梅雨が明けると、夜、ほのかな香りが漂う沖縄です。

2012年06月29日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<夜、いいい薫りがする「ゲッキツ」の花>

沖縄には、夜に香るる花がある。香る花はたくさんありますが、昨夜、家の近くを歩いていて、「ゲッキツ」の香がほのかに漂っていたので匂りの先に「ゲッキツ」を見つけました。

小さな花ですが、そこはかとなく漂う香りは、懐かしい良い香りです。
梅雨明けの沖縄の夜は、ここち良い「そよ風」が吹きます。



移住した6月の頃、夜歩いていると、どこからとなく懐かしい香りがして来て、気になっていた。家人に聞くと、「夜香木」や「ゲッキツ」と聞いて覚えた。

でも、どの花なのか見つけられなかった・・・。

少し経ってから、満開の「夜香木」を見たり、垣根や道路わきの植栽に「ゲッキツ」を見て、香の元を見付けた・・・。



沖縄に来て、夜香る花の名前を覚えられたのも、沖縄移住の収穫です。

沖縄は、梅雨が明けると、真夏に突入!

2012年06月27日 10時00分00秒 | 沖縄の生活

▲<6月26日の「豊崎美らSANビーチ」>

沖縄に移住して7年目に入った。沖縄の生活は、毎日楽しいが、唯一「梅雨の時期」だけは嫌だ!

県外の、奈良や大阪、広島、東京で住んだが、梅雨の生活はそれなりに生活出来た。

しかし、沖縄では「沖縄の梅雨」だけは過ごしにくくて嫌な季節だ。



まず、「雨が良く降る!」そして、「革モノ」や、式服の「黒服」にカビの斑点が毎年出る・・・。

寝室に吹き込む風で「畳」が、べたべたになり、パソコンのプリンターに入れたコピー用紙が詰まる。朝新聞を読む時、新聞が湿気を吸って倍くらいの厚さになっている。



それでも、6月下旬になると、梅雨が明けます。そこから、沖縄は、本格的な「トロピカルアイランド」になる。この変わり目は、住んでいる者の贅沢な「肌感覚」です。




本日の「読書&日光浴」は、「美らSANビーチ」で13~14時に行った。

最近、高校生の授業を行う機会を得たので、「高校生にも解る“お金”の話」内藤忍著を購入。内藤忍さんは、鹿島学園の高校生に、タブーの「お金の話」を講義しました。高校生に、どんな解りやすい授業をしたのかを学ぶ。

前半と、後半は、参考になったが、大半の「資産有効活用」や「お金をどう働かす?」などは、社会人でもまだまだ難しく、高校生にはもっと難しいかっただろうなぁ・・・。と思った。

でも、この考え方は、あと数年すれば、日本の常識のなるのだろ?しかし、私は、そうなって欲しくないと思っている古い人間です。


ドラゴンフルーツの花が咲き始めました!

2012年06月26日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<夜にひっそりと咲く「ドラゴンフルーツ」の花>

梅雨が明けた、沖縄はからりとした湿度で過ごしやすくなった。
でも、太陽がさらに強くなり、信号待ちの時、痛いくらいの日差しになりました。

昨夜の23時頃、「ドラゴンフルーツ」の花が咲いているのでは?と思い、近所の庭先と畑を確認に行った。

咲いていました!まだ咲き始めですが、誰にも見られずに、夜なかに、ひっそりと咲いていました。






▲<花弁は、ビロードのようで美しい>


※毎年、このブログに書いていますが、「ドラゴンフルーツ」の花は、深夜に咲いて朝にはしぼんでしまうのです。だから、沖縄の人でも咲いているところを見る人は少なく、誠に残念です。

「沖縄は梅雨明けて、晴天です!」

2012年06月25日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<6月24日の「豊崎総合公園美らSANビーチ>

6月23日、「梅雨明け宣言」が出た沖縄。
今年は、梅雨明けは平年並みだが(昨年よりも14日遅く)、梅雨入りが早かったので、期間は56日となり、1951年の統計開始以来5番目の長さでした。


▲<ブライダルの撮影>





6月24日の昼から、「豊崎総合公園美らSANビーチ」へ行き、「読書&日光浴」をする。



▲本日の本は、「一瞬で人生が変わる恩返しの法則」西田文郎著。

人生の生き方を変える「西田塾」を主催する著者が、実践する「恩返しの法則」。
「感謝の気持ちは、行動で示してこそ意味がある」
「不義理した人にこそ、感謝を伝えた方が良い」
「“人間的成功”を手にした人は、“三感力”を持っている」
「“運感力”“喜感力”“恩感力”」
「“積極的自己犠牲”を身に付け、他人のために尽くす」
「社会的成功と人間的成功」「刈り取り社長と、種蒔き社長」「才ある人と、徳ある人」・・・。
人間の弱さや、思っている事より、一歩踏み出す事の重要性を説かれている。

6月23日は、「慰霊の日」

2012年06月24日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<本日の夕方NHKのニュースで流されていた糸満市摩文仁の「平和の礎」(戦没者の名前が刻まれている)>

今日は、67年前に沖縄県民を巻き込み20万人余の生命を奪った戦没者の霊を慰める「慰霊の日」です。
警察官が、信号毎に立っている物々しい中、家人を糸満市摩文仁(まぶに)の「平和祈念公園」へ送って行った。



丁度、10時から糸満市では、「糸満ハーレー」が行われていた。
途中、県内各地区の「平和祈願慰霊大行進」(糸満市~摩文仁)の人達の行進にも遭遇。

11時には、「梅雨明け宣言」が出た。




▲<明日から洗濯物は、良く乾くだろう>

帰りに、久し振りにトレーニングに行き、サッパリした後、帰って昼食と夕食を兼ねた食事をする。


▲<本日は、「焼餃子」と「セーイカのボイル」にビールでした>

「黒うさぎ」で快飲

2012年06月22日 10時00分00秒 | 沖縄の生活

▲<5号台風が熱帯低気圧に変わった6月21日の夜、那覇市久茂地の「黒うさぎ」へ行く>

移住以前、那覇に泊った夜は、必ず「黒うさぎ」か「うりずん」飲んでいた。

移住後も、友人が来ると必ず連れて行く店だ。

しかし、地元で行く店も増えると、なかなかどちらの店も行く回数が減る。

どちらかというと、地元の人よりも観光客向けの店になるか・・・。

昨日は、東京から昔の会社の仲間が来てくれ、「黒うさぎ」を予約してくれた。

私が、沖縄に来て2回目だ。

他に、若手の2名が加わり、沖縄の企業談義や高校生の就職指導談義で語り合った。

・・・知的興奮が最高潮。

『美味しい酒に話し合える仲間』。

こんな時間を持ちたくて、私は沖縄で生きている。

最後は、「黒糖焼酎の朝日」で締めた。

「土門拳 昭和と沖縄」展

2012年06月21日 10時00分00秒 | 沖縄の生活

▲<土門拳(1909年-1990年)の「昭和と沖縄」>

沖縄県立博物館・美術館で、5月15日~6月24日まで行われている。
今週で、終わるので急いで観に行って来た。

土門拳は、私が写真専門学校へ通っていた頃は、すでに社会派写真家の大家だった。硬派で、リアルな男性的な作品が好きだった。特に、「筑豊のこどもたち」や「江東区のこどもたち」など、昭和の子供を撮影した作品が好きだ(こどもたちの表情・躍動感が素晴らしい)。


▲<「筑豊」の、出稼ぎに行った両親を子供二人で待つ「るみちゃんとさゆりちゃん」>


▲<「弁当を持ってこない子」(弁当を食べている横で、黙って本を読む子供・・・)>

その後、「ヒロシマ」や「おきなわ」の作品は、知らなかった。

晩年の「室生寺」など「古寺巡礼」は、被写体に迫る写真作家としての力作だ。
昭和の作家を撮った「風貌」シリーズでの梅原龍三郎撮影エピソードが面白い(写真嫌いの梅原氏が、なかなかシャッターを押さない土門に、我慢の限界が切れ撮影が終了後、座っていた椅子を床に叩きつけたらしい)。


▲<「梅原龍三郎」>

作品「おきなわ」は、戦前の沖縄が写されている。特に、那覇の市場風景の人物描写が素晴らしい!


▲<「沖縄の市場」>

台風4号が、沖縄を通過!

2012年06月19日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<沖縄には無い「塩豆」>

6月18日の夕方から夜にかけて、「台風4号」が沖縄の東側を通過。
2日前に、フィリッピン北で発生した台風が、真直ぐ北上し始め、最初は、東シナ海を通過するコースだったのが東側に振れ、沖縄本島に直撃か?と思っていたら少しずつ、コースを東に移し、大東島と沖縄本島の間を北上。

離島船は、18日の午前中から運休。飛行機は、12~15時で運休。地元の「バス」や「ゆいレール」は、17時から運休を決定。

台風4号は、沖縄に近くなるにつれスピードを速めて、18日夜半に通過して朝の9時には、足摺岬の南南西250キロの予報。

公民館も午後には、早々に閉鎖が決まり本日の「三線教室」は、休校。


▲<「麻布十番豆源の塩豆」は、噛めば噛むほど甘みが増してくる>

夜は、義理の兄から届いた「塩豆」で、「なでしこジャパン」を応援しながら泡盛を飲む。
明日の朝、7時30分から開始の顧問先「早朝管理職研修会」が実施出来そうなので、お酒は早々に切り上げて早く寝る事にする(この台風が去ったら、沖縄はもう梅雨明けするだろう)。

短歌集「大嶺」出版記念パーティー

2012年06月18日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<當間實光歌集「大嶺」>

6月17日、「パシフィックホテル」で、當間實光さんの出版記念パーティーが催された。その前日、私達夫婦が、當間さんご夫婦と、夕食をさせて頂く機会を得た。


▲<當間さん達の会食に参加させて頂き、飲んだ「地ビールニヘーデービル」>


▲<前菜の「すくがらす豆腐」「豆腐よう」「ミヌダル」(豚のロースを一晩だしに漬け込み黒ゴマをまぶしたもの)>

その機会を創ってくれたのが、歌人の「道浦母都子」さん。道浦さんとは、1973年頃、私達夫婦が結婚する前に、広島で仕事をしたご縁。


▲<沖縄料理の典型的なセット(ゆっくり2時間くらい会話を楽しみ美味しく頂いた)>

それから、40年の歳月が過ぎ、今度は、沖縄でお会い出来るのも稀な縁です。
當間さんの出版に関係した道浦さんの、お声掛けで、会食をさせて頂ける名誉に遭遇。

本の題名「大嶺」【うふんみざち】は、當間さんが生まれた村の名前、しかし、今はどこを探してもその町はない。その地は、「那覇空港」のある場所。戦前は、日本軍に接収され日本軍の空港へ。戦後は、アメリカ軍基地に。その後、「那覇空港&自衛隊基地」になり、現在も返還されていない・・・。

1943年生まれの當間さんは、早稲田大学に入学する時は、パスポートで日本に渡る。大学卒業後は、沖縄に帰り県立普天間高校の教諭になり、以後32年勤める。定年後、「短歌を詠う事は生きる事を問い掛ける事だ」との思いで創作活動に。

歌集「大嶺」は、沖縄県民で戦争で肉親を亡くし、村を無くした市井人の無念な声をひしひしと感じる作品です。


▲<我が家から眺める6月17日に、那覇空港(大嶺)に沈む夕陽>

高校生に授業を行ってきました。

2012年06月16日 00時05分00秒 | 沖縄の生活


6月15日、久し振りに青空が出た日。沖縄県立中部商業高校(宜野湾市我如古)で、午前と午後2つの授業を行ってきました。これは、沖縄県が行う「平成24年新規学卒者パワフルサポートプログラム」の一環です。テーマは、「働く意識向上」です。

働く意識や就活アドバイスは、大学生や第二新卒者&未就職卒業者向けは、何度も行った事があるが、高校生対象の「就職講義」は、初めての体験。44年前、高校3年生だった頃を思い出して、汗をかきかき行った。

内容は、事務局が作成したシナリオに沿って行う仕組みで
①「社会の仕組みを知り、働く事を身近に感じよう」
②「出来る事」「したい事」「すべき事」から自分の働くを考えてみよう


高校生の集中力を持続させるために、私なりに加工・工夫してみた。ひとクラス(約30名の生徒)に、「何のために働くの?」という問い掛けをして、前にある「ホワイトボード」に10数名出させ、思いを好きに書かせた。



「家族のため」「自分のため」「生きるため」「お金」等々の中に、「彼女のために」というのがあって「お主やるな!」と思い、「これが一番やる気になるよね」。と面白く活用させてもらった。

心配していた、「私語」や「白ける」ような生徒は一人もなく、素直で可愛い生徒達ばかりだった。



3年生の4月から、「就職指導授業」は、始めているらしいが、夏休み前までに、就職を真剣に考えさせるには、今日のような講義の時間だけでは私的には足りないと感じた。

②の「出来る事」「したい事」「すべき事」で自分の進路を探すなど、一緒になって作成し、自分は何に向いているのか、自分に合った職業をどう探して行くか?等をもっとやりたかったが、今回積み残した・・・(ぜひ、やってあげたい)。

高校の授業は50分なので大学生に比べて時間が少ない!それだけに、一度にたくさん詰め込んでも生徒達が消化不良を起こすので、テーマ設定と時間配分が難しいなぁと感じた。



以前からの持論だが、大学でも高校でも学外世界(ビジネス界)を生徒に伝える、先生達の苦労は並大抵でないと思っている。今回、実際に高校生に接し授業をさせて頂き実感を強く感じ、ますます使命感に燃えた(しかし、高校生に教える事は大学生より10倍くらい難しかった・・・)。

「古民家食堂6月例会」

2012年06月14日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<「古民家食堂」のメニューに無い、珍しい「串カツ」が出た>

6月12日の夜、「古民家食堂6月例会」に出かけた。


▲<小出さん差し入れの「泉州水茄子」明日ぐらいが食べ頃とか、言いながら美味しく食べた>


▲<ナーベラー(へちま)の味噌炒め>


▲<「刺身」や「すくがらす豆腐」も食べたが、もう少し腹もちのいい物が欲しくて、特別注文した「沖縄そばの焼そば」>

当夜は、サッカーの「オーストラリア戦」があり、19時過ぎから場所を変えてテレビ観戦になる。
試合は、ご存知の通り、日本が先行するが、追いつかれ本田がシュートを入れる寸前にタイムオーバーの引き分けで終了。






▲<高良さんのご子息が、東京から帰り、地元飲料メーカーに就職して、今回から参加して、早速先輩達の「泡盛」を作る役に>



「ほっけ」や「豆腐チャンプルー」も出たが、サッカー観戦が忙しくて、料理を話題にする状態ではなかった。


▲<三月に送別会をした原川さんが、沖縄勤務延長になり復活!>

『濃い時間』って?

2012年06月13日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<ある日の「豊崎総合公園美らSANビーチ」>

月に一度、顧問先で「早朝勉強会」を行っている。朝礼で4年間くらい講話をしていたが、今期から月一回、25分間になった。テーマは、「若きビジネスパーソンの働き方とは?」。
3回目の6月は、「ビジネスパーソンの幸せな生き方とは?」と「時間を有効に活用しているか?」会場で2名から質問があったが、その日の夜、T君からメールで質問が来た。

今朝の勉強会で、印象に残った言葉です。・「完璧主義」ではなく、「明るくバカでも前に進む!」そんな人が成長出来る。・仕事は一人でするものじゃない。周りと助け合う事が大切。・手抜きが出来るところは、手抜きをする!(先輩の真似をするところは真似をして、無駄に時間を使わない!)・寝る前に一日を振り返る!・金曜日に次の週の予定を立てる!・重要度、緊急度で仕事を分類し、優先順位をつけて行う!・・・など。ありがとうございました!


そして、質問なのですが、平山さんが言っていた『濃い時間の使い方』って、何を基準に判断するのですか?・目標を達成した数が多ければ濃い時間だったのか?・いっぱい笑っていられたら濃い時間だったのか?・・・『濃い時間』って、何をもって、濃い時間って言えるのですか?



私の返答 ①今の時間の使い方に改善の余地が無いかを自分で考える(これが出来ていない人が多いのでもったいない)。 ②公私の「年間目標」や「月間目標」を計画しそれを意識して生活する(意識をする事を忘れて2~3日がすぐ経つ)。 ③欲張って、自分が「嬉しい」「興奮する」「力が湧く」などの事をやってみる(私的には、「刺激のある人に会う」、「良い映画を観る」、「他流試合の出来る会合に出る」・・・)他には、「自分が課長だったら」と想定して、言動に移してみる。 ④毎日寝る前に反省して、少しずつ心や頭に良い事をし続ける(サイクルを「善循環」にして行く習慣を身につける)。頑張って、少しずつやってみて下さい。



彼からの返信メール。ありがとうございました!①②③④で平山さんが言っているように、知っていても実践出来てなかったり、続かなかったり。話を聞いて、その得た事を少しずつでもいいので、実践出来るように頑張ります!そして、「サイクルを善循環にして行く習慣を身に付ける」事が、本当に大事だと思いました。



・・・このようにして、60歳を過ぎても、自分の経験を若者にアドバイス出来る事に、感謝と感激しています。

「11.25自決の日」を観た。

2012年06月12日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<若松監督が、三島由紀夫自決事件を40年後に世に問う問題作品「11.25自決の日」>

6月11日、「桜坂劇場」で上映中の「11.25自決の日」を観た。三島由紀夫と「盾の会」の若者達との共にした4年間の再現。


▲<血気盛んな「盾の会」のメンバー達>

この映画は、私が社会に出た秋、当然に目に飛び込んで来た、テレビのニュース速報を見た日を思い出させてくれた。
早性の作家が、世界にも名を轟かせる日本を代表する作家で、発表する作品は、すべて注目され若くして昭和の文豪として脂が最も乗っている頃だった。

その作家が、当然に自衛隊に体験入隊したり、ボデービルで身体を改造していた・・・。


▲<「三島由紀夫」東大に乗り込み全学連と討論>

1970年代前後は、現在の日本では理解出来ないくらい、日本の若者が時の政府に行動で歯向かっていた。そして警察が、「騒乱罪」を発令して、左翼学生運動家を鎮圧していた。今回映画で、若松孝二監督がその時代を解りやすく映像化していた。

左翼の活動で国が滅びるかもしれない!しかし、自衛隊は動かない!(動けない)。三島由紀夫は、「なぜ?!自衛隊が国を守らないのか?!」とホゾを噛んでいた事が良く解った。突然に、狂った訳ではなかったのだ。三島にすれば(天皇制の維持は私も判断不能だが)、そのような時期の日本国を守れない「自衛隊」は、存在の意味がないと思った事は、この映画で良く理解出来た。


▲<自衛隊市ヶ谷駐屯地のバルコニーから、自衛隊に演説する有名な場面>

三島由紀夫が、「憂いた」通り、その40年後の日本で、今日も「自衛隊」は、何をする軍隊なのか解らないままである。若松監督が伝えたかった、三島由紀夫が何をしたかったかを思い起こさせてくれるには充分な作品だった。



敢えて言えば、三島由紀夫役の「井浦新」は、演技は充分に見せてもらったが、もう少し三島由紀夫に似た俳優を使ってもらえれば、もっと三島由紀夫の心情が伝わっただろうと観ながら思った。

「夕陽限りなく好し、只是れ黄昏に近し」(唐詩)

2012年06月10日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<6月8日、自宅のベランダから見た、19時前に「那覇空港」を飛び立つANAの飛行機>

5月28日、日経新聞(夕刊)の「あすへの話題」に、日立製作所会長の川村隆氏が書いていた。
60歳を過ぎた頃、あっちこっちの席で「あっという間に還暦になってしまった」と嘆いていたら、財界の大物に「キミィ、60なんてまだ陽は中天にありだ、ボクのように干支をもう一回って72になってみろよ。もう陽は西にありで、西日の人生だよ」と、言われた事が書かれてあった。

沖縄に移住して「那覇空港」の近くに住み、空港沖に沈む夕陽を観る機会を得た。
海に落ちる夕陽は美しく、刻々と変わる風景を楽しめる事は沖縄移住の収穫のひとつだ。



やはり、誰もが60歳を過ぎると、夕陽を眺め黄昏を感じるようになるのだろうか?
夕陽を見ながら、西に傾き始めた自分の人生を味わいつつ、今という時をより大切に生きる事を強く感じている私がいる。



※作者は、「李商隠」(晩唐の詩人。812年~856年)。この作品は、僅かの間、美しく輝く夕陽の素晴らしさを詠んでいるが、人間の老境を詠っているともとれる。

「知らぬ間に、ノンアルコールのビール風味が美味しくなっていた!」

2012年06月08日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<アサヒとサントリーを飲み比べたが私的には、「サントリーノンフリー」に軍配が上がった>

ノンアルコールビールは、少し前は、ビールとは思えないような代物だった。

最近、よく売れているとマスコミが報じているので、試しに飲んでみたら美味しくなっていたので驚いた!

本当に、ノンアルコールか?と思えるような、ビールだった。


▲<昼食に「ゴーヤー入り焼そば」をつくり、ノンアルコールビールを飲んだ>