「模合(もあい)潜入記」

2011年03月31日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<那覇市寄宮の居酒屋で行われた「模合」。正式メンバーは、12名>

去る日、知り合いが「模合」を行うと聞いたの、見学のために潜入した。
模合メンバーが、月に一度、事前に決められた店に集う。
集合日は、日や曜日が決まっている場合が多い。


当日は、19時から集合だったが、遅れて来た人も数人いた。
欠席者も一名いた(しかし、模合費は集金される)。
模合費は、会によって異なるのでいくらとは言えない(もちろん飲み代は別勘定)。
1万円が一番多いようだが、経営者の模合は、事業資金用の意図もあり、一回数10万円になる事もあると聞く。


▲<「てびち」完食>

▲<ご存知、「ポーク卵入りおにぎり」>

仲間が、12名の場合は解り易い(年に一度、必ず受け取る月が回ってくるから)。
今月は誰とは決めず、当日会場で決まる事も多いらしい(その月に物入りの人が優先になる?)。
該当者はその日に、12万円を現金で貰って帰る(金利なしの預金のようなもの)。

▲<「模合帳」を記入しながら、今日の飲み代を集金。「模合帳」は、普通の文房具屋さんで売っている>

それ以外は、普通。同じ仲間で月一度行う飲み会である。

「巷で流行るパロディ」

2011年03月26日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<今沖縄では、「寒緋桜」のサクランボが実っています>

枝野官房長官の、何とも言えない雰囲気をかもし出す、記者会見(言ってはいけない事を慎重に話時の見本?弁護士枝野氏ならではの技?)。

TVの何度も流れる同じACのCM(大災害時、民間企業広告自粛の埋め広告をACの官製広告で民間放送局を救済しているのだ)。流すなら、病気や心遣いだけでなく、国民が元気が出る「日本改革の偉人」や「世界で頑張る日本人」等のCMを流欲しい。そちらの方が、がんばろう日本!にピッタリだろう。

●巷で流行るパロディ
「大丈夫?」っていうと「大丈夫」っていう。
「漏れてない?」っていうと「漏れてない」っていう。
「安全?」っていうと「安全」っていう。
 そうして、あとでこわくなって
「でも本当はちょっと漏れてる?」っていうと「ちょっと漏れてる」っていう。
 こだまでしょうか?
 いいえ、枝野です。




・・・日経ビジネスオンライン3月25日の「小田島隆のコラム」より

沖縄県が、「東北地方被災者受入窓口」を開設しました。

2011年03月25日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<「ハイビスカス」は、沖縄では年中咲いている>

沖縄県も、被災者受け入れ態勢を発表した。東北地方太平洋沖地震で壊滅的な被害に遭われた地域(岩手、宮城、福島)から沖縄に避難されてきた方々に対して、ホテルや民宿の紹介、県営住宅の対応しています。当該者およ関係者の方は、参考にされて下さい。

●被災地からの避難者に対する問い合わせ対応について
対象者「東北地方太平洋沖地震で被災された岩手、宮城、福島から避難されてきた方」
相談電話08:30~18:00 
 090-3794-0530
 090-3794-8217
 090-3792-3168
 090-3792-3161
 090-3790-0137
 090-3790-1713



●東北地方太平洋沖地震等に伴う県営住宅への一時入居の取扱いについて
被災者受け入れのため、県営住宅への一時入居の受付をいたします。詳細については、沖縄県のHPをご覧下さい。
●被保険者証などを被災により紛失あるいは、家庭に残したまま避難している方へ
詳細は、国保・健康増進課HPをご覧下さい。

●市町村関連
県内市町村の支援状況については、各市町村のHPをご覧下さい。

●被災市区町村から転入される方の転入届の手続きについて
詳細は、市町村のHPページをご覧下さい。


※「株式会社沖縄ロングスティ」社も、保有する物件10室を5月末まで50~60名を受け入れるそうです(3月16日琉球新聞)。

「自衛隊がんばれ!」感謝。

2011年03月24日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<「オオハマボウ」方言名(ユーナ)は、女の子の名前にもなるほどの人気の花です。5~9月に咲く花だが、3月にも咲いている>

3月23日、19時から朝日放送系の「池上彰学べるニュース緊急放送」を観た。
池上彰さんは、いつもながら、解りやすく解説してくれた(3月末で、TVから一時去るらしい)。
専門解説者二人も、非常に落ち着いて解りやすく安心出来る解説を心懸けていた。

その後、「NHKのニュースウオッチ9」で、福島第一原発エリアの自衛隊救出活動を報じていた。
20km圏内の「避難指示地区」内では、放射能防御マスクを付けた自衛隊が、当該地区で避難遅れの人を探していた。子供から救出依頼を受けた実家を訪ねていたが、老夫婦は救出を断っていた・・・。

30km圏内「屋内退避地区」の南相馬市では、既にエリアから住民が退去して、1万2,000人くらいしか居ないらしい(約40%確認済み)。

それにしても、自衛隊員の命をかけた捜索や復旧作業に対して、日本国民は「自衛隊頑張れ!ありがとうと叫んでいるだろう」。

▲<沖縄では、「ひるがお」は、年中咲いています>

先日も書いたが、自衛隊員削減を実行していた民主党が、この度の「東日本大震災」で、自衛隊に助けられている姿を見て、民主党に対して何かスッキリしないのは、私だけだろうか?
『日本自衛隊万歳』ありがとう!

「第3回沖縄国際映画祭」始まる

2011年03月23日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<那覇市桜坂にある「桜坂劇場会場」には、沖縄出身の吉本とタレントの看板が立っていた。右から「ガレッジセール」のゴリと川ちゃん。昨年のM-1準グランプリの「スリムクラブ」内間くんと真栄田君。間寛平、宮迫博之>

3月18日~27日まで、沖縄で第3回「沖縄国際映画祭」が開催されている(この時期に、よく開催してくれた!吉本興業の思い切りを評価したい。急遽「ちばれよー“東北人”」のポスターが貼られていた事に凄いと評価した)。

▲<劇場前にあった「スケジユール表の看板」>

メイン会場は、宜野湾市「沖縄コンベンションセンター」で、他「那覇市桜坂劇場」「那覇市パレット久茂地」など。





▲<桜坂劇場のロビーには、吉本のタレントおよび面白商品がずらりと並んでいた>

3月22日の夕方、那覇市桜坂劇場で上映の、「沖縄国際映画祭裏街道 おもしろB級映画特集」の「エロスの中にも笑いあり『Mr.ジレンマン 色情狂い』(1978年、R-18成人指定映画)を観た(無料)。

ストリーは、会社では風采が上がらず、家でもダメオヤジの男がある日突然変身して、メチャクチャ暴れるありえないストーリーのピンクコメディ映画。笠太郎の同名の漫画の映画化で、監督は「泉大八の女子大生の金曜日」の小沼勝。
今では観れない、若き(当時30歳)、柄本明、高田順次、ベンガルなど「東京乾電池」のメンバーが、楽しそうに「日活ロマンポルノ」で暴れていた貴重で価値あるポルノ映画でした。

他にも、沖縄(本部町)を舞台にした実話ストーリー「天国からのエール」(阿部寛主演)のプレミア上映があるが、宜野湾市なので観に行けない・・・。

武田邦彦教授の原発 緊急情報(2)

2011年03月21日 09時00分00秒 | 生き方・人生観

▲<3月21日の沖縄は、曇りですが24-26度になる模様>
◎福島原発は、東京消防庁&自衛隊による決死の放水活動の効果で、最悪の状況は脱した様子だが、不安定な状況は依然続いている。民主党政権は、予算を減らし人員を減らした自衛隊に助けられているとは皮肉な状況だ。昨日に続き、武田教授の緊急情報(心配な事3つ)を紹介します。

⇒第一に、関東地方に雨が降る事です。放射性物質が空気中にある場合に雨が降るとそれが地表に落ちてきて人体に付着します。チェルノブイリ原発の時に、汚染地域がポツポツと飛び地になっていたのはこの雨の影響も大きかった訳です。出来るだけ雨の降っている時には外に出ない方がいいと思います。どうしても雨にぬれた場合、家に帰って出来るだけ早く洗濯して汚れを取ってしまう事が大切です。洗濯をした水は若干の放射線物質がついていると思いますが、それが下水に流れるのは仕方がないと思います。現在の段階では環境を汚すのはやむを得ないので、それよりも人体に直接、触れる事を防ぐことが大事だと思います。

第二に、政府やテレビは相変わらず時間当たりの放射線の事を言っている。レントゲンとか飛行機の関係で「直ちには障害が出ない」と言っています。しかし、もともと放射線は遺伝子に損傷を与えるもので、直ぐに障害は出ません。また、一般人の基準である1ミリシーベルト(これから先はシーベルトは省略します)を浴びても大丈夫だという事を随分多くの人(政府、テレビ、専門家、一般の人がネットで)が書いています。
私もどちらかと言えば、個人的には放射線はもう少し高くても大丈夫ではないかと考えていますが、このような非常時では個人的な考えはあまり表に出すべきではなく、やはり色々な会議を経て決まった国の基準を守る事が大切だと思います。でも、これほど「大丈夫」と強調されているので、少しデータを説明します。
標準的には、女性で医療関係の放射線を浴びるような仕事をしている場合、1ミリを超えたら仕事をさせない方が良いというのが、専門家で合意をしています。次に、東京からニューヨークまで飛行機で行くと、かなりの被曝をすると言われますが、これについては航空関係者の間で議論があります。
おおよそ一般人の基準の1ミリに比べて、その5倍の5ミリ程度が妥当であると考えられています。5ミリというと、例えば1ヶ月あまり同じところで生活する人は、1時間当たりの放射線は5マイクロになります。
福島県の多くのところは、時間当たり5マイクロを越えますから。航空機で仕事をする人の基準値を超えるという事になります。総合的に見て、女性のレントゲンを取り扱う人、飛行機に乗る人、そして妊婦等の例を見ますと、日本の基準、つまり一般人が1年間に1ミリという被ばく量は、それ程極端に低い訳ではないとも考えられます。今後研究が続けば、もう少し高いレベルでも OK かもしれませんが、個人で勝手に判断して、1ミリは低すぎるとこの段階で言うのは危険です。とりあえず1ミリを一つの目安とし、航空機の仕事をする人の5ミリぐらいをご参考になってそれぞれご判断頂きたいと思います

三番目は、水道等の汚染です。水道やその他の野菜が汚染されたという報告がありますが、これは当然の事です。すでに福島原発から遠く離れた福島市で20マイクロという放射線が報告されている訳ですから放射能を持つ物質が広く拡散している事は間違いありません。問題は程度の問題ですが、私がもし家族に言うならば、飲み水は出来るだけペットボトルで飲む事、洗濯や掃除お風呂等は、水道を使っても問題がないと答えると思います
また、野菜等は1日中、外にいるのですから、すでに7日間というと1時間あたり20ミクロンでも、3ミリを越えています。すでに放射性物質が付着する事が多いので、ある程度は洗わなければいけないと思います野菜に付着している放射性物質の方が水道に含まれているより多いと思われるからです。 水道や野菜については現在のところデータが少なく、この程度しか言えません。放射線というのは出来るだけ少なくしておくというのが大切ですから。もしペットボトルを買おうお金があれば飲み水だけでもペットボトルにしておいた方がいいのではないかと思います。また放射性物質の中には、煮沸すれば除けるものもありますが、細菌と違うので原則としては採れません。皆さんから多くのメールをいただき、本来は一人一人の事情が違いますから個別にお答えしたいのですが、現在のところブログを書くのが精一杯というのが正直なところです。
申しわけありませんが、しばらくできるだけブログを多く書くようにしますのでご参考になってください。(平成23年3月19日19:00)

武田邦彦教授の原発緊急情報 「逃げられない人のために」

2011年03月20日 18時30分00秒 | 生き方・人生観

▲<3月19日の豊崎総合公園>
◎福島原発の復旧作業の進み方が何とももどかしい・・・。自衛隊および東京消防庁の献身的な努力には感謝するが、なぜ最悪の事を考えて20kmエリア内の住民避難をさせないのだろう。「縄文通信」の中に、武田教授の「原発緊急情報」を見つけた。テレビでは聞けない解りやすい解説なので紹介します(武田邦彦氏は、「第一種放射線取扱主任者」を保有する工学博士です)。

原子炉に水を投入するのを失敗したら、放射線レベルが10倍になるという事は正確には解りませんが、東京の放射線レベルは現在、低いのですが、私がやや高めの数字を示しているのは、この事を加味しているからです。私は、今の東京の放射線レベルは心配する事はないと言っておりますが、しかし人によっては不安に感じる人もいます。本当に原発に水を入れるのが失敗し放射性レベルが大きく上がっても、新幹線等が混んでいて赤ちゃん等を抱えている人は直ぐには移動出来ないでしょうから、だいたいどのくらいの事になるかという事を、私の知識の範囲でお伝えをしています。
1時間に10マイクロシーベルという事は、たった1時間しかそこにいない人ならその数字で良いのですが、生活をしていて1ヶ月あまり同じ場所にいたら、10ミリシーベルトになります。これは法律でも許されてないような大きな値なのです。重要な事なので繰り返して説明します。1時間に10マイクロシーベルというのは放射線の強さですから、1秒当たりで言っても、1ヶ月当たりで言っても良いわけです。1秒当たりで言えばとても小さな値になりますし、1ヶ月当たりで言えば大きな値になります。
瞬間的にその場所を通り過ぎるのならば、1秒当たりでも1分当たりでもいいと思いますが、今多くの人が判断しようとしているのは、「ここに住んでいて良いのか」、「赤ちゃんは大丈夫か」という事です。そうなると1ヶ月はそこに居ますし、子供は感度が高いのです。現在の状態では、「自衛隊のヘリコプターが受ける放射線」と「原発から少し離れた所で住んでいる人が浴びる放射線」とは少し意味が違うという事を理解しておかなければなりません。仙台から東京辺りの間に住んでいる人達は、福島原発からある程度、放射性物質からの放射線を浴びると考えていいと思います。
その場合、放射線と体の関係を少し知っておく必要があります。人間の身体は放射線に対して防御する能力を持っています。従って、一旦、放射線に当たると、その時には身体の一部が極僅かですが損傷します。
しかし、人間の体というものは、常に外部からの攻撃を防御する事が出来るようになっています。例えば風邪のウイルスが体に入っても、体の抵抗力さえあればウイルスを撃退出来るのと全く同じです。
つまり、放射線に当たったらもうそれで終わりと思っている人がおられるのですが、普通の病気と同じように一旦放射線に当たっても、自分の体の抵抗力と免疫力が高ければ、元の体に戻してくれます。
そうなると普通の病気と同じですからまず第一に体力を付けておくという事が必要である事が解ります。
私がやや放射線に対して楽観的なのは、放射線が弱いという事ではなく、人間の体が治す能力がある事によります。人間は他の動物に対しても放射線で受けた傷を治す力が強いのです。
そして第2には、「連続的に放射線を浴びない」という事です。逆に「連続的に放射線を浴びる」という事は、風邪で言えば「風邪をひいているのに、まだ寒くて乾燥している所(ウィルスがいるところ)にいるようなものです。 放射線でも同じです。外部に出て放射線を浴びたと思ったら、そのあとは家の中に入り、しばらくじっとしている事です。それで回復をします。
風で飛んで来た放射性物質は外を歩いている時に、自分の体の衣服に付きます。多くの放射性物質は水で洗えば取れますので、洗濯機で洗ってとるという事が必要です。
非常に厳密に言えば、1回汚染された服は着ない方が良いのですが、注意して洗濯するというのが良いと思います。下着が心配です。だから、ちょうど冬の季節でもありウインドブレーカーのように風を通さないような衣服を上に来て出かけて、それを洗うという事が出来ればベストです。
外出を多くしなければならない人は、外から放射性物質を少しずつ家の中に持ち込む事になりますので、玄関先でそっと脱いで放射性物質が家の中にあまり入らないようにする事が大切でしょう。また放射性物質は結構、拭いて取れるものですから床等の拭ける所は出来るだけ拭く事も大切です。
原発に近い所以外の放射線はほとんどこのような物質によってもたらされますので、家の中を密閉してその中にじっと入っていれば、被曝量は10分の1ぐらいにもなると言われています。
「放射線で損傷したところは体が直してくれる」事と、「放射線は空気中にある小さな物質から来る」という二つを組み合わせますと
1) 外出を控える事
2) 外出する時には、ウインドブレーカーのようなものを着る事、マスクや帽子を被る事
3) 帰宅したら玄関先でそっと脱いで洗濯する事
4) 連続的に外出しない事
5) 外出した人が放射線物質を家の中に持ち込んで来て、その放射線で赤ちゃんが被爆するという事がないようにする事などが有効である。

もちろん、何らかの手段で2,3日でも遠くに行く事が出来れば、その間は放射線で損傷した体は少し元に戻ります。このような事を十分に注意すれば、原発に近い人は別にして、「東京と福島との間に住んでいる人、仙台辺りの人は比較的安全になる」という事が出来ると思います。これに関連した少し専門的な事に言及します。 400ミリシーベルトぐらいの放射線を浴びると多くの人が白血病になりますし、100ミリシーベルトぐらいでも免疫力の弱い人は白血病になる場合があります。
しかし、この100ミリシーベルトとか、400ミリ シーベルトというのは、比較的短い時間に被曝した場合の事です。 例えば1時間に100ミリシーベルトを浴びた人はかなり危ないのですが、1ヶ月間で100ミリシーベルトを浴びても、その間に自分の体が直していきますので安全サイドになります。でも、1ヶ月の場合、どのくらい安全になるかは極めて複雑です。 女性と男性との問題、赤ちゃんとお年寄りの差等多くの事がありますので、なかなか一概に1時間で100ミリシーベルトを浴びたらそれは1ヶ月でどのぐらいかという事を具体的に示す事は出来ません。 そこで、このブログでは1時間に浴びた量で1ヶ月の打撃を示しています。つまり打撃を受ける上限を言っているという事になります。(2011.3.18)

各国のマスコミ大絶賛

2011年03月18日 05時00分00秒 | 生き方・人生観


◎私が以前広島時代に参加していた『縄文塾』中村塾長の縄文通信(502号2011.3.16)にあったカナダ在住の方からの投稿を紹介します。

⇒明治・昭和の度重なる津波対策の一部だった6~10m高の堤防も、瞬間14mの大津波だけは想定外でした。しかし、仮にこれが無ければ、被害はさらに膨大なものになっていただろうと言われています。
マグニチュード8~9レベルの世界最大級震災では、ハイチ31万人、四川9万人、スマトラ22万人の犠牲者が出ているので、「東北関東大震災」が目下数千で留まっている事は、やはり地震津波国日本の防災は決して非難されるほど貧弱でなかった事として、既に多くの諸国から羨望と敬服の声が寄せられている通りでしょう。

有史以来、火の国日本列島が地震と津波の数々に耐えてきた事は、歴史の鏡に映るが如きですが、869年の三陸沖大津波は、今回レベルの大きさだったようで(明治以前には測定値はなし)、仙台から岩手方面にかけて陸上5キロも砂が掻き揚げられ千数百人が死んだと記録されています。人口比からすれば、現下なら十数万人に相当する。確かに日本の防災力は最近のハイチ、中国、インドネシア、タイ、マレーシアに比肩して恥ずかしくは無いと言えそうです。


この上は、原発の損傷被災が、米スリーマイル島やソ連チェルノブイリのような壊滅的レベルに達しないで済むことを念じるばかりです・・・。

筆者がこれまで目に出来た、諸外国マスコミ報道をお伝えしておきます。
中国のインターネットでは、「日本ザマーミロ」的な書き込みが続発した中で、意外にも「環境時報」(中国の國際誌)だけは「地震後の日本人の秩序ある行動に敬服。その冷静さが世界を感動させている」と賞賛しています。


アメリカでは、賛美の嵐が続いています。
CNN「日本の国民はミラクルだ。他国なら数十倍の被害、ハイチの5百倍の地震、津波まで5分の中で、信じられない対応。この国には常に危急対応の準備がある。

LAタイムス「日本の民度」は完全無欠(Impeccable)」。NYタイムズ「日本国民は当に気高い態度と克己心があり、規律正しく、我慢強い(Toughing-it-out)。そして、勇気と団結、それに公共心は、我々に畏敬の念を持たせる」。


その他、英紙でも「大災害への対応で国と国民が試される。日本はこの試練に対し、見事な落ち着きと不屈の精神で対応している」。他にも「Rich-in-resilience(弾力的快活性豊かな民族)など、絶賛が頻発しております。

※昨日の、韓国新聞社説といい「菅内閣や東京電力の対応は別として」、被災者方々の冷静な対応には、どの国も称賛しています。大変ご不自由な状況だと思いますが、少しずつでありますが、災害地のインフラ回復や支援体制は進んでいますので、それまでは大変でしょうが頑張られて下さい(拝)。

▲<3月17日、近所で咲いていたタンポポです>

大災害より強い日本人

2011年03月17日 09時30分00秒 | 生き方・人生観

◎東日本大震災害者の方々の環境の改善と物資補給が急務の現状であるが、世界は日本の災害者の状況に驚嘆の声を上げ、称賛の記事を報じ続けている。

「中央日報」2011.3.13【社説】「大災難より強い日本人」

全世界が日本の大地震に2度の衝撃を受けている。 まずマグニチュード9.0の超強力地震がもたらした残酷な被害だ。 巨大な津波で約2000人が死亡し、1万人以上が行方不明となった。

日本列島が連日、地震、津波、原発危機にしているのだ。もっと驚くのは不思議なほど冷静な日本人だ。 死の恐怖の中でも動揺しない。避難要員に従って次々と被害現場を抜け出し、小学生も教師の引率で列を乱さず安全な場所に移動した。

地下鉄・バスの運行が中断すると、会社員は会社から支給された緊急救護物品をかついだまま静かに家に帰った。みんな走ることもなく3-4時間ほど歩いた。翌日はいつも通り会社に出勤した。想像を超越した大災難と日本人の沈着な対応に全世界が衝撃を受けている。


私たちは大規模な自然災害が過ぎた後に発生する数多くの無秩序と混乱を目撃してきた。昨年22万人が犠牲になったハイチ地震がその代表例だ。「地震よりも無法天地の略奪と暴力がもっと怖い」という声が出てきたほどだ。ハイチが開発途上国だからというわけではない。05年にハリケーン「カトリーナ」が襲った米国のニューオーリンズでも暴力と腐敗が相次いだ。こうした記憶のため、日本人の冷静さがよりいっそう引き立って見えるのかもしれない。

惨状を前に泣き叫ぶ日本人はほとんど見られない。地震の混乱に紛れて強盗や殺人事件が起きたという話も聞こえてこない。テレビの画面は、列に並んで救護食品を受け取ったり、売店の前で静かに待った後、必要な分だけ購入していく風景ばかりだ。


ただ地震が頻発する日本の地理的特殊性だけでは、こうした現象をすべて説明する事は出来ない。徹底した耐震設計と速い警報システムが被害を減らしたのは事実だ。徹底した事前教育と避難訓練も間違いなく力になっている。一つの国の真面目も大事件を迎えてこそ表れる。それがまさに国民性だ。

全身が凍りつくような恐怖の前で、日本人は落ち着いた国民性を遺憾なく発揮している。1995年の阪神・淡路大地震当時、意外にも20%ほど円高が進んだ。 日本の国民性を誤って判断した海外投資家は痛い目にあった 最近の円高も国際金融市場が災難の前で団結する独特の国民性を看破したためだ。


日本人は沈着な対処で阪神・淡路大地震を乗り越えて自ら立ち上がった。今回の大地震の傷もいつか治癒されるものと信じる。むしろ私たちは日本を見て、韓国社会の自画像を頭に浮かべる。災難現場でテレビカメラが向けられれば、表情を変えて激しく泣き叫ぶことはなかったか。天災地変のため飛行機が少し延着しただけで、一斉に大声で文句を言うことはなかっか。すべての責任を無条件に政府のせいにして大騒ぎしたことはなかったか。 隣国の痛みは考えず、韓国に生じる反射利益を計算したことはなかったか…。私たちは自らに厳しく問う必要がある。また災難と危機の際、韓国社会の節制できない思考と対応方式を見直す契機にしなければならない。私たちは依然として日本から学ぶべきことが多く、先進国へと進む道のりも遠い。

※花岡信昭メールマガジン905号 2001.3.15 より 

「YONAR`S(よなーず)」

2011年03月14日 07時00分00秒 | 沖縄現地情報

▲<遠くから見た外観から、おしゃれなレストランかと思いきゃ、シークヮーサーを中心とした沖縄のお土産屋さんでした>

◎東北関東大震災は、マグニチュードが9になり、日本400年間で最高強度の地震で、1000年に一度の津波だった!テレビを観ていても心が重くなるばかり・・・。特に、私は「原子力発電所」推進派だけに、今回の顛末は本当に残念だ。

久し振りに、豊崎総合公園へ行ったら、造成地の中にポッンと新しいショップが出来ていた(OPENは、昨年の7月だった)。入ったら、レストランのように見えたが、シークヮーサーを中心とした商品を製造販売している沖縄特産販売株式会社の工場兼店舗だった。

沖縄特産販売株式会社は、平成7年に創業し通信販売をメインに、県内の薬草や健康食品を販売していたが、2~3年後、本土のメディアで、早摘みシークヮーサーの果皮と果汁に、「タンジェレチン」「ノビレチン」など6種類の「フラボノイド」(植物に含まれる色素成分の総称でポリフェノールを分類した際のひとつのカテゴリー)が、大量に含まれている事が解り、ネット注文が殺到。

あっという間に、在庫がなくなり、製造メーカーに問い合わせたら、そこにも既に在庫はなかった。一夜にして、沖縄からシークヮーサーが消えた。そこから、與那覇社長はシークヮーサーの産地「大宜味村」へ飛んで、色んなドラマの末、生産者から直接仕入れる事が出来るようになった。

その後、商品開発を行い健康志向の中高年に絞り込み、早摘み(青切りシークワーサーは、栄養分が豊富)を商品化した。完熟ブームの中、マイナスイメージだから絶対に売れないと周囲から言われたが、「青切りシークヮーサー」は、全国的なヒット商品になったらしい。

しかし、競争激化や不作から一時は撤回も考えたが、踏み留まり継続を続け苦しい時期を過ごす。沖縄ブームも過ぎ、競合激化や不作から撤退する会社が増え始め、仕入価格も落ち着き、会社の業績も回復したらしい。


▲<新しくて綺麗商品展示、人が少ないのでのんびりと買い物が出来る(通販サイト「沖縄うまいもの王国」もやってるようなので商品数は豊富だ>


▲<店舗の奥は、シークヮーサーの瓶詰め工場になっている。横には、「青切りシークヮーサー」が、蛇口から出てくる飲み放題のコーナーがある。試飲したが、シロップが入りで甘かった!>


▲<新製品コーナーの「ブルベリー+シークヮーサー」>


▲<新製品コーナーの「蜂蜜+生姜汁+青切りシークヮーサー」を一本購入した。本日の超特価で980円也>

※豊崎の「アウトレットモールあしびなー」「豊崎道の駅」に行ったら、直ぐ近くなので寄ってみる事をお勧めする。098-850-8953


くぅーすの杜「忠孝蔵」見学記

2011年03月12日 00時05分00秒 | 沖縄現地情報

▲<那覇空港から車で10分の所(高速道路空港線名嘉地出口1分)にある。総面積758㎡の琉球建築の「くぅーすの杜忠孝蔵」>

宮城県沖でマグニチュード8.8(過去最大)の大地震が起きました。偶然に16時頃にテレビを付けたら、津波が川逆流し家屋や畑を飲み込んでところを映していました!その近くの道路では、車が立ち往生したり逃げていました。映画のような光景に立ち尽くしました・・・。

1月31日、「忠孝酒造」(豊見城市名嘉地)が、本社の道路向かいに、「泡盛を楽しく学べる」施設をOPENさせました。行こう行こうと思いながら、いつの間にか3月になってしまいました。
確定申告の電子申告も終わり、遅ればせながら行ってきました。


▲<三代の歴史を示す大型パネルで、忠孝酒造のチャレンジの歴史を知る>


▲<手作り泡盛工場をガラス越しに見学できる>


▲<酒蔵アートギャラリー>


▲<私が好きな「翠古(スイコ)」[昔泡盛]、「原酒」、「マンゴー酵母泡盛」が並ぶコーナー(すべて試飲できる)>


▲<オリジナル商品を含めて並んでいる商品はすべて購入できる>


▲<地下には、「THE OWNERS」があり、「忠孝原酒」(44度)を5年間熟成してメッセージを添えて届けてくれる>



▲<「忠孝オリジナルショップ」南蛮荒焼甕に入った一点物の古酒のコーナー>


▲<「木造古酒蔵」首里城に次ぐ木造建築の中では、実際に製造しているところが見学できる>


▲<今日も観光バスで見学者が来ていた。運転手は飲めないが、他の人は試飲して選んで購入できる。那覇空港に一番近い酒造場だけに、帰る間際やレンタカーを返す直前に見学が出来る点が嬉しい>

※「くぅーすの杜忠孝蔵」の見学は、10~19時(年中無休)。電話0120-11-1257


「古民家食堂3月例会」

2011年03月10日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<今年最後の鍋か?>

3月8日、古民家(こみや)食堂の3月例会に参加しました。
少し遅れて7時過ぎに到着したら、駐車場が満杯で店の中もお客さまでごった返していた。
高校入試や琉球大学の合格発表の影響か??

▲<囲炉裏の炭火が美しいが、顔が「遠赤外線」で熱い>

今回の、ニューフェイスは、「喜業会」に参加しているメンバーの上原一晃さんでした。
私より先に、定刻に着いて、すでにすっかり馴染んでいた。

▲<田村夫妻に、挨拶をしている上原さん(ウチナンチューではない千葉県出身)>

20時くらいに、家で風呂に入ってきた友利さんが参加。
21時前に、田村夫妻が到着。

21時過ぎに、オーナーの川満さんが、店の冷蔵庫で冷やしていた山形の純米吟醸酒を出した。

▲<山形の純米吟醸酒(原酒)「千代寿虎屋」>
みんな、感動して「日本酒談義」が始まる。沖縄の人は、「泡盛」も好きですが、美味しい「日本酒」も大好きらしいです。

▲<眼鏡を外して熱心にラベルの文字を読む田村さん>



私は、美味しい日本酒は、飲み過ぎていつも翌日は、エライ目に会うので、今夜も舐めるだけにして、最後までビールで通した。

▲<もう、船を漕ぎ始めている幹事の又吉さん>


▲<何度も乾杯を続けて、今夜も暮れて行く・・・>

「小麦の番人」

2011年03月09日 00時30分00秒 | 沖縄現地情報

▲<小麦の番人の「餃子」2人前>

今年の初め頃、「ゆいレール美栄橋駅」の近くを歩いていたら、厨房機器を入れているところに出くわした。2月中旬に、同じ場所を通ったら、飲食店中華料理店がOPENしていた。
2月下旬に、食べに入った。店の名前に「小麦」が付いているので小麦製粉会社のアンテナショップと思っていたが違うらしい。

▲<まずお目当ての、「餃子」を二人前とビール食す>
羽根を付けた焼方なのだが、ごく普通のしっかりした味だった(この大きさなら羽を付けずに焼いて欲しい)。

ラー油や酢・醤油に、こだわりを持っているような調味料の揃え方だ。
従業員に聞いたが、これと言ったこだわりを話せなかったのはもったいない。

メニューが絵本のようになっていて、デザインセンスを感じて面白い。

▲<メニュー絵本で、「オムトロ焼きそば」680円也を食す?>

▲<「カツ飯」温玉添え780円也>

▲<「昔なつかしカレー」美味しそう400円也>

▲<ちゃんと、「ソーキそば」500円也もあります>

▲<裏表紙には、持ち帰りの案内もありました(生餃子1個60円から、生沖縄そば一人前200g58円からあります)>

この店の形態は、女性に受けると思う(事実、3月上旬21時頃に、若い女性がお一人様が食事していた)。

▲<再訪の3月4日、まず餃子一人前とビールを注文した>

関西人の性(サガ)で、「キャベツと三枚肉のとんぺい焼き」(380円也)も注文をした。良心的な価格だが、でもこれは「とんぺい焼き」ではない!

やり方が業界的でないところが、他業界からの若い人の経営のような気がするが(あくまでも推測だが、大いに期待はしている)。

※私の店舗診察では、店のコンセプトが、「餃子ライス倶楽部」と打ち出しているだけに、不思議な魅力を感じる食堂である。しかし、50人くらい入る大きな席数の店だけに、店のピーク時間をどこ合わせているのか解らないが、夕方と21時の店内を見た限りでは、従業員が余っている。従業員を少なくするか、女子会や男性の団体客を入れないと、このままでは経営は厳しくなるだろうと思った。


ぬちまーす

2011年03月07日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<「宮城島」の何もない岸壁に建つ「ぬちまーすの工場」。奥に見えているのは「平安座島」の沖縄石油精製基地のタンク>

「ホテル浜比嘉島リゾート」で、古謝美佐子さんのコンサートを観た翌日、「浜比嘉島」から、車で十数分のところにある「宮城島」へ、「ぬちまーすの工場」を見に行った。
「ぬちまーす」は、2000年に「ミネラル含有種類世界一」のギネス認定を受け、一躍有名になった沖縄産の塩です。
沖縄の方言で、命の事を「ぬち」、塩の事を「まーす」と言います。
生命に必要なミネラルが世界一含まれている塩という事で、「ぬちまーす(命の塩)」と名付けたようです。
海水を細かい霧にして創る塩(ぬちまーす)が、出来るところを一度観たかったので、工場見学申し込んだ(年中無休見学無料)。
約10分間隔で、グループに一人のガイドさんが付き説明をしてくれるので、随分解りやすかった(約15分程度)。


▲<「塩の結晶」を工場の窓ガラス越しには観えるが、中々うまく撮影出来ないので、説明ポスターを撮影した>

▲<世界13カ国で特許を取得している「常温瞬間空中結晶製塩法」のイラスト>

▲<ぬちまーすは、ミネラルが21種類検出された身体にやさしい塩で、一般の塩の食は制限されるが、塩分が25%少ないぬちまーすは、制限されないらしい>

▲<工場内2階には、レストランがあり食事も出来る。我々は、テラスで売店で売っていた「ぬちまーすアイスもなか」を食べた>


▲<工場の敷地は、標高100mの高台岸壁です。下の海から原料の海水をくみ上げている。沖縄本島最北端の「辺戸岬」に負けないくらいに美しい風景が拡がっていた>

▲<工場の屋根は、赤瓦の切り妻。美しいので、バックに入れて記念写真を撮る>

※詳しい会社情報は、HPをご参照下さい。株式会社ぬちまーす

3月4日は、「三線の日」

2011年03月05日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<オープニングは、必ず「かぎやで風」那覇市文化協会古典芸能部会>

沖縄では、3月4日を「三線の日」として、地元放送局の「琉球放送」が、一日中盛り上げている
メイン会場の読谷文化村センター鳳ホールでは、11:45~21:00まで、三部形式で三線のプロが大ぜい出ずっぱりのラジオの生放送を行っている。

那覇市内でも、コラボ企画として「沖縄かりゆしアーバンリゾート・ナハ」6階のホールで、「スペシャルイベントin那覇」が行われていた。
会場になっている「かりゆしホテル」さんから、招待状を頂いたので夕方から観に行って来た。


▲<「かぎやで風」那覇市文化協会古典芸能部会玉城玉扇家元谷田嘉子琉舞道場>

▲<「貫花」那覇市文化協会古典芸能部会玉城玉扇家元谷田嘉子琉舞道場>

▲<那覇市文化協会古典芸能部会野村流伝統音楽協会仲宗根巴津美研究所小中学生>

▲<沖縄国際大学・浦風(ウラカジ)エイサー演舞>

▲<女性ディュオ「カサビサ」>

▲<スペシャルライブ「とぅるるんてん」初めて見たが強烈な個性>

▲<「サンダー」(ギター・ヴォーカル)強烈な風貌>

▲<「のんちゃん」(太鼓・唄・三線)>

▲<リーダー「マリリン」(三線・ゆんたく・MC)>
最前列で観ていたら、舞台の上から私にどこから来たのかと質問されたので、東京からと答えたら、「東京の正男さん?」と決めつけられてその後も、何度か私にトークが飛んできた。最後、カチャーシタイムになった時、「正男さんも踊れ!」と指名されて、司会者と最前列の数人で舞台の下でカチャーシーを踊らされた。

▲<エンディングは、出演者全員の「かぎやで風」「恩納節」「辺野喜節」で締めた>