桜満開!

2014年01月29日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<那覇市具志民家庭の寒緋桜>

1月の中旬から咲き始めた「寒緋桜」が、那覇市内で満開だ。

1月28日は、天気予報では21度と報じていたが、凄くいい天気で23度以上になり暑かった。

スポーツセンターに行く途中、4軒の民家の「桜」が満開になっていた。


▲<那覇市高良の民家庭の寒緋桜>


▲<那覇市具志の庭先の寒緋桜(ミツバチが蜜を吸いに来ている)>


▲<那覇市具志の庭先の寒緋桜>


▲<那覇市具志の公園の寒緋桜>


▲<那覇市具志の民家庭の寒緋桜>

今週、沖縄はこのような天気が続く。この時期に来た、観光客は幸せだ。



「ナイクブ古墓群」発掘調査現場説明会

2014年01月27日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<「ニューパラダイス通り」に、たくさんの人だかりが・・・>

1月25日の朝、「パイカジ」の特別顧客販売会に出掛けた後、「ジュンク堂」に向かって歩いていたら、ふっと覗いた「ニューパラダイス通り」に、たくさんの人が集まっていた。何をしているのかと、不思議に思い、近づいて集まっている人に聞いてみた。

そしたら、以前から気になっていた、「緑ヶ丘公園」隣接地の古い墓の調査発掘の説明会らしい。普段は立ち入れない調査地域に立ち入れる。ラッキーと思い、説明資料を頂き参加した。


▲<初期は、下の段の墓があり、水害などで上の段の墓を造った珍しい二段墓>


▲<市の職員が上手に解り易い説明をしてくれた>

頂いた資料によると、この「古墓群」は、那覇市内でも大規模であり、明治36年(1903年)に刊行された「那覇全図」にも「奈利久保原」と表記された字名の記載を観る事が出来る。一帯は、墓域として多数の墓が立ち並んでいたようです。

その始まりはハッキリしていない。一方、隣接する「緑ヶ丘公園」内には、沖縄に中国瓦の製造技術を伝えたと言われる「渡嘉敷三良(生?~没1604年)の墓や、万歴44年(1616年)に朝鮮から薩摩を経由して沖縄に焼物の技術を伝承した「張献功・和名仲地麗伸(生?~没1638年)」の墓がある。





牧志緑ヶ丘公園の一帯には、1600年代以降には墓域となっていた可能性が考えられ、今年度の発掘調査は、平成25年11月から通称「ニューパラダイス通り」と呼ばれる道路の西側一帯に所在する多数の古墓の内、14基を実施した(「ニューパラダイス通りで寸断された同規模の「東側古墓群」は、まだ調査に入っていない)」。







調査の結果、亀墓1基、破風墓10基・岩陰墓(?)1基、墓室のみが残り本体の形が不明な物2基を確認した。

ほとんどの墓が沖縄戦当時、屋根や正面の石積みなど部分的に破壊されたようですが、戦後改めて修理をしながr近年まで使用していた状況も今回の調査で解った。







骨壺などは、ほとんどの割って破棄された破片資料で、これらの「厨子甕(骨壺)」には、墨文字が書かれていたものがあり、今回の調査では、中国年号の雍正7年(1729年)、乾隆55年(1790年)、威豊元年(1851年)など中国年号が読み取れた。





その他の資料としては、壺、瓶、花生け、湯呑み、土瓶、銭貨、キセルなども出土されたらしい。

聞くところによると、調査後は「緑ヶ丘公園」になるらしいが、国際通りから一筋入った那覇市内の中心(一等地)を公園にするにはもったいない。公園は、夜の危険地帯を増やす。那覇市内に、これ以上、大規模公園は不要だ。

出来れば、市の収入を増やすためにも、高級市営住宅を建設した方が良い。そして、一階は「商業施設」2~3階は、「飲食店街」を創り、中心市街の活性化を考えるべきだ。

「映画三昧」

2014年01月26日 00時30分00秒 | 沖縄の生活

▲<那覇市牧志の「桜坂劇場」の入り口に咲いていた「寒緋桜」>

1月25日の土曜日は、朝から早く国際通りにある「パイカジ」で、9時から行われる顧客限定バーゲンに行くために、朝8時半に家を出る。

夕方から行われる少しセミナーまで時間があったので、家に戻らず。映画を2本見て時間を潰す事にした。


▲<第32回香港電影(香港アカデミー)金像奨9部門受賞作品(作品賞、監督賞、主演男優賞、新人賞、脚本賞、編集賞、音響効果賞、視覚効果賞、音楽賞)>

まず、桜坂劇場で上映中の香港映画「コールド・ウォー」を観る。
「インファイナル・アフェア」以来の傑作と言われている作品。香港警察の次期警察長官を競っている、刑事部門(行動班)と事務方(保安管理班)の副長官同士の派閥抗争と思いきや、テロ・警察官誘拐、警察の汚職が絡んで、スピード感がありどんどんと展開が進み、引き込まれて行く。警察内部を鋭く切り込みながら人間も描いてゆく。ラストシーンの後、次回に続くような展開を残して終わった。


▲<日本のアニメにも影響を与えた原作がついに映画化される!>

午後から、おもろまちのシネQへ回り「エンダーのゲーム」を観る。
1985年に出版され、SF界の権威ある「ネピュラ賞」と「ヒューゴー賞」のW受賞をしたオースン・スコット・カードのデビュー作の映画化。映像化が不可能といわれた小説がついに映画化された。近未来地球が昆虫型異星生命体に襲われ、滅亡しかかったのを戦闘要員として「エンダー(戦いを終らせる者)」に選抜された「第3子(サード)」この時代は、産める子供は第2子まで、特別に選ばれた子供を「サード」と呼び、10歳から「バトル・スクール(寄宿舎生活)」に入れ、過酷な訓練で育てる。「凶暴性」兄のと「優し過ぎる」姉の資質を兼ね備えた若干10歳の主人公が、リーダー候補に決められる。彼は、リーダーとしてやって行けるのか?また「エンダー」になれるのか?ゲームクリエーターに影響を与えたという小説が映像で満喫出来る。リーダーになる資質や人間としてのバランスなど、ただのゲーム映画ではない要素もしっかり入っている。

「ビールでパーキンソン病減?」

2014年01月23日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<久茂地の駐車場の片隅に咲いていた低木の「トックリキワタ」の花>

「蒸留酒」を飲む量が増える毎に、パーキンソン病のリスクが増加し、「ビール」を飲むと、量が増える毎に、リスクは減少する・・・。

こんな報告が、「米国立環境衛生科学研究所」のルイ・リュウ博士らが科学誌電子版に発表された。

米国の30万6895人(50~71歳)を対象に、飲酒やその量と「パーキンソン病」の関係を検討した。


▲<豊見城市の畑に群生していた「マーガレット」のような花>

飲酒量は、本人のアンケートから推定して計算した。

一杯当り約13グラムの純アルコール濃度を含む「蒸留酒」、「ビール」、「ワイン」について確認した。

一種類の酒だけを飲む人に限定して検討したところ、「パーキンソン病」のリスクは、「蒸留酒」を一日一杯以上飲む人で、2.18倍で、飲酒料が増える毎に上昇した。


▲<牧志の民家の壁に張っていた「ブーゲンピレア」>

一方、一日一杯未満のビールのみの飲酒でリスクは21%減少し、飲酒量が増える毎にさらに低下した。

「ワイン」には、関連が認められなかった。


▲<那覇市具志の中古車屋のネットに咲いていた「フォーゲリアナ」>

琉球新報の1月21日の朝刊を読んで、驚いたり納得したりした次第。

「コーヒー」の効用が報告されたり、今回のように「ビール」の効用が報告されると、その業界が研究資金を提供して研究させたのかと思えるような、驚きの研究報告が続出している。

これはどんな事なのか?考えた次第。

「沖縄より春風を送ります」

2014年01月18日 00時05分00秒 | 沖縄の生活


1月17日の朝、地元TVが、昨日、那覇市内の「与儀公園」で、「寒緋桜(緋寒桜)」が開花したと報じていた。

明日(1月18日)から、県北の「本部八重岳」で「桜祭り」が始まります。



今日、スポーツセンターに歩いて行く途中、民家庭先や児童公園の桜がほころび始めていた。



昼の気温が、19~20度の「亜熱帯沖縄」に、少し早い春が到来ました。

「糸満漁民食堂」

2014年01月17日 00時05分00秒 | 沖縄の生活


1月16日の午後、年明けの「琉球新報」を整理していたら、糸満市に「JCDデザインアワード金賞笈川誠賞受賞」の食堂が紹介されていた。知らなかったので、さっそく家人と夕食に出かけた。

店は、「糸満漁民食堂」という名前の「魚を中心」の本格的レストラン。

外壁や内装壁に、「琉球石灰岩」ふんだんに使った沖縄をイメージしたリゾート感覚タップリ。

聞くと、父上が隣で「魚屋さん」をやっていて、息子さんが、こっちの店のオーナーらしい。

既に、昨年の2月にOPENして、約一年になるらしい。

以下、食べた料理

(1) イカと魚の天ぷら(自家製のスパイス)500円


▲<中身は、「イカ」と「魚」だが、特製の「ブラックペッパー」で食べる>

(2) 糸満名物「んちゅ(ミソ)えー(和え)」(海鮮酢味噌和え)800円


▲<「鮪」と「白身の魚」の刺身に、特製の「酢味噌」が掛けられている。下には、「島ラッキョウ」があり絶妙に美味しい>

(3) 釜揚げしらす温玉のつけ丼800円


▲<大きな丼にいっぱいの「シラス」が盛られて「温玉」を崩して食べる(大人二人で食べ切れないボリューム)>

(4) 特別ディナーセットB(美ら)「前菜3点、小丼、汁物、デザート」800円(他に料理を頼んだ人のみ)


▲<前菜は、6品の中から3品選ぶ>


▲<私が選んだ3品。時計回りに「鮪の中落ち」「鮪の粒コショウ焼」「自家製シーチキンの特製ゴマダレ」>


▲<ご飯は、「シラス小丼」と「海ブドウと鮪のトロトロ小丼」から、「海ブドウと鮪」を選ぶ>


▲<汁物は、「魚汁」と「イカスミ汁」の中から「イカスミ汁」を選んだ>


▲<デザートは、3品の中から「サンピン茶のプリン」を選ぶ>

さすがにお魚は、魚屋さんがやっているので新鮮で美味しい!手の込んだ料理が美しくて、目でも楽しめた。


▲<外観が、黄昏に映える>

2名で4000円弱。料金も味にも満足して、帰る。

古民家食堂1月例会

2014年01月15日 13時00分00秒 | 沖縄の生活

▲<今夜は、「牡蠣」のオンパレードです>

1月14日の夜、「古民家食堂」で恒例の飲み会があり、沖縄にしては珍しい冷たい雨が降る中、参加した。

今回の料理は、参加メンバーの瀬崎さんの実家(三重県的矢)の「牡蠣」です。

土曜日に水揚げした「牡蠣」を日曜日に「クール宅急便」で送ってもらった採れ立て。

(1)レモンで頂く「生牡蠣」





(2)囲炉裏の炭で焼く「焼牡蠣」




▲<「焼牡蠣」には、チーズとケチャップに少しの葱>

(3)厨房で揚げた「牡蠣フライ」


▲<アツアツの「牡蠣フライ」には、タルタルソースで>

(4)酒は、丁度、沖縄三越で開催されている「新潟フェア」で購入した「八海山」


▲<参加メンバーで、「パーマ屋さんの上村」さんが、買って来てくれた「八海山」を金粉酒で(小出さん美味しい過ぎて飲み潰れる)>


▲<右側が瀬崎さん。左側の小出さんは、まだしっかりしている様子だが・・・>



(2)生卵で食べる「牡蠣土手鍋」(最後の〆は、雑炊に)





たくさん色んな「牡蠣」を生で食べた小出さんの感想では、「まったく臭みがしない」と絶賛していたくらい、新鮮で貴重な「牡蠣」だった。

・・・・新鮮なプリプリに太った「牡蠣」を様々な料理で堪能しました「的矢牡蠣最高!」。

「首里大中町界隈ぶらり散歩」

2014年01月14日 00時05分00秒 | 沖縄の生活


1月11日、イベント「首里トワイライト物語」[古写真タイムトラベル首里]に参加した時、少し早めに行き、会場の「首里劇場」の周辺を散策した。「龍潭通り」北側の住宅街は、沖縄に移住した7年前に、「井泉」探索した時に一回りしているので、久し振り。

ゆいレール「儀保駅」下車して、「桃原本通り」を南下して、「ラフィォンテ」と「ガソリンスタンド」の間の道から「首里大中町」の住宅街に入り、「仲里御嶽」を目指す(ここは、まだ観ていない)。


▲<住宅街の中の少し高い所にひっそりと「拝所」があった>

「大中大石跡」は見つけられず、「首里プール跡地」を右に観て、向かいの民家屋根にいた「シーサー」を撮影。


▲<「首里プール跡地の碑」プールの水は、「龍潭池」から引いていたらしい>


▲<「プール跡地」向かいの民家屋根にいた「赤い目のシーサー」を撮影(ここは以前撮影済み)>

坂を上がった所から、小さな脇道に入ってみる。住宅塀の間、人がやっと一人通れるくらいの路地を奥へ行くと広い所に出る。なんと!そこに、「首里劇場」があった。首里劇場は、以前も探したが見つからなかったが、住宅街の中、こんな所に劇場があるとは思わなかった。


▲<戦後すぐの1950年の建設(沖縄県下で一番古い現存する劇場らしい)>

まだ開演まで時間があるので、もう少し周辺を散策する事にした。

車道に出た所に、「大和ガー」があった。車で通っていては絶対に見つからないくらいのもの。


▲<「ヤマトガー(大和井戸)」は、大正の始め「ウヒナ」という大和人が中心になって掘った、「町端村(マチバタ)」現在の首里池端町唯一の「村共同井戸(ムラガー)」>

「龍潭通り」を西に歩いて、「山川交差点」手前の階段から、「首里池端町」に入る。



階段を下りた住宅の間に、「コウチガー」がひっそりとあった。




▲<「山川町自治会館」前、大きなカジュマルの下にあった大きな「シーサー」>

今度は、「龍潭通り」を東に進み、「中城御殿跡」を左折して、「安谷川御嶽」を観に行く。


▲<いつ来ても、厳粛な気持ちになる「安谷川御嶽」しかし、隣に大きな共同住宅が建築中だった>


▲<「玉那覇味噌醤油」に咲いていた「寒緋桜」>


▲<赤丸印「玉那覇味噌醤油」の、時代を感じる壁と工場建物>

そうこうしていると、開場時間になったので「首里劇場」に入る。

首里古写真タイムトラベル

2014年01月13日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<首里大中町の住宅街の中にある今は上映していない「首里劇場」>

1月11日の夕方、首里の古い写真を見ながら、昔の首里を「ゆんたく」する会があった。

会場は「首里劇場」で、主催は、「首里まちづくり研究会」。

今までに、「首里トワイライト物語(ストーリー)」と称して、12月7日「怪談降臨@首里あやかしナイト」、12月21日「王様と泡盛」というイベントを行って、今回が3回目らしい。

会場の「首里劇場」は、1950年に創られ、現存する劇場としては沖縄県内で、一番古いらしい。

舞台には、2名の首里を良く知る大老をお招きして、「ゆんたく」。


▲<奥に座る長老2人が、記憶のかなたにある首里の町を語ってくれた>

プログラム(1)「首里劇場」の歴史

プログラム(2)首里今昔風景






▲<首里バスターミナル>


▲<大戦で爆破された建物の残骸>


▲<首里教会の今昔>


▲<「中城御殿跡」にあった「県立博物館」前の駐車場には米国車が一杯>


▲<首里バス社屋の今昔>

プログラム(3)首里の暮らし

プログラム(4)Wanted古写真捜査隊

何よりも、2名の大老の話が面白かった。冒頭に一人が、今日の会に呼ばれた時、「写真は無いか?」と言われたので「免許証写真」を持参したよ。に会場は大爆笑。また別の人は、自分が持参した写真の事を聞かれ、「いつ頃のものか解らない」との返事や、ある部部には凄く詳細な解説が合ったり。楽しい会話に大笑いしながら、ゆったりした時間が流れた。



「古写真捜査」では、5~6点くらい、時代・場所が解らない首里の風景だろうと思えるものを写し出して、2大老と参加者に尋ねたらほぼ解決した。



私的には、「首里バス」という会社があった事や「中城御殿跡」の変遷など、変貌する首里の貴重な写真を見られたのが嬉しかった。

次回は、2月8日「民話の時間・首里」会場は「首里汀良町自治ふれあい館」予定。
※詳しい情報は、「首里トワイライト物語」をご覧下さい。

「BSフジ プライムニュース」が面白い

2014年01月11日 12時00分00秒 | 生き方・人生観


正月明けから「BSフジ プライムニュース」が、なかなか面白い内容の番組を放送している(月~金 20~22時)。

1月8日「安倍首相靖国を語る」「桜井よしこの国益論」、1月9日「石原慎太郎」、1月10日「曽野綾子×金美齢 増える未熟な日本人」・・・。

特に、昨夜の「曽野綾子×金美齢」が、言いたい放題で良かった!TVに出て「マスコミ批判」を行っていたのが痛快だった。



以下、私の記憶から。

「家族はいい。もっと家族を作ろう!」(金)
「何でも会社のせいにする甘えた女子社員は、出産したら辞めなさい」(曽)
「辞める前に、どんな働き方をするのかが大切」(金)
「上野動物園園長が言っていた。動物の子育は、親がベタベタし、歩くのを見守る。人間も一緒だ」(曽)
「幸せに育った人が、“不幸を知った時”、嘆くのではなく、“幸せ”と感じなさい。叶わぬ事を楽しめ」(曽)


▲<2050年の日本の人口分布グラフ>

「楽しみが無いと言う人は、まだ、一生懸命に生きていない」(金)
「才能とは、生きる事を楽しめる事。頭が良い事ではない」(曽)
「日本に生まれた事をラッキーと思え」(金)
「“働かざる者食うべからず”は、聖書の“働きたくない人は、食べてはいけない”が元になっている」(曽)
「働いて、支える方にまわろう」(金)

「皆、弱者ばかりの国になったが如く、マスコミが報じているが、そんな人ばかりではない。日本は捨てたものではない!マスコミが、“可哀そう報道”し過ぎ」(金)
「色んな人がいます。それが人生です。普通に報道して欲しい」(曽)
「いつかの、ホームレス者支援ニュース。そんな生活になった経緯を聞けないマスコミ」(金)
「台湾には、“日本精神”という言葉がある。素晴らしい日本人を見本にしようという意味。戦後甘やかされた日本人にもそのDNAが眠っている」(金)

「学び足りない日本人(実学が足りない)、苦労に耐える教育が少ない」(曽)
「人間社会からイジメは無くならない。小学5年生くらいから、イジメられる方にも気力・体力・強さを身に付けるべき。責任は、本人≧親≧教師≧それを国は、システムで無くそうとしているから委員から抜けた」(曽)


「ギリシャでは、徳と勇気は同じ言葉」(曽)


「“ねたみ”“うらみ”よりも、美しく良い齢を重ねよう」(金)・・・。

2時間の中で、少し今日のニュースを挟みながら、ゆっくりゲストの話を聴く。司会が、解りにくい点や一般の人が思っているような事を突っ込んで質問する。


▲<進行司会は、反町理と八木沼亜希子(月~木)、島田彩華(金)>

どこかの“民放ニュース司会者”のように、したり顔で日本を論じない。

今回は特に、高齢の女性作家と評論家が、日本の“いいところと悪いところ”をズバッと言い切った。

しかし、このような人が少なりつつある日本の将来が心配である。

映画「ペコロスの母に会いに行く」

2014年01月09日 00時05分00秒 | 沖縄の生活


1月8日の午後、桜坂劇場に「ペコロスの母に会いに行く」を観に行く。

以前このブログにも書いた岡野雄一著 漫画「ペコロスの母に会いに行く」の映画化です。

上映期間が、今週の金曜日までだったので、何とか観る事が出来た次第。

監督は、85歳になる「森崎東」さん(初期の頃の「男はつらいよ フーテンの寅」や数多くの喜劇映画を創った人)。

原作者の本人を演じる主役は、岩松了(あの鋭い目つきが気になったが、さびしい中年を好演)。

何と言っても、母親役の赤木春恵さんの演技が素晴らしかった!(認知症患者をたくさん観察されたのだろう、焦点の定まらない目の演技には感服した)。

脇を、加瀬亮、竹中直人、温水洋一、原田知世が固めていた。そして、何よりも昔の美女達が、たくさん短い出演時間で、これでもかと出て来たので楽しめた。

「認知症問題」を深刻にならず、ユーモアを交え、原作漫画の味わいを失わず、新しい観点を盛り込んで創り上げた森崎監督の実力をフルに発揮した作品でした。

沖縄では、1月8日は「ムーチーニー」の日です。

2014年01月08日 10時00分00秒 | 沖縄の生活

▲<昨日の朝、「トレーニングセンター」に、歩いて行く途中の畑にあった「月桃の葉」を撮影した>

1月7日は、「七草粥」の日。沖縄も、スーパーで、普通に「七草粥セット」が売っている(意外ですね)。


今年の1月8日は、沖縄では「ムーチーニー」の日です。


【旧暦で12月20日】が、「ムーチーニー」の日になりました。



沖縄では、旧暦の12月20日に、「ムーチーニー」をありがたく食べます。

その訳は、沖縄の昔話の【鬼餅(オニムーチー)】にルーツがあります。

琉球王朝の頃、「人を食う鬼となってしまった兄を退治する為に、妹が石または鉄を入れた餅と普通の餅を作り、兄の元を訪れ、いぶかしむ兄の前で、自分は石を入っていない餅を美味しそう食べた。兄は美味しそうに食べる妹を信用し、石入りの餅を食べた後、兄はもがき苦しみ死んでしまいました。

※沖縄諸島の「子供の健康祈願」を行事で、旧暦12月8日に「ムーチニー」を食べると、その年は健康に過ごせるという言い伝えがあるのです。

「餅」を子供の年の数だけ、すだれの様に縄で編んで吊るす。 餅を包んだ「サンニンの葉」で、十文字型(鬼ノ股〈ウニヌマタ〉と呼ぶ)を作り、家の軒に吊るして魔除けとする所や鬼の足を焼くと称して、餅を蒸した汁を家の周囲に蒔く所もある。



※沖縄では、香りの強い「サンニン(月桃)」は、邪気払いの草木とされている。

「ニッポンのジレンマ」

2014年01月07日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<仕事始めの1月6日の朝、顧問先企業の「初詣」<波の上宮>に参加した>

2014年1月1日の深夜、Eテレで「ニッポンのジレンマ新世代ホンネ徹底討論リアルこの国のカタチ」という番組を始めて観た。

2時間30分の長い番組だったが、私は後半の1時間半くらいを観たのだが、なかなか見応えがあった。朝日TVの「朝まで生トーク」の若者版?(2012年から始まっている番組らしい)。

1970年以降に生まれた男女10名くらいが、円卓で討論していた。「歴史学・政治学者」が雄弁に自説を「若手起業家」が現実論を述べていた。

私が、観て記憶に残った言葉は、以下の通り。

「宿命」(使命感の事か?)
「過去よりも今を生きる個人へ」
「これからの若者3種の神器とは、“英語”“プログラミング技術”“最先端の都市に出る”」(高校生には、英語とプログラミング技術は必須、最先端都市“シリコンバレー”“東京”など環境が影響を与える)、
「“無自覚”を脱して“考える事”を大切にしよう」
「“話せる人”へ」
「自分の地域を大切にする事もいいが国を考え世界を考えよう」

「海外に出るのなら、語学を堪能になるよりも、自国の文化を語れるようになる方が重要」
「対米従属から脱しよう」(米国の研究はOKだが、盲信・従属はダメ)
「多様な行動力がこの国を良くする」
「changeのユーザーが、米国で1,000万人になっているが、日本はまだ20万人。米国でも5年かかったのでこれからに期待したい」
「悪い事ばかり考えず、この国の素晴らしい事をもっと認識しよう」・・・等々。

若い人達が、冷静に、しっかりと日本の将来を話し合っていた(NHKは、いい番組を制作している)。

「ニホンのジレンマ」と言うなら、私は、「NHKを含めた日本のマスコミの腐り方」に「ジレンマ」を感じているので、いつか採り上げて貰いたい(無理だろうなぁ)。

「将来の不安ばかり報道する日本のマスコミ」
「他国を気にするばかりで自国をこけ下すマスコミ」
「犯罪やゴシップばかりの日本のテレビ番組」
「巨悪や巨大組織を追求出来ない。知っても知らぬふりのマスコミ」
「外国とに摩擦に、直ぐに戦争になると不安をあおるマスコミ」
「結局、ガラガラポンすれば自分達もやばくなるマスコミ」
「間違った若者は可哀そう論」
「リアルな産業界を知らない人ばかりのマスコミ界」
・・・等々。


▲<「波の上宮」のシーサーも怒っているぞ!>

日本を良くする事を怠り、さらに悪化させている「日本のマスコミ」=【マスゴミ】を糾弾するのは、ソーシャルメディアしかないのだろうか?

自分達の浄化能力を失っているの日本のマスコミ。日本は、これらの「マスゴミ」に、「溶かされて行く」と心配しているのは私だけ?

次回は、2月22日にあるようだ今度は、最初からしっかり観てみよう。

初詣

2014年01月03日 14時00分00秒 | 沖縄の生活

▲<「沖宮」の参道入口にあった花文字の前で記念撮影>

今年の沖縄は、正月から暖かくて穏やかな良い天気の日が続いている。

2日も良い天気で、外気の温度も急上昇し午前中に20度を超えた。

午後から、夫婦で自宅から歩いて20分くらいの所にある、「奥武山総合公園」にある神社「沖宮」を目指し初詣に行く。


▲<「沖宮」の奥、頂上にある「天頭山」に上がる山門の鳥居>

「沖宮」は、琉球八社の一つで、元は海中道路の途中にあった「沖山臨界寺」と一つになっていたが1908年、那覇港の工事のため、安里八幡の境内に移されていたが、1938年国宝に指定されていた社殿が大戦の空襲で破壊される。戦後、現在地に移し再建された。


▲<境内で「お餅つき」が行われていた。参拝客も「餅つき」に参加出来たので、夫婦で「餅つき」をさせて頂いた>

「つき立て餅」の振る舞いがあり、私は「黄粉餅」を頂いた。


▲<「奥武山総合公園」内で一番高い「天頭山」にある「三つの石碑」>


▲<左手少し低いところにある「世界平和の碑」>


▲<「天頭山」の山裾には、神社とは別に「拝所」が点在する。手前は板状の「沖縄線香」>

帰りは、日差しが強くなり、暑くなったので、上着を腰に巻き「Tシャツ」一枚で歩く。

少し、寄り道をして「森口公園」の奥にある「小禄ノ嶽」を拝んで帰る(私の中では、沖縄でトップクラスの霊気を感じる場所です)。


▲<新しくなった「小禄中学校」傍の民家敷地に咲いていた「オオバナサルスベリ」の花>

新年明けましておめでとうございます!

2014年01月01日 00時30分00秒 | 沖縄の生活


2014年が明けましたね。

今年は、どんな年になるのでしょう?

皆様にとっても、日本国にとっても、いい年になる事を年頭に祈願致します。


人間は、何よりも「健康」が一番ですね。

それには、バランスのいい「食事」と「睡眠」ですね。

それに加えて、適度な「運動」です。

心にストレスを溜めてはいけないようですね。

私は、60歳過ぎたら「生きてるだけ儲けもの」と思って毎日を過ごしています。

出来れば、いい人と出会い、いい話をつまみに、美味しい酒を飲めれば、最高に幸せです。

お互い、もっと我がままに生きて行きましょう。


今年も、よろしくお願い致します。