平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2012年5月13日 家族考

2012年05月15日 21時27分15秒 | Weblog
家族考


 キリストの教会では、同じ信仰の友を神の家族と呼んでいる。イエス様は、母親と兄弟たちが訪ねてきたことを知らせてくれた人に対して、「わたしの母とはだれか。わたしの兄弟とはだれか」と言われ、弟子たちの方を指して、「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である」と言われた。
 そういうことで言うならば、逆に、たとえ血のつながりがあろうとも、神様の御心を行わない者は、家族ではない、ということになるのだろうか。なかなか厳しいお言葉である。そうだとすると、私たちは、ときに神様の家族であり、ときに、そう呼ぶにふさわしくない者なのである。
 また、あるときは、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」と言われ、「わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である」と言われた。イエス様の教えに従えない者は、友とは呼んでいただけないのである。しかし、家族というのは、喧嘩もする、互いの弱さや至らなさも躊躇なく見せて、それもまた赦し合うことのできる関係にある。
 家族は、助け合うことを自然と行うが、それについてもいちいちお礼を言うこともない。でも、家族には、皆互いに、感謝しているのである。家族がいたから、何とか乗り越えられたといった出来事が、人生には幾つもあったことだろう。神の愛は、時々家族を通しても見えてくる。