしまった。

一人の学生が、その生協売店の人の様子と商品棚の文章を見て、チャットを使い「生協の女性が発注間違いで困っています。プリンを好きな人は3個買って上げて!」と、友人に知らせた。そのチャットが、数時間後、京都中の大学生に拡がり他の大学でも協力購入した(京都大学は1400個)4000個のプリンは、すべて午後に売り切れた!!

なんと、この違い!


▲<11月14日、那覇空港沖に落ちる夕陽>

中国では、他国の企業を焼き打ちする事に使われ。
日本では、買い過ぎて困っている大学生協を助ける事に使われている。

文化熟成度の差で、同じインターネットの使い方に、大きな差が出るという事を現わした出来事だった。

「若手向け早朝勉強会」in11月度

2012年11月15日 00時10分00秒 | 沖縄の生活


11月12日、那覇市久茂地の顧問先で、恒例の「若手向け早朝勉強会」を行った。今月のテーマは、『陽転思考と声の大きさが重要』【プロとは、ベストコンデションで勝負する人だ】

ビジネスパースンは、頭脳も大切だが身体が資本。会社から毎月決まった日に給料を貰うあなたが会社への最低限の約束事は、「健康な身体を会社に提供する事」。自ら不健康になるような生活行動はしない(暴飲暴食・偏食・夜ふかし・・・)。



あなたは、「明日が明るく輝きに満ちていると考えるタイプか?」「明日は今日以上に暗く辛いものに考えるタイプか?」「ユーモアを理解し活用出来るか?」、悲観的思考は、心の病(やまい)だ。そんなタイプの人間がいる会社やグループの未来は無い。

暗い人は、周りの人をマイナスにする。米国の調査で、悲観的なリーダーがいるチームの業績は、大きく発展しないという報告もある。



健康な人間は、腹の底から声が出る。若い時は、朝から大きな声を出そう!小さな声やこもった声しか出せない人は、身体が悪い人。大きな声を出す人に悪い人はいない。



コミュニケーションを仕事にしている人間ならば、他人に情報を伝えるプロであれ!

最強のふたり

2012年11月12日 17時00分00秒 | 沖縄の生活


11月12日、おもろまちシネQで、「最強のふたり」を観て来た。
フィリップ・ポッツォ・ディ・ボルゴ著が原作本で、実話のフランス映画です。

大富豪だが、事故で全身マヒ難しい人柄。スラム生活で、事件を起こし出所間もない失業保険が欲しい粗暴な黒人青年。出会うはずの無い二人が偶然に出会う。

大富豪は、フランソワ・クリュゼが演じ「ダスティン・ホフマン」+「ロバート・デ・ニーロ」似で、首から下が不随の難しい役を演じる。黒人青年は、オマール・シーが演じ「ボビー・オロゴン」風で、粗暴だが憎めない奴を演じている。

大富豪本人の希望で、資格を持った経験豊富な介護士のプロを外し、粗暴な黒人青年を24時間勤務の介護役に決める。



世の中が嫌になっていた大富豪だったが、教養も人生観も違う黒人青年が、自分に普通に接する事で、気難しい性格が変わり始める。黒人青年は、障害者に対して、車椅子のスピードをUPさせたり、助手席に乗せた状態でパトカーとカーチェイスをしたり、風俗に連れて行ったり、と無茶苦茶と思われるような接し方をする中、二人に友情が芽生える。

映画の結末は、これから観る人のお楽しみにして頂くとして、エンディングロールに、モデルになった二人の近況が、一瞬出るのも嬉しい。



第24回東京国際映画祭グランプリ作品で、主演男優賞W受賞作品。2012年フランス映画祭観客賞受賞。2011年フランス興行収入1位(10週間連続)。ハリウッドでリメイク化が決定したとか。

私の本年ベストテン当確の作品になりました。

沖縄に豚を送った7人の侍

2012年11月09日 00時05分00秒 | 沖縄の生活


11月8日の20時~20時45分にNHKローカルで、【復帰40年企画】「沖縄NHKが制作した第32回 5,000頭輸送作戦」<1999年放送分>の再放送があった。

資金集めから輸送に携わった7人衆の生き残りの一人、上江洲易男さん(80歳)が語る。戦前ハワイの養豚業で成功していた時、「真珠湾攻撃に遭遇」する。太平洋戦争後、沖縄に行っていたアメリカ軍人(沖縄出身者)が伝えた、「沖縄のフールに豚なし!」の新聞記事を見て、厳しい栄養不足に陥っている沖縄に豚を送る事を計画する。

正確な情報が少ない時期に、同胞の妨害に合いながら、困難を極めるが手を尽くし、何とか当時の金で5万ドルを集め、アメリカ本土の豚を買い付けた。1948年5月19日、マッカサーの許可も下り、8月31日ポートランド港をアメリカ軍の船で出航。

2日後、大しけに合い500頭の豚、甲板を走り回り数頭海に落ちる。3日後港に引き返す。アメリカ軍の船員が、甲板に豚小屋を造ってくれた。再び、出航。人間よりも豚を優先して船は進む。7名は、休みなしで豚の世話をする。疲れ切っていた時、船上で子豚が生まれた!!

2週間目に、ハワイ沖で日本軍が残した機雷に遭遇!昼夜機雷を避けて、無事通過する。

いつしかアメリカ軍の船員と7名に友情が芽生える。

4週間後、沖縄の島影が見えた。沖縄は、山が焼けて木が一本もなかった!!海は、アメリカ軍の戦艦で一杯だった。

9月27日、東海岸勝連「ホワイトビーチ」に着岸。近付いていた台風で6頭海に落ちたが、アメリカ軍将校と沖縄の青年が海に飛び込み救った。結果、530頭が上陸来た。

豚を届けた後、7名は沖縄の姿を撮影した。戦後3年目、沖縄の人達の逞しい姿がフィルムに残されている。戦後初めての伝統祭りが撮影されている。フイルムの最後には、校舎の無い校庭での運動会が撮られてた。

1999年の沖縄。勝連で養豚家のコメント、「1頭を貰って、言葉に出来ないくらい嬉しかったです。それで戦後を乗り切れました!今では、500頭の養豚場です」。

1999年現在、沖縄県の豚は、14万頭に増えた。しかし、沖縄でもハワイの7人を知る人は少なくなっている・・・。



感動した!半世紀前の実話である。誰か映画にしてくれないか!

「ペンギン夫婦の作りかた」

2012年11月08日 00時05分00秒 | 沖縄の生活


先日、おもろまちの「シネQ」で、「ペンギン夫婦の作りかた」を観て来た。「シネQ」のSTAR THEATERS MEMBERSのスタンプが6つ溜まったので無料観賞。

石垣島にある「辺銀食堂」の石垣島ラー油誕生秘話の映画化。

映画は、辺銀夫婦が石垣島で中国人の夫が日本に帰化する面接のシーンから始まる。

東京で生活していた二人は、夫の失業した事で何の当てもない沖縄(石垣島)へ家を引き払い移住して来る。

何のあてもなく石垣島に来る人達は実に多い(彼らもそのパターンである)。しかし、この夫婦は違った。

妻がバイタリティを発揮して、「仕事を探し」「地元の人と仲良しなる」「自分達で仕事を創る」と。テンポ良く進んで行く(実はこれが移住の成功の3原則なのだ)。



映画は急展開で、この夫婦のサクセスストーリになって行く。事実、食べるラー油のブームを起こし、一時は品不足にもなり、幻の食べるラー油で、全国区になったのである。



二人の食事シーンは、実に美味しそうに食べていた。小池栄子が好感が持てる演技で、いい役者になりつつある。



劇中で、「辺銀」という夫婦の名前の理由も明かされる。

しかし、撮影が冬で短期間に撮影したのであろう、画面に夏の日差しと暑さが出ていないのが残念だ。