▲<沖縄中小企業家同友会第32回輝く女性経営者のつどい>
2004年の頃、朝日新聞に長野県小布施町の老舗酒造会社にアメリカ娘が飛び込んで、凄い改革をしている「台風娘」の記事を見た。彼女の口ぐせは「投げたらあかん!」。関西弁のヤンキー娘[セーラ・マリ・カミングス]にすごく興味を持った。
その数年後、小布施町に行き彼女が勤めている
㈱桝一市村酒造場を訪ねた。彼女には会えなかったが、同社が運営しているレストランで食事をし、「北斎館」も見学してきた。
それから、6~7年経ち、その彼女が9月6日那覇市天久「ザ・ナハテラス」で講演するという事を知り、急いで話を聴きに行きました。
▲<ザ・ナハテラスの大ホールには、約200名くらいの聴衆でぎっしり>
彼女は、2006年に代表取締役になっていた(結婚もして2歳児の母親です)。
以下、セーラさんの講演語録です。
「やりたい事がある時、ブレーキを掛けられても、やる気を試されていると思え」
「新しい事をする時は必ず、“ダメ”と言われるが、それは後で“タメ”になる」
▲<「“バツ”も、少し傾ければ“プラス”になる」と話しているところ>
「本当の事を言うと人は怒る。怒られたという事は本当の事を言ったからだ」
「私は、マラソンが好きで諦めない性格。だから何カ月も言い続ける」
「日本は四季を感じられる国。だから、毎月季節のイベントを行う事を考えた」
「“小布施見に(ミニ)マラソン”」(ハーフマラソン)を言い出して実行委員長を10年続けている」
「出来ない理由が100あっても出来る理由が一つあればやれる」
「新しい事をやろうと思えば、役場で“ハンコ”がたくさん必要と言われた。それを役場の“反抗”と言う」
「マラソンを計画した時、警察に制限時間を一方的に決められたが、制限時間のないマラソンにしたかったので、妥協してはいけないのは“安全”ですが、妥協してもいけないのも“時間”と言って制限時間の無いマラソンが実現した」
「小布施町を美しくしたいと思い、一人でゴミを拾っていた。“1530(市ゴミゼロ)”を発案して今では、住民ぐるみの活動になった」
「“瓦”に興味を持ち保存を考えた。“かわらなくては”の運動を起こし瓦製造技術を保存した」
「以前、会社は正月長期休業していた。しかし、会社の前をたくさんの人達が歩いている事にヒントを得て“餅つき”をして無料で振舞った。今では、正月の餅つきが小布施の恒例行事になり、旅行客も増えた。これを“モチベーション”と言う」
「何かやる時に必ず、20%の賛同者と20%の反対者がいる。残りの60%はどちらでもいい人。しかし、やれば途中から、必ず賛同者が出てくる」
「落ち込む事もある、悪い事ではない。その力を前向きに使う。押すだけではなく引く時も必要だ」
「旅は良い。“可愛い子には旅をさせよ”充電する時。リフレッシュして家に帰るのだ」
「汗をかかずに諦めるな!でも、走っても後から誰も追って来ない時もある(笑)」
日本的なものに対する外国人独特の視点と、超ポジティブマインドで突き進む生き方。現状に甘んじず、良いと思った事はとことんやる。反対されても敢えて聞かない。強い“志”に基づいた『突破力』に、感服しました!
※彼女の詳しい活躍は、日経ビジネス文庫「セーラが町にやってきた」をお読み下さい。